16 教室に残された白い本
あの日、幸せの絶頂で、すべてを失った。
何もかもが指からこぼれ落ちた、あの日の光景が、頭をよぎる。思い出しただけで、息が苦しくなる。寒くもないのに体が震えていた。
「どしたの、具合いでも悪いの?」
「いえ、大丈夫です」
先輩が心配そうに、俺の顔を覗き込む。
「君は本当に嘘をつくのが下手だな。全然、大丈夫そうに見えないんだけど」
あれからずっと、なんでもないふりをして、息を殺して生きてきた。
認めてしまったら、もう生きていられないから。
助けられなかったという事実に、俺は向き合うことができないままだった。
でも、もう疲れたんだ。自分に嘘をつくことに。
「そんなに怖いなら、この話は終わりにしようか」
「……そんなんじゃないです。大丈夫ですから。続けてください」
先輩は何か勘違いをしている。
俺がホラ話を怖がっていると思っているようだ。それならそれでもいい。俺の心がこんなにみっともないなんて、先輩には絶対に知られたくなかった。
必死に笑顔を作ってみる。やたらとぎこちなくて、口元がピクピクしている。こんなに俺、笑うの下手だったっけ。ついさっきまで笑えていたはずなのに。
俺の偽物の笑顔を見て、先輩は怪訝そうな表情をしながらも、話を再開した。
「たとえ生徒が消えてしまっても、その瞬間を撮影していたのでもなければ、噂の証明なんて、できるわけがないんだから。事件にすらならないんだよ。それにまだ大きな噂になってないのは、きっと箝口令が敷かれているからじゃないかな」
「箝口令って言葉、言いたかっただけでは」
先輩は怒ったように、ほっぺを膨らましている。
そんな顔をしていても、可愛いのは卑怯だと思う。
こんなにも俺は、先輩のことが好きなのに。どうしてこんなことに。
ずっと話していたかった。
このまま時が止まればいいと思った。
でも、先輩はもうここには。
「そんなに聞きたくないなら、続きはもう話してあげないっ」
「先輩、ごめんなさい。このまま続きを聞けなかったら、俺、きっと気になって、死んでも死にきれません。先輩の素晴らしいお話の続きが、ものすごく聞きたいです」
「しょーがないなぁー。よし、久しぶりに、屋上に行こうか」
案外、簡単に機嫌を直してくれた先輩は、席を立って教室を出て行く。
俺も後をついて行くと、先輩は得意げに話を続ける。
「消えた学生は皆、放課後、一人で教室にいた時に、その本を読んでいて、神隠しにでもあったみたいに姿を消したらしいんだけど、白い本だけが残されているからって、誰も考えないでしょ。その子が、本に食われたなんて」