15 観察を続けるカラス
近くのコンビニで牛乳を買った白髪少年が、少女と一緒にやってきたのは、古い日本家屋の前だった。
庭にはガラクタが山のように積まれていて、本当に人が住んでいるのか怪しいぐらいに、屋敷もボロボロだった。まるで化け物でも住んでいそうな不気味さだ。
うっかり変なものが出てきても大丈夫なぐらい、俺は安全な場所からやつらを見下ろすことにした。もし何かが襲ってきても、やつらを囮にして逃げればいい。
「おばけ出そうだね」
俺と同じようなことを感じたのか、少女が不安げに白髪少年のズボンを掴んでいる。
「心配しなくても、こんな昼間から出るお化けは陽気なやつだよ。おーい、じいさーん、ちょっと直してもらいたいもんがあるんだけどー」
白髪少年は玄関の引き戸を開けた。白髪少年は服の袖で鼻を覆っている。そんなに臭いがきついのだろうか。
俺たちカラスは人間と比べると、あまり鼻が効かないから、よくはわからない。ゴミや死肉を漁る生活をしていたら、敏感な鼻なんて、あったら邪魔なだけだ。
家の中から、何かが崩れるような音がした。
「あー? ちょっと待ってくれ。今行くから」
家の中もガラクタがあちこちに積まれている。とても人が生活している感じには見えない。廊下にまであふれたガラクタをかき分けながら、ボサボサ白髪頭のじいさんが出てきた。無精髭に銀縁眼鏡で、なんだか冴えない残念な老人だった。
「じいさん、またちらかして、近所の人に怒られるよ」
白髪少年は、鼻をつまんだまましゃべるから、変な声になっている。
「しょうがないだろ。全部大事な部品なんだから。っておいおい、それまさかっ」
少女が差し出した犬のようなものを、ボサボサ白髪のじいさんが受け取って、優しく人間の赤ん坊にするみたいに抱きかかえた。
「旧式じゃないか。おーよしよし、そうか、ちょっと具合が悪いのか。待ってろ。すぐに元気にしてやるからな」
ボサボサじいさんはその場で、犬のようなものをじっくりと確認して、いじくりだした。
白髪少年は、部屋のあちこちを見回しながら言う。
「よくこんなところに住んでられるね」
「屋根と壁があって、雨風が凌げるだけで十分だと思うが」
ボサボサじいさんは、多くを望まないタイプなのだろうか。そこまで割り切っているのなら、きっとどこでも生きていけそうだが、なんでこんな汚いところに住んでいるのだろう。人間のすることはよくわからない。
「怖くないの。地震があったら、押し潰されそうだし」
「どうせ大きな地震があったら、どこにいたって、運が悪けりゃ即死だよ。そんな当たり前のこともわからんのか。若いのに残念なやつだな」
「ざ、残念言うなっ」
白髪少年はいつも誰かに煽られているような気がする。バカにしたくなるオーラのようなものが出ているのだろうか。
俺のようなカラスにすら遊ばれているのだから、残念であることには違いない。
「うちのカミさんだって、たまたま旅行に行って、わけもわからないうちに津波にさらわれて、そのまま行方不明だ」
ボサボサじいさんの言葉を聞いて、少女が痛そうに顔を歪める。頭の中で想像したのだろう。
「百歳まで長生きしたいって口癖のカミさんが、どっか行っちまって、いつ死んだって別にいいって思ってるような、偏屈ジジイのわしだけ、ピンピンしてるんだから。神様なんてやつは、この世にいないんだろうよ」
神様とやらがいるかどうかは知らない。もしいたとしても、きっと性格が悪いやつなのは間違いないだろう。
ボサボサじいさんは、あれこれとガラクタを引っ掻き回している。
しばらく様子を見ていた白髪少年が質問した。
「……どのぐらいかかるの」
「うーん。三十分ぐらいかな」
「ならしばらく、おれらは時間潰してくるんで。おいお前も、行くぞ」
少女は首を横に振った。
「私、ここで待ってる」
白髪少年は舌打ちをする。
そんなことをするから、女にもてないんじゃないのか。そう思ったが、別にアドバイスをしてやる義理もない。勝手に残念な男になってろ。
「あっそ。ならこれ、おっさんから差し入れ」
「おぉ、すまんな」
クッキーと牛乳の入った袋をじいさんに渡すと、白髪少年は逃げるように、外に駆け出した。屋敷を出ると、ぷはーっと深呼吸をしている。
「死ぬかと思った。物が多すぎなんだよ。変な能力にしやがって、マジ迷惑だ」
白髪少年はよっぽど鼻がきくのだろうか。俺たちカラスはそこまで匂いは気にしないが、きっと白髪少年にとっては苦手な匂いでもするのだろう。
白髪少年は時計をいじり出した。
「三十分後と」
ピピっと音が鳴るのを確認すると、来たのとは逆方向に歩き出す。どうやらそのまま近所をぶらついてくるつもりのようだ。どうせどこかで居眠りでもするつもりだろう。
俺はそのままこの家の観察を続けることにした。
家に残った少女は、じーっとじいさんの手元を見ている。
いろんな道具を集めてきたじいさんは、犬のようなものを、あっという間にバラバラにしてしまった。
どうやらあの犬のようなものは、生きている普通の犬とは違ったようだ。どうりであんなに硬いわけである。これでは死んでも餌にはできなさそうだ。
あわよくば屍肉のおこぼれにあずかろうと、せっかくこんなところまでついてきたのに、とんだ無駄足だ。
少女はじいさんの手元を、ずっと興味深そうに見ている。
「ちゃんと直る?」
「直るよ」
「よかった」
「おじいちゃん、すごいね。なんでも直せるの?」
「機械なら、まぁだいたいは。うちのカミさんも、こいつみたいに助けてやれたらよかったんだがな。あいにく人間は専門外なんだ」
じいさんは白髪少年から、もらった袋に目をやる。
「もうちょっとかかるから、待ってる間に、それ、食べてたらどうだい」
「でも、これおじいちゃんにって」
少女は首を横に振る。
「牛乳パックがちゃんと二つ、入ってるってことは、お嬢ちゃんも食べていいってことじゃないのかな」
「ほんとだ。じゃあ、ちょっとだけもらってもいい? お腹空いてたの」
「いいよ。いっぱい食べなさい」
じいさんが微笑むと、少女もにっこり笑う。
「私も、牛乳と一緒に食べるの好きなんだ」
「それはよかった。わしはもともと牛乳があんまり好きじゃなかったんだが、クッキーと一緒に食べたら、きっと大丈夫って、カミさんに言われてな。おかげで、今じゃ大好物だよ」
「そのカミさんって人のおかげだね」
「……まぁな」
「どんな人?」
「んー、そうだな。うちのカミさんは、お嬢ちゃんみたいな子供に、学校で音楽教えてたんだよ。ピアノが弾けて、歌も上手で。未だに教え子から年賀状が来たりするんだ」
「いい先生だったんだね」
「よくないよ。教え子の成長を見届ける前に、勝手にいなくなっちまったんだから。生徒を心配させる先生なんて、教師失格だよ。まったく」
じいさんの表情が少しだけ寂しそうに見えた。
ぽっかりと大きな穴が、心の中に空いてることを、うっかり思い出してしまったのだろう。きっと俺が、看板の中で動きもしない白いカラスを眺めてる時も、同じような顔をしているのかもしれない。
思い出というやつはやっかいだ。
こっちの気持ちなんてお構いなしに、急に目の前に現れる。
それが甘くて綺麗なものであればあるほど、今はもうないという事実を突きつけられて、悲しみが分厚く覆い被さってくる。
じいさんの表情を読んだのだろうか。少女はわざと明るい笑顔を見せる。
「このクッキー、すごくおいしいよ。おじいちゃんも、食べる?」
「わしは後で食べるから、今はいいよ」
「そう言わずに。ほら、あーんして」
じいさんは少し面食らいながらも、口を開け、少女が差し出したクッキーをパクリと食べた。
「はい、牛乳も」
少女はもう一つのパックにストローを刺して、じいさんの口元まで持っていく。親鳥から餌をもらう雛みたいに、じいさんはストローに吸い付いた。
「おいしいでしょ」
「あぁ……うまいな」
じいさんが下を向いた。少し肩が震えている。
「大丈夫、おじいちゃん」
心配そうに、少女は覗き込む。
「喉詰まったなら、もっと牛乳飲む?」
「いや、大丈夫だ」
じいさんは袖で目を拭ってから、顔を上げた。何もなかったように振舞っているが、目が赤い気がする。
「修理に熱中してると、うちのカミさんも、よくそうやってクッキーを突っ込んできて、休憩しろって怒ってたんだよ。まぁ止めないんだけどな。頑固じじいは、天の邪鬼だから」
今は亡き妻との思い出が、トゲみたいに心に刺さってるのかもしれない。
ほかの誰にも触れない、優しくて無慈悲なトゲだ。
修理は、まだしばらく時間がかかりそうだ。
二人を眺めているうちに、俺はちょっとばかし、うとうとしてしまった。