12 何も言っていないカラス
「こんにちはー」
ガラス戸を開けた少女は、ハキハキと挨拶をする。
だが、誰も返事をしない。
開けたら閉めるということを知らないのか、少女が扉を開けっ放しにしているせいで、涼しい空気が、むわっとした熱気を押し流している。まったくしつけがなってないが、俺にとっては好都合だ。
店前の薄っぺらい立て看板のところまで降りて、少しだけ冷気のおすそ分けをもらうことにした。なかなか良い涼しさだ。
人間どもは卑怯だな。自分たちだけ、こんな快適な場所で暮らしやがって。俺たちの寝ぐらにも、同じような涼しいやつをつけてくれないだろうか。
ひんやりとした空気にうっとりしながら、店内をのぞくと、やたらとでかいソファーに、小柄な白髪少年が寝ている。
あの白いカラスが姿を消す前に、巣のあたりをうろうろしていた人間のうちの一人だ。
背丈から考えると、まだ学校に行っているぐらいの年に見えるが、どう考えても学校に行っていない。いつも店の中にいるようだ。
てっきり病気か何かかと思ったが、そういうわけでもなさそうだ。体は健康そうだが、見た目が普通のガキとは違っている。まるで俺の嫁だった白いカラスみたいに、真っ白な髪と赤い瞳をしている。
もしかしたら、学校に行く道で、普通ではない見た目のせいで、ほかの人間に狙われたりするのかもしれない。だからこそ、人目がある昼のうちは、閉じこもっているのだろうか。
もし、そうだとしても、白髪少年は少々、ダラけすぎである。
学校に行く代わりに、店番を任されているようだが、まともに動いているところを、ほとんど見たことがない。やってくる客は、いつもすぐに奥の部屋に消えていく。きっともう一人の黒コートの男が、対応しているのだろう。
だから白髪少年は、昼間はいつだって店の中で寝ている。寝ていない時のほうが珍しい。寝ながらお菓子を食べるか、寝ながら漫画を読むか、寝ながら寝ているか。
かろうじて動いているのは日が落ち始めてから、飯を食いに行くために、ようやくコソコソと外に出て行く時ぐらいだ。
もしかしたら、俺が寝ている間に、俺の嫁や巣を奪った時みたいに、何か悪事をしている可能性もあるが、悪いことをする時しか動かないなんて、まごう事なき、ろくでなしというやつだ。
実家を出たばかりの若いカラスですら、ゴミをあさったり、ゴミをつついたり、ゴミを散らかしたり、もう少し何かをしている。
どうしてこの少年が店番をクビにならないのか、さっぱりわからない。この店の店主は、こいつに何か弱みでも握られているのだろうか。
「あのー、すみません」
少女が寝ている白髪少年に近づいて、声をかける。
怖いもの知らずにも、ほどがありすぎるのではないだろうか。
「……うっせーな」
白髪少年は、まぶしそうな顔をしながら目を開けた。両腕を上げて、猫みたいな伸びをする。少女を見て、値踏みをするように、頭から足先まで確認して、怪訝そうな表情を見せた。
「またお前か。店にまで来るな。つーか、断りもなく、なに勝手に入ってきてんだよ」
どうやら知り合いだったようだ。だが寝ている店番に、断ることができるやつなどいないし、勝手に入ってきてもクソもなかろうに。
明らかに客に対する態度ではない。なぜクビにならないのかが理解できないが、人間の事情というものがあるにしたって、限度というものがあるだろう。
少女は犬のようなものを、ちらりと見てから言う。
「あの、この子のお家を探して欲しいんですけど」
「は?」
「ずっとお家に帰りたそうに、電信柱に向かって歩いてて」
「電池が残ってて、勝手に動いてただけじゃないの」
「でも、動かなくなっちゃったの」
「電池が切れたんだろうよ」
「だってピーピー言ってたし」
「なら故障したんじゃねぇの」
白髪少年はあくびをしながら、面倒臭そうに受け答えをしている。
「このお店はなんでもしてくれるんでしょ」
「なんでも、じゃねーよ。できることなら、なんでも、だ。全然違う」
「あの看板にとまってたカラスさんが、ここに頼んだらいいよって、教えてくれたの」
しつこいようだが、俺は何も言っていない。
濡れ衣だ。とんだとばっちりだ。
白髪少年は飛び起きた。
「まさかお前も、カラスと喋れるようになったのかっ?」
赤い瞳を輝かせて、少女をじっと見ている。こいつのこんなイキイキとした表情は、未だかつて見たことがない。
少女は目を左右に揺らし、困ったような表情で、小さい声で言う。
「そんな……気がしただけです。ご、ごめんなさい」
「なんだよ。嘘つくやつは、針千本飲まされるんだぞ。知らないからな」
白髪少年は興味を失ったのか、ソファーにどかっと倒れこんで、横になった。
それほどまでに、この少年は体力を使いたくないのだろうか。低燃費体質にもほどがあるだろう。
「でも、お家に帰ろうとしてたのは、本当なの。だから助けてください。この子をちゃんとお家に帰してあげたいの。弱って動かなくなっちゃったし、この子を見捨てないで。お願い、この子を元気にしてくださいっ」
少女は犬のようなものを、ばーんと見せつけた。銀色の硬いやつは、うんともすんとも言わないし、ピクリとも動かない。
さすがに流暢な言葉で「ありがとう」と吠えろとは言わないが、自分のためにいろいろしてくれている少女に対して、「ワン」ぐらい吠えてみたら良いのではなかろうか。そのぐらいしてもバチは当たらないと思う。
白髪少年は頭をかいて、うーんと唸っている。
「……金あんの?」
「お金?」
「お前みたいなガキは、知らないだろうけどさ、お仕事ってやつはさ、それなりなお金が必要なんだよ」
同じようなガキに向かって、『ガキ』というのは、なかなかに滑稽だ。自分もガキだということを白髪少年は自覚していないのだろうか。
たぶん自分だけは、特別なガキだと思い込んでいるのかもしれない。まるで自分だけが特別なカラスだと、錯覚していた俺のように。
「ちゃんと払えんの、お前に」
少女はカバンの中から財布を出して、銀色のコインを出した。
「五百円じゃ、さすがにちょっと無理だろ。せめて札は用意しなきゃ」
白髪少年の言葉に、少女は目を伏せる。
「じゃあ……この子もう、壊れたまま、お家戻れないの?」
「しょうがないよ、ゴミなんだから」
「……ゴミなんかじゃないもん」
「それ、どうせ捨てられてたやつだろ。ごみ置き場のところで見たぞ。フホートーキってやつだ。飼ってたやつも、ろくなやつじゃない。家になんて、帰れるわけがない」
「でも、でも……まだ動いてたもん。お家に帰れないなんて、そんなの……可哀想だよ」
少女は必死にこらえていたようだが、堰を切ったように涙が溢れて、肩を揺らして泣き出した。




