1 先輩と偽物の本
夕焼けが反射して、机を赤く染めていた。カーテンが風で揺れている。クラスメイトがいなくなった教室は、静かでそっけない。
普段なら、窓の外からはクラブ活動をしている生徒の声がするはずが、何も聞こえてこない。あの日は、あれだけみんな騒いでいたのに。まるでこの世界には、俺しかいないみたいだった。
放課後の教室というのは、どうしてこうも郷愁を誘うのだろうか。
図書室で借りた本を、ずっと返し忘れていたことに気がついて、ふらりと戻ってきた。机の中を探すと、目的の本を見つけることができた。少し汚れている気がするが、なんとか読めそうだ。
ずいぶん前に、先輩にお勧めをされた本の、最後の一冊だった。
さすがにそろそろ、返却したほうがいいだろうが、今日中に、読み切れるだろうか。
部活に入っていた頃の俺は、毎日外を走っていたから、放課後に教室に残っていることは、ほとんどなかった。だから少しだけ普通ではない、特別な時間を体験しているような気持ちになっていたのかもしれない。
ただ本を読む。当たり前のことをしているはずなのに、なぜだか心が浮ついていた。
先輩もこの本を好きだったんだなとか。
この本を夢中で読んでいたんだろうなとか。
全然違う場所で、違う時間に、同じ本を読んで、同じような場面を頭の中で想像して、面白いとか、泣けるとか、感動するとか、気持ちを共有することができるなんて。
本ってやつは、本当に不思議だと思った。
夢中になって読んでいるうちに、もう外は暗くなり始めていた。下校時間を知らせるチャイムが鳴った記憶がない。それだけ集中していたということだろうか。
「知ってる? うちの学校の七不思議」
声がしたほうを見ると、とっくに卒業して、もうここにいるはずのない先輩が、俺の隣に座っていた。アルビノの赤い瞳が、俺のことをじっと見つめている。
窓から吹き込んだ風が、彼女の腰まである真っ白な髪を、ふわりとなびかせた。
「放課後、誰もいない教室で、もし白い本を見つけても、絶対に、読んだらダメだよ。それは『異世界放課後』っていう、偽物の本だから」
先輩は聞いたこともない、本のタイトルを口にする。
「偽物の本?」
「誰にも読んでもらえなくなった可哀想な本が、人気の本に嫉妬して、擬態するんだって」
久しぶりに見た先輩は、楽しくてたまらないという表情をしていた。そういえば先輩は、都市伝説や不思議なホラ話が、大好きだったなと思い出していた。