09 Gの算段
09 Gの算段
ゲッツェラントの城下町では、町人たちが待ち人の到来を待ちわびていた。
「昼の鐘が鳴る頃合いだから、もうそろそろアクヤ様が逃げ帰ってくるかな」
「今日は何まみれになってるんだろうな? せっかくだから賭けようぜ、俺はゴミまみれなのに1000¥だ!」
「よおし、じゃあ俺は泥まみれだ!」
しかし、彼らは知らない。
今日はアクヤが早退しないことを。
そして、ゴミにも泥にもまみれていないことを。
アクヤはいま、執事のぬくもりに包まれ、うれし涙にまみれていた。
エリーチェが退散したあと、フルスイングはモンスター討伐に出かけ、ヤジ馬たちも解散。
再び静かになった廊下で、アクヤはGの胸に顔を埋めている。
最初は、Gがアクヤの紅茶まみれになった頭をハンカチで拭いていたのだが、アクヤが堪えきれなくなって、Gに抱きついたのだ。
燕尾服をギュッと握りしめられ、ワイシャツを涙と鼻水まみれにさせられても、Gはなにも言わない。
アクヤは嗚咽を漏らし、肩を震わせる。
普段は気丈に振る舞っているが、その肩は驚くほどに細かった。
今までひとりぼっちだった寂しさ、悪くないのに責められ続けてきた理不尽、まわりの全てが悪意に満ちている怖さ……。
しかし誰にも言えず、その全てを貯め込んでおかなくてはならなかったのだ。
アクヤの瞳からはせきを切ったように涙があふれ、もう自分では止めようがなくなっている。
それは、水の満たされた狭い水槽に閉じ込められ、どこにも逃げられずに溺れ続けているような苦しさだった。
自分がこんなにも悶え苦しんでいるのに、まわりの者たちは水槽の中にいる自分を見て笑っている……。
しかしその責苦のような日々も、今日をもって終わりを告げる。
ひとりの執事によって水槽は粉々に打ち砕かれ、助け出されたのだ。
『もう、泣いてもいいんですよ』
そんな声が聞こえた気がして、アクヤは今まで飲み込んだ水を吐き出すように、声をあげて泣きじゃくった。
Gはただ黙って、アクヤの頭をやさしく撫でていた。
しばらくして、正午を告げる鐘が鳴り渡る。
アクヤはもう静かになっていて、Gの胸に顔を埋めたまま、鼻をくすんくすんと鳴らしていた。
Gは新しく取り出した真っ白なハンカチで、アクヤの顔を拭く。
かいがいしく涙のあとを拭い、鼻をチーンとかませ、ハンカチを再びポケットにしまう。
アクヤはまるで自分が小さな子供扱いされているような気分になったが、不思議と嫌ではなかった。
「お腹が空きましたよね? お昼にいたしましょうか」
Gがそう告げた途端、アクヤのお腹がきゅうと返事をする。
「な……なんだか本当に子供になってしまったような気分ですわ」
泣きはらした瞳に負けないくらいに頬を真っ赤にして、照れ笑いするアクヤ。
その顔から哀しみはすっかり消え去っていたので、Gは顔をほころばせた。
「お腹が空くのは元気な証拠です。
いつもはお昼はなにを召し上がっておられたのですか?」
「売店でパンと牛乳を買って、その場ですぐに食べておりましたわ」
まわりが敵だらけの彼女には、休憩すらも許されていない。
椅子にでも座ろうものなら、それはひとりぼっちの子鹿がライオンの群れで寛ぐようなものであった。
「そうですか、今日はわたくしがお弁当を作ってきましたので、食堂で食べるというのはどうでしょうか?」
それは思いも寄らぬ提案だったが、アクヤは顔を曇らせる。
「でも、食堂にいったら、わたしは……」
「今日は大丈夫だと思いますよ、わたくしを信じてください」
そう言って微笑むGはまるで、やさしく頼もしいゾウのようであった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
執務室を与えられていない下級の王族は、共有の食堂や休憩室を利用する。
要するに社員食堂のようなものなのだが、そこは昼時だけあって多くの王族たちで賑わっていた。
アクヤは緊張気味に、その中に足を踏み入れる。
すると、まさしくヨソ者が来たとばかりに、周囲の視線が集中した。
アクヤの足は止まりそうになったが、背後にGの気配を感じ、堂々とした足取りを取り戻す。
食堂の真ん中にある空いている席に向かうと、Gがすかさず椅子を引いてエスコート。
執事の立ち振る舞いは洗練されていて、アクヤの優美さをさらに高めてくれる。
『赤きバラの女王』の二つ名にふさわしい、格調高い光景が広がっていた。
誰もが憎しみをいっとき忘れ、ふたりに見入ってしまう。
アクヤは注目を集めながら、Gの手作りだというサンドイッチを食べはじめる。
最初は居心地の悪さに味がわからないほどだったが、いつまで経っても嫌がらせをする者がいないので、アクヤは不思議に思った。
その気持ちを見透かすように、横に立っていたGが囁きかける。
「アクヤ様がエリーチェ様をやり込めて、フルスイング様の信頼を勝ち取ったからです。
今日はその噂で持ちきりでしょうから、誰もアクヤ様には手出しできないのですよ」
アクヤは思わず振り返って、Gを見上げた。
「えっ? でもそれをやったのは、わたしではなくてG、あなたなのですわ」
キョトンとするアクヤ、その口に付いていたゆで卵のかけらを、ハンカチで拭き取るG。
「聖執事は、主人の半身と言われています。
執事の手柄は、すべて主人の手柄、執事の不祥事は、すべて主人の不祥事となるのです。
今回のことは、すべてアクヤ様がされたことになっているのですよ」
「そうだったんですのね……。でも、エリーチェをやり込めたのはわかりますけれど、フルスイング様の信頼を勝ち取ったというのは言い過ぎじゃありませんの?」
「いいえ、フルスイング様はアクヤ様を高く評価されています。
アクヤ様のことを気に入っていただけるように、良い印象を残すようにしておきましたから」
Gのその一言に、アクヤはハッとなる。
「あなたがフルスイング様の前でやたらとおしゃべりだったのは、まさかそのためだったんですの?」
「そうです。フルスイング様は『熱血直情タイプ』の男聖です。
あのタイプは論理的な思考に弱いのです。人は、自分が持っていないものに惹かれるものですからね」
「そうだったんですのね。でも、どうしてそのようなことをしたんですの?」
「それはもちろん、フルスイング様を味方に付けるためですよ。
アクヤ様は出世をお望みなのですよね? そのためにはアクヤ様より上の立場にいる王族に気に入られる必要があります。
でも女聖はほとんどがレンプエス様の息がかかっていますから、男聖を味方に付ける必要があると思いまして」
なんとGはアクヤの窮地を救うだけでなく、それを利用して出世の足掛かりまで作っていたのだ。
あまりの計算高さに、アクヤは目を丸くする。
「ど……どうして、そこまで……!?」
アクヤは驚きのあまり、別の意味でサンドイッチの味がわからなくなっていた。
Gは答えるかわりに膝を折り、深々とアクヤに頭を下げる。
「わたくしはすでに、アクヤ様の半身だからです。
アクヤ様の喜びは、わたくしの喜び。アクヤ様の悲しみ、わたくしの悲しみ。
あの廊下で責められているアクヤ様を見つけたときは、わたくしの身体が引き裂かれる思いでした」
アクヤは、いきなりの一心同体宣言にドキリとしたが、顔をあげたGに、さらに心臓を締め付けられた。
なぜならばGが、あまりにも真剣な表情でアクヤを見つめていたからだ。
「アクヤ様、どうかお願いします。
今後はなにかあったら、すぐにわたくしをお呼びください。
わたくしは何をおいても、すぐに馳せ参じますので。
たとえ、月の裏側にいたとしても……!」
男聖は、世の中の女たちの憧れだと言われている。
しかしその男聖が束になっても叶わないほどに、Gは秀麗であった。
彼が微笑むだけでも爽やかな風が吹き、女たちの気持ちが揺れ動くというのに……。
りりしい顔つきなんてされた日には、大旋風が吹き荒れるに違いない。
現に、その光景を見つめていた食堂じゅうの女聖たちは、声にも出さずに絶叫していた。
……ほっ、惚れてまうやろぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!




