一夏の思い出
むかしの夏に、友が死んだ。
田舎の小さな村で、いまにも廃れそうな商店がいくつかある。中にはもう店じまいしてるところもあったと思う。いつも学校の帰りに、小川商店に立ち寄りカルピスを買って、暑い夏をのりきっていた。
小川商店の前にたむろして、宿題やったかとか、恋愛はどうだとか、ハマっていることとか、いろいろ話したあと、会話の間という沈黙に、汗が体操着にはりつくをうっとうしく感じたり、セミがガヤガヤと鳴くのをうるさく感じた。飲みかけのカスピスをふって泡だらけにしたり、自販機の下に小銭が落ちてないか屈んだりした。
我慢しきれなかったのか真澄が川にいこう、といい出したから、僕たちは賛成して水着をもってここに集合することになった。
家に帰ったものの、スクール水着をもっていくのもなんだし去年買った普段用の水着を探したけど、サイズが合わなかった。そうしていると啓介が自転車で僕の家に立ち寄った。
「大和、遅い、早くしろ」
「けいすけは水着もってるん?」
聞くまでもなかった。啓介はすでに水着を装着ずみで、短パンのようなやつにオレンジ色の模様が見えた。
「学校のでいいやん」
「いやなあ」
同級生で、ほとんど同じ環境で育ってきたのに何故か仲間はずれにされている感覚が嫌だった。兄貴が使っていたやつを拝借して、啓介と自転車で小川商店へ向かった。
爽快だった。僕と啓介がすんでいる地域はすこし丘になっていて、小川商店までは下り坂だった。風が体に当たるたび、夏のうっとうしさも流れていく感覚がした。
小川商店についてみると、僕は唖然とした。
「おそいぞ、お前ら」
真澄がいった。小川商店で待っていた真澄と西川はスクール水着を装着していた。真澄にいたっては学校でつける白い帽子をかぶっていた。
「お前ら、その格好できたん?」
僕が質問したあと彼らは顔を見合わせて不思議そうな顔をした。自分の持っている価値観が崩壊していく音が聞こえた。
それでも白い帽子はいらないと思う。
西川は僕とは別のクラスだった。真澄と同じ地域にすんでいて真澄と友達になったときには西川とも一緒に行動するようになった。自転車に乗りながら浮き輪をはめていた。こいつもこいつで変なやつだと思った。
「どこの川にするん?」
「ここの裏でいいっしょ」
小川商店の裏手には、みそぎ川が流れている。本流で、その上流に20キロほどしたところにダムがある。自然に形成させた川で、当然、人が行き来できるような道なんてなく、岩と岩とまたぎながらすすむ、砂利道では薄いサンダルを履いていると尖った石が刺さることがある。茂みで影になっているところをみると、大きな魚影がみえた。
川沿いの竹林を少しすすむ、こんな軽装で竹林にはいるものだから虫がたかったり、トゲが足を引っ掻いて小傷ができる。真澄が先頭にいたが、お構いなくすすんでいった。二番目に西川で三番目に啓介、僕が最後尾だった。
彼らがつくった道を僕はそんなに傷をつけずに進んだ。
竹林を抜けるとすこしひらけた場所になった。平坦で、砂利もこまかく素足であるけるほどだ。ちょうど川の真ん中に大きな岩があって、川が別れて勢いが強くなったあと合流していた。
「隠れスポットってやつ、みんなには内緒な」
真澄が得意げにいった。内緒ごとを友達とすると自分も仲間になっている感じがして気持ちよくなった。真澄と西川はここによく来ていたらしい。大きなカワベがいるらしく、この前は20センチくらいのをモリでしとめたらしい。
「あそこで川が合流してるやろ? 渦になってるから気いつけえな」
真澄はこの川に慣れているようだった。
僕たちは泳ぎはじめた。大岩の少し上流はなだらかでそこそこ深い、ゴーグルでみてみると澄んだ水の中で小さなカワベが泳いでいるのがみえた。でも僕のゴーグルはすぐに曇った。
「ぜんぜんみえんやん」
「ほら」
啓介が茂みから草をちぎってきて渡してきた。何をするのかと見ていると岩にすりつけて汁を絞りだしている。
「この汁をゴーグルにぬるねん、曇り止めになる」
「なるほど」
西川は浮き輪をお尻だけはまめて、大岩の流れに身を任せていた。自然の水のジェットコースターといったところか。真澄は大岩のあたりでカワベの大物を探しているらしい。あの白い帽子のおかげで少し離れていてもどこにいるのかわかった。
すこし冷たい水と感じたけど、泳いでいるとそんなことも忘れて、水の中のおもしろさに惹かれていった。夏のうっとうしさも流されている感じがした。
啓介が上のシャツを着たまま水に入っていたから、どうしてと聞くと、蚊やアブに噛まれるからだと教えられた。なるほど、と思いつつ自分の体をみると、すでに数カ所噛まれていた。
蝉時雨が落ち着きはじめ、ひぐらしが鳴く声が聞こえはじめたころ。啓介も僕も疲れて水から上がっていた。二人して、ただ呆然と空を眺めていた。ふと思い出されるのは、宿題や学校や進路のこと、なんかもうずっと水の中にいたい気分だった。
「ダメだ、一匹もとれなんだわ」
真澄は白い帽子をとりながら言った。どうやらもうおひらきらしい。そろそろ帰ろうかと思ったとき僕はふと不思議に思った。
「西川は?」
「ん? お前らと一緒におったろ?」
そういって川の方をみると、浮き輪だけが流れることなく漂っていた。西川は?、自分の言葉は僕の中で繰り返された。啓介はどうせそこらでまだ泳いどんやろ、と言っていた。真澄は、西川と必死に叫んでいた。でも西川は返事をしなかった。
「ちょっと探してくるわ」
真澄はそういって水の中に入っていった。西川の浮き輪あたりにいって、数回もぐっては繰り返していた。もう日が暮れて、見えにくくなっていた。啓介が、これやばいんとちゃうか、と言ったあたりから僕はどうすればいいのか分からなくなった。
真澄は浮き輪につかまり、西川と叫んでいる。
「ちょっと大岩の下まで探してみるわ」
真澄の声が聞こえた。啓介は、俺はいちおうここに残るから、大和は誰か呼んできてと言った。僕は必死に小川商店に走った。西川が流された? 沈んだ? 大岩の下流は渦になっているから? いろいろな思考がとびかいながら来た道を戻っていった。すごく長く感じられた。もう助けをよんでも意味のないように感じられた。
小川商店についたとき、田舎ながらも町並みに灯りがあったのに少しホッとした。もうこのまま家に帰ってしまいたいと思ってしまった。でもダメだ。
僕は息を整えながら、小川商店の戸を叩いた。店守りをしている初老のお婆さんがでてきた。
「と、ともだちが、とも」
さいしょ声が出なかった。
「ともだちが、ながされたみたいなんです。かわから、でて、こなくて」
伝わっただろうかという不安、西川のことの不安、分からないことがとても怖くなって泣いてしまった。
お婆さんはハッと理解したようで、すぐに店主に伝えにいった。大人たちが話あっているが聞こえた。店主はすぐにどこかに電話をして、何か言っているみたいだけど、今の僕には理解できなかった。それから数分もしないうちに、数人の大人たちが現れた。
「案内してくれるか?」
そう聞こえたとき、僕のまわりには大人と赤いランプの自動車が数台いるのに気がついた。まだ、僕の使命は終わっていないことに気づいた。
「はい」
僕は返事した。
啓介のところに戻ったとき、啓介は真澄といるわけでもなく、ただ、座り込んで俯いていた。
「けいすけ? よんできたで」
「……なあ、大和、真澄も帰ってないんよ」
「え?」
「なあ、俺、どうしたらいいん?」
啓介にそう言われても僕は何も言えなかった。僕にも分からなかった。
だって僕らはずっと、彼らの作ってきた道をまるで自分の道のように歩いていただけだったから。
後日、二人分の水死体が川からあがった。彼らの葬式で啓介が「真澄、真澄」と泣いていたのは覚えている。今になって思うことがある。あの時、僕がずっと川の中にいたら、僕も死んでいたのだろうか。あの時、家に帰ってしまっていたら、僕は悲しまずにすんだのか。いや、そしたら僕は啓介にきっと恨まれる。
夏になると、いつもあの頃の記憶を思い出す。同じなんだよ、きっと、川の中も街の中も、おもしろく楽しく帰りたくなる、でもその道はいずれ死につながっている。今の僕もまた、人生という川に流されているだけなんだ。真澄たちがやってきた、道をつくることを今度は僕たちがやらなければならない。
いつか誰かがその道を通る時、通りやすいように。
僕と啓介は、一緒に故郷に帰ると、彼らの墓にカルピスを供えた。