2 やって来た魔道士
ところがそれから二年ほど経ったある日、突然村に魔道士がやって来て、自分は「変化熊」を狩るために来た、と告げた。
「変化熊」というのは、魔獣の一種で、人間に化ける能力を持っているという。
それがこの近辺にいるという情報があったらしい。
村には魔術を使えるような人間はいない。
老人連中は魔術使いに偏見があるらしく眉をひそめていたが、下の世代は興味津々、面白がって話題にした。
佳澄はその魔道士のことを、近所の女たちでの井戸端会議で知った。
「その魔道士って言うのがさあ」
「なに、男前なのかい?」
「いや男前っていうかねえ。可愛いんだよ。人形みたいに綺麗な顔でね」
「女なのかい?最近は女の魔道士もいるっていうが」
「いやいや男だよ。男だけど、男の子って感じだよ。子どもみたいな顔して、背もちっちゃくて。それなのに黒マント着ていっぱしの顔してるから、おかしいんだ」
「子どもでも魔道士になれるのかい?」
「いや、子どもは無理のはずだよ。だから実際は大人なんだろうけどね」
「だけどその、『変化熊』?それってようは『熊』なんだろう?そんな子どもみたいな子が一人でどうにかできるものなのかい」
「それはほら、魔術で何とかするんでないの」
「だいたい人間に化ける熊って・・・・・・なんだつまり、人間のふりしてこの村でその熊が暮らしてるってことかい?」
「知らないうちに誰かと入れ替わっているとか?」
「最近うちの旦那、臭いんだけど、もしかして」
「アハハ、うちもだ。どうしようか」
みんなゲラゲラ笑っていたけれど、佳澄は笑うことができなかった。
そうしてその日の夜、その魔道士は佳澄の家の戸を叩いたのだった。
「『熊』について、ちょっと話を聞かせてほしい」
聞いたとおり幼い容姿の魔道士は、にこりともせずそう言った。
阿津麻が山に出かけていった後の時間。
こんな夜更けに訪ねて来るなんて非常識だ、と佳澄は思った。
いくら童顔で背が低かろうとも、男であることにはちがいない。
こんな時間、いやたとえそうではなくても、女一人の家に男を上げるのは抵抗がある。
そう思っていたら、魔道士は続けた。
「旦那にも話を聞きたい」
そうだ。考えてみれば当然だ。昼間は働いているから、敢えてこの時間に来たのだろう。
むしろおかしいのは、こんな時間に夫が家にいないということだ。
「でも、なぜうちに?」
「この家は山に近い」
「山に近い家はたくさんありますよ。まわりは全部山なんだから」
「この辺りで『熊』を見たという証言があった」
魔道士の大きな黒い目が、観察するようにじっと佳澄に向けられている。
佳澄は動揺を表に出すまいとしながら頭を巡らせた。
もしかするとこの魔道士は、すでにうちを疑っているのだろうか?
「・・・・・・どうぞ」
佳澄は覚悟を決めて、魔道士を家の中に招き入れた。
室内で履き物を脱ぐ習慣がないらしい魔道士に、外と部屋の間の空間で靴を脱ぐように伝える。
夕飯を片したばかりのテーブルの傍、床に敷いてあるラグに座ることを勧めると、佳澄は言った。
「夫は奥の部屋にいるのですが、ちょっと呼んで来ますね」
こんな時間に出かけていると言ったら怪しまれそうだ。
だから夫は家にいることにする。
奥の部屋に入ると、電気をつけ、誰もいない室内で
「あなた。魔道士の方が来ていて、お話を聞きたいって」
などと一人でしばらく話した。
それから台所へ行き、茶を三人分淹れる。
「しばらくしたら来ると思います」
魔道士にお茶を出しながらそう言った。
魔道士はマントを脱ぎもせず、あぐらを掻いて座っている。
「あの、『変化熊』って」
テーブルを挟んで魔道士の正面に座り、佳澄はそう切り出してみた。
「俺は『熊』としか言わなかったはずだが」
「昼間に他の人に聞いたんです。魔道士の人が『変化熊』を狩るために村に来ているって・・・・・・その『変化熊』ってどんな動物なんですか?」
「動物というか、魔獣だ。見た目は熊だが」
「魔獣って何ですか?」
「魔物のうち、大型だったり獣に似ていたりするものを魔獣という。俗称だから定義は曖昧だ」
「魔物って?」
「魔力を持った生き物を魔物という」
「ということは、魔力を持った人間も『魔物』なんですか?あなたも『魔物』?」
「・・・・・・厳密には、『物質性八十パーセントを下回るが魔力を帯びることでその存在性を補っている生き物』が魔物だ」
「ぶっしつせい?そんざいせい?」
「人間や動物とは、存在のあり方が異なっている」
「その、『変化熊』がそれってことですか?」
「そうだな」
「『変化熊』って、人間に化けるんですよね?」
「そう聞いたか」
「ええ。でも、よくわからないなと思って。どんな姿になるんですか?いかつい男の人?メスだったら、女性?あら、魔獣って性別はあるんですか?」
「性別がある魔獣もいればない魔獣もいる。『変化熊』は、これまで確認された例では性別はない」
「性別がない・・・・・・じゃあどんな姿に?やっぱりよくわからないわ。人間に化けるっていうことは、人間みたいに物を考えたり、言葉を喋ったりできるということですよね。言葉を喋る熊さんなんですか?」
「熊の姿の時には言葉は喋らない。人間の姿の時は会話ができたとされる話が多いが、それ自身の『思考』を元に発話しているのかはわからない。表面的に人間の振る舞いを模倣しているだけとも言われている」
「それって・・・・・・私は私の心しかわからない、他の人間に心があるかどうかわからない、というのと同じことではないの?人間の姿の時は喋れるということは、中身は人間みたいなものではなのでは?」
「『魔物』に人間のような意識や思考があるという考え方は危険を招くことが多い。例外はあるにせよ、奴らは自分の性質に忠実なだけだと思っていた方がいい」
「そんな風に決めつけて殺すって、あんまりだと思いますけど」
「・・・・・・『変化熊』がどうやって人間の姿に変身するのかは聞いたか?」
「それは知りません」
「人間を殺して、喰う。喰った人間の姿になる。それが『変化熊』だ」
「え」
佳澄はふわ、と一瞬視界が暗くなったように感じた。
殺して・・・・・・喰って、その姿に、なる?
「・・・・・・旦那はまだ来ないな」
魔道士は奥の部屋の方に目をやりながら言った。
「ちょっと、体調が悪いと言っていたから・・・・・・」
「それは悪かった。今日は失礼する」
魔道士は立ち上がった。
佳澄はとっさに叫んだ。
「待って!」
魔道士は、驚いた様子で動きを止める。
叫んだ佳澄自身も、自分に驚き、戸惑っていた。
「あ・・・・・・すみません。急に大声を出したりして」
「いや」
「でも、あの、すみません。もう少しその・・・・・・変化熊のこと、教えてもらえたらと思って」
「・・・・・・」
「いえ。ごめんなさい。その・・・・・・」
「わかった。もう少し話をさせてもらう」
魔道士は、再び腰を下ろした。