第二章 4月25日 月下の剣士
昼休みになり、自販機でドリンクだけ買って屋上に出る。
今日は生徒会選挙の事以外、普段と何も変わった事はなかった。
昨日の事など何も無かったかの様に、杉坂も仁科と談笑している。
あいつのやり方は気に食わないが……。
だからと言って、どうこうする気も起きない。
どうせ、今は何を言っても無駄だろうしな……。
いや……。
始めから、俺にはどうも出来なかったんだろう。
それなのに、出しゃばった真似をして杉坂を追い詰め、あんな強硬手段をとらせちまった。
まったく……俺は何をやってるんだろうな……。
鎌首をもたげてきた自己嫌悪を、カフェ・オレとともに飲み下し、顔を上げる。
澄んだ青い空の果てを見据え、瞳を閉じて網膜に焼きついた蒼で心の蒙さを染めた。
いかんな。
まだ俺にはやれる事があるんだ。
へこんでる場合じゃない。
今日は放課後予定もあるしな……。
宮沢のグループの一人、須藤のツテで他校の奴等と会う事になっている。
まあ、例の如く話をつけに行くだけだが、それでも弱気は禁物だ。
こちらがビビッて弱腰だと、なめてつけ上がってくるのは、人も動物も同じである。
もっとも、毅然とした態度でいれば危害を加えられないと言う訳でもないのも、動物と同じだが。
「何事も無く終わってくれればいいがな……」
あの須藤のツテと言うのが不安だが……。
まあ、それでも杉坂を相手にするより楽だろう。
その日の月は、とても美しかった。
“妖艶”と形容したくなるほどに魅惑的で、川辺の静謐な世界を淡く照らしている。
不思議な物だ。
あの光は、単に太陽光の反射に過ぎないと言うのに。
人間と言う生き物はそれに特別な物を感じ、神秘的な力が宿ると考えてきたのだ。
かくいう俺も、何となく何かのパワーをチャージした気になって、何となく何かがみなぎってきている。
「う゛~う、さみ~な……少し風が出てきやがったか?」
相手方……他校のそれなりに名の知れたグループとの交渉場所として指定された川原に、いつものタンクトップ姿で来やがったマッチョな坊主頭は、身震いしながらそんな事を言った。
何だ?
つっこめばいいのか?
昼間は大分温かくなってはきたけど、まだ四月ですよ?
「橋の影にでも行っときます?」
「いや、もう約束の時間だろ?気付かなくて行き違いとかになったら悪いからな」
律儀な人だ……。
宮沢グループの須藤さんは、強面な外見の割りにとても人がいいと一部で評判である。
そして、そのお人好しが災いしてか度々騙まし討ちに合い、心身の癒しを求めてしょっちゅう宮沢の所に来ている資料室の常連だ。
初めは単に宮沢に会う口実だと思ってたんだが、どうやらマジらしいから驚きである。
グループの中では話のわかるいい人なんだが……ちょ~っとアホなのがな……。
ちなみに須藤さんの方が年上なので、基本俺の方が敬語である。
「しかし遅えな……早く来てくれねえかな」
「ですね……」
寒さもあってかそわそわし始めた須藤を尻目に、俺は先程提案した橋の影を凝視していた。
周囲には俺達以外に人気は無い。
だが、かえってそれが妙だと思えてくる。
どうやら、最初から覚悟していた最悪の展開になりそうだ。
「おっ!来たか」
橋の反対側からザッザッと言う砂利を踏む音。
振り返ると、フウドにマスクをしたパーカーやら、手に鉄パイプを持った皮ジャンのフルフェイスヘルメットやら、見るからに不穏な風体の男達がこちらにゆっくりと向かってくる。
「な、何だお前等!?」
あからさまに動揺する須藤に、むしろ溜息をつく。
やれやれ、やはりこうなったか。
どうやらこの交渉は“罠”だったらしい。
「何者だてめえら!?村越はどうした!?」
「……」
須藤が相手方のリーダーである『村越』の名前も出すも、奴等は無言で近付いてくる。
しかし俺は冷静に背後の気配をうかがった後、右手の土手に向き直り呼びかけた。
「出て来いよ村越!ただの闇討ちじゃ、てめえの手柄にはならんぜ」
すると、土手の上にもゾロゾロと人影が現れる。
かなりの数だ。
ひょっとしたら奴等のグループだけでなく、この闇討ちの為に人を集めたのかもしれない。
その先頭に、幽鬼の様にひょろりとした長身の男が現れる。
「村越!これはどういう事だ!?」
「ひっひっひっひっひっ、須藤よぉ、どうもこうも、この状況でわかんねえのか?」
須藤の怒気のこもった詰問に、村越は耳障りな甲高い声で愉快そうに答え、土手の上がどっと沸く。
如何にもな悪役幹部とその配下といった感じだ。
「まさか騙した……のか?」
「おいおいおい、たかだか一度飲み明かしたくらいで、もうダチ気取りかよ?本当にたった二人で現れるとはな、聞いてた以上の馬鹿だ」
「何だと!?まさか、初めから騙すつもりで声をかけてきたのか!?」
「当然だろ?しかも、それにのこのこ付いて来るとは、ひひっ、川上も実は大した事ねえようだなあ。一応礼は言っておいてやるぜ須藤。お前のおかげで、明日から俺の天下だ!」
「チクショウ!!すまねえ川上、また騙されちまった!」
裏切られた悔しさに地団駄を踏む須藤は、本当に人がいい。
「いえ。それより、どうしますか?」
「どうって、この人数相手じゃ逃げるしかねえだろ?」
前からは武装した10人、左手は川、右手の土手に居る村越本隊の正確な数はわからないが、十数人は居るだろう。
そして……あからさまに空けてある退路。
絶対、橋の影に伏兵が居るな。
前々から怪しいと睨んでいた。
ここまで用意周到に策を練ってきた奴等だ。居ない訳が無い……のだが、
「川上、こっちだ!」
やっぱり、身をひるがえして須藤さんは橋に向かって駆け出してしまった。
ああっ、判り易過ぎです須藤さん!
「ひっひっひっ、追え!逃すな!」
村越の号令により、前方と土手の部隊が一斉に追撃にかかってくる。
マズイな。
だが、今更戻れと言ってももう遅い。
居るとわかっている伏兵を、突破するより他無いだろう。
数が多ければそれだけこちらにばれ易くなる事を考えれば、伏兵はあくまで奇襲と足止めが目的で、それ程数は多く無いはずだ。
踵を返してすぐさま須藤に追いつき、いつでもフォロー出来る様臨戦態勢をとる。
そして橋の欄干に差し迫ったその時、
「ぐおおおおおお!!」
「ぬお!?」
「危ない!!」
橋の影から須藤さんより一回りデカイ巨体が、両手を広げ俺達の前に立ち塞がった。
咄嗟に彼の肩を掴んで自分が前の出ると、相手の攻撃に備える。
だが次の瞬間、俺は信じ難い光景を目の当たりにする事となった。
「!?」
ふらふらと数歩進んだ所で前のめりに倒れこんできた巨体。
だが、それをさっと避けると、男はそのままドシャッっと砂利に頭からつっこみ、そのままピクリとも動かなくなってしまった。
「す、すげえな川上!今の一瞬で倒しちまったのか?」
「あっ、いや……!」
何が起きた?
須藤の賛辞で何とかフリーズしかけた所を持ち直した俺は、眼前の橋の下で何か異常な事が起きている事に気付いて目を向け、そしてその正体を知って本格的に固まった。
その暗がりに立っていたのは、長い髪をリボンで一本にまとめた袴姿の女だった。
手には竹刀が握られ、足元には無数の凶器と男達が死屍累々と転がっている。
この女が先程の巨漢を含めた伏兵部隊を一人で片付けたのは疑いようも無く。
そしてこの女が誰なのか、俺が忘れられようも無かった。
「お、女ぁ!?」
「お前……何やってんの?」
「おい川上、お前の知り合いなのか?」
「話は後です。後続、来ますよ!」
そう言うが早いか、女はうろたえる男二人を一瞥する事もなく、一陣の風となって追撃部隊に斬り込んでいった。