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第二章 4月23日即席ネゴシエーター

 その日は朝から、妙な違和感を感じていた。

 「……よっ」

 「あっ、おはよう川上君」

 いつもは先に挨拶してくれる仁科が珍しく隣に座っても俺に気付かず、そのかげりのある笑顔で元気が無いのは直ぐにわかったが……。

 何となくそれだけじゃ無い様なと気になりながらも、もやもやしたまま午前の授業が終わった。

 さて、今日はどこに行くか……?

 そう思案していると、二人の女子が囲む様に俺の机の前にやってくる。

 「あの、川上君。ちょっといいかな?」

 一応顔はわかるが、名前が出てこない。

 その程度の、ろくに話た事も無い女子生徒。

 何だ?何かのクレームか?

 「ああ、何?」

 悪い事を想像しつつもそれを表情に出す事なく、威圧しないよう自然に応対する。

 すると二人は互いに顔を見合わせた後、何故か仁科の方を一瞥してから、躊躇いがちに「ここじゃあチョット……」と言った。

 人に聴かれたくない話と言う事か?

 「じゃあ、場所を移すか」

 そう言いながら俺が立ち上がると、丁度隣の仁科も弁当を抱えて杉坂の所に向かうのが見えた。

 それで、ああと気付く。

 いつもは仁科にべったりの杉坂が、今日は一度も仁科の傍に来てなかった事に。




 例の如く、内密な話をする為に特別教室の前に二人を連れてくる。

 しかし余程言い辛い事なのか、二人はここに来ても黙ったまま視線で語り合うばかりだった。

 「それで……?」

 重苦しい空気から、どうやら俺へのクレームじゃ無さそうだと察した事もあり、こちらから促す。

 すると、先程も俺に声をかけてきた、どちらかと言えば仕切ってそうな方が意をけっして重い口を開いた。

 「杉坂さんが……大変なんです」

 「は?」

 あまりに唐突で、穏やかでは無い話だった。

 「実はさっき、変な人に変な事を訊かれて……それで、怖くてつい杉坂さんの事を見たって答えちゃって……どうしよう!?杉坂さん、あの人に酷い事されるかも……!」

 「いや、まず落ち着け。順番に話してくれないか?変な人って誰?」

 「あの、三年の金髪の人です。不良だって言われてる……」

 やばそうな案件である事は十分わかったが、血相を変えてテンパリだしたのでなだめてやると、もう一人の方が代わりに答えた。

 どうやらこちらの方が冷静で話が聞き易そうだ。

 変な人と言うから余所者の変質者かと思ったが……可哀相に。

 「それで、春原さんに何を訊かれたんだ?」

 「昨日の放課後か今日の朝早くに、三年生の下駄箱に二年生が居た所を見てないかって」

 「実際、杉坂が居たのを見たのか?」

 「うん。昨日の部活帰り私達一緒に帰ってて、三年生の下駄箱に杉坂さんが居たから変だねって二人で話してたから……」

 「それを答えたら、今度はそいつは合唱部かって訊かれて、はいって言ったら、やっぱりねって言って不気味に笑ったんです。『うへへ、さ~て、どうしてやろうかな~』って」

 「それで最後に、念の為って私達の名前も聞かれたんです。最初はラブレターを出して杉坂さん名前を書き忘れたのかな?とも思ったんだけど、とてもそんな感じじゃなかったし、相手も相手だし、だとすると、あの人に酷い事されるんじゃないかって……」

 いつの間にかつなぎあっている手が、二人の不安を伝えていた。

 つまり、チクッちゃったから、怖くなって俺の所に来た訳か。

 だったらはじめから言うなよ……と言いたい所だが、俺に相談に来ただけマシだろう。

 「大体わかった。まあ、あの人はそんなに悪い……人だけど、そのなんだ……あんまり大それた事は出来ない小……あっ、いや、まあ、あんま凶悪な事を考え付く人じゃないから安心しろ。俺からも話しておくし」

 失言しそうになった口を押さえながら適当に気休めを言うと、二人は肩の荷が下りたように俺に礼を言って去っていった。

 だが……何だ?何が起きている?

 何か妙な事が起こっているようだ。

 杉坂が三年の下駄箱で何かしていて、春原さんがそれについて嗅ぎ回っていた。

 そして恐らくそれは……昨日渚さん達が仁科を訪ねて来た事と関係が有るのだろう。

 これは傍観している訳にもいかないようだな……。

 まずは春原さんに会ってみるか。

 と言ってもクラスもわからないし、会えるアテなど無かったが、とりあえず俺は三年の教室に向かう事にした。

 

 


 そうして春原さんの姿を探していた俺は……、

 「こんにちは、はじめまして。3年A組の一ノ瀬ことみです。趣味は読書です。もしよかったら、お友達になってくれると、うれしいです」

 「え、えっと……どうも。2年の川上央己です。趣味はゲームと読書……かな?こちらこそ、よろしく……お願いします」

 旧校舎の旧演劇部室で、互いにガチガチに緊張しながら一之瀬さんと自己紹介をしていた。

 なんでこうなったかと言えば、春原さんを探してたら渚さん達を見かけて声をかけた所、ここに連れてこられたと言う訳だ。

 「はあ?ゲームはともかく読書って、あんた不良でしょう?」

 「お、お姉ちゃん、失礼だよう……」

 すかさず、なべのペットのお姉さんの方が、趣味について怪訝そうにつっこんでくる。

 まあ、俺にとっては慣れっこの質問だ。

 「杏ちゃん、オーちゃんは小さい頃から御本が好きな、とってもお利口さんな子でした」

 「あっ、いや……」

 べた褒めだった。

 自分で答える前に渚さんに答えられてしまい、かゆくなった頭を掻きながら苦笑する。

 だが、渚さんの言葉を聞いてもきょうちゃん?先輩の疑念は揺らぐ様子がない。

 「ふ~ん、じゃあ、どんな本が好きなのよ?ああ、言っとくけど、陽平みたく漫画やHな本って言うのは無しだから」

 「何気に本人の居ない所で不名誉な趣味が暴露されたな」

 本当にお気の毒に。

 「えっと、歴史物や哲学系が好きですね……文学系もたまに」

 「哲学ぅ?じゃあ、最近読んだ本のタイトル言ってみなさいよ」

 「え~っと、最近読み終わったのは『カラキョウ』ですね」

 「何それ?聞いた事無いわね……ことみ知ってる?」

 一ノ瀬先輩がふるふると首を振ると、きょう先輩がほらみなさいよと言った顔をする。

 しまった。略語じゃ通じないか。

 「頭“空”っぽの“杏”の事じゃないよな?」

 「へ~、朋也ぁ……そんな本があるなら是非一度読んでみたいわねえ……それとも……あんたもあたしの事馬鹿にしてるの!?」

 「じょ、冗談だ冗談!」

 「違いますよ!『カラマーゾフの兄弟』の事ですよ!」

 岡崎さんの軽口に、その長い髪は天を衝き、釣り上がった目はギラギラと怪光を発していた。

 今にもブチギレそうな大魔人に恐れおののき、俺は急いでタイトルを訂正する。

 「ん?それは何か聞いた事あるわね」

 「『カラマーゾフの兄弟』フョードル・ドストエフスキー作。1879年に新聞に連載され、1880年に単行本として出版された。『罪と罰』と並ぶドストエフスキーの最高傑作とされ、『白痴』、『悪霊』、『未成年』と併せ後期五大作品と呼ばれる……」

 「ああ、わかった。わかったからな?ことみ」

 途端に一ノ瀬さんがすらすらとうんちくを語りだしたのを、岡崎さんが急いで止める。

 「そんな難しそうな御本を読んでるなんて、やっぱりオーちゃんお利口さんですっ」

 「あっ、いや、でも、漫画やラノベなんかも好きですよ」

 渚さんがあんまり感心してくれるので、思わず変な誤魔化し方をしてしまう。

 正直、手放しで褒められるより、疑念を持っててくれた方がまだマシだ。

 「何かよくわからない奴よねぇ……まあ、いいわ。渚の幼馴染だって言うし、ボタンも懐いてるみたいだから、悪い奴じゃないんでしょ……。ああ、私は藤林杏。椋とは双子の姉妹よ」

 まだ腑に落ちないと言った様子ながらも、藤林先輩はようやく笑顔で自己紹介してくれた。

 どうやらつっこみはキツイが、サバサバしている人らしい。

 「あの……藤林椋です。先日はボタンがお世話になったのに、すみませんでした」

 次いで妹さんがいきなり謝るので、一瞬何の事だかわからなかったが、どうやら初めて出会った時の事を言ってるらしい。

 「あっ、そうそう、あんた何で悪くもないのに謝って逃げるのよ?おかげで、椋に説明してもらうまで誤解しちゃったじゃない」

 「お、お姉ちゃん……重ね重ね姉がすみません……」

 「いえ、俺も悪かったんで……」

 しかし、それでお姉さんが再び思い出した様に俺をなじりだしたので、妹さんはひたすら後輩の俺に恐縮して頭を下げてくる。

 初めて会った時の印象そのままの、お姉さんとは反対に大人しい人のなのだろう。

 「まあ、ひとまず自己紹介も終わった事だし、本題に入るか。川上、お前が春原を探してたのって……?」

 「同級生の女子から、春原さんから変な事を訊かれたと聞いた物で……事情を訊こうと」

 一応言葉を選びながら?答えると、場の空気が一瞬にして緊張に包まれた。

 ビンゴ。

 やはりこの人達も春原さんの件に関わっているみたいだ。

 「やっぱりな……古河、例のやつ川上に見せてやったらどうだ?」

 「えっ?でも……」

 「こいつももう少なからずこの件にかかわっちまってるんだし、下手に隠して春原が下級生から変態だと思われても、お前は嫌だろ?」

 「それは……はい」

 最早手遅れだけどな。

 岡崎さんの心の声が聞こえた気がした。

 何はともあれ、渚さんは説得をうけ、躊躇しながらも手紙を取り出して俺に手渡す。

 それは……脅迫状だった。

 「……バカな事を……」

 溜息しか出ない。

 許されるなら、くしゃくしゃに丸めて棄てたくなる。

 そんな陳腐な事実だった。

 「えっと……その、春原さんからコレを出した犯人について何か聞いてますか?」

 「ああ。既に犯人だって名前も聞いてる」

 「そうですか……合唱部と何かあったんですか?」

 俺は言葉を選ぶのをやめて、単刀直入に訊いた。

 すると、渚さんが弾かれたように立ち上がる。

 「違うんですっ……悪いのは多分、部員が集まってもいないのに、後から幸村先生に顧問を頼んだわたし達なんです……」

 「渚、それとこれとは別だって言ってるでしょ?こんな卑劣なマネする奴等に、遠慮する事ないわよ」

 俯き加減の渚さんは相手を庇うような発言をするが、話が飛んでいて事情がよく飲み込めない。

 「顧問?」

 「ああ。部を立ち上げるには、最低部員3人と、顧問が必要らしいんだ」

 「でも……先生方の中で手が空いているのは、幸村先生以外は校長先生と教頭先生だけみたいなんです……」

 「それで、合唱部と顧問の取り合いになったと?顧問のかけ持ちとかはダメなんですか?」

 「前例も無いし、うちの学校は顧問が居ないと部活出来ない事になってるからダメだって。まったく、毎度の事だけど、ホント頭の固い学校よねぇ」

 そういう事か……。

 理不尽に対する怒りと悔しさで歯噛みする。

 何故こんなバカげたルールで、優しい渚さん達と仁科達が争わねばならない?

 そして杉坂の軽率な行動には、憐れみすら覚えた。

 どうするべきか……?

 決まっている。

 「あの……今回の件、俺に任せてもらえませんか?あいつらクラスメイトなんで……」

 ここは止むをえないと判断し、俺は介入させてもらう事を申し出た。

 「いや、俺達は別に事を荒立てるつもりは無いんだが……」

 「“相手がまたちょっかい出してこなければ”だけどね」

 「杏ちゃん、わたしは仁科さん達と喧嘩したくないですっ」

 「そうならない為にも、間に誰か入った方がいいと思うんです。出すぎたマネだとは思いますが……」

 「そんな事無いですっ。でも、オーちゃんにはいつもお世話になりっぱなしで、何か悪いですっ」

 「いや、そんな事……俺も古河家には散々世話になりましたし……」

 「まあ、確かにこのままじゃ、まともな話し合いも出来そうもないけど……そいつに任せて大丈夫なの?」

 渚さんの恐縮を恐縮でかわした所で、またも藤林杏先輩の疑念が当然のように立ちはだかる。

 「“いける”……と思います。嫌われるのは慣れてるんで」

 「はぁ?」

 「まっ、こいつは他所の連中が来た時も、ちょくちょく追い返してるからな……平気だろ?」

 「……まあ、オーキと親しいあんた達が信用して任せるって言うなら、あたしは文句無いけど……」

 俺の素直な答えに眉を寄せた藤林さんだったが、岡崎さんのフォローで何とか突破出来たようだ。

 あと、何気に名前で呼ばれてしまった……別にいいけど。

 よし、これでこの件に対する名分は得られた。

 「じゃあ、俺はこれで」

 「ああ。頼んだぜ」

 「オーちゃん、お願いしますっ」

 「頑張って下さい」

 「オーキ君、さようなら」

 「またね」

 早速俺は任務を果すべく、一つ会釈をしてから先輩達の期待を背負い踵を返す。

 あの杉坂を説得するのは骨が折れそうだが……俺が何とかするしかあるまい。

 「ああ、そうだ。春原さんは何て?」

 ドアを開けた所でふと足を止め、半身を捻って懸念を問う。

 女子には安心させる為にああ言ったが、まったく気になっていないと言えば嘘だった。

 だが、それに対して岡崎さん肩をすくめてみせる。

 「俺達がやりかえさないつったら、勝手にしろってさ。まあ、一応後でお前の事も伝えとくが、ほっといても平気だとは思う」

 「そうですか……それじゃあ、失礼しました」

 岡崎さんの話に胸を撫で下ろすと、もう一度頭を下げ、俺は旧演劇部室を後にした。

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