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第二章 4月22日 巨乳式スリーパーホールド

 三日ぶりの昇降口には、いつもの日常がそこにはあった。

 淡々と自分の教室に向かう者。

 友人と一緒登校し、あるいはここで見つけて、並んで世間話に華を咲かせる者。

 見納めかもしれない並木道の桜が散った事も、この町の片隅で大惨事が起きた事も。

 まるで別の世界の話であるかの様に、彼等は何一つ変わっていない。

 そこにいつも以上に疎外感を感じながら、俺もまた機械的に靴を履き替える。

 下駄箱を出た先にある掲示板には、今週の校内新聞。

 見出しだけを目で追い、そこにあいつの名前が無かった事だけを確認して歩き出す。

 ……としたのだが、視界の隅に入った別の掲示物が気になり、踏み出した足を止めた。

 それは、色とりどりの潰れた楕円形の物体と、その中心に書かれた演劇部部員募集の文字。

 ……部長・古河渚!?

 驚きと訝しさで眉をひそめる。

 何かの間違いか、誰かの悪戯かとすら思えた。

 こんな大胆な事をする人だったか?

 だが、紙面に踊る“だんご”達が、これが渚さん本人が書いた物だと雄弁に語っている。

 でも、今の時期に部員募集は禁止されているはずだ。

 特例が認められたとは考えにくい。だとすると、知らずに書いたんだろうか……?

 彼女の落胆する姿をおもい、唇を噛む。

 渚さんは、どれだけの勇気と覚悟でこれを書いたのだろう?

 だがそれはきっと、歪な世界の馬鹿げたルールに踏みにじられる事になる。

 悪いのは、いつだって何も知らない弱者だ。

 いや……あいつが生徒会長になればあるいは……。

 フッ……結局そこに行き着くか……。

 己を鼻で笑いながら、俺は自分の教室へと向かった。

 



 何となく入り辛い空気の中を押し入る。

 「あ、おはよう川上君」

 「ああ、おはよう」

 自分の席に辿り着くと、隣の仁科がいつもの様にいつもの笑顔で声をかけてくれた。

 「体調の方はもういいの?」

 「まあ、学校に来れるくらいにはな」

 「その手……平気?」

 右手に巻かれた包帯に気付いて、彼女の表情が曇る。

 大げさに中で固定されているので、親指しか満足に動かない。

 「ああ、ちょっと不便だが問題無い」

 「でも、それじゃあノートとれないんじゃ……?あっ、もしよかったら、私が代わりにとっておこうか?」

 「ああ、いや、いいって。悪いし」

 「それは気にしないで。二冊分とれば、それだけ頭に入るから」

 「いや、どうせ普段からとって無いし」

 「そう……?じゃあ、何か不便な事があったら遠慮なく言ってね。私でよければお手伝いするから」

 「ああ。ありがとう」

 彼女の親切に感動しつつ、ただただ恐縮して答える。 

 やっぱり仁科は優しいな……。

 その優しさだけで、十分癒される気がした。

 しかし、俺の心穏やかな時間は、長くは続かなかった。

 「川上、後で職員室に来るように」

 HRで担任に呼び出しをくらう。

 大人しくそれに従うと、担任に案内された先に待っていたのは、学年主任と生活指導だった。

 「何故、金曜も学校を休んだのか?」

 「何故、前日学校を休んだ人間が、翌朝災害現場に居たのか?」

 「何故、重傷の被害者を勝手に動かしたのか?」

 どうゆう経緯かはわからないが、俺があやちゃんを助けた事は学校にも伝わっていたらしい。

 だが正直、事情聴取に来た警察の方がはるかにフレンドリーだった。

 まるで犯罪者扱いの、教師達の尋問。

 特に普段から俺を目の仇にしている生活指導は、終始威圧的な態度で難癖をつけてきた。

 まあ、あんまりやりすぎて、学年主任と担任からたしなめられた時は吹き出しそうになったが。

 取調べから戻ると、仁科から不在の間に門倉が来た事を聞かされた。

 門倉か……。

 ここまで情報が洩れているとなると、奴には変に誤魔化すより、ぶっちゃけて言い含める方がいいかもしれないな……。

 こんな事になるならインタビューなんて……。

 いや……今更どうしようも無いか。

 割り切るしかないと思いつつも、頭が痛かった。

 



 最悪の気分で迎えた二限目を寝てやり過ごすと、少し尿意をもよおしたので席を立った。

 教室のドアを開けようとすると、絶妙なタイミングで自動的にそれが開く。

 「!」

 思わず面食らい、外側から入ってこようとして来た女生徒と鉢合わせしたまま硬直する。

 久々に嗅ぐ甘い香り。

 腰まで届く長い髪にトレードマークのカチューシャ。

 小さくまとまった鼻梁に薄紅色の唇。

 まだ幼さの残る大き目の瞳を更に見開き、彼女も俺を凝視している。

 ああっ、智代だ。

 三日ぶりの坂上智代だ。

 「オーキ!」

 いきなり詰め寄られ両腕をつかまれる。

 それで我に返って、状況の不利を悟った。

 ヤベエ。

 「その手はどうしたんだ?怪我したのか?」

 「大丈夫だ。大した事無い」

 「でも、学校を休んでいたじゃないか」

 「利き手がこんなだからな」

 「昨日まで入院していたんじゃないのか?」

 「……誰が言ってたんだそんな事?」

 こいつも知っているのか!?

 その動揺を微塵も見せず、やんわりと否定する。

 しかし、この程度で引き下がる智代ではなかった。

 「TVのニュースで視たんだ。お前が病院に居る所を」

 「見間違いだろ。それより、こんなトコに居たら邪魔だ」

 「あっ、ああ、そうだな」

 こんなトコでばらすんじゃねえ!

 と内心つっこみつつ、周囲を横目にあくまでクールに首で促しながら先立って歩き出す。

 それで俺の意図がわかったのだろう。智代も大人しく後についてきた。

 だが、どうする?

 ニュースで視たと言っていたが……やはりモザイク程度じゃばれる物なのか……?

 だとすると、今ここで誤魔化しても意味は無いか……。

 でも、そうすると土曜休んだ辻褄が合わないんだよな……。

 「ああ。一泊だけだが、入院してた。でも、ただの疲労で倒れただけだ。この手も大げさに治療されて固定されてるが、直ぐに外れる」

 人気の無い所にくるまでに考えをまとめ、振り返りざまにそう答えた。

 結局、事実だけ認める事にする。そして余計な事は一切言わないのが一番だ。

 「じゃあ、お前が事故に遭った女の子を助けたと言うのも?」

 「ああ……」

 「そうか……」

 すると智代は表情を曇らせ俯いた。

 あやちゃんが未だに意識不明の重体である事も知っているのだろう。

 こんなに大人しくなるなら、言って正解だったか……?

 そう思ったのだが……甘かった。

 いきなり智代の手が伸びてきて、俺の頭に回されたのだ。

 そして呆気にとられている間に抱き寄せられ、極上の柔らかさに包まれる。

 「オーキ……」

 まさに天国と地獄。

 物凄い力で締め付けられ、胸の弾力は際限なく俺の顔面を包みこみ、その痛みと息苦しさと心地よさから、このまま彼女の中に取り込まれる様な錯覚すら覚えた。

 「うっ……くっ……!」

 このままでは本当に昇天しちまう。

 一瞬それもいいかとも思ったが、そうもいかないので空いている左手で智代の肩を軽く叩き、タップの合図を送った。

 「オーキ……」

 「うくっ……!?」

 更に締め付けてきた!

 どうやらタップを知らないらしい……。

 むしろ抱擁に答えたと思われたか?

 やばいぞ……押し付けられてて声は出せないし。

 このままでは、本当に落とされるのも時間の問題。

 どうする?どうする!?

 「はうっ!こ、こら、くすぐったいじゃないか……」

 智代が甘い声を上げ、少しだけホールドがゆるむ。

 髪と背中の間に手を回し、背筋をつうっとなぞってやったのだ。

 「大変だったな……こんな時に、何て言ったらいいかわからないが……元気を出してくれ」

 「いや、わかったから、待っ……!」

 だが、一息ついたのも束の間、再び抱きしめられる。

 こいつなりに慰めようとしてくれてるみたいだが、これは勘弁してくれ!

 しかし……あれだけキツイ事を言ったのに、どうやら嫌われてはいない様だ。

 それとも……何気に復讐されてる?

 まあ、そんな器用な事が出来る奴じゃないか……。

 その事にほっとして、喜んでいる自分が居た。

 それに気付いて醒める。

 「あっ!こ、こら!」

 「わかったから、やめろ」

 「っ!!」

 頭を胸にこすり付ける様にして何とかすり抜けると、冷たく一喝した。

 それに智代はビクンとなって手をひっこめ、肩をすくめる。

 「……すまない。私なんかに抱きしめられて、迷惑だったか?」

 「別に……ただ、お前には関係無い事だ」

 「そんな言い方無いだろ?私とお前は……その……少なくとも知り合いではあるんだ。知り合いが大変な目に遭ったんだから、心配するのは当たり前じゃないか……」

 「他人の心配より、自分の心配をしろ。選挙近いんだろ」

 「……なんだ、私の心配をしてくれるのか?」

 まるで一分の救いを見つけたかの様に、少しだけ智代が顔をほころばせる。

 「もう諦めたんなら、それはそれでかまわんがな」

 「諦めてない!」

 そして俺の言葉を即答で打ち消すと、彼女は背筋を伸ばして胸を張り、俺を見据えて言った。

 出会った頃の、自信に満ちた眩しい笑顔で。

 「オーキ、私は必ず成し遂げてみせる。生徒会長になる事も、あの桜並木を守る事もだ」

 「……そうかよ。せいぜい頑張れ」

 捨て台詞にそれだけ言って、俺は智代に背を向け歩き出す。

 「ああ、頑張るぞ!だから、お前も見ていてくれ!」

 胸に湧き上がる感動を、必死に抑えつけながら。 

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