第二章 4月22日 死と再生の花
子供の頃F1が好きだった
一番好きだった選手は“音速の貴公子”
当時はTV中継もよくやっていて
海外のレースが多いので時間が深夜だったりする事も多かったが
彼のレースみたさに頑張って起きていた
でも
あるレース中継の冒頭で
彼の事故が伝えられた
レース中に壁に激突したと言う
彼がクラッシュした瞬間の映像と
グシャグシャになった車体が何度も繰り返し映し出され
それでも彼はきっと大丈夫だと
クラッシュくらい日常茶飯事だと
はじめはそう思っていた
番組の途中で彼の訃報を伝えるニュース速報が流れた
彼のレースはもう永遠にみられない事を知った
それからF1はみていない
小学生の頃K-1をよくみていた
強くなりたかった俺にとって
それはとてもいいお手本だった
何度倒れても敗れても
不屈の闘志で戦う“青い眼の侍”
かくありたいと思った
でも
暫く彼の姿を見なくなった
大会にもまったく出て来なくて
どうしたんだろう?と思っていた
彼を見なくなってから一年以上経ったある日
彼が病気で死んだ事を知った
それからはK-1をみても
どこか物足りなくなった
“あの人”にとって恐らく現役最後のワールドカップが迫っていた
俺がサッカーを始めたきっかけとなった人だ
彼は天才的なイマジネーションと、それを可能にする神がかったテクニックを持ち
ストイックな人格者で
祖国の至宝で
世界中から愛され
しかし監督にだけは嫌われた
彼は凄すぎたのだ
組織に彼を入れれば、チームは彼を中心にする他無い
監督の戦術も采配も無い
勝てば彼のおかげ
そして負ければ、彼を活かせなかった監督の所為
自分の手腕に自信を持っている監督程、彼を嫌った
加えて彼は怪我が多かった
それも仕方が無い
彼を止めるには、彼の身体を潰す他無いからだ
そういった要因からか
彼は代表から遠ざかっていた
それでもワールドカップでは
彼の出場を世界中が熱望した
彼もまたゴールラッシュで猛アピールをしていた
しかしまたも悪夢が彼を襲う
再び脚に全治6ヶ月の大怪我を負ってしまったのだ
ワールドカップどころか、選手生命すら危ぶまれた
終わった
誰もがそう思った
だが、それから僅か2ヶ月後
世界中は奇跡を目の当たりにする
彼はピッチに帰ってきた
常人の三倍の早さで怪我を克服して
いや、違う
奇跡なんて陳腐な物じゃない
これはいわば必然だった
誰もが諦めるであろうあの状況にあっても絶望せず
絶対の信念を持って治療とリハビリを続けた
あくまでその結果だ
“努力”
その言葉の本当の意味を教えられた
復帰早々ゴールを決めるその姿は
不死鳥その物だった
涙が止まらなかった
けれど
それでも
それでも彼が代表に呼ばれる事はなかった
一つの幻想が砕け散った
4月22日(火)
ガタが来てちゃんと閉まらなくなった雨戸の間から、光が差し込んでいる。
自宅で夜明け後に起きたのは、いつ以来だろう?
……まあ、新聞が休みの日はちょくちょくあるが……。
目覚まし時計の針は、もうじき一直線になろうとしていた。
軽く走ってくるか……。
ここ数日は古河パンにも顔を出していなかったしな。
そう決めて布団からでると、ジャージに着替えて家を出た。
日曜日に病院で目を覚ました俺は、そのまま一泊したのだが、そこで面倒な事が起きた。
事情聴取に来た警察と、どこからか俺の事を聞きつけたマスコミが病室にやって来たのだ。
正直、TVに出るなんてゾッとする。
それでも……俺は話さなくちゃいけなかった。
俺の知っている事実を、伝えなければならなかった。
「あの事故は……天災では無く、明らかな人災です。あの場所の地盤が弱い事も判っていたし、あんな嵐の中でも避難せず、工事を続けた事は無謀以外の何物でも無いでしょう」
名前を伏せ、顔にモザイクをかける事を条件に受けたインタビュー。
それにあえて淡々と答える。
でも、これでいい。後は適当にメディアが煽ってくれるだろう。
『ずさんな安全管理が多くの命を奪い、彼女をあんな目に遭わせたんだ!!』
激昂してそう言ってやるのは容易い。
でも、それではダメだ。
感情で物を言っても、一時ほんの一握りの人から同情されるだけだろう。
あくまで論理的に、理性的に、そして現実的に、この町が抱える問題を明るみにする事が大切だ。
今は小さな火種を植えつけられればそれでいい。
それに点火して炎上させるのは、今では無く、俺でもない。
小一時間程して、ようやく彼等は帰って行った。
病室に一人になると、自嘲が込み上げてくる。
相変わらず……汚い男だ。
俺はあの子の身に起きた不幸を、逆に利用しようとしている。
多くの人命が失われた事故を、体制を壊す楔にしようとしている。
いや……。
ギリっと奥歯をかみ締める。
これは彼女の仇を討つ為でもあるんだ。
多くの犠牲に報いる為にも……ただの事故で終わらせてたまるか。
世界が不条理で理不尽だからと言って……泣き寝入りしてたまるか。
その為なら……俺は何だって利用してやる。
そう、あいつの想いさえもだ……!
寝込んだ後だけに、軽く汗を流すだけにしておこう。
そう思って“あの場所”に来たのだが……。
動けなかった。
身体が動かなかった。
『お兄ちゃ~ん!』
聞こえて来る、自分を呼ぶ少女の声。
『師匠~!』
元気に走り回る少女の姿。
『ありがとう…もう十分だよ……』
そして……腕の中で冷たくなっていく少女の命……。
一度瞳を閉じ、かつ目して感傷を振り払う。
まだ、あやちゃんは死んじゃいない。
彼女は今も戦っているんだ。
戦い続けているんだ。
俺も立ち止まっていられるか。
そう自分を叱咤する。
それでもやはり身体を動かす気にはなれず、結局そのまま古河パンに行く事にした。
さて……ここ数日顔を見せなかった事を、何と言って誤魔化すか……?
道すがらそんな事を考えていたのだが、
「いらっしゃ……おっ!?何だお前……もう退院したのか?」
店に入ると、おもいっきり拍子抜けした様な表情でそんな事を訊かれた。
入院した事を知られていた……!?
何故だ!?まさかインタビューでモザイクかかってなかったのか!?
「あの……俺が入院したって誰から……?」
「あん?お前のお袋さんからだが?」
またかあのババア……!
「早苗のパンを持って見舞いに行ってやろうかとも思ったが、丁度渚の奴も体調崩しちまっててな……お前は大した事無えとも聞いてたし、『まあ、いっか』ってな」
それは渚さんに感謝せねば……って、
「渚さん、また体調悪いんですか?」
「ああ……いや、今回はただの風邪で、もう回復したから心配はいらねえ。土日ちょっと寝込んだだけで、昨日も学校に行かせたしな」
「そうですか……」
それを聞いてホッと脱力する。
今までが今までだけに、渚さんにとってはただの風邪でも油断は出来ない。
軽い口調で話してはいるが、秋生さんも相当心配していたんだろう。
「まっ、てめえは渚の心配よか、自分の心配してろ。怪我の方はもういいのか?」
「ええ……まあ……」
「そうか……」
秋生さんはどこまで俺の事情を知っているんだろう?
気になったが、それ以上訊かれる事もなかったので、俺も話さなかった。
先週の嵐で桜が全て散っている事は、遠目からでも判っていた。
それでも改めてこうしてその下を通ると、やはりどこか物悲しい。
でも、こいつらも……死んだ訳じゃないんだ……。
枝と幹だけになった裸の木々に、あやちゃんの姿が重なってみえる。
こいつらも生きている……伐られたりしなければ、また来年花を咲かせる。
そして彼女も……。
桜よ。
例え儚く散ろうとも、再び花を咲かせる死と再生の花よ。
俺がお前達を守ってみせる。
だから……あの子にお前達の生命力を分けてあげてくれ。
この木々を守れば、彼女もきっと目覚める。
何となくそんな気がして、心の中で祈った。