第二章 4月20日 卒業
こんにちは。初めて、そして最後のお手紙を書きます。
俺は貴方の歌が好きでした。
金が無くてCDは買っていませんが、
知り合いやレンタルショップから借りてきて、
テープにダビングして、
マイベストを作って聴いていました。
毎日のように、
朝から晩まで、
時に共に口ずさみながら。
俺はずっと孤独でした。
友達や家族が居ても
寂しくて仕方がなかった。
虚しくて、
切なくて、
きっと俺を解ってくれる人間なんて居ないんだと、
ずっと思ってた。
でも、
貴方の歌を初めて聴いた時、
自分と同じ感じ方をしている人と初めて出会えた気がした。
会った事も無いけど、
自分は一人じゃないと思えた。
それからはずっと、
貴方の歌を聴いていました。
貴方が居なくなってからもずっと……。
しかし今日、
ついにテープが擦り切れて中でぐしゃぐしゃになりました。
ショックでした。
でも同時に、
背中を押された気がしました。
「もう俺から卒業しろ」と、
言われた気がしました。
だから、
もう貴方の歌は聴きません。
例え一人になっても、
俺は俺の道を歩んでいきます。
だけど、
たまに口ずさむ事くらいは許して下さい。
俺にとって貴方の歌は、
もう魂の一部だから。
今までありがとう。
さようなら。
願わくば貴方の今が、
幸せでありますように。
4月20日(日)
目覚めると、そこは一面白の世界だった。
白い天井と、四方を囲む白いカーテン。
病院……か。
じょじょに記憶が鮮明になってゆく。
ああ……そうか……。
病院の入り口で力尽きたんだったな……。
右手に感じる違和感。
視線を向けると点滴がぶら下がっていたが、それだけでは無かった。
何かに固定されていて、指が動かせない。
やはり骨にひびでも入っていたのだろう。その治療を受けて包帯でグルグル巻きって所か。
左肘をついて上体を捻りながら起こそうとする。
だがその瞬間、ビキッと痛みが走り、支えきれず布団に落下する。
身体全体が鉛の様に重くて力が入らない。
重症だなこりゃ……。
多分重度の疲労と筋肉痛だとは思うが、暫くまともに動けそうも無い。
それでも、このまま寝ている訳にもいかないんだ。
せめてナースコールをと意を決し、痛みを堪えながら錆びついたポンコツロボットの様に軋む体をゆっくりと動かしてゆく。
と、その時、サッとカーテンをくぐって誰かが入ってきた。
「ああ、丁度良かっ……」
天の助けと反射的に声をかけようとするも、その人物を視認して言葉を失う。
それは入ってきた人がナースでは無かったからでもあるが、その人がここに居る事自体が予想外過ぎて直ぐには理解出来なかったからだ。
「あっ、良かったぁ。気がついたんだ」
呆然とする俺の顔を見て、彼女はそう言って微笑む。
それはとても懐かしくて、昔と変わらず綺麗で、だからこそ余計にバツが悪かった。
「伊吹さん……どうして……!?」
「うん。祐君……ああ、貴方達をここまで運んだ人ね。彼とは知り合いで、自分は仕事だから貴方達の様子も見て欲しいって頼まれたの。そうして来てみたらビックリ!こんな所でオーキ君にまた会えるなんて思ってもみなかった」
本当に心から再会を喜んでくれている彼女に、気まずさと罪悪感を覚える。
まさか、そんな繋がりがあろうとは……。
いくら狭い町だからって……一体どんなバツゲームだよ?
それでハッとする。
そんな事を気にしている場合じゃない。
「あの、あの子は?俺が連れてきた女の子の事は何か知っていますか?」
俺の問いに、公子さんは表情を曇らせ顔を伏せる。
そして、真剣な眼差しで俺をみつめ、ゆっくりと今の状況を説明してくれた。
腕の中で命が消えてゆく。
ありがとう?
もう十分?
何だよ……それ?
もう十分って何だよ!?
「どうした!?」
込み上げる猛烈な怒りと悲しみに支配されそうだったその時、脳に直接響いてくる様な男の声がそれを止めてくれた。
後部座席の異変を察したのだろう。運転していた男性がバックミラー越しに訊いてきたのだ。
そうだ。
今嘆き悲しむのは、死を受け入れたのと同じ事だ。
「すみません……とにかく急いでください!」
「……わかった」
まだだ。
まだ抗える。
諦めてたまるか!
こんな結末……受け入れてたまるか!!
立ち上がって抱えていたあやちゃんをシートに寝かし、彼女に着せたジャンパーの前を開く。
そして呼吸を整え瞳を閉じる。
黙想……。
TVや漫画で何度も見てきたから、知識は有る。
一度人形相手だが、単車の免許の講習で実技も経験した。
だからやれるはずだ。
いや、やるんだ。
必ずやってみせる。
想起するのは、あの日の光。
それはどこか温かで、優しくて……。
あれが何だったのかは判りようも無いが……。
ひょっとしたら、あれが人魂とか、人の想いの塊なんじゃないかと、ずっと感じていた。
だとすれば、それはきっと……報われなかった想いだろう。
届かず、行き場を失った想い達。
もしそんな物が在るのなら、今一度力を貸して欲しい。
この子は凄い娘なんだ。
幼い頃から父親と戦地を巡り、自分も命の危険に晒されながら、多くの不幸を、悲しみを、死を見つめてきたんだ。
平和ボケした日本に居たんじゃ死ぬまで味わえない体験を沢山してきたんだ。
そしてやっと……彼女はこの国で暮らせるんだ。
普通の平和ボケした学生として、平和な日々を過ごせるんだ。
あるいは、ぬるま湯の中で怠惰に暮らす日々に、幻滅するかもしれない。
それとも……それでもやっぱり平和が善いと笑うだろうか?
彼女の事だ。エキセントリックな刺激を求めやっぱりスパイになると言い張るかもしれないな。
そうしたら、師匠としては意地でも止めないと。
この子には可能性が有るんだ。
無限の未来が有るんだ。
こんな所で、死なせちゃいけない。
死なせてたまるか!
思い浮かべた光の球に手を伸ばし、それを掴む。
奇跡の光よ、この手に宿れと……。
「ふっざけんなぁ!!」
重ねた両手を彼女の胸に当て、そのまま全力で押し込む。
肋骨が軋みを上げ、座席のクッションの反動で四肢が浮き上がる程に。
想いの全てを、彼女の心臓にぶつける様に。
「もう十分じゃないだろ!?これからじゃないか!!」
30回の胸部圧迫の後、顎を上げて気道を確保し、鼻をつまんでゆっくりと息を吹き込む。
それを二回繰り返した後、再び立ち上がって胸部圧迫。
「日本で暮らすんだろ?大好きな漫画も読み放題だし、友達だってきっと沢山出来る!」
逝くな!
逝くな!
逝くな!!
「あやちゃんは可愛いから、きっとモテるぞ!彼氏だっていくらだって出来る!」
届け!
届け!
届け!!
「前に話してた男の子とも、また会えるかもしれないだろ?気にしてた背だってこれから伸びるし、胸だってきっと大きくなる!セクシーになって俺を誘惑してくれるんじゃなかったのか!?前は格好つけてやらんでいいとか言ったけど、本当は滅茶苦茶期待してんだぞ!まだ何もして無いじゃないか!勝手に一人で満足してんじゃねえ!!戻ってこい!!戻ってくるんだぁぁぁぁぁぁ!!」
あの工事現場での事故については、時間の経過と共に様々な事実が判明し、マスコミも臨時ニュースとして大々的に取り上げているらしく、町は騒然としているらしい。
開発中のバイパス工事現場での大規模地滑りにより、行方不明者十数名。
雨は上がったとはいえ森に囲まれた現場には重機が入れず、二次災害の恐れもあり捜索は難航を極め、現在の所被害者で生存者として発見されたのは唯一人。
そしてその一人も……今尚生死の境を彷徨っていた。
「奇跡的に一命は取り留めた物の、今も昏睡状態が続いていて危険な状態らしいの……」
愕然として左手で顔を覆う。
どうしてこんな事に……!?
後悔しかなかった。
やはりあのまま、救助を待った方が良かったのかもしれない。
素人が下手に手を出したから、無闇に動かしたから、後先考えず連れ出して時間がかかったから、余計に悪化させたんじゃないのか?
てか、バイトなんか行かずに、もっと早くあの場所に行っていれば手遅れになる前に救い出せたんじゃないのか?
いや、そもそも……俺はあの場所が危険だと、知っていたじゃないか。
それなのに、未然に防ごうとしなかった。
どうせ何を言っても聞く訳無いと、かけ合おうともしなかった。
きっと大丈夫だろうと根拠も無いのに楽観視する事で、迫る不幸から目を逸らそうとした。
その結果がこれだ!
「クソッ……!!」
またか!
また俺は……予測出来た事すら防げてないじゃないか!
一体何度……何度同じ過ちを繰り返すんだ!?
何度己の無力さを呪うんだ!?
何度運命に打ちのめされるんだ!?
「オーキくん……」
不意に左手にやわらかな手が重ねられ、握られる。
伊吹さんの温かさが……優しさが伝わってくる。
でも……、
「すみません、伊吹さん……ご迷惑をおかけしました……あんな強引な止め方したにもかかわらず、快く乗せてくれた知り合いの方にも、本当にすまないと思っています……」
「そんな……私も祐君も迷惑だなんて少しも思っていないよ」
「ありがとうございます……お礼の方は、また後日させて下さい……」
「本当に気にしないでいいから……病院には私も用があったから来たんだし……」
「すみません……一人にさせて下さい……」
「……そう」
慰めてくれていた手が離れていく。
きっと……きっとまた、彼女を悲しませてしまったかもしれない。
でも……今はその優しさが辛かった。
俺には、その優しさを受ける資格なんて無いから……。
「あ、ご両親にはもう警察から連絡がいっていてご存知だから。大分前に帰られたけど、先程来られて着替えを置いていかれたわ」
「そうですか……何から何まですみません……」
「ううん。いいの……ゆっくり体を休めてね」
「はい……」
彼女が去って、途端にずっと堪えていた激情が溢れ出す。
「クッ…………ッ…………!!」
力が欲しい……。
運命に抗う力が……!
世界を変えられる力が……!!