第二章 4月18日逢坂の関
中学でも俺達は弱かった
試合をすれば負けた
万年一回戦ボーイ
他の部からも他校からも
部活の先輩達からすらも馬鹿にされた
1個上の先輩達は結構強かった
地区大会ではベスト4まで何度か残り
県大会に出た事もあった
特に主将は県選抜にも呼ばれる実力者で
1対1なら多少自信が有った俺だが
一度も勝てた事は無かった
そもそも勝っていいのか?とも思ってはいたが……
一軍と二軍との試合では
実力差が有り過ぎて練習にならなかった
それ程強かった先輩達だが
意外とあっさり引退した
三年最後の地区大会で予選は通過した物の
本選一回戦で負けたのだ
「ウチの部も俺等の代で終りだな。お前等じゃ強くなれねえ。まあ、無駄だと思うが頑張れ」
それが一個上の主将が最後に残した
俺達への“呪いの言葉”だった
4月18日(金)
今日も星々の光が薄れてゆくのを、“あの場所”で見ていた。
遠くで鶏が鳴いている。
付近の小学校で飼育している奴だ。
朝の訪れを感じる……と言うより、むしろ間が抜けていて脱力してしまう。
鶏の鳴き声と言えば、中国・戦国時代の斉の人“孟嘗君”を思い出す。
斉の王族で、数千人もの食客を抱えたと言う、『鶏鳴狗盗』の故事になった人物だ。
盛名のあった彼は、他国に招かれ殺されそうになった事があった。
国外に逃げようとしたが、その国の関所は法により夜間は通行止め。
このままでは追手に追いつかれてしまう。
絶体絶命のその時、従者の一人だった物真似の得意な食客に鶏の鳴き真似をさせ「夜が明けたぞ。鶏が鳴いている」と強引に関所を開けさせ、無事難を逃れる事が出来たと言う逸話である。
思わぬ能力や人が身を助ける事もあると言う故事だが、同時にそういった事がいかに稀かと言う事でもあるだろう。
人を使える人間、活かせる人間は少ない。
孟嘗君の食客の中に、特に得意な物も無く、風采もあがらないが文句だけは達者な者が居た。
ある時孟嘗君はその男に、自領の住民に貸した金の取り立てと、その金で我が家に足りない物を買ってくるようにと頼んだ。
ところがその男は任地に着くと、金を借りた者達を集めて証文を焼いてしまったのだ。
そして、何を買ってきたかと問う孟嘗君にこう答えた。
「“義”を買ってきました」と。
当然孟嘗君はムッとしたが、彼を追い出す事はしなかった。
それから暫くして、孟嘗君は讒言を信じた斉王により罷免されてしまう。
あれだけ居た食客達は皆去り、残ったのは例のただ飯食らいのみ。
しかし、封地に帰って失意の孟嘗君が見た物は、邑の外で主君を出迎える多くの領民の姿だった。
感激した孟嘗君は、そこで初めてその食客の価値に気付くのである。
その後、孟嘗君の参謀となったその食客は、他国を巡って孟嘗君を売り込むと同時に、斉王には孟嘗君に去られたら評判ガタ落ちですよと説いて、見事孟嘗君を復職させた。
多くの食客を世話した人間が報われた美談だが、窮地を救ってくれた人間は数千人の中のほんの一握りであり、かの孟嘗君ですら、窮地を助けられるまでその才を見抜けなかったとも言える。
それは、俺の様な人間には絶望的な確率だ。
『士は己を知る者の為に死す』と言うが、本当に自分を買って活かしてくれる人間と出会えたなら、命を懸けても構わないと言う心情は不思議な事でもなんでも無い。
それぐらい珍しく、幸運な事なのだ。
俺は……出会えるだろうか?
己を知ってくれる人に……。
そもそも、こんな俺が活きる場所が……この世界に在るのだろうか?
正直、想像も出来ない。
子供の頃は、ヒーローになりたかった。
一時期は、プロのサッカー選手になる事も夢見た。
でも、今見えている俺の未来は……。
「ホールドアップ!手を挙げろ!両手をついて跪け!」
いきなり背中に堅い物を押し当てられ、精一杯ドスを効かせた可愛らしい声でそんな事を言われる。
てか……、
「えっと……どうすりゃいいの?あやちゃん」
「どうって、跪いて靴をお舐め!……って、あたしってバレてる~!?」
あっさり堅い物……おそらく枝か何か……を手放して“シェー”っぽいオーバーアクションで驚くあやちゃん。
何か色々間違っているが、外国暮らしが長かったから仕方が無い……のか?
「どうしたの師匠?珍しく今日は背中が隙だらけだったけど……?」
彼女が言った“師匠”とは、当然俺の事だ。
“お兄ちゃん”からクラスチェンジしたらしく、昨日からそう呼ばれている。
まあ、俺としてはどっちもこそばゆいのだが……。
「ああ……ちょっと考え事してたから……」
「考え事?」
少し自嘲気味に苦笑しながら答える。
すると彼女は不思議そうな顔で反芻してから、ガバッと俺の座るベンチ代わりの木の幹を跨いでから腰掛けると、肩を寄せて俺の表情を窺ってきた。
「わかった!何か悩みがあるのね!でしょ?最近元気無いのも、その所為に違いないわ!」
そして質問なのか何なのかよく解らない事を言ったかと思うと、両腕を組んでうんうんと一人納得していた。
その勢いと仕草に、思わず反対側を向いてククッと笑みをこぼす。
「それで、何の悩み?恋の悩み?」
100%興味本位の瞳を輝かせ、頬を紅潮させながら訊いてくる。
やっぱりその手の話が好きなのか……。
さて、どう答えるか?
実はあやちゃんが好きなんだ!!
……とか、冗談で言ってみるか?
「……いや、どっちかって言うと進路的な物かな」
ひかれて最悪変態扱いされそうなので止めておく。
「進路?進路と言うと……サッカー選手になるか、それとも武闘家になるかって事?」
「いや、そんな楽しそうな進路じゃないから」
「じゃあ、正規の兵隊になるか、傭兵になるか?」
「いや、日本には徴兵制はもう無いから」
「わかった!スパイになるか、マフィアになるかね!」
「いや、だからね……」
呆れながらつっこもうとして、ふと言葉に詰る。
あながち、まったくの的外れとも言えないかもな……。
これから俺がやろうとしている事を思えば……。
「フッフッフッ、どうやらビンゴの様ね!そっか……まさか師匠もスパイ志望だったとわね」
沈黙を肯定と取ったのか、彼女の暴走は止まらない。
「“も”って……あやちゃん、スパイになりたいの?」
「うゲツ!!何故それを!?」
うゲッて……。
「まさか……心を読まれた……?師匠は超能力者なの!?そうなのね!!だからあたしの攻撃を全てかわせるのね!!」
「いや、今さっき、師匠もスパイ志望だったとわって言ってたじゃん」
「うっ……そうよ。言ったわよ。言いました。自分で言っておいて気付きませんでした。滑稽でしょ?滑稽だわ。笑いなさいよ。笑うがいいわ。あーはっはっはっは~!」
あ、あやちゃんが壊れた!!
しかも、笑い出したかと思うと急に落ち込んで、俯いて何やらぶつぶつ言っている。
躁鬱の気でもあるのかこの子は……?
それとも……この子なりに元気づけ様としてくれてるのだろうか?
「ほら、一流のスパイになる為にも練習するぞ」
ポンと頭に手をのせ、先に立ち上がってあやちゃんを促す。
「あっ、はい!じゃなくて、押忍!!」
すると彼女も直ぐに笑顔になって立ち上がり、両腕を腰の辺りで構える“押忍のポーズ”で元気に返事をしてくれた。
「よっ!」
「はっ!」
「うりゃっ!」
「どりゃ~~~!!」
「わちゃ~~~~~~!!」
「チェスト~~~~~~~!!」
「……ただの受身にそんな気合いらないからね」
次第にテンションが上がってきたのか、あやちゃんが奇声を上げ始めたのでつっこんでおく。
軽いストレッチの後、彼女には足を伸ばして座った状態から、そのまま後ろに倒れて手をつく受身の練習をさせていた。
サッカーだけでなく、格闘技的な物も少し教える事になったのだ。
呼び方が“師匠”になったのはその所為である。
「ねえ、師匠」
「ん?」
「今日は攻撃も教えてくれる?パンチとかキックとか」
倒れこんで足を高く上げたまま、あやちゃんが期待をこめて訊いてくる。
そう言えば、昨日は受身とボールを蹴っただけだった。
まあ、そうだよな……。
俺だって漫画とかの真似して色々な技やトレーニングをしていた。
その気持ちはよく解る。
だが……。
「今日も受身だけだ」
「え~~~」
素っ気無い俺の答えに、足を下ろした反動で上体を起こしたあやちゃんが口を尖らせる。
彼女の運動神経は悪くは無い。
しかし、それでもやはりサッカーをやってる時の動きとかを見ていると、運動系の部活をやってる連中に見劣りする。
まあ、小学生なんだし、当然と言えば当然なんだが。
だからまず、最も初歩である受身……と言うか、転び方を身に付けてもらおうと思った。
「まずは受身くらいちゃんと出来ないと、怪我の元だからね」
「大丈夫だよ。あたしのお父さんお医者さんだし」
「そう言う問題じゃないだろ?兎に角、今週いっぱいは基礎トレね」
「今週いっぱい……!?」
息を飲んで見開いた彼女の瞳に、一瞬絶望の色が浮かんだ。
何だ?
そんなに驚く事か……?
「……厳しいなあ師匠……でも、やっぱりそう言う物だよね」
そう言ってあやちゃんは笑ったが、その笑顔はやはりどこか寂しそうだった。