第二章 4月17日謝って済むなら、誰も悲しまないのに
中学に上がっても俺は“ポンコツ”だった
体力はついたけれど
誰にも当たり負けしないパワーはついたけど
足もそこいらの奴には負けないくらいは速くなったけど
喘息もほとんど出なくなったけど
それでもサッカーは巧くならなかった
ボールの扱いが下手だった
リフティングはいまだに100回出来なかった
加えて生意気“そう”だった事も有り
初めから先輩達の風当たりも強く
やらされるのは球拾いとランニングばかり
球拾い中に無駄に喋っていたとか
何かと難癖をつけられては走らされ
そのまま練習が終わるまで放置される事も珍しくはなかった
いつしか俺の仇名はここでも“ポンコツ”になっていた
先輩の中には同じ少年サッカークラブだった人も居たから必然だ
敬語を使わなかった事も
命令に逆らった事も
口答えした事も無かったのに
俺は一部の先輩達……特に一個上の主将から嫌われていた様だ
確かに俺は人見知りで口下手だ
目上の人間と上手くコミュニケーションが取れない
それでも相手が有る程度俺の事を知ってくれているならまだマシなのだが
俺は誤解を受け易い類の人間だから
大人しくしてても目をつけられる物なのだろう
それでも実力が有ったのならまた違ったのだろうが
何しろ俺はポンコツだ
「才能無いからやめちまえ」
そう言われた事も一度や二度じゃなかった
それでも三年が引退して暫くして
俺はレギュラーのベンチに入れた事があった
監督にはそれなりに認めてもらえていたのだろう
出番は後半の頭に回ってきた
しかしポジションはやった事も無い中盤で
どう動けばいいのかまるで解らない
それでも俺に出来る事をやるしかなかった
幸か不幸か俺に味方のパスが来る事は無いから
俺はひたすら守備的にボールを追い駆け回った
泥臭く
ボールを回されかわされても
一人空回りしているとわかっていても
俺にはこれしか出来ないから
何度も
何度も
ひたすらアタックし続けた
その甲斐あってか何度かボールを奪えた
だがそれでも
主将はパスやシュートをミスする度に罵声を浴びせてくるだけだった
その挙句
ポジションの重なる相手チームの奴までが俺に「ウゼエ」と難癖つけだし
なめられちゃいけないと軽くあしらったつもりだったが
反ってそれでムキになられたらしく
次第に際どい接触プレイが多くなり
遂には……競り合いで掴んできた腕を払った手が偶然相手の鼻に当たって流血
俺は警告を貰い代えられた
そしてそれ以降
先輩達が卒業する二年の夏まで
俺がベンチに入る事は無かった
4月17日(木)
冷たい風が路上の花弁を舞い上げ、薄桃色の螺旋を描いて消えた。
春とは言え、やはりまだ朝は肌寒い日が多い。
日光を浴びてる分にはマシだが、日陰に入ると急に冷やりとして、自然早足になる。
「ネクタイでも無いよりマシだったか……」
ポケットに両手を突込み、Yシャツの肩をいからせ首をすくめてみる。
女子のタートルネックがちょっと羨ましい。
てか、ブレザーくらい羽織ってくれば良かったか。
まあ、学校前の坂道まで来て今更だが……。
前は別に、こんなに寒いと思った事なんて無かったんだけどな……。
足を止めて見上げる。
桜のアーチは既に空の割合の方が多い。
もって数日か……。
俺は……来年もまたこの桜を見られるだろうか?
いや……。
目を伏せて再び歩き出す。
その為にあいつと距離をとる道を選んだんだ。
今度こそ……必ず成し遂げてみせる。
例え、他の全てを犠牲にしようとも……。
見慣れてきた騒がしい教室に入り、いつもの席に座る。
いつも俺より早い隣の仁科が、珍しく今日は来ていない。
まあ、今日は俺も割りと早目に来たから、こういう事もあるだろう。
ここ最近は特にギリギリだったしな……。
「おはよう、川上君」
感慨に浸りかかった所に、声をかけられ醒める。
教室に入って来た仁科だった。
「ああ、おはよ」
今日も光沢のあるサラサラな長い黒髪がよく似合っている。
などと思っていると、彼女の隣に居た杉坂に睨まれた気がした。
「りえちゃん、また後でね」
「うん。またね」
ころっと表情を一転させて仁科と挨拶を交わし、杉坂は自分の席に向かう。
本当にいつも仲が良いよな。
まあ、ここ最近の明るい表情の仁科を見ていると、ほっとするのは俺も同じだが。
そういえば……立ち上げた合唱部の件はどうなったんだろう?
うちの学校は、部活説明会から一週間以内に部員が3人以上にならないと廃部になる決まりだ。
確かそろそろ期日のはず。
「そういや、部員の件どうなった?」
「え?ああ、原田さんが入部してくれました」
出来るだけ何気無く訊くと、仁科は笑顔で答えてくれた。
「原田って……一年の時同じクラスだった?」
「ええ。説明会の時に興味を持ってくれたみたいで、話をしたら入ってくれたの」
原田か……元々他人に興味が無い性質なので、正直あまり印象に残って無くてあやふやだが、大人しい娘だった……と思う。
もっとも、一年の頃の暗く授業を休む事も多かった仁科に対して、反感を持っている者も少なからず居たが、少なくともそいつらの中には居なかったとは記憶している。
何にせよ、合唱部は廃部を免れた訳だ。
「そっか……なら、名前を貸さなくてもいいな」
「ふふっ、でも、川上君なら、いつでも歓迎しますよ」
「いや、勘弁してくれ」
女子三人の中に男子一人とか、想像するだけで居心地悪い。
ハーレムでウハウハじゃん!
などと他人事で無く喜べる人間は、実際は少数派だと思う。
てか、まあ、今の俺はそんな場合じゃ無いんだが。
「部室も旧校舎の方に決まったし、後は……顧問をやってもらえる先生を見つけるだけです」
ふと仁科の笑顔に翳が差した。
「顧問?」
「うん……うちの学校は、顧問が居る時でないと部活動が出来ない決まりだから……」
「ああ……音楽の先生とかはダメなのか?」
「杉坂さんや原田さんとも相談しているんだけど、既に吹奏楽部の顧問をやっているので難しいんじゃないかって……」
「そっか……流石に顧問は俺にはなれないな」
「ふふっ、そうですね」
「まあ、ダメ元でも訊いてみたら?掛け持ちでやってくれるかもしれないし」
「そうですね……二人とも話し合ってみます」
軽口に彼女が笑ってくれた事に安堵しながら、俺は軽い気持ちでありきたりな事を言った。
しかしこの問題は、俺が思っていた以上に根が深く、また様々な事情が複雑に入組み、解決までかなりの時間を要する事になるのだが……この時の俺には、それを知る由も無かった。
「川上君、それじゃあ」
「ああ。また」
ホームルームが終り、仁科と挨拶を交わしてざわめく教室を出る。
するとそこには……あいつが立っていた。
出会った頃の、溢れんばかりの覇気は無く、項垂れながら。
それは……俺が奪った物だ。
「待ってくれ!」
一瞥しただけで行こうとすると、慌てて肩を掴まれる。
やはり俺に用が有るらしい。
こんな教室の直ぐ前で、勘弁して欲しいんだが……。
「行くぞ」
なるべく周囲の注目を集めぬ様、首で特殊教室の方を指し示しながら歩き出す。
「あ、ああ」
それに少しだけ嬉しそうな顔をしながら、智代は後に付いて来た。
どういうつもりだ……?
まあ、粗方予想はつくが……。
だとしたら……俺はどうする?
どうしたらいい?
どうもこうも無い。
答えは一つだ。
他に選択肢なんて存在してはいない。
俺は……俺の道を往くだけだ。
「オーキ……その……」
人気の無い場所まで来て足を止めると、智代が躊躇いがちに口を開き始める。
「すまない……お前にも心配をかけてしまったんだろ……?それなのに私は、お前の気持ちも考えずに無神経な事を言ってしまった……お前が怒るのも無理は無いな……本当にすまないと思っている……」
「……はあ?何言ってんのお前?」
しおらしくシュンとしながら頭を下げた智代に対し、俺は素っ気無く言った。
「何って……一昨日の事だ。お前は、私が危険な事をしたから怒って、あんな事を言ったんだろ?だから、それを謝っているんじゃないか」
「誰がお前の心配なんてするかよ……被害者面してんじゃねえよ」
冷たく言い放つと、智代が信じられないと言った顔で唖然とする。
「……何だそれは?」
「お前は何も解ってねえ……じゃあな」
唇を噛んで身体を震わせながらの詰問を、溜息混じりの棄て台詞で切り捨てると、俺は智代と目を合わす事無く擦れ違い、そのまま階段に向かった。
あるいはこれで、智代は立ち直れなくなるかもしれない。
生徒会の選挙に出る事も、桜並木を守る事すらも、やめてしまうかもしれない。
それでも……それならそれで構わない。
初めからその程度のヤツだったんだ……。
むしろその方が、多くの友人達に囲まれながら青春を謳歌出来るだろう。
普通の女の子として……。
だからもう、俺には構うな。
俺は子供の頃からずっと、異常で特殊な人間になりたかった。
そして今、実際になろうとしている類の人間だ。
思えば初めから、ベクトルが真逆だったんだ。
普通になりたがっているあいつと、異常に憧れていた俺と。
一点で交わる事は有っても、もう二度と交わる事も、共に歩む事も無い……。
だから……もう……俺の事なんて忘れてくれ。