4月14日不味い!……もう一個!
昼休みになると、俺はいつもの様に屋上へと向かう。
何だかすっかり日課になってしまったが……いい加減場所を変えないとな。
ゆくゆくは生徒会長になろうって奴に、いつまでも校則違反をさせられんだろ。
と言っても、あんま人目につくような所は個人的に避けたいし、宮沢みたいにどっか空き教室を占領出来ればベストなんだが……。
後で集まった時にでも相談してみよう。宮沢へは門倉が話を通してくれた様だし。
まずはあの二人を配下に、いや、仲間に引き込む事が俺の最初の仕事だ。
門倉が学校内に精通した人材なら、宮沢は学校外、特に“裏”の面子に顔が広い。
今の智代にどれだけ敵が居るのか判らないが、先週のように度々他校の生徒にやってこられれば、流石に誤魔化しきれなくなるだろう。
それを抑える為にも、宮沢とそのお友達の面々の協力は不可欠だ。
出来れば芋蔓式にこの界隈のアホ共全てを取り込めればいいのだが……まあ、各校のトップと不可侵条約さえ結べればそれでいい。
ふと屋上への階段の途中で立ち止まる。
そういや先週宮沢と話した時も、似た様な事を考えていたっけか。
フッ……と自嘲の笑みが漏れる。
結局、あいつと出会おうと出会うまいと、これが俺の役目なのだ。
部活をやっていた頃に少しだけ憧れていたアウトローの世界。
一度踏み込めば、きっと多くの物を犠牲にする事になる。
まっ、どうせちっちゃな頃から悪ガキで、十歳で『不良みたい』と呼ばれた身だ。
“みたい”が“その物”になったところで、むしろ今更だろう。
それに何より俺は“この町最強”になったんだしな。
そして柵によりかかって待っている間に、何となく口づさみ始める。
忘れたくても忘れられない、あの人の歌を……。
悩み、もがき、苦しみ、それでも足掻き続ける事。
そうやって生きる事が、尊い事だと信じられた。
弱さに負けない様に。
惰性に負けない様に。
楽な方に逃げない様に。
そうやって生きる事が、強さだと思えた。
だから俺は、例え一人でも歩き続けるよ……。
あなたが降りた、この道を……。
「オーキ!」
唐突に背後からかけられた声に、急速に感傷から引き戻される。
振り返るとそこに居たのはやはり、購買のビニール袋を提げた智代だった。
だが、何やら様子がおかしい。
いつもの覇気が無いと言うか、妙にソワソワしていると言うか。
握った拳を胸に当て、訴えかける様な眼差しで俺を見つめてくる。
もしや、購買で何かやらかしたか!?
「どうした?何か有ったのか?」
「それはこちらの台詞だ!そんなに眠れない程悩んでいる事が有るのなら、どうして私に話してくれないんだ!?」
「はい?」
飛び掛らんばかりの勢いで詰め寄って来たかと思うと、必死の形相でそんな事を言ってきた。
その“近さ”と訳のわからなさに一瞬頭が真っ白になる。
何を言って……て、ああ、今のを聞かれてたのか。
「いや、ただ歌の歌詞だから」
「歌の歌詞……?」
「まあ、昨日ほとんど寝て無いのは本当だけどな」
智代はきょとんとした顔で暫く俺を至近距離から凝視していたが、溜息を一つついてからようやく離れ、複雑な表情のまま持参していたビニールシートを敷き始める。
そういや寝てないで思い出したが、あのノートはどうしたっけ?
眠気やら新聞やら何やらで、今の今まですっかり忘れていた。
ひょっとして……家の机の上に置いてきたか?
さっきパンを取り出す時にカバンを見たが、中に入っていたらさすがに気付くよな……?
うわ……徹夜までして書き上げたってのに……。
「今朝も言ったが、お前が私達の目標の為に頑張ってくれる事は本当に嬉しい。でも、それで徹夜したり無理はしないでくれ。さあ、食べよう。お前の分のジュースも買ってきたぞ」
あれ?
自分の迂闊さに自己嫌悪していた所に、シートの上に座った智代からそんな風に言われ、何となく曖昧な記憶が甦る。
「……ノートの事、言ったっけか?」
「何を言ってるんだ?今朝教えてくれたじゃないか。覚えていないのか?」
「いや、ほとんど寝ぼけてたから……」
「そうか……うん。そうだったな……お前が徹夜してまで書いてくれたノートは、私が大切に預かっているから安心してくれ」
「それならいいんだが……」
智代の言葉に胸を撫で下ろしながら俺もシートの上に腰をおろし、並べられたパックのコーヒーに手をつける。
危うくまた帰りにでもこいつを家に呼ぶ所だった。
さて、気を取り直して飯にしよう。
とっておきもあるしな。
「ああ、そうだ。コーヒーも嫌いじゃないが、俺カフェオレ党だから」
「そうなのか?わかった。覚えておこう」
「それと、今朝言い忘れてたんだが、お前に食べさせようとお前の分のパンも持ってきてたんだ。それは明日にでも回して、先にこっち食ってくれないか?」
「私にか……?」
一瞬智代は嬉しそうに瞳を輝かせたが、直ぐにそれは白眼へと変わる。
どうやらまだ根に持ってるらしい。
まあ、まったく警戒されないよりマシか……。
「また何か変な物が入ってるんじゃないだろうな?」
「またって、本当に入ってた事ないだろ?」
「それはそうだが……お前の事だ。今度こそ本当に入れてるんじゃないのか?」
いつもの得意気な笑みが、「お前の魂胆なんてお見通しだ」と言っていた。
ある意味大正解だ!
何しろこれはあの“早苗さんの今週と先週の新作パン”なのだから……。
だが、だからと言って、いや、だからこそ何としてでも食わせねば!
「そう言うお前こそ、今度こそコーヒーに何か入れたんじゃないのか?」
「わ、私が入れる訳無いだろ!」
「どうだかな……まっ、俺のパンなんて食えないってんなら別にいいけど……」
そう言いながらも、これみよがしにちゅうちゅうと音を立ててコーヒーをすすってやる。
「……わかった。ちょっと言ってみただけだ……」
暫く口を尖らせて逡巡していた智代だったが、ついに自分から手を差し出してきた。
そうだ。それでいい。
勝利に酔いながら俺は、まずは古河パンの袋から平べったいパンを取り出し手渡す。
「……見た目や匂いは普通のパンだな……何が入ってるんだ?」
「それは食ってからのお楽しみだろ?」
「むう……やっぱり何かおかしな物が入っているんじゃないのか?」
「ちゃんと市販されてる物だから安心しろ。もちろん、半分に割ったり、小さく千切ったりせずかぶりつけよ」
「そんなの女の子らしくない」
「いいや、その場の礼儀作法を重んじてこそ“本当にいい女”だ!最初の一口だけでいいから、出来るだけ大きな口を開けてかじれ」
「……」
とても納得している表情では無かったが、また暫くパンと睨み合った後、ついに覚悟を決め智代はおずおずと口を開けて平べったいパンをかじった。
「んん!?」
が、歯をたてた所で動きがピタリと止まる。
まあ、無理も無いが。
勢い良くいかなかったお陰で、歯を痛めたりしなかった分、噛み砕けないのだろう。
「んん~……!?」
そしてどうするか迷いながらも歯形のついたパンを見られるのも恥ずかしいのか、パンを口に頬張ったまま視線を泳がせ俺に訴えかけてくる。
「そのままずらして奥歯で噛め」
「ん!」
智代は俺に言われた通りにバキッと快音を鳴らして奥歯でパンの具を噛み砕くと、そのまま憮然としながら咀嚼してゴクンと飲み込み、キッと俺を睨む。
「……何だコレは!?」
「おせんべいパンです!」
すかさず早苗さんの真似で答える。
「どうしておせんべいをパンの中に入れるんだと訊いてるんだ!?」
「それは作った人に聞いてくれ……でも、食べれなくは無いだろ?」
「味はともかく、おせんべいとパンの食感がミスマッチ過ぎる」
「知らずに思いっきり噛んだら歯折れそうだしな」
「なっ……!?私の歯が折れたら、どうするつもりだったんだ!?」
「そりゃあ、まあ、ちゃんと責任取ってやるけど……」
「!」
治療代くらい出すと言ったつもりだったんだが、何故か顔を赤くして俯かれた。
「そうだったな……でも、だからと言って痛いのは嫌だぞ」
顔を赤くしながら恥ずかしそうにそんな事を言わんでくれ!
「じゃ、じゃあ、次はこっちな」
こっちまで火照ってきたのを誤魔化そうと、俺はもう一つの深緑色のパンを取り出す。
「ん?まだあるのか?……なんだコレは?緑色をしているのは草を生地に練りこんでいるのか?」
「よもぎパンです!」
変に勘繰られても面倒なので、今度は予め名前を教えておく。
「ああ、蓬か……でも、どうせ普通のよもぎパンじゃないんだろ?」
うっ、鋭い!
まあ、誰でもそう思うわな……。
「それは食べてみてからのお楽しみだ」
「私は全然楽しくないぞ……まったく、お前は本当に仕方の無い奴だな……」
ぶつくさ言いながらも、やはり蓬だと教えたのが良かったのか今度はすんなりと口をつける。
だが、
「ん……!?んーーーーーーーーー!!!!」
一口噛んだ所で異変に気付いたか口の動きが止まり、文字通り苦虫を噛んだ様な顔で呻きだす。
まあ、無理も無い。
「ほら、コーヒーで流し込め」
「ん!!」
智代の紙パックを取ってやると、それを引っ手繰る様にして俺の手から奪い取り、凄い勢いで飲み始めた。
よっぽど苦かったんだろう。
「んくんく……ハァ!何なんだコレは!?」
「よもぎパンです!」
「それはわかってる!中に入っていた苦いのは何だと訊いてるんだ!!」
「蓬のペースト」
「蓬のって……よもぎパンと言うのは普通餡子とか甘い物が中に入れてあって、苦味と甘味のバランスがとれているから美味しいんじゃないか!!これじゃあただ苦いだけだ!!」
「ホントそうだよな……」
実にもっともな正論に、俺はただただ遠い目をするしかない。
具も蓬のよもぎパン。
……身体には良さそうだよな……。
「……本当にこんな物が売ってるのか?実は私に食べさせる為だけに、お店の人に頼んで作ってもらったんじゃないのか?」
向けられる疑惑の視線。
確かにこんな物が実際に売っているとは、とても想像し難いだろう。
だがしかし、
「悲しいけど現実だ……俺はほぼ毎日食ってるし」
「ま、毎日!?……お前はこういう味が好きなのか?」
「違うって……御近所だし、売れ残りをもらえるんだよ……」
「それでこんなパンが売れる筈無いから毎日の様に売れ残って、お前はそれをもらっていると言う訳か……」
疑惑が晴れ、今度は憐れみの視線を向けられる。
「でも、そんなパンばかり売っていて、実際に毎日の様に売れ残っているのに、それで経営が成り立つのか?」
「いや、もちろんこんなパンばっかじゃないし、他のパンは結構美味いから売れてるぞ。ほら、前カツサンドやったろ?」
「ああ、そう言えば……あれは本当に美味しかった。でも、ちゃんと美味しい物が作れるのに、どうしてこんなパンをわざわざ作るんだ?勿体無いじゃないか」
本当にな……。
「さあ……趣味じゃね?」
「趣味?」
「夫婦でやってる店なんだが、基本的に旦那が作っててそっちは美味いんだよ。でも、一品だけ奥さんが作ってて、それが今日お前に食わせた“今週の新作パン”だ」
「“今週の新作パン”?週代わりで替わるって事か」
「せんべいが今週ので、よもぎは先週のだ」
「なるほど……じゃあ、お前はこの苦いだけのパンをいくつも食べたって事か……」
言いながら智代はよもぎパンを一口かじり、すぐにそれをコーヒーで流しこむ。
「まっ、さすがに慣れたけどな……」
「お前も大変なんだな……」
しみじみと言いながら憂いを帯びた潤んだ瞳で俺を見つめてくる。
解ってくれたか。
「なあ、オーキ」
「何だ?」
「もう流し込むコーヒーが無くなってしまったんだが、残りはどうしたらいいんだ?」