4月14日姉と弟
そして今日も俺達は走って登校する羽目になる。
「起こすと言っておきながら、本当にすまない」
「気にすんな……寝てたのは俺だ」
「お前の寝顔を見ていたら、その……和んでしまってついうとうととしてしまったんだ……」
「……と、とにかく急ぐぞ」
そんな事を頬を染めながら言われ、こっちまで恥ずかしくなってくる。
一番無防備な姿をずっと見られてたって事だよな……。
学校とかで突っ伏して寝ているのとは違う、モロの寝顔を、それも膝枕されて超至近距離で。
てか、いくら物凄く眠かったとは言え、どうして人が入って来て起きなかったんだ俺は?
今まで親が起こしに来て、二度寝した事なんて無かったんだが……。
コイツならいいかと思っちゃったんだよな……。
……忘れよう!
湧き上がってくる羞恥を誤魔化す様に、俺は走る事に集中した。
坂の下まで来た所で時間を確認して、俺達はようやく一息つく。
後は歩いても平気だろう。
散り始めた桜の咲く並木道は、時間ギリギリ駆け込み組でごった返していた。
ちらほらと見知った顔も見受けられる。
まあ、大抵早目に来る人間は毎日早いし、俺の様にギリで来る奴は常にこの時間帯だろうから、毎日似た様な顔ぶれ、光景になる物だろう。
しかし坂の途中、俺は思わず立ち止まる。
そんな見慣れたいつもの登校風景の中に、一人佇む彼女を見かけたのだ。
渚さん……。
立ち止まったまま、そこから動く様子が無い。
復学した感慨に耽っているのだろうか?
それとも久々に見る桜並木に見とれているのだろうか?
あるいは……?
その理由は窺い知れないが、皆上を目指して歩いている人波の中、ぽつんと立っているその後姿は、そこだけ時が止まっている様だった。
「どうしたんだ?」
急に立ち止まった俺に気付いて戻ってきた智代に声をかけられ、ふと我に返る。
いかんな。こっちもあまりのんびりはしていられないんだった。
「ああ、いや、ちょっと知り合いを見かけたから……」
「ん?そうか」
適当に事実を述べて誤魔化すと、俺は渚さんに一応声をかけるべく背後から近付いく。
「おはようございます。先輩」
「へっ!?あっ、オーちゃん!おはようございます」
驚かせてしまったのか、少し慌てて振り返った渚さんだったが、しかし俺だと気付いて安心したのかほわっと笑うと、丁寧に頭を下げてくれた。
「調子はどうですか?」
「えっと……その……久しぶりなので、少し疲れてしまいました。あっ、でも、少し休めば平気なので、大丈夫です」
「そうですか……」
渚さんは少し困った様に答えを選びながら答え、更に直ぐそれを誤魔化す様に微笑む。
それで何となく分かってしまった。
彼女がここに居た理由が、あまり好ましい物では無い事に……。
「……じゃあ、先行きますね」
「はい。オーちゃんまたです」
俺は渚さんに頭を下げて、彼女に見送られながらその場を後にする。
「……良かったのか?」
俺と渚さんのやりとりを少し離れて見ていた智代は、直ぐに隣に並んで来ると、後ろを気にしながらそんな風に訊いてきた。
誰か?ではなく、そう訊いてくるという事は、こいつも何かしら感じたのだろう。
「さっきの人、ずっとあそこに立ち止まったままの様だが……具合でも悪いんじゃないのか?」
「ああ。疲れたらしい。でも、少し休めば大丈夫らしいから……」
「そうか……でも、あまりのんびりしていると、遅刻してしまうんじゃないか?」
「別に調子が悪いなら仕方無いだろ……?」
そう言った俺は、踵を返して走り出そうとした智代の腕をすかさず掴んで止める。
「やめとけ」
「どうして?調子が悪いのなら、尚更一緒に行くべきじゃないのか?それとも、私に気を使っているのか?それなら気にするな。ただの知り合いなんだろ?あっ、いや、まったく気にならないかと言われれば嘘になるが……どういう関係なんだ?」
何だそりゃ?
「行きつけのパン屋の娘さんだよ……ガキの頃から世話になってる先輩だ」
「そ、そうか……お前がお世話になっている人なら、ますます放ってはおけない。放してくれ」
「だから……先輩だっつってるだろ?」
「だから何なんだ?調子が悪い時に先輩も後輩も無いだろ?」
「いや、だからな……そう、例えば……お前が調子悪かったとして、鷹文に心配されたいか?むしろ心配させまいと、普段通り振舞うんじゃないのか?」
「それは……」
「俺にとってあの人は、姉貴の様な人なんだよ……」
それは智代を諭す為に方便で言った事だった。
だが、その自分の言葉に、ふと気付かされる。
渚さんが、俺に優しくしてくれる理由。
声をかけられたのに逃げたり、時に泣かしてしまったのに、それでも優しい理由。
ずっと、渚さんが特別優しい人だからと思ってきたけど……。
ひょっとしてそれは……俺を弟の様に思ってくれているからじゃないだろうか?
単純に彼女が一人っ子で、一番近しい年下の存在が俺だったから?
いや……多分それだけじゃないんだろうな……。
そしてそれは渚さんだけでなく、秋生さんや早苗さんが、何となく俺を気にかけてくれる理由なんじゃないだろうか?
俺には……二歳上の姉が居た。
産まれつき重い障害を患っていて……寒い雪の日に死んだ……らしい。
俺に彼女の記憶は無い。
俺が物心つく頃にはずっと病院暮らしで、ほとんど顔を合わす事無く亡くなったからだ。
だから俺には、感傷も何も無い。
いくら姉とは言え、所詮知らない人の死だ。
でも俺以外の人には、そうはならないだろう。
どんな噂もたちまち広まる狭い町内。
ご近所さんなら、大概家の事情は知っている筈である。
姉を亡くした弟。
そんな子供がふらふらと独りで居たら、構いたくもなるかもしれない。
あの優しい渚さんがそんな話を聞かされたなら、同情してくれるに違いない。
俺の方はまったくそんな事を考えた事も無かった訳だが……。
「つまりお前は、彼女のプライドを傷つけたく無いから、手を貸すなと言うのか?」
「彼女は元々身体が弱くて。だから、人に心配かける事を余計に病むんだよ……赤の他人ならともかく、弟みたいな俺に弱味を見せたくは無いだろ……」
「……なら、赤の他人の私なら構わないじゃないか」
「お前はもう事情を知っちまったし、後から俺の知り合いだと知ったら、彼女はどう思う?」
「……」
ようやく諦めたのか、溜息と共に智代の身体から力が抜け、全てを悟った様な顔で微笑む。
無論、それで油断する事無く、俺はその手を放したりはしない。
「……まったく……昨日もそうだったが、お前は考え過ぎだと思うぞ?」
「昨日?」
「うちの生徒をかつあげから助けた時だ。それだけじゃ彼の為にならないと言って、被害者を苛めてたじゃないか」
「……苛めてない。説教しただけだ」
「……多分、お前の方が正しいんだろうな……でも、それじゃあお前の想いは、相手には伝わらないんじゃないか?」
「はあ?……そんなモン期待してねえし、むしろ伝わらなくていい」
「どうして?お前の評判が一部で悪いのは、そういう態度が誤解を生んでいるんじゃないのか?」
「だから、他人にどう思われようと関係ねえって……」
「あっ……!」
捨て台詞の様に言って掴んでいた手を放し、勝手に歩き始める。
誰も知らない。知られちゃいけない。
俺は俺の道を行く。
報われようなどとは思わないし、思ってはいけない。
そういう物だし、そういう物だろう?
俺の目指した物は……。
「待て!一人で行く事無いだろ?今日の所はお前の顔を立ててやる。どうだ?ちゃんと男を立ててやれる私は、とても女らしいと思わないか?」
小走りで追いついて、智代は嬉しそうにそんなしょうも無い事を訊いてくる。
期せずして交わった俺とこいつの道は……どこまで続いているんだろうか?
昇降口を抜けた先の掲示板の前に、ちょっとした人だかりが出来ていた。
そうか。今日は月曜だったな。
「あの人だかりは何だ?何か張られているのか?」
上履きに履き替えてきた智代が、爪先立ちをしながら訊いてくる。
「門倉のとこの校内新聞だろ」
「門倉?ああ、みのりの……報道部の新聞か」
門倉の名を出すと益々興味が湧いたのか、智代は背伸びをしながらふらふらと人だかりの方に向かって行ってしまう。
出来ればスルーしたかったのだが……。
渋々ながら俺も人だかりの後ろについたのだが……遠目からみたその記事にギョっとなった。
この前あった部活説明会の特集号という事もあって通常の倍の誌面の拡大版が張られていたのだが、問題は一枚目の最初の記事、つまり一面トップ記事の見出しである。
『対決!?番長vs学園のニューヒロイン!!』
あ・の・ア・マ~~~!!
モロだった。
いや、記事にするとは聞いていたが……こんなデカイ、それもトップ記事とは聞いて無い!!
しかも御丁寧に、俺達二人が写った写真まで載せてありやがる。
俺を叩こうと智代が拳を振り上げてる所なのだが……お互い笑ってるし、完全に二人でじゃれている様にしか見えない。
「対決?番長vs学園のニューヒロイン……一体何の事だ?」
怒髪天の俺だったが、見出しを声に出して読み上げた隣の智代の方を向いて、またもギョッとなる。
いつの間にか智代が……“眼鏡っ子”になっていたからだ。
「あっ!!いや、違うんだコレは……!」
俺の視線に気付いた智代は、何故か慌ててそれを外し隠してしまう。
「いや、目悪いんだろ?別に隠さんでも……」
「眼鏡をかけた自分の顔は、あまり好きじゃないんだ……」
バツが悪そうにそんな事を言った。
つまり、俺に眼鏡っ子モードは見られたくないって事か……?
「まあ、気持ちは解るが……でも、放っとくと益々悪くなったりするんじゃないのか?」
「授業中や家で勉強する時はかけているから平気だ……それとも、お前は私が眼鏡をかけていた方がいいのか?」
「は?いや、いいって言うか……」
「お前は、みのりみたいな眼鏡をかけた女の子が好きなのか?」
いや、最初と質問の趣旨が変わってるだろ!
ズイと問い詰められた所で、周囲の妙な視線に気付く。
ヤバイ!!
当人達だと周囲に感付かれた!!
「と、とにかく、その話は後でしよう。遅れちまうぞ」
「誤魔化すな!どうなんだ?」
「いや、だからな……こんな人の居る所で言える訳ないだろ?」
「え?あっ……!」
声を殺して言った俺の言葉と目線でようやく智代も周りの視線に気付いたらしく、肩を竦めて人だかりから後ずさる。
「行くぞ……新聞なら、門倉に言えば個人用のを多分もらえるから」
「ん?そうなのか?」
こうして俺は、何とか妙な質問を誤魔化しつつ、その場を離れることが出来た。