4月12日:冷徹なる刃
「ふう……食ったぁ……!」
最後のデザートのウサ耳りんごをどうにかお茶で流しこんだ俺は、そのままビニールシートに大の字に寝転んだ。
「こら、お行儀が悪いぞ。食べてすぐに寝ると、牛さんになると言うじゃないか。でも、ちゃんと全部食べてくれた事は凄く嬉しい。正直に言えば、少し作りすぎたかな?と思っていたんだ……」
「……今度作る時は、この半分くらいでいいから……」
「うん。覚えておく」
ぽかぽかとした春の陽気と心地良い風。
頭上には桜が咲き誇り、ふわりと舞う花びらが眉間に落ちる。
少しこそばゆいが、それを払う事無く目を閉じ、今この瞬間の全てを肌で感じた。
ああっ、やはりいいな桜は……。
淡く、儚く、謙虚で、健気で……だから尚更美しい……。
それに……この桜はもう……。
「オーキ?……本当に寝てしまったのか?」
その声で遠のきかけた意識が寸での所で繋ぎ留められ、ゆっくりと目を開ける。
「……良かったよ……最後にお前とここで花見が出来て……」
「最後?」
俺のその台詞に、こちらが思っていた以上に智代は驚き不安気な顔をした。
少し紛らわしかったか?
いや……でも……。
「この桜は今年で見納めなんだ……アホな伐採計画があってな……来年には、この桜並木は全て伐られちまうんだ……」
「……やはりお前も知っていたんだな」
あれ?
思わぬ返答に、伸ばしていた手で反動をつけ起き上がると、彼女もまた珍しく憂いを帯びた微笑を浮べていた。
それで俺も確信する。
彼女も同じ想いで、花見をしようと言い出したのだと……。
「そうか……」
「それでな、オーキ……私の家に行く前に、実はお前にどうしても話しておきたい事があるんだ……聞いてくれるか?」
思い詰めた様な真剣な表情で彼女は訊いた。
それで何か大切な話しなのだと察し、俺も居住まいを正し座り直す。
「ああ……何だ……?」
「うん。私がある目的の為に生徒会に入ろうとしている事は以前話したな?」
「ああ」
「その本当の目的についてだ。私の過去や家族の事も関係が有るから、少し長くなるかもしれない。でも、お前には知っておいてもらいたいんだ」
「別にいいよ。聞かせてくれ」
「ありがとう」
俺の答えを聞いて安堵した様に微笑むと、智代は脚を崩しながら町の方に向き変え、女座りから膝を抱える体勢、いわゆる体育座りに座り直し遠くに目を向けた。
「お前も知っている事だが……私は昔荒れていた。荒れる理由……いや、多くの人にとって、荒れないで済む理由は何だと思う?」
「ん〜……“分別”?」
「……何だそれは?」
俺の身も蓋も無い答えに、智代は問い詰める様なジト目を向けて来る。
「荒れたって何の得にならないし、そんなのみっとも無いと思えば荒れないだろ?」
「確かにそうだが、その分別がつかないから荒れるんじゃないか」
「じゃあ……自分なんて物を持たず、周囲に波風立てず流されて生きればいい」
「それでは、周りが荒れていたら自分も流されて荒れてしまうじゃないか」
「そうだよ。だから不良の多い学校に行けば不良になる奴は多くなるし、不正の横行する組織に入れば、大抵の奴はそれに加担するか見て見ぬフリをする様になる。人間なんてそんな物だ。荒れるか荒れないかなんて、“環境”や“運”次第だろ……」
「……やっぱりお前は優しいな」
「は?」
照れた様に言って、腕を膝の裏に回し直して肩を竦めて見せた。
「荒れるのは特別な事じゃないと言いたいんだろ?荒れていた頃の自分を気にしている私を慰めようとして……。でも、今はあまり気にしてくれなくていい。そうだな。“環境”は大きな要因だな……じゃあ、質問を変えよう。お前が荒れずに済んだ理由、お前の“心の支え”を聞かせてくれないか?」
「……“分別”?」
「……もういい……」
俺のバカ正直な答えに、智代の笑みは消え去り憮然としてプイと顔を背けられる。
でも、じゃあ、どう答えろと?
「いや、てか、そもそも俺荒れてるし」
「えっ!?」
そんなに意外だったのか、俺のぶっちゃけに素っ頓狂な声を上げ、すぐさま智代は向き直り眉を寄せた。
「お前が荒れてる?」
「いや、荒れてなきゃ『世界を変えたい』なんて言わんだろ?」
「それとこれとは違うんじゃないか?むしろ、お前はこの学校の誰よりも落ち着いていると言うか……そうドッシリと地に足のついた“重み”の様な物を持っているじゃないか」
「いや、単に周囲の迷惑も考えず暴れ回ったりしないだけだ。そんなモン、ただの八つ当たりだからな」
「……悪かったな……周囲の迷惑も考えず暴れ回って……!」
彼女と俺とでは『荒れている』のニュアンスが違っているのだろうが、それを承知の上で地雷原に踏み込むと、案の定智代は気にするなと言ったクセに不貞腐れはじめた。
が、俺はいちいちそれに構わず言葉を続ける。
「そうだ。私がやっていた事は、ただの八つ当たりだ……でも……!」
「でも、俺だって、一歩間違えてたらどうなってたか分からない。中二の頃、この町最強と噂だったお前に会いに行こうとした事もあったしな」
「何だって!?ど、どうして会いに来てくれな……あっ、いや……」
智代は言いかけた言葉を濁すと、前を向いて顔を背け唇を噛む。
今更そんな事を言っても仕方無く、またその時出会っていたとしても、今の様に親しくなれたという保障は無い。
そう、それは俺も解っている。
「言ったろ?部活やってたって……丁度先輩達も引退したし、仲間に迷惑かかるかもしれない事はやれなかったんだ。でも、やってなかったら、会いに行ってたかもな……」
「……そうか……」
それでもせずにはいられない、むしろ自分への言い訳。
もっと早くコイツと出会っていたなら……。
あの時、会いに行っていたなら……。
こうして出会えた今でも、いや、“出会ってしまった”からこそ、その想いは俺の中でより強くなってきている。
「……意外だな。てっきりお前は“信念”とか答えると思っていたんだ」
再び顔を上げて遠くを見ると、智代はそんな事を言った。
なるほど。そう答えて欲しかった訳か……。
でも、
「……確かに最初に浮かんだのは、理想や信念だったな。でも、そんな物持ってたら、余計荒れるんじゃないか?結局、心が満たされないから、荒れるんだろ?」
「そうだな。その通りだ。でも、同時にそれはお前の心の支えにもなっている筈だ。それにお前には、優しいお母さんやお父さんが居る。部活の仲間も居たと言っていたな。そういった人達の支えもあるんだろう。だからお前は例え心は荒れていようと、それに負けない。自分の弱さに負けずにいられるんじゃないか?」
なるほどな。
心が荒れているかではなく、それを押さえられるかどうか。
わかってはいたが、彼女が言いたかったのはつまりそういう事なのだろう。
「別に……ただ見得張って格好つけてるだけだ……」
そう必死に自分を保とうと、俺は俺でいようと足掻いてきたに過ぎない。
確かに“支え”は沢山有った。
ああなりたいと、憧れたヒーロー達の雄姿。
そして、胸に刻んだ数々の言葉や歌。
辛い時、苦しい時、負けそうな時、それらを思い起こして自分を奮い立たせた。
あんな苦しい時もあの人は負けなかったと。
こんなピンチでも、あの人は切り抜けたと。
だからこそ、自分も負けちゃダメなんだと。
「やっぱりオーキは強いな……私がみつけた荒れない為の答えは、“家族”だ。それは別に、本当の家族でなくてもいい。友人や仲間でもいい。家族の様な存在と言う意味だ。家族の支えが有れば、人は自制して生きてゆけると思う」
そうして智代は、自分の過去を語りだした。
喧嘩もしない程夫婦仲が冷え切り、子供にも無関心だった両親。
そんな家庭で、愛情を得られず育った少女時代。
半ば自棄になり、人を遠ざけ不良狩りを始めた思春期。
二年前、ついに持ち上がった両親の離婚話。
そしてそれを止める為に、自ら車に飛び込み大怪我を負った弟。
それによって辛うじて繋ぎとめられた家族の絆。
退院した弟の車椅子を押して、家族で歩いた桜並木……。
「その時私は思ったんだ。また家族みんなで、この桜並木を歩きたいと……。でも、その時歩いた川原向こうの道の桜は、すでに伐採されてしまった。だから、せめてここの桜並木だけでも、私は守りたい」
「……まさか……その為に?」
「ああ。私はこの学校の生徒会長になって、この桜並木を守る活動をする為にこの学校に編入して来たんだ。町が変わってしまうのは仕方が無い。でも、抗えるなら抗いたい。お前の様に、桜が伐られてしまう事を悲しむ人達の為にも……」
壮烈だな……。
流石の俺も直ぐには言葉が出なかった。
いや、愛情の無い家庭に育ってグレるのはよくある話だ。
でも、捨て身でそれをどうにかした弟と。
家族との思い出にまつわる桜の為に、文字通りの必死の努力で、底辺から這い上がりこの進学校に編入し、生徒会を目指そうとしている姉。
『この町最強の伝説の少女坂上智代』らしいと言えば、これ程らしい事は無い。
猛烈に熱い物が込み上げてくるのを感じた。
『フハハハッ、やっぱ凄えなお前は!!」
思わずそう大笑いしながら、褒めてやりたくなる。
『頑張ったな』
あるいはこの愛おしさのままに、そう言って抱きしめてやりたい。
でも、
それでも……、
「無理だ」
「え……?」
「無理だから止めておけ。たかが高校の生徒会長になったところで、公共事業をどうこう出来る筈無いだろ?」」
俺は突きつける。
現実と言う名の刃を……。