4月12日:クマの巣穴
一番最初の夢は“ヒーロー”になる事だった
アニメや特撮のヒーローに憧れた
あんな風に強くて格好良い人に成りたかった
そして現実にも多くの偉人達が居て、自分もいつかそうなれるんだと思っていた
特別な力なんて何も持って無いけど
ビンボーだから、凄いメカとか武器も無いけど
背だって大きくないし、力も強くないけど
足も速くないし、運動するとすぐに喘息が出るけど
喧嘩をすれば、泣かされてばかりだけど
だから余計に成りたかったのかもしれない
誰よりも強く優しいヒーローに……
物心ついた時から、俺は一人で遊んでる事が多かった
生まれつき障害を持った姉が居て
弟も産まれて
そして、人一倍恥ずかしがりやで見栄っ張りな自分が居た
よく○○っ子と言うが、俺は“一人っ子”だった
別に独りが好きな訳じゃない
ただ、大人にベタベタされたり、優しくされるのが苦手だった
甘えたり、あやされたりする事は恥だと思っていた
それなら一人で居る方が気楽だった
親からも「お兄ちゃんなんだから」とよく言われたし
誰かに甘えているヒーローなんていないだろ?
だからよく、暇な時は一人で探検して回った
“何か”を探して
“何か”を求めて
一番最初に仲良くなった友達は、“いじめられっ子”だった
凄い甘えん坊で幼稚園に来て早々「ママー」と泣き出す様な子だった
その度にみんなから「赤ちゃん赤ちゃん」と冷やかされている様な子だった
そんな時颯爽と庇って仲良く……なんて事は無かった
むしろ一緒になってからかっていた
きっかけは、覚えていない程些細な事だったんだと思う
多分行けばゲームをやらせてもらえるとか、そんな所だ
でも、今にして思えば必然だったのだろう
俺には友達を自分の家に呼ぶと言う選択肢が無かった
俺の家には何も無かったからだ
ゲームもお菓子もお小遣いも無かった
それに他の家に行っても、肩身の狭い思いをしたり
そもそも「同じゲームを持って無いから」と門前払いも少なくなかった
そんな俺が行き着いたのが「彼の家」だった
彼の家には何でもあった
優しい彼はゲームをいくらでもやらせてくれた
おばさんも優しくて、お菓子やお小遣いをくれた事もあった
天国の様な所だった
他に友達なんていらなかった
彼だけ居てくれれば、それで事足りた
でも……そんな日々はそう長くは続かなかった
暫くして彼は、引っ越してしまったんだ
俺はまた独り暇になった……
ある日、一人で公園で遊んでいると、小学生に混じって遊んでいる大人を見た
ゲッ、渚ちゃんのおじさんじゃん!
店はどうした……!?
そんな風に思っていると、俺に気付いてじろりと睨んでくる
てか、こっちに来た!
「おい、小僧!人数合わねえからテメエも混ざれ!」
逃げ出そうか迷ってると、そんな風に呼びかけられる
どうする?年上ばかりだけど……?
まあ、暇だしいっか
そうして俺は、初めて秋生さんと遊んだ
そして暇な時は……まあ、しょっちゅうここで遊ぶ様になった
ここに来れば秋生さんは必ず仲間に入れてくれたし、暇潰しにはなった
でも正直そこは、俺にとってあまり楽しい場所じゃなかった
小学生に混じって、幼稚園生に何が出来よう?
俺は文字通りの数合わせであり、“オミソ”でしかなかった
そして、俺と同じチームには必ず秋生さんが居た
完全なセットだった
つまり、俺が足引っ張って丁度良かったのだ
むしろ、それが役目だった
悔しかった
勝っても負けても悔しかった
そんなある日、負けたチームへのバツゲームがあった
そう、あの“お姉さんのパン”だ!
「ん?一個余ったか……よし、お前に喰え!」
そして何故か勝ったのにパンを渡される
腑に落ちない物を感じた
でも、腹ペコだったし、何でもいいから食いたかったりもした
「不味ーっ!何これ!?」
「うげえ……もう食べられないよ……!」
「負けたんだから黙って食いやがれ!見ろ!オーキはちゃんと全部食ってるぞ!」
「うおっ、凄え!!」
「……」
別にこんな事で一目置かれても嬉しくなかった
でも、悪い気はしなかった
こんな事でも、ちょっとだけ優越感を味わえた
“お姉さんのパン”が何となく好きになった
4月12日(土)
日課の朝刊配りと朝のトレーニング、古川パン巡りを終えた俺は、シャワーを浴びて二階にある自室に戻るや愛しの万年床に潜り込んだ。
二度寝である。
ゆっくり寝ていられる程時間に余裕は無いが、やはり寝不足で気だるいし、運動と労働の疲れを少しでも癒したかった。
まったく……これから学校なんて行きたくねえ……!!
ちなみにウチの学校は進学校だからか、このゆとり教育のご時世に半日だが土曜でも授業がある。
つまり、休みが他の学校の半分しかない。
ありえないだろそれは……!!
入学してそれを知った時は愕然とし後悔した物だ。
本当に、こんな学校入るんじゃなかったと何度思った事か……。
でも……まあ……あいつと会えたけど……。
それを思えば、悪くはなかったと思えてくる。
それに今日の放課後はあいつの家に行く事になってるし、休む訳にもいかない。
行くんだよな……あいつの家に……。
ま、まあ、弟に会わせたいって話しだから、あいつの部屋で二人っきりなんて事にはならんだろう。
そう何度も自分に言い聞かせているが、やはり意識しないなんて不可能であり、その所為もあってあまり寝ていなかったりする。
てか、やべえ!!意識しだしたら仮眠できねえ!!
折角一汗かいていい感じだったのに……。
とりあえず、目を瞑って横になってよう。それだけでも違うはずだ。
そう思い、色々考えるのを止めたその時だった。
俺の“ダメデビルイヤー”が、何者かが階段を上ってくる音を捉える。
“ダメデビルイヤー”とは、思春期の男子なら誰もが会得するであろう能力で、自分の部屋に近付く者の音は絶対に聞き漏らすことは無いという超感覚だ。
特に俺程になると、音だけでそれが家族の誰なのか判別可能である。
だが、この時の音は家族の誰の物でもなかった。
軽快で弾む様なリズム。
て、これはまさか……!?
「オーキ、おはよう!もう朝だぞ!」
問答無用でドアが開け放たれ、今まで妄想の中にいた髪の長い少女がひょっこり顔を出す。
「なっ!何でお前がここに!?てか、何勝手に入ってきてんだ!?」
「勝手にじゃないぞ。ちゃんとお母さんに上がる許可を貰った」
「いや、だからそれは家に上がる許可で、俺の部屋に入る許可は俺がしてないだろ!?」
「いいじゃないか。私とお前の仲なんだ」
起き上がって抗議するも、智代は涼しい顔をして構わず部屋に入ってくる。
ちょ、待て!何だ!?何で智代が来てる!?寝起きドッキリか!?
部屋なんて掃除してないから、普段の散らかったままだ。
ゴミの山では無いが、そこかしこに本や雑誌が山積みになっているし、ゴミ袋とか一箇所に集めているとは言え剥き出しなので正直見栄えが悪い。
まあ、本当に見られちゃマズイ物は出てはいないが……。
『心は常に戦場に在り』思春期の男子とは、何時如何なる敵(主に母親)の襲撃にも備え万全を期している物なのだ!
とりあえずそれはいいとして、こいつをどうしてくれよう?
「……そうか……これは夢か……!」
「ん?何だ、まだ寝ぼけているのか?夢なんかじゃない。現実だ。ああ、でも、こんな可愛い子が朝早くから起こしに来てるんだ。お前にしてみれば、“夢の様な事”かもしれないな」
「やはり夢か……ん」
一計を案じた俺は、いつもの様に何故か偉そうな彼女に右手を差し出した。
「何だ?」
「ん!」
「……ああ!そうだな。まずは顔を洗って来ないとな」
再度アピールすると、勝手に察して不用意にその手を掴んでくる。
かかった!!
「うわっ!!」
彼女が引っ張り上げようとするより早く、俺は彼女を引き寄せた。
そして、そのまま巻き込みながら覆い被さる様にして布団の上に押し倒し、両手を彼女の顔を挟む様について見つめ合う。
「オ、オーキ……!」
智代は抗おうともせず、赤くなって息を飲み視線を逸らしただけだった。
その仕草に、こっちまでドキリとしてしまう。
あれ……?い、いいのか!?
もう少し抵抗しようよ……な?
「……だ、駄目だ……こんな朝からなんて……」
ややあって、ようやくやんわりと拒絶してくる。
一瞬向こうも“その気”だったらどうしようかとマジで焦った……。
「べ、別にお前とこういう事はしたくないと言ってるんじゃないんだ……ただその……いきなりは嫌だ……女の子には心の準備って物が要るんだ……は、初めてなんだし……そ、それに、まず、こういう事をする前に、はっきりとさせておくべき事があるだろ?お前の気持ちをちゃんと聞かせて欲しい……!」
……やはりヤブヘビだったーーー!!
いやいやいや、落ち着け!!
これは“夢”なんだ!!
そういう設定なんだ!!
「これは俺の夢なんだから、夢の中で何しようと勝手だろ?」
気を取り直し、芝居モードへと入り込む。
「だ、だから夢じゃないと言ってるじゃないか」
「いいや、夢だ……でなきゃ、あの智代が朝っぱらから男の部屋に来る様なはしたない真似をする訳がない」
「は、はしたないって言い方は無いだろ?折角起こしに来てやったのに……」
「十分はしたないだろ……?いいか?男にとって自分の部屋や家は縄張りだ。そこに女が自分から入るって事は、発情期だから襲ってくれと言ってる様な物だ」
「は、発情期って、そんな訳が有るか!!まったく、いつもいつも乙女に対して何て事を言うんだ……!?」
「その乙女が、勝手に男の部屋に入って来るか普通?」
「それは、お前を信用しているからじゃないか!」
「ほお、Hな俺をか?」
「お、お前はHだが、無責任な事をする奴じゃないだろ?」
「さてな……てか、どうせこれ夢だし。何しても問題無い」
「だ、だから夢じゃなくて現実だ!ほら」
そう言って智代は、俺のホッペをつまんだ。
「ひひゃい……」
「ほらな?これは現実だ……わかったらどいてくれ」
「……」
加減してくれたんだろう。然程痛くはなかったが、下手に粘ると更に強くつねられそうなので、ゆっくりと彼女の上からどいて、その場に座り込む。
「まったく……本当にオーキはHだな……お前は夢の中でいつもこんな事をしているのか?」
そして起き上がりながら智代は、またそんな際どい挑発的な質問をしてきた。
「……てか、お前は何でこんな早くにウチに来た?」
『本当に夢だったら最後までやってる!!』なんて答えられる筈も無く、こっちも当初からの疑問を訊き返す。
「それは……いつもより早起きしてお弁当を作ってたんだ。お昼に一緒に食べようと思ってな。ちゃんとお前の分も有るぞ!それで作り終わってもまだ時間に余裕が有ったから、折角だからついでにお前を起こしてやろうと思ってな。わざわざ来てやったんだ。どうだ?嬉しいだろ?」
何が折角でついでなのかよく分からないが、智代は得意気でご満悦だった。
こいつ料理出来たのかとか色々つっこみたい所はあるが、まずは個人的にここをはっきりしておきたい。
「理由は何となくわかった……で、何で勝手に人の部屋に入ってきたんだ?」
「勝手じゃないと言ってるだろ?最初にお母さんがお前を起こしに行こうとしたから、遠慮して私が起こしてきますと言ったんだ。そしたら、じゃあお願いねと頼まれた。な?お前を起こすよう頼まれたって事は、お前の部屋に入る許可を貰ったのと同じ事だろ?」
相変わらず、何故か自信満々だった。
つまり、本気でそう思ってるって事なのだろう……。
これは骨が折れそうだ。
「あのな……ウチは親だってノックして外から呼びかけるだけだぞ……余程の理由が無いと中には入れないし入っても来ない」
「そうなのか……?どうして……?」
「どうしてって……じゃあ、お前の親はお前の部屋にノックもせずにほいほい入ってくるのか?」
「それはないが……別にいいじゃないか?家族なんだから」
「着替えてたりしてもか?」
「それは……もちろん嫌に決まってるじゃないか」
「だから、そういう事だろ?中で何やってるか分からないからこそ、例え家族だろうと、まずノックするのは当然じゃないのか?まして俺とお前は一緒に住んでる訳じゃないんだし」
「……でも、お前は男じゃないか。私は女だから家族であっても着替えを見られるのは嫌だが、男のお前なら別に構わないだろ?」
「ほう……そうか……やっぱり初めからそれが狙いか」
聞き分けの無い彼女にカチンときた俺は、邪悪な笑みを浮かべ含みを込めて言ってやる。
すると、俺の態度が変わったのを察知したのか、智代も表情を険しくした。
「……何の事だ?」
「俺が恥ずかしい格好で寝てる事を期待してたんだろ?裸とか、“アレ”とか」
「何を言ってるんだ?お前と一緒にするな!大体アレって何だ?」
「わかってるクセに……まあ、そんなに見たいなら見せてやってもいいぞ?」
「だ、だから、お前と一緒にするな変態!それに私は男の裸くらい弟ので見慣れてるんだ。わざわざ見たいと思う訳が無いだろ?」
「うわ……見慣れる程弟の裸見てるのか……まさか未だに一緒に風呂入ったりしてないだろうな?」
「入る訳無いだろ!!弟は事故で不自由だったから、そのお世話をしていただけだ!!さっきから一体何なんだお前は!?」
俺の下衆の勘繰りに、ついに智代も声を荒げた。
そのまま互いにムッとしたまま睨み合う。
まあ、今のは失言だったが、俺はそんなにおかしな事を言ってるだろうか?
『親しき仲にも礼儀あり』と言っているだけなのだが……。
だがそう思っていると、突如慌しく階段を上ってくる二つの足音が聞こえてくる。
マズイ!今のコイツの大声を聞かれたか!?
「ちょっとオーキ!今の声坂上さんじゃないの!?何かあったの!?」
ドンドンと叩きながら、ドア越しにお袋の詰問の声。
やはり来たか……うぜえな……。
バツが悪そうに智代を窺うと、彼女も驚いたのだろう。ドアを見つめ目を丸くしていた。
「何でもねえよ!」
「何でもないって事ないでしょ!?ちょっと、出てきなさい!!」
仕方無い。顔を見せないと流石に踏み込まれそうだ。
ドアに向かうべく、のっそりと立ち上がる。
そこで改めて気付く。
俺ズボン穿いて無いじゃん!
このまま出たら100%誤解されるな……。
とりあえず、壁にかけてある制服のズボンをのそのそ穿き始める。
なんだか凄く情けないんだが……。
「早く出てきなさい!オーキ!」
「だから、何でも無いって……いいから戻れよ!」
「……お母さんに対して、そんな言い方はないだろ?」
何とか追い返そうとする俺の気も知らず、智代はお袋の肩を持つ。
誰の所為で来たと思ってるんだ?
てか、もうバッチリ智代にパンツ見られたな……。
まあ、トランクスだし、“おあいこ”だからもうどうでもいいか……。
「ちっ……何だよ?」
ようやくズボンを穿き終え、俺は少しだけドアを開けて親の前に顔を出す。
部屋の外には、お袋だけでなく親父までが来ていた。
「何だよじゃないでしょ!坂上さんに何かしたんじゃないの?」
「してねえよ。ただちょっと驚いてアイツが大声出しただけだって」
「驚いたって何したの!?」
「だから、してねえって……ただ、ズボン穿かずに寝てたから、それで驚いただけだよ」
「何で穿いてないの!?」
「帰ってきてシャワー浴びたんだよ!もういいだろ!?」
「坂上さん、何もされなかった?」
「あ、はい」
折角受け答えしてやったと言うのに、お袋はついに智代に直接呼びかけだした。
ヤバイ!!と内心焦る。
押し倒されたとか暴露されたら、ますますややこしい事に……!!
しかし、俺のその懸念は杞憂に終わった。
智代は俺の背後まで来ると、俺の肩を掴んで位置を入れ替わり、俺の両親の前に進み出て深々と頭を下げたのだ。
「つい大声を出してしまい、お騒がせしてすみません」
「坂上さん、何もされなかった?正直に言ってくれていいのよ?
「いえ、本当に大丈夫です。ありがとうございました。オーキは優しい奴ですから、心配しないで下さい」
「そう……それならいいけど……ウチの子が何かしたら、遠慮なく言って頂戴ね」
「はい!お母さん、お父さん、ありがとうございました!」
再び頭を下げた智代を見て、二人はようやく階段を降りていった。
それでようやく俺も一息つく。
まったく……朝っぱらから、一体何なんだ今日は……?
「良いご両親だな……」
ドアの向こうを見ながら、智代が嬉しそうにつぶやく。
「そうかぁ?」
「他人でしかない私の事を心配して、わざわざ来てくれたじゃないか……」
「別に……普通だろ……?」
「そんな事は無い。中には自分の子供ばかり贔屓する親や、自分の子供にすら興味が無い親も居るんだ……お前のご両親は、素晴らしい人達だと思う……」
そう言った智代は、しかしどこか寂しそうだった。