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4月11日:傾世教育論

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 「でも、本当にいいのか?」

 しかし智代はまだ何か不安が有るのか、表情を曇らせながら確かめる様に訊いてきた。

 「何が?」

 「お前みたいな奴は、生徒会とか嫌いなんじゃないのか?前も生徒会に対して不満を言っていたと思ったが……?」

 「“俺みたいな”って……お前、俺をなめてないか?」

 言いたい事はわかったが、不安を払拭する為にもあえてジト目を向けてやる。

 「そういうつもりで言ったんじゃない……ただ……」

 「言っておくが、小、中と、ウチらの代の生徒会長は、俺のダチだった」

 そして彼女の言葉を遮り、まずは過去の事例で安心を与えておく。

 狙い通り、少し驚きながらその表情は和らいだ。

 「そう……なのか?」

 「ああ。俺は別に生徒会や教師が嫌いって訳じゃない。ただ、自分の本分も全うしていないクセに、すまし顔で偉そうにしている連中が嫌いなだけだ」

 「……仕事をしていないって事か?」

 「いや、“一応”やってはいる……形だけはな。にもかかわらず、さも自分は立派な事をやっているって面してるから胸糞悪い」

 「よく分からないんだが……」

 「例えば今の生徒会長は、今まで大きな落ち度も無いし、教師からの受けもいい」

 「それのどこがいけないんだ?」

 「大きな失敗が無いのは、何をやるにも無難でマンネリな事しかしていないからで、教師の受けがいいのは、常に教師の顔色ばかり伺い、生徒の側に立っていないからだ」

 「……」

 「例えば購買の件にしてもそうだ。あの無法地帯はこの学校の昔からの悪しき風習で、業者の管轄を理由にずっと放置されてきたってのは話しただろ?」

 「ああ、昨日聴いたな」

 「それでな、去年の二学期だったか……この問題を報道部が記事として取り上げた事があったんだが、その時今の生徒会長は何て言ったと思う?『“購買を利用しなくてはならない”と言う規則は無い』だ、そうだ」

 「なっ!!嫌なら利用するなと言うのか!?そんなの横暴じゃないか!!」

 俺の言葉では無いのだが、眉を吊り上げズイと詰め寄ってくる。

 それに少しドキリとしながらも、いい食い付きだと微笑む。

 「ああ。でも、一理は有るし、彼らからすれば、旨みの無い余計な仕事を増やしたくは無かったんだろ」

 「生徒会がそんな事でいいのか?」

 「さあな。少なくとも俺は気に食わないが、教師達は黙認しているし、生徒達も不満を言いながらも『所詮こんなもんさ』と既に諦めてるのが“現実”だ」

 「……」 

 「おかしな話だよな?選挙では『学校を良くする』とか『生徒の為に』とか耳障りのいい言葉ばかり並べていたくせに、結局は与えられた仕事をこなすだけの『教師の犬』になりさがっている。もっとも、俺には去年の選挙の時から奴が内申目当てだって事は判っていたから、票なんて入れてないけどな」

 「……」

 智代は時折何か言いたそうにしながらも、言葉が見つからないのか、黙ったまま俯いて俺の話しを聞いていた。

 歪んだ世界の空虚な現実と、それを諦観し容認する事が正しいとされる社会。

 「まあ、実際は『与えられた仕事をこなすので精一杯』なんだろうけどな。細かい雑務やら何やらあるし、大きな行事が近くなれば何日も遅くまで残って帰れなくなる。その上で成績も落とすわけにはいかないだろうし。中学の時の生徒会長やったダチは野球部だったが、任期中はほとんど部活に出れなかったらしい」

 だからと言って、約束を反故にし、信頼を裏切っていい理由にはならない。

 あるいは、自分の至らなさを悔いるなら解る。

 それなのに、平然と“やってますよ”という顔をしていられる傲慢さには反吐が出る。

 「……そんなに大変な物なのか?」

 「ああ。遊んでいる暇なんて、とても無いだろうな。どうする?それでも『教師の犬』に成りたいのか?」

 「人が目標としている物を『教師の犬』とか言うな……もちろん生徒会長には立候補するつもりだ。例えそれがどんなに困難な道だろうと、この決意は変わらない」

 俺の『犬になりたいのか?』発言にむくれて答えた後、存在感に満ち溢れた胸に手を当て、先程と同じ揺ぎ無い瞳で言い切った。

 その眩しさに目を細める。

 本当に愛い奴だ。

 「そうか……まあ、なりたくなったら、いつでも言え。その時は俺の犬にしてやるから」

 「だから『犬』になりたいなんて思うわけないだろ!私を何だと思ってるんだ!?」

 「お手」

 再び手を差し出してやると、ムッとしたまましっかり手を置いてくる。

 そして一瞬の間を置いてからハッとなり、俺の手を握ったままブンブン振り回す。

 「うわぁ!!違う!!これはだな……そ、そうだ!!握手だ!!お前と握手したかったんだ!!」

 ムキになって無理矢理誤魔化そうとする彼女がまた可愛いくて、込み上げてくる笑いがなかなか止まらなかった。




 「まったく……笑いすぎだ!」

 腕を組み、ふくれっ面をツンとそむけながら智代がぼやく。

 「ケホッケホッ……わりい……ケホッケホッ……」

 炎症を起こしヒューヒューと音を立てる気管支を押さえ、咳き込みながら何とかそれだけ言えた。

 「……大丈夫なのか?随分と苦しそうだが……」

 次第に怒りよりも心配が上回ったか、寄り添って背中をさすってくれる。

 「ああ、大丈夫だ……悪い……すぐ治まるから……ガキの頃喘息持ちだったから……今でもたまにな……」

 と言っても、喘息が出たのも、こんなに笑ったのも何年かぶりだが。

 やっぱりコイツ面白過ぎる。

 「だから笑いすぎだ!まったく……仕方の無い奴だ」

 いつもの呆れ顔で、いつもの決め台詞。

 それでも背中に当てられた手は、優しく、温かい。

 「はあ……大丈夫。もう落ち着いた。サンキュ」

 「……そうか」

 名残惜しいが、あまり心配もかけたくない。

 智代は安心して微笑むと、俺から離れ再び隣に並んで手すりに肘を置いた。

 「そういえば、お前の悩みを聴かないといけないな……相談に乗ってやる。話してみろ」

 そして思い出した様に言って、偉そうに話を振ってくる。

 別に相談したい訳でも、そんな約束をした訳でも無いのだが、『本来禁止されている屋上に立ち入るには、相応の大義=友達の悩み相談が必要』と、言うのが智代の理屈だ。

 拒否しても意固地になるだけだろう。

 まあ……ある意味“丁度いい”か。

 普段なかなか会話になりそうにない事も、コイツとなら面白そうだ。

 「そうだな……じゃあ……」

 俺は挑む様な気持ちで智代を見つめ、口を開く。

 そう、これは挑戦だ。

 この世界への……。

 自らの運命への……。

 「世界を変えるには……どうしたらいい?」

 「えっ……?」

 「悩める事ばかりのこの世界を……変えるにはどうしたらいい?」

 「……」

 智代は大きく目を見開いて暫く俺を見つめていたが、俯いて視線をそらすと、

 「……すまない……それはむしろ、私の方が訊きたいくらいだ……」

 悔しそうにそう答えた。

 やはりコイツでも解らないか……。

 軽い失望と、それでも真剣に受け止め素直に答えてくれた喜び。

 本気にされなかったり、「何言ってんの?」って顔をされていたら、百年の恋も冷めていた所だ。

 「そっか……そうだよな……」

 「と言うより、話が抽象的過ぎて、言いたい事は何となくわかるが、何を答えていいのかが判らないんだが……」

 「いや、だから……それを話すと長くなるから、手っ取り早い方法を訊いたんだ」

 「横着するな……ちゃんと聴いてやるから、具体的に話してみろ」

 「そうだな……じゃあ、例えば、どうして“学校の勉強”はこんなにつまらないんだと思う?」

 一先ず身近そうな話題に切り替える。

 すると智代は打って変わって瞳を輝かせ、得意気に語り始めた。

 「『勉強がつまらない』か。うん。確かに私も昔はそう思っていた。こんな事にどれ程の意味があるのかと、くだらなく思えていたんだ……」

 一瞬、そらした視線と言葉に影が混じった。

 だが、すぐに気を取り直したのか、智代は元の調子で話しを続ける。

 「でもな、この学校に編入する為に勉強を始めて続けていく内に、次第に新しい知識を得ていく事や、今まで分からなかった事が分かる様になる事が楽しくなってきたんだ」

 『私は勉強が好き』

 故の自信満々。

 やはりな。

 それでこそ『坂上智代』だ。

 そうでなくては話しにならない。

 「だから思うんだが、やはり他人から押し付けられていると思うから楽しく無くなるんであって、お前は頭が良いんだ。自分からやる気になればきっと好きになれる筈だ」

 「そうだ。『あしたに道を聞かば、ゆうべに死すとも可なり』と言った孔子然り、『フィロソフィア=智を愛し求める』とまで言ったソクラテス、プラトン然り……本来知識を得ると言う事は、洋の東西を問わず至上の喜びだった」

 俺の意地の悪いカウンターに、胸に手を当て雄弁に語っていた智代はキョトンとしてそのまま固まってしまう。

 「小さな子供は、何にでも興味を持って、何でも覚えようとするだろ?本来知識欲や探究心は、人間誰しも持って産まれてくる物だ。でも、例えばこの学校の生徒で、お前みたく本当に『勉強が好きだ』と言える奴が、どれだけ居ると思う?この辺じゃ一番の進学校であるウチの生徒ですら、十分の一も居ないんじゃないか?」

 「……そういう事か……つまり、お前は勉強自体は好きだが、学校の勉強が好きになれないと言うんだな?」

 ようやくフリーズから解けた智代は、苦笑を浮かべながら納得した様に言った。

 「でも、それこそお前がやる気を出すしかないんじゃないか?」

 「だから、やる気が出ないから悩んでるんだ」

 「それもそうか……じゃあ、こうしよう。今度のテストの点数で勝負して、『負けた方は勝った方の言う事を何でもきく』っというのはどうだ?」

 どこか嬉しそうに“定番の賭け”を提案してくる。

 俺の為と言うより、当人がやりたそうだ。

 「……“何でも”か?」

 「え、Hな事は駄目だ!」

 ただ聞き返しただけなのに、即ダメ出しされた!

 これには日頃紳士な俺もカチンときて、思わずムキになってみたくなる。

 「じゃあ、やだ!」

 「どうしてお前はそんなにHなんだ!?……大体、もしお前が勝ったら一体何をするつもりだったんだ?」

 狼のおばあちゃんに色々訊いてしまう赤頭巾ちゃんの如く、智代は真っ赤になりながらも、飛んで火に入ろうとしてくる。

 ならば、俺は狼役をやるしかあるまい。

 「それはご想像にお任せする」

 「ご想像にって…………や、やっぱりダメだ!そんな事、まだ早すぎる!」

 どうやら期待通りの妄想をしてくれたらしい。

 それを見計らい、俺は智代の肩に手を置き、フッと男前な顔で決め台詞を放つ。

 「大丈夫だ。ちゃんと男として責任取ってやるから安心しろ」

 「オ、オーキ、それって…………やっぱり責任取らなきゃいけない事をするつもりなのかーーーっ!!」

 初め雰囲気に流され硬直していた智代だったが、我に返った瞬間、肩の手を振り払いつつ、真空跳び膝蹴りを放ってきた。

 「うおっ!!」

 懸命に上体を反らして首を捻った所を、必殺の膝がかすめていく。

 そして、

 「!!」

 思わずそのまま抱きかかえる様にして、智代の身体を受け止めてしまった。

 「う、うわぁわあ!!」

 「くっ!!」

 予想外の事に驚きバランスを崩した智代が、頭にしがみついてくる。

 それによって元々不安定だった俺のバランスまで崩れ、後方に倒れそうになったのを、何とか手すりを掴み柵に寄りかかる様にして防いだ。

 「ふう……大丈夫か?」

 「うわあああああああああああああああ!!いいから、すぐに離せ!!どこに顔をうずめてるんだ!!変な所を触るなーーーっ!!」

 体勢が安定したと思ったら、今度は智代が暴れだし、頭にぽかぽかパンチをしてくる。

 気持ちは解る。

 彼女の片膝は俺の肩の上にあり、俺の顔は自然とその……白い物の目と鼻の先にあった。

 しかも彼女の体重を支える片手は、ガッチリと柔らかい太もも……のかなり上部に食い込み、更にさっきまでは頭の上に柔らかく立派な物が押し当てられ、今も彼女の振り下ろす手に合わせて一緒にぺしぺしと頭を叩いてくる。

 ああっ……例えこのまま死んでも……本望だ……。




 「って、痛えよ!!離してやるから暴れるな!!」

 「H!!スケベ!!変態!!痴漢!!変質者!!」

 頭をぽかぽかと何度も叩かれ、マジで意識が遠のきかけた。

 いかんな。自己満足で智代を殺人鬼にさせる訳にはいかない。

 頭に『女子高生T、男子高校生を撲殺』というタイトルと、目に黒い棒線が引かれた髪の長いカチューシャの少女の写真が浮かんで吹き出しそうになったが、何とか堪え彼女をゆっくりと降ろす。

 「……お前は女の子に何て事をするんだ……!?」

 「お前から跳びかかってきたんだろ?不可抗力だ」

 「だからって……あんな事を……お嫁に行けなくなったらどう責任を取るんだ!?って、うわあ、ちゃんと取るって言っていたんだった!!」

 あまりの出来事に智代は錯乱し、両手で顔を覆ってその場にしゃがみこんだ。

 まあ、俺の方もコイツが傍で取り乱してくれているから平静を装っていられるが、内心バクバクだし、ちょっと一部まだ納まりがついていなかったりするから丁度いい。

 何気なくポケットに手をつっこんだ前傾姿勢のまま、遠くの町並みを観て気を紛らわせつつ智代の復活を待つ。

 てか、話が脱線して、そのまま宇宙に飛んで行きそうだったな……。

 とりあえず今したいのは、エロイ話でもエロイ事でもなく、マジな話だ。

 もう十分堪能したし……。

 「……と、とにかく……これでも乙女なんだ……女の子に取って大切な物を、そんなバツゲームみたいな形でなんて……私は嫌だぞ……」

 「いや、だから賭けなんてしないって。てかな。俺一人がやる気になっても意味がないんだ。俺が本当に悩んでいるのは、この国の教育制度その物についてなんだ」

 「……この国の教育制度その物……?」

 話の修正により、ようやく智代の顔が上がる。 

 こっからはちゃんとした真面目な話だ。

 「お前もさっき言ってただろ?昔は学校の勉強に価値を見出せなかったって」

 「う、うん……」

 「『何故やる気がでないのか?』『何故つまらないのか?』そして『何故価値が見出せないのか』……答えは簡単だ。今学校で習っている事は、『テストの為の知識』つまり“人を選別する為の物”であって、“本当に人を教育する為の物”では無いからだ」

 「教育する物の為じゃない……?それは……」

 反芻して反論を試みるも、言葉に詰まっていた。

 彼女も思い当たる節があるのだろう。

 「……テストの為の知識だから、テストを真面目に受ける気の無い人間や、進学する気の無い人間は、勉強へのやる気を失うと言いたいんだな?」

 「ああ。でもそれは……お前バイクの免許とか持ってるか?」

 「いや、持ってはいないが……それがどうかしたのか?」

 「持って無くてもどういう物かぐらい判るだろ?何度も講習を受けて、実技と筆記の試験をパスして初めて取れる物だ」

 「うん。それぐらいは知っている。……そうか、今の教育制度では、むしろ落ちこぼれた人間から社会に出て行く。免許とは逆だと言いたいんだな?」

 智代は俺の言いたい事を理解して、得意気に微笑む。

 やはり頭の巡りが良い奴との会話は楽でいい。

 「……でも、やはり免許と学校を一緒にするのは無理があるんじゃないか?試験をパスしないと卒業出来ないとなると、それはそれで問題がある気がする」

 「確かに中退者は増えるかもな。でも、遊んでるだけで卒業出来る方がおかしいだろ?実際、海外ではそういう制度の所も多かった筈だ」

 「ああ、そういえば私も聞いた事がある気がするな……アレはアメリカの学校だったか?」

 智代は暫く空を向いてあやふやな記憶を辿り、次いで腕を組んでう〜んと唸る。

 それを観ているだけでも微笑ましい。

 「例えばお前に子供が二人居たとして……」

 「こ、子供なんて居る筈ないだろ!!私は乙女だ!!」

 「いや、例えだって……じゃあ、“将来”二人子供が居たとして……」

 「二人か……そうだな。一人っ子じゃ寂しいだろうし……でも、もっと多くてもいいな……」

 「なら、もっと頑張るか?」

 「うん。頑張る!……て、乙女に何を言わせるんだ!!」

 やばい……天然ボケにつっこんだら負けだと知りつつも、つっこまずにはいられない……。

 「とにかく居たとして、片方は優等生で、片方がドロップアウトしたら、優等生ばかりチヤホヤして、落ちこぼれは見捨てるか?」

 「そ、そんな事をする訳ないだろ!!どちらも大切な私の子供なんだ!!」

 智代は例え話にに本気で怒り、再び掴みかからん勢いで詰め寄ってきた。

 予想以上の食いつきに、さすがに面食らって仰け反る。

 「ああ、だから、誰かを見捨てる教育なんて、そんなの本当の教育じゃないだろって言いたいんだ」

 「ああ、そうか……うん、その通りだ……」

 ようやく納得して、落ち着きを取り戻す。

 今の過剰な反応といい、今まで時折見せた反応といい、彼女の抱えている物がおぼろげながら見えてきた気がした。

 「確かにお前の言う事はもっともだ……でも、“学校で習う事が教育の為では無い”訳では無いんじゃないか?どんな事でも知識を得る事は有意義だと私は思う」

 「俺だってまったく無駄だとは思ってない。でも、それよりもまず社会人として知っておくべき事、そして人として知らなきゃいけない大切な事があるだろうと言ってるんだ」

 「知っておくべき事や、知らないといけない大切な事?」

 「例えば冠婚葬祭の諸々のマナーとか、敬語や電話の取り方とかな……社会に出たら必要だろ?」

 「ああ、なるほど。それは確かに知っておいた方がいいな……でも、それは“知っておくべき事”なのだろ?お前の言う“知らないといけない事”とはなんだ?」

 どうやら俺の論法が解ってきたらしく、先回りする様に訊いてきた。

 それを嬉しく思いながら、俺はこの話の核心に触れる。

 「なあ、智代、そもそも“教育”とは何だと思う?」

 「“教育”か……文字通り“教え育てる事”でいいんじゃないか?」

 「そうだな。じゃあ、人が育つとは、成長するって事はどういう事だ?」

 「“育つ事”“成長する事か”……難しいな。知識を得る事も、身体が大きくなってゆく事も、ある意味成長だが……それはお前の望む答えじゃないのだろ?」

 「もちろん……さっき孔子やプラトンの名前出したろ?教育者の祖とも言える二人は、弟子達に何を教えていた?」

 「孔子やプラトンか……名前を聞いた事は有るが、それ程詳しくはないんだ……確か二人とも哲学者だったな……?」

 「そうだ。二人が教育した物とは『哲学』つまり“精神”であり“心”だ」

 俺の言葉に衝撃を受け、智代はまるで子供の様にあどけない表情で目を見開いた。

 その顔に予感は確信へと変わり、心の中で『ようこそ』と言って微笑む。

 この子は“智”においても、まだまだ“まっさら”なのだ。

 この先、まるで乾いた砂が水を吸収する様に、あらゆる物を吸い込んで、どんどん成長してゆく事だろう。

 やっぱり『坂上智代』は凄いな。

 本当に底知れない。

 「そうか。人の成長とは、“心”が成長する事であり、それがお前の言う“人として知らなければならない事”なんだな?」

 晴れやかに智代は俺の望んだ答えを導きだした。

 まあ、いささかヒントをあげ過ぎた感は有るが、それは問題では無い。

 「ああ。本来教育とは“心を育てる事““精神の修養”の為にあり、だからこそ個人にとっても、そして社会に全体にとっても有意義な物になる筈なんだ。そして知識とは、元来それを助ける為の物でしか無かった。でもこの国は、知識を詰め込む事に躍起になって、心を育てる事を忘れている。『本末転倒』だろ?俺はそれこそがこの国の教育システムの最大の欠陥であり、現在この国が抱える様々な問題の大きな要因だと思っている」

 「知識ばかりあっても、心の育っていない頭デッカチな人間を国が作っていると言う事だな……でも、どうしてそんな事になってしまったんだ?確かにお前に指摘されるまで不満は感じても、疑問は抱かなかった。しかし、言われてみれば欠陥は明らかな様に思える」

 うん、いい所に気付いた。

 やはり、コイツはセンスがいい。

 「善い質問だ。一つはいたずらに欧米式の真似をして、生活の基盤が違う事を考慮していなかった事にある」

 「欧米との違い?」

 「“宗教”だ」

 「ああ、“キリスト教”と“仏教”の違いと言う事か?」

 「残念ながら違う。“宗教が生活レベルに浸透している国”と、“無信教国家”の違いだ」

 「ああ、なるほど……確かに今の日本人は、大半が無信教だな。でも、それがそんなに重要なのだろうか?よく治安とかは欧米に比べて日本の方がいいと言うじゃないか」

 「日本の治安の良さは、むしろ『銃社会』では無い事が最大の要因じゃないか?もしこの国で欧米並に銃が普及したら、欧米より悪くなる可能性は高いと思う」

 「なるほど……確かに私やお前でも、さすがに銃には勝てないだろうからな……」

 てか、普通は刀にだって勝てないけどな。

 「別に欧米だけでなく、宗教が半ば国教化している国は多いし、世界の大半の人間は何かしらの宗教を信じている。日本人だけだ。“宗教”と聞くとすぐオカルト教団を思い出しアレルギー反応を示すのは。そして宗教に子供の内から触れて育った子は、自然とその経典や先人達から教義や道徳を学んで育つ」

 「そうか……でも無信教の日本の子達は、その機会がなかなか無い」

 「ああ。それにこれは、最近子を叱れない親が増えている要因でもあると俺は思う」

 「それはどういう事何だ?」

 「昨日のお前と一緒だよ」

 「それはどういう事何だ?」

 皮肉交じりの言葉に、智代はまったく同じ台詞をムッとして繰り返した。

 「子供が悪い事をしても、それが何故悪いのか親もよく解ってないし、だから説明も出来ない。それでただ『とにかく悪いんだ』と言って感情的に怒っても、子供は怯えるか反発するだけだ。でも、宗教には神とか仏と言った人間より偉い存在が居て、悪い事をすると罰が与えられる」

 「そんなの、ただの方便じゃないか」

 「そう、とりあえずはそれでいいんだ。神様でなくてもいい。『自分の嫌な事は人にもしてはいけない』とかな。要は子供がその時納得出来る理由を与えてやる事が大切なんだ。本当にそれが正しいのかどうかは、大人になってから考えさせればいい」

 「……」

 智代は、無言で俺を凝視していた。

 先程のあどけない少女の顔で。

 くすぐったくなって、あさってを見ながら俺の方から話を進める。

 「そして、この国が心を忘れたもう一つの理由。それは時代が変わり、共働きや片親が増え、少子化や核家族化が進み、“子供を育てられる人間が、身近に居なくなった事”だ」

 「!!」

 再び智代が驚愕し息を呑む。

 ただそれは先程の物とは違う、どこか哀し気で、怯えている様にも見えた。

 一瞬、続けるか躊躇う。

 しかし、彼女の事をより深く知る為に、あえて切り込む事を決断する。

 これまでに築けた絆を信じて……。

 「本来、子供の一番の教育者は親の筈だろ?そして昔はおじいちゃんやおばあちゃん、年の離れた兄弟なんかも居て家族が多かったから誰かが面倒を見られた。隣人同士の結びつきも強く、子供は地域全体で育てていた様な物だった。だから、学校でわざわざ道徳に時間をさく必要性が薄かったんだろう。でも、今の子は下手すると本当に独りぼっちだ。親にも、地域にも、学校にも育てられず、心を知らずに大人になった子は一体どうなる?」

 「……」

 智代は俯いて表情を隠したまま、俺の問いに答えようとはしなかった。

 ただ、ややあってから顔を上げ、心底感心した様に言った。

 「やっぱり、オーキは凄いな……そんな事まで考えているとは、正直思わなかった」

 精一杯の、哀しい笑顔で…………。

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