4月11日:認証(みとめたあかし)
「痛っ……」
腫れ上がった頬を擦りながら恨めしそうに目で訴えてやる。
坂上は屍となった俺の胸倉を掴み何度もガクンガクンと揺すった挙句、息を吹き返すまで高速往復びんたを食らわしてくれたのだ。
まさに死者に鞭打つ所業、本当に死んだじーちゃんが見えそうだったので堪らず蘇生したが、おかげで首の方もムチ打ち気味である。
「お前が死んだフリなんてするからじゃないか!そもそも、入れてもいない睡眠薬で、どうして死んだりするんだ!?」
「いや、それはこっちの台詞だって……」
向かい合うようにして座ったままツンとそっぽを向く坂上は、先程の俺の芝居に本気で取り乱していた。
それこそ、自分から振ってきた冗談だという事すらトンでしまう程に。
感情が昂ぶると我を忘れる所があるようだが、それにしたって少し不自然な気がした。
そんなに俺の秋生さん譲りの演技が凄かったのだろうか?
「お前が突然、遺言みたいな事を言い出すからだろ……本当に何か悪い物でも入っていたのかと思ったじゃないか……」
「そりゃあだって、万一って事も有るだろ?」
「私が本当に薬を入れたりする様な人間だと思っているのか?」
「いや、だから万が一だって。実際、まったく疑ってなかったから飲んだ訳だし……」
「とにかく、私の前で死んだフリなんて性質の悪い冗談はもうやらないでくれ!私がどんな思いをしたと思ってるんだ……?」
「……ごめん……悪ノリが過ぎた」
怒っていると言うより懇願に近かいそれに、俺は素直に謝罪した。
一之瀬さんの時の様に、何が相手を傷つけてしまうか判らない。
その何かに触れてしまった時は、誠意をもって対するべきだろう。
「でも、まったく信じなきゃ信じないで面白く無さそうだったじゃんか。どういうリアクションを期待してたんだ?」
場の空気を変えるべく、少しアホな展開を期待して話しを振る。
「どうって……」
「ああ、なるほど。そういう事か……」
大方、単にやられた事をやり返してみたかっただけなのだろう。
返答に窮した坂上より早く、勝手に納得した様に頷いて邪悪な視線を向ける。
「……スケベ!お前と一緒にするな!」
すると彼女は何故か一瞬嬉しそうな顔をして、しかしすぐに白眼のカウンターを浴びせてきた。
おっ、ひょっとしてビンゴだったのか?
「まだ何も言ってないだろ?」
「お前の考えている事なんて、お見通しだ!どうせ、『お前が寝ている間に私がHな事をしようとした』とでも言うつもりだったんだろ?」
あからさまな俺の視線の意味を看破し、ちょっと得意気だった。
それぐらいは言われると予想していたのか、そして、それを言ってみたかったのか。
面白そうなので続けてみる。
「そんな事を考えてたのか……意外と大胆だな」
「違う!!お前がだ!!」
「いや、俺はやっぱり俺を狩りに来たのかと思っただけだが」
「見え透いた嘘を言うな!それにそんな事の為に、私はこの学校に来た訳では無いと何度も言ってるだろ?」
「じゃあ、昨日パンツ見られた仕返しに、俺のパンツが見たいとか?」
「そんな訳あるかーーーーーーっ!!」
「うおっ!!」
立ち上がると同時に蹴りが飛んでくる。
何とかブロックするも座ったままの体勢では堪えきれず、すぐ後の柵に激突し、そのままずるりと崩れ落ちた。
「……っ、なるほど。結局俺を蹴りたかったのか……」
柵を枕にしたまま、仁王立ちの彼女を仰ぎ見る。
ああっ、今日も本当に眩しい限りだ……。
「お前があんまりにもアホ事を言うから、思わず蹴ってしまっ……うわあっ!!」
慌ててスカートを押さえながら坂上は後ずさった。
ちっ……俺の視線の先に気付いたか。
「どさくさに紛れてどこを見ているんだ変態!!」
「そんな短いスカートで、寝ている足元に立ってるからだろ?そもそも、お前が蹴るからだ」
「……確か、頭に強い衝撃を与えると、記憶を消す事が出来るんだったな……!?」
ゴゴゴゴと春晴れの空に暗雲が起ちこめる。
坂上の雰囲気が変わり、静かに、だが脅迫めいた物騒な事を口にしだした。
やべえ……マジで怒らせた?
だが、今更後には引けない。
コイツにちゃんと“人を蹴るリスク”を認識させる為にもだ。
「フッ……試してみるか?だがな……」
こちらも柵に捕まりながらゆっくりと立ち上がり、凍りつくように冷たい視線を真っ直ぐに見据え、気迫と信念を込めて言い放つ!
「例え他の全ての記憶を失おうとも……俺はお前のパンツだけは死んでも忘れない!!」
「……変態だ……本物の変態がいる……!!」
おもいっきり引かれた!
それまでの張り詰めた空気は霧散し、坂上は信じられない物を見たと言う様な表情で俯き、俺と対峙してしまった事を悔いている様ですらあった。
さすがは俺である。
あの『坂上智代』を、たった一言で制してしまったのだ。
代わりに何か大事な物を失ったかもしれないが……。
「……お前は、そんなにパンツが好きなのか?」
そして坂上は困った顔で困った質問をしてきた。
さすがにそう面と向かってそんな事を訊かれると、俺の方も困ってしまう。
「いや、まあ……男なら皆好きだろ……」
「……本当に見えてるのか?」
「まあ……さすがに寝ている傍に立たれればチラリと……」
「ううっ……!!いや、そうじゃない……蹴った時にだ。蹴った時に本当に見えてしまっているのかと訊いてるんだ」
「まあ……ハイキックとかの時たまにな」
ズーーーーーーン!!
坂上はその場に崩れ落ち、コンクリートの地面に両手両膝をついた。
どうやら彼女は酷く落ち込むと、この四つん這いのポーズになるらしい。
「それじゃあ……私は今まで不特定多数の男達に、ずっとパンツを見られてたって事じゃないか!!」
長い髪で隠れ表情はわからないが、血を吐く様な悲痛な叫びは若干鼻声になっていた。
「いや、それぐらい気付こうよ……」
「仕方ないだろ!そんな事を気にしていたら、戦ってなんていられるか!」
まあ、それもそうか……気にしてたら、何かしら対策は講じてるわな……。
「……私は……もうキレイな身体じゃないんだな……自分でも気付かぬ内に……何人もの男達に穢されてしまっていたんだ……」
いや、大げさな……。
しかしここまで派手に落ち込まれると、さすがに心苦しい。
恐らく、俺が一番穢しているだろうし……。
「まあ、何だ……良かったじゃないか?俺と戦ったおかげで気付けた訳だし」
「良い訳あるか!!こんな事、出来れば一生知りたくは無かった!!」
「でも、知らずにずっと見せ続けるよりいいだろ?」
「それは……うわあああ、見るなああああああ!!」
“見られ続ける日々”を想像したのか、さらに坂上は錯乱していた。
いかんな……辛い現実を前向きに受け入れさせる方向では難しい様だ。
仕方ない。今更だが、誤魔化してみるか……。
「そうだ。昔のお前は大体夜に戦ってたんだろ?なら、スカートの中なんて、暗くてよく見えないと思うぞ」
「……でも、昼間にも結構戦ってしまっているんだ……」
「いや、そもそもお前の動きは早いから、並みの奴じゃ見える前にやられてるし、見えても一瞬だろ?お前と戦うとパンツが見られるなんて噂、聞いた事無いしな」
「当たり前だ!!そんな噂立てられたら、もうお嫁に行けないじゃないか!!」
「だから、大丈夫だって。お前は穢れてなんていないから……今までお前の前にずっと立って居られた男は、俺以外居ないだろ?」
「……うん……」
「俺は目がいいし、相手の目や正中線、特に重心や腰の動きなんかで相手の動きを“読む”タイプだから、特別人より見えるんだと思う。その俺でもチラリとしか見えていないんだ。他の奴らに見える筈が無いから安心しろ」
「……つまり、お前がもの凄いHで、常にパンツばかり見ようとしているからこそ、見えたと言う事か?」
「いや、あのな……」
やっと首だけ上げたかと思うと、どこをどう聞いたらそんな個人の尊厳を著しく傷つける結論に達したのか理解出来ない事を述べてくる。
つまり、全て俺の助平パワーによる物という事にしたい訳ですか……。
おかしい……どうしてこんな事に?
秋生さんや友達から“ムッツリ”だと言われた事はあったが、本来俺は紳士で硬派なイメージで売っていた筈なのに……。
こんなに助平だの変態だのと女子に連呼されたのは、幼稚園以来だ。
まあいい。
コイツがそう望むのなら、甘んじて受け入れてやろう。
あの『坂上智代』を、唯一人穢した男として……。
「もうそれでいいから……今後は俺以外の奴をなるべく蹴らない様にしとけ。な?」
苦笑しながら、我侭なお姫さまに手を差し伸べる。
すると彼女もまた、俺の顔を上目づかいで窺いながら呆れた様に笑ってその手を掴んだ。
「……“お前以外の奴を”……か……まったく、お前は本当に仕方の無い奴だな。いや、仕方の無いスケベだ」
「……」
わざわざ言い直すな……!
つっこみたかったが、機嫌が直ったようなので黙って彼女の手を引いた。
「……お前は思い違いをしているようだから、ちゃんと話しておこうと思う」
立ち上がるなり、彼女は落ち着いた様子でそう口にした。
「何が?」
「私がこの学校に編入してきた理由だ。話してはいなかっただろ?」
「ああ、そうだったな」
「お前も知っての通り、昔の私は荒れていた……心の支えとなる物が無くて、凄く不安定だったんだ。自分でも自分が分からなくて、ただ苛立ちばかりが募って……その苛立ちのはけ口を求める様に夜の街を彷徨い、不良達を狩って回った事もまた事実だ……」
俺の手から離れた坂上は、すぐ脇の柵に寄って遠くの空を見つめながら語り始める。
ああっ、やはりな……。
彼女が荒れていた理由までは知らないが、その行為がただの“八つ当たり”でしかない事は噂から推測出来ていたし、実際に対峙してそれがよく解った。
不良狩りと言われ、学校一つ廃校にしたなんて噂まで有りながら、彼女と戦って誰かが再起不能に陥るような怪我を負ったという噂もまた聞く事は無かったのだ。
何かを奪うでも無く、名声を欲するでも無く、相手を必要以上に痛めつけるでも無く。
ただ一頻り暴れて去って行く、台風の様な存在。
ストレス発散の為の八つ当たり以外の何物でも無いだろう。
不良を狙ったのは、たんに社会に迷惑をかけている連中なら気兼ねせずブチのめせたというだけ。
いや、あるいは…………。
「でも、色々あって、これでも大分落ち着いたんだ。だからもう、誰彼構わず喧嘩を売る事も、まして誰かを狩りたいなんて思う事もない」
「そっか……まあ、そうだろうとは思ってたけどな。一匹狼の割りに、お前拍子抜けするぐらい人懐っこかったし」
「人を犬みたいに言うな……」
「お手」
試しにそう言いながら手を出してみる。
「……」
その手に真顔の彼女の手がポンと置かれた。
「て、何をやらせるんだ!?思わず置いてしまっただろ!!」
「プックククッ……おかわり」
真っ赤になって怒り出す坂上に吹き出しそうになりながら、今度は反対の手を差し出してみる。
「……うわっ!だから……私で遊ぶなーーーっ!!」
しっかりと一度手を置いてから、ついに彼女は両の拳を握り締め、立ち上がったクマの様に襲い掛かってきた!
振り上げられた彼女のクマの掌の如き拳が、交互にテンポよく振り下ろされる。
うおっ!!
俺も咄嗟に上げた両手の平で、それを何とか受け止めガードしてゆく!
ぽかぽかぽかぽか!
それは、実に女の子らしい『ぽかぽかぱんち』であった。
ただし、威力は女らしいどころの騒ぎではないが……。
それでも、俺なら十分耐えられるし、何と言うか……十二分に可愛らしい。
「分かった分かった。で、お前がウチに来た理由って、何なんだ?」
だからと言ってずっと叩かれてる訳にもいかないので、とりあえず本題に入る様促す。
「ああ、うん……」
ようやくパンチを止めた坂上は、一度バツが悪そうに唇を噛んでから、気を取り直して居住まいを正してから口を開く。
「よくぞ訊いてくれた。最終的な目的はまだ話せないが、当面の目標は言える。『この学校の生徒会に入る事だ』」
予想外の理由に、少々面食らう。
しかし彼女の目は、真っ直ぐで挑む様ないつもの『坂上智代』の瞳だった。
だから俺も、素直に感想を述べてやる。
「いいんじゃないか?案外、お前に似合ってるかもしれないな」
「……本気で言ってくれてるのか?私は冗談で言っている訳ではないんだ」
「解ってる。お前、結構根は生真面目そうだしな」
“鉄血風紀委員長”なんてハマリそうだ。
アレッ?風紀委員は委員会か?
う〜ん、なら、どうせならやっぱり……。
「でも、どうせやるなら、『生徒会長』を目指したらどうだ?」
「うん。実はそのつもりだ」
「!!」
即答だった。
あまりの淀みの無さに、逆に俺の方が衝撃を受けてしまう程に。
そして次の瞬間、
「プッ!クックックッ……ハッハッハッ……ハーーーハッハッハッ!!」
込み上げてくる“笑い”を押さえきる事が出来なっかった。
やべえ……でも、堪えられん……!
「なっ……!!……やっぱり馬鹿にしていたのか……!?」
案の定それに誤解したのだろう。坂上はショックを受けて俯いてしまう。
「いや、すまん……そうじゃないんだ……」
「私だって、今まで自分がしてきた事を思えば、似合わない事を言っているって事ぐらいわかっている。だからって……酷いじゃないか……!」
「だから違うって!!」
不貞腐れ始めた彼女に、必死に笑いを堪えながらの精一杯の一喝。
そしてビクンと上がった顔に、一息ついてから微笑んで諭す様に弁明する。
「こいつはな……『男が男を認めた時の笑い』だ」
「……男が男を認めた時の……って、私は女だ!!」
惚けた様に反芻してから、やはりワンテンポ遅れていつものつっこみ。
よしよし、狙い通り。
「ああ、お前が男なら、“生涯の友”になれたかもな」
「……女とは友達にはなれないと言いたいのか?」
「なれなくは無いが色々出来ないだろ?裸の付き合いとか、夜通し語り明かしたりとか、拳で語りあったりとか……」
「あ、当たり前だ!!いきなり、は、裸で夜通し語り明かすなんて、出来る訳ないだろ!?……それなら、その……物には順序て物があるんだ!」
いや、男同士でそれは嫌すぎるから!!
酷く動揺しながら頬を紅潮させて俯き、最後はムキになった様に怒っていた。
「あっ!ああ、でも、お前を拳で殴る事はできるな!」
そしてそれを誤魔化す様に、うわずった声で物騒な事を言い出す。
「いや、別に殴られたい訳じゃないからな……」
「でも、お前は女の子は殴れないんだろ?なら、私が叩くしかないじゃないか」
「だから、拳で語り合うってのはな……」
「冗談だ。あまり理解は出来ないが、意味は何となく分かっている」
ボケだったのか……。
よく俺も「どこまで本気なのか判らない」と言われるが、コイツのは天然なのか、ボケなのか、天然をボケという事にして誤魔化しているのか、イマイチ判別不能である。
「とにかく、お前が本気で生徒会長目指すってんなら、応援してやるよ……“智代”」
敬意と誠意の念を込めて、初めて本当に彼女の名を呼ぶ。
「うん……ありがとうオーキ」
すると智代はお返しに、極上の笑顔で俺の名を呼んでくれた。