第二章 5月10日 原典回帰
「あんたとは一度やりあってみたかったんだがな」
挑発的な台詞とともに、鈴城は肩越しにニヤリと笑う。
おかしな話に乗ったのはそういう事か……。
苦笑でもってそれに答えると、鈴城はスロットルを噴かし爆音と共に夜の闇に消えていった。
その光景が、ふと小学生の頃に読んだ漫画の一場面と重なり、妙な懐かしさを覚える。
友達の家に偶々有った、親父だか兄貴だかの古い暴走族漫画。
陽気な仲間と、バイクと、ロックンロール。
最近のヤンキー漫画とは毛色が違う、爽快で痛快なストーリー。
“不良”と言うものに憧れ始めていた俺達の内輪で、それはちょっとしたブームとなり、俺の中でバイブルとなった。
憧れた主人公は、豪放磊落で、お茶目で、侠気があって、ただただカッコよくて。
単車に跨り疾走する姿は、自由な風その物だった。
学校の窮屈さにうんざりしていた俺にとって、彼はとても眩しく見えた。
そういえば……もう同い年か……。
開いた右手に目を落とし問う。
今の俺は、あの男の様に成れているだろうか?
…………ふっ。
苦笑するしかない。
毎日大勢でつるんで、騒いで馬鹿やって、時にはパーティやったり、女子と遊んだり。
今にして思えば、あの頃の俺達は“リア充”で“パリピ”と言うヤツだったのかもしれない。
それはそれで楽しかったけれど、同時に皆から一歩引いてる自分が居るのを感じていた。
まあ、性に合わなかったんだろうな。
中学に上がってからそう言う世界と距離を取ったのは、部活漬けになった事もあるが、自然な流れだったのかもしれない。
本当に成りたかったのは、不良でもパリピでも無いって事に気付いたってのも有るが……。
俺は俺であり、俺らしく有り続けられればそれでいい。
憧れたのは、その“生き様”。
求めていたのは、“自由”と、それを可能にする“強さ”だった。
強くなれれば、もっと“自由”になれると思っていた。
でも現実は、そう生き様とすればする程、風当りばかり強くなりやがる。
何にも縛られたくないと思えば思うほど、色んな物に雁字搦めにされて、不自由極まりない。
思うがままに生きられる事こそが“強さ”なら、俺は悲しい程弱いままだ。
(芹沢……お前はどうだ?)
久しぶりに再会した友の顔が浮かび、見上げた宙に問う。
あいつもあの場に居て、同じ漫画にハマった一人だ。
俺と違い、お祭り騒ぎが大好きで、社交性や体格にも恵まれていて。
今もきっと、あの漫画のチームや、宮沢グループみたいな大勢の友人が居て、気ままに楽しくやってるんじゃなかろうか。
同じ物に憧れて、同じ様にバカやって、同じフィールドで戦って……。
そして今、別々の道に進んで……まだたった一年とちょっとのはずだが、随分と遠くに感じる。
まあ、ただの憶測と、そうあって欲しいという願望でしかないが……。
自由に生きている様に見えても、当人達は案外多くの物に縛られていたりする物だしな。
それは、宮沢グループや他の不良と呼ばれている連中と接した事で、改めて知った事でもある。
自由人なんて言われていた宮沢和人も、何だかんだ人知れず苦労はしてたんじゃなかろうか?
……そうか……。
ある事に改めて気付く。
俺は知らぬ間に、宮沢グループとあの漫画のチームを、そして宮沢和人に主人公を重ねているのだろう。
会った事もない宮沢和人には一目置いていたし、グループの連中が宮沢有紀寧に会いに校内に潜入してくるのを容認したのも、どこかで混同から来る好意や信頼が有ったからかもしれない。
…………。
少し肩入れし過ぎてるか……?
その自問に至り、急速に醒めて冴えていくのを感じた。
慌ててここまで来てしまったが、俺は一体何がしたい?
二つのグループの衝突を避けたい?
宮沢グループを守りたい?
それは果たして、俺がすべき事なのか?
そして……敵は俺が一体“何をする事”を一番恐れている……?
わざわざ部外者をけしかける様な真似までして……。
…………。
鈴城は、『御形』という男が今回の件に深く関わっていると言っていた。
箱部の舎弟で、佐々木グループに属しているらしいが……聞き覚えの無い名だ。
鈴城はそいつに俺の足止め話を持ち掛けられた様で、最近態度がデカくなった事もあり今回の首謀者に違いないと考えたらしい。
無名である事と実力は関係無い。
“爪を隠し研いできた鷹”なのかもしれないし、例え腕力は無かったとしても狡知に長けた“虎の威を得た狐”ならそれも厄介だろう。
だが……だとしても、そんな奴がポッと出の俺をそこまで警戒する物だろうか?
“伝説の坂上智代”を倒した男だとしてもだ。
わざわざ行動を見張り、刺客を差し向けるというのは、いくら何でも手が込み過ぎてる気がする。
直接会っていて、実力を肌で感じたとかならまだ解るが……。
……会った事……無い……よな?
御形なんてヤツは、今までのクラスメイトにも居なかった……はず。
今のクラスメイトの名前すら半分くらいあやしいが……。
いや、比較的珍しい苗字だから、居たらきっと覚えている……と思う。
苗字が変わってでもいなければ、忘れる事は……。
苗字が変わっている……!?
唐突に浮かんだのは、まったく別の人間についての事だった。
昼間に聞いた話に名前が出てきた事から、頭の片隅で気にはなっていたが……。
まさかな……。
携帯を取り出し、念の為そいつにかけてみる。
が、電源が切られていると、お決まりの音声が伝えるだけだった。
悪い想像が脳裏を過る。
確証は何一つ無い。
だが、今まで腑に落ちなかった諸々が、一気にストンと落ちた気がした。
色々と想定はしていたが、中でも最悪の部類。
落ち着け!
今直ぐにでも走り出したい気持ちを抑え、更に思考を巡らす。
敵のやり口からして、鈴城とは別に今も見張りが付いていると思った方が良い。
だとすると、鈴城の失敗やその後の動きも、敵の首謀者に伝わっているだろう。
下手に動けば、俺が気付いた事も感ずかれる恐れがある。
とにかく、まずは宮沢達と一度合流すべきだろう。
“あの人”なら、何か知っているかもしれないし……。
懸念を一応鈴城にメールで送り、宮沢達が来るのを待った。
程無くして、いかにもなV字のアップハンドルのバイクに乗った白い特攻服にノーヘルの後藤田さんが、その背もたれ付きの後部座席に宮沢を連れてやってきた。
俺を視認して止まるやいなや、ヘルメットを取りながら座席から飛び降りた宮沢が謝罪を口にする。
「ごめんなさい川上くん。わたし達の問題に巻き込んでしまって……」
「いや、それはいい。それよりも後藤田さん」
それをあえて淡白な応対で遮ると、俺は首を伸ばしながらその後ろの後藤田さんを呼んだ。
「何だい?」
「一つ確認したい事が有るんですが……」
そこまで言いかけた所で、複数のモーター音が近づいて来た事に気付いて視線を向けると、三台の単車が車道に並んで止まり、顔だけは見覚えのある男達が狼狽した様子で駆け寄って来た。
「大変だ!!ゆきねぇ、姐さん、早く逃げてくれ!!」
「何だいお前達?先に行ってなっつっただろ?」
「それどころじゃねえんですって!!佐々木組の連中が、ゆきねぇを狙ってもう直ぐ来ちまうんスよ!!」
「何だって……!?」
「と、とにかく、ゆきねぇだけでも俺達と……」
バシッ!!
一方的にまくしたてながら宮沢に近付き腕を取ろうとした男の手を、警戒して止めようとした俺より早く後藤田さんが叩いて阻止する。
「ッ!!何するんスか!?」
「それはこっちの台詞だよ。お前達……一体何を企んでるんだい?」
激情を押し殺した様な冷淡な声色で詰問しながら、後藤田さんは男達を睨みつけた。
女性にしてはやや高いとは言え、男達の方が上背はあるはずだったが、その迫力に圧倒された彼等は喉を鳴らす。
それでも、恐らく三人の中ではリーダー格であろう先頭の男が、何とかひきつり笑いを作りながら釈明し始めた。
「な、何の事スか?俺らはただ、奴らが大勢で来やがったからゆきねぇさんを守ろと……」
「アホだねぇ……何でお前達が、奴らが有紀寧を狙ってるって知ってんだい?」
「そ、そそそ、そりゃあ……その……」
「た、たまたま聞いたんスよ!」
「単車に乗っててかい?大体、それを聞いたとして、あんた達がここに来たら相手に位置を教える様な物じゃないのさ」
後藤田さんは深くため息をつきながら長い髪を掻き上げると、諭す様な優しい口調で続ける。
「お前達が、今のグループに不満を持ってる事は知っているし、抜けたり他に鞍替えするのも仕方ないだろうさ……だがね!自分達がしようとしている事がどういう事なのか、判ってるのかい!?」
「ち……違うんスよぉ。確かに俺ら、チームを辞めて佐々木のトコに行くつもりでした」
「でも、あいつらがゆきねぇさんを人質に取るつもりだって知って、さすがにそこまでは出来ねえって思ったんスよ!」
「信じて下さい!早くしないと、あいつらが……」
後藤田さんの核心を突いた言葉でむしろ覚悟を決めたのか、男達は必至の形相で訴え始めた。
だが、まるでそれを待っていたかの様な、けたたましい排気音が男達の言葉を掻き消す。
見る間に数台のバイクが、まるで退路を断つかの様に道路脇に連なり、続々と男達が降りてきた。
「くそっ!来ちまった……!!」
「あれは……箱部……!」
宮沢組の男達は蒼白となり、後藤田さんは聞き覚えのある名をつぶやく。
そして、やってきた男達の中でも頭一つデカい、大柄な革ジャンの男が進み出て、低く渋い声で言った。
「有紀寧さん……済まねえが、何も言わず俺等と一緒に来てくれねえか?」