4月11日:洗礼
・最後の方に若干加筆しました
・誤字等を修正しました
渚ちゃんを泣かせて逃げ帰ってから暫くして、お袋に呼ばれた
何かと思って玄関に行くと
そこには見た事の無い、眼つきの悪い咥えタバコのおっさんと
その人と手を繋いだ渚ちゃんが来ていた
怒られる
直感で判り呆然立ち竦む
「ほら、こっち来なさい」
お袋もすでに事情を知っているのか、庇う気は無いようだ
押される様にして、二人の前に立たされる
「テメエか?ウチの娘のパンツをめくって泣かせたのは?」
上から見下ろすようにして威圧してくる
やっぱりこの人が渚ちゃんのお父さん
と言う事は、あのお姉さんの旦那さん……
親父よりも全然若いし背も高い
怖そうだが、顔もカッコいいと思う
これなら解らなくもない……
「お父さん…めくられたのはスカートで、パンツまではめくられてません……」
もじもじしながら渚ちゃんがつっこむ
「おお、そうだったな。
運が良かったな小僧、パンツまでめくっていたら、
半殺しじゃ済まなかったところだ」
物騒な言葉と上からの半端じゃない重圧感で、涙が滲み出る
「それでテメエ、この落とし前、どうつける気だ?あん!?」
顔を近づけられ、反射的に身体が反る
落とし前と言われても、よく分からないが
とにかく何か半殺しと同じくらい大変な事をやらなければ、
この人は許してくれないのだと思った
恐怖と嗚咽で息をするのも苦しくなる
「どう責任とるつもりかって訊いてんだよ!?泣いたって許しゃしねえぞ!」
「…ごめんなさい…ヒックッ…ごめんなさい……」
「ああん!?ごめんで済んだら警察も消防署もいらねえんだよ!」
「お父さん…消防署は必要だと思います…
消す人が居ないと、火事になった時大変です…」
真面目な顔で渚ちゃんがつっこんでいた
お袋は、息子が絶体絶命のピンチだというのにクスクス笑っていた
“責任を取れ”と言われても、思いつく方法は一つだけだった
アニメで見た、男が女に対して責任を取る方法
でも、それは……つまり……
「おら、どうすんだって訊いてんだよ!泣いてないで何とか言いやがれ!」
「……責任取って……渚ちゃんと……結婚します……」
咥えタバコがポロリと落ちた
「なぁぁぁぁぁぁぁぁぁにぃぃぃぃぃぃぃぃいっ!?」
髪が逆立つ程の激怒っぷりだった
「何でテメエなんぞに娘をやらなくちゃならねえんだよ!?
パンツ見たぐらいで調子に乗るなよ小僧!!
俺なんかなぁ、パンツどころか今まで何度も生まれたまんまの姿を見てきてんだ!!
風呂だって一緒に入って洗いっこまでしてんだぞ!!
どうだ!?羨ましいか!?羨ましいだろ!!
つまり渚は、俺のモンだ!!」
とても得意気だった
いや、でも、そんなの親だから当たり前じゃん……
「お父さん…そんな恥ずかしい事をオーちゃんの前で言っては駄目です…!
お友達の中には、もうお父さんとは入ってないって子もいます
そんな事を言うなら、もうお父さんとは入りたく無いです」
「なああああああああああああにいいいいいいいいいいいいい!!」
先程以上の、この世の終わりかってくらいの動揺ぶりだった
「まて渚、ここはじっくり話し合おう!」
怖いおっさんは、娘に激弱だった
「そうだ!帰りにおもちゃ屋にでも寄っていこう!
そこで何でも好きな物を買ってやるぞ!な?
だから考え直して、いつもの様に
『私、お父さんとお風呂入りたいです。カッコいいお父さんにラブラブですぅ』
と言ってくれ!」
怖いおっさんは、渚ちゃんを溺愛していた
「別に欲しい物はないですし、そんな事一度も言った事ないです
その代わり、もうオーちゃんを許してあげてください
オーちゃん、ちゃんと謝ってくれました
きっと、すごく反省してると思います
これ以上オーちゃん苛めたらかわいそうです」
渚ちゃんは、俺を庇ってくれた
あんな事したのに……
泣かせちゃったのに……
おもちゃまで要らないと言って……
愛娘の嘆願に、おっさんは一度渋い顔をしたが、すぐに舌打ちして
「チッ、今日のところは渚に免じて許してやる
だがな、今度ウチの娘を泣かす様な事があったら
チ○コひっこ抜いてやるからな!!」
と念を押してフイと顔をそむけた
「うん……」
「お父さん!そんなトコ抜いたら駄目です!」
親の卑猥な恫喝に、娘が真っ赤になってつっこむ
そして彼女は、泣いている俺に手を伸ばしてきた
叩かれる!
そう思って、でもそれもしょうがないと思って
目をつぶって身体を強張らせる
しかし、その手は頭にそっと置かれただけだった
そして、そのまま頭を撫でてくれた
あのお姉さんと、そっくりな優しい笑顔で
「オーちゃんは、もう女の子のスカートをめくったりしませんよね?
それと、私の方こそごめんなさいです
さっきは、突然の事にちょっとビックリして泣いてしまいました
私の方が二つもお姉さんなのに、恥ずかしいです
お父さんももう許してくれました
だからそんなに泣かなくていいですよ」
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
その優しい言葉に
結局俺は最後まで泣き止む事が出来なかった
それから暫く経ったある日、俺はお袋からお使いを頼まれた
パン屋に、食パンと家族の人数分の惣菜パンを買いに行けばいいらしい
店に行った事は無いが、たまに行く公園の前にパン屋が出来てる事は知っていた
お使いをしたら、少しだけどお駄賃がもらえる
お金の入ったビニール袋を手に、俺は喜んでチャリを走らせた
「いらっしゃい……ん?」
「!!」
店に入ると、咥えタバコの怖そうなおっさんがエプロンを着けてレジに立っていた
忘れもしない。渚ちゃんのお父さんだ
どうしてここに!?ひょっとしてここの店の人!?
「てめえは確か……渚を泣かしたガキじゃねえか!」
途端に険しい表情をされる
やっぱり覚えられていた!
今すぐ逃げ出したい
でも、お小遣いも欲しい
当時幼稚園で流行っていたカードゲーム
俺だけが持ってなかった
「へっ、自分から面見せに来るとはいい度胸じゃねえか!
で、何の用だ?渚ならやらんぞ」
少しだけ見せてくれた笑みに安堵しつつ、俺はブンブンと首を振って意思表示をした
「……パン……ください……」
「あん?なんだ客かよ。おう、じゃ好きなだけ買っていけ。有り金はたいてな」
また首を振って否定してから、トレーとトングを取ると、俺はまず食パンを探した
予算は千円
そっから食パンと家族の五人分の惣菜パンを買わなきゃならない
そして、そのおつりの中からお駄賃が出る
おつりが多ければ、お駄賃も多いかもしれない
だから、なるべく安くておいしそうな物を買って帰ろう
俺は幼稚園の頃から、そういう事が分かる子供だった
だが、食パンも惣菜パンも、それなりに値が張る物だ
大したおつりは出そうも無い
安い菓子パンにしてしまおうかとも思ったが
惣菜パンと言われた以上、その通りにしないとお駄賃が貰えないかもしれない
食パンだけをのっけたまま、たくさんのパンの前で俺は悩んだ
「どうした坊主?買うモン忘れたのか?」
おっさんの接近にビクリとなる
でも、あまり怖い感じではなかった
「“にくのやつ”5こ……」
ふるふる首を振って答える
「肉のやつ?……惣菜パンの事か?ずいぶんとアバウトだな……
そうだな……カツサンドなんてどうだ?ウチ一番のお勧めだ!」
「……たかい……」
てか、カツサンド五つだと予算オーバーだ
「なに?んじゃ、定番のハンバーガーはどうだ?」
「ん〜……たかい……」
「まだ高えのか?お袋さんから、いくら預かってるんだ?」
「……1,000えん……」
「千円か……ハンバーガー五つに食パン一斤で……ぎりぎりだが買えるぞ?」
「……おつりすくない……」
「はあ?もっと安くあげろってか?」
「うん……」
「ウチで一番安い惣菜パンって言やあ……コーンマヨパンだな」
「……にくじゃない……」
当時の俺にとって、肉は貴重だった
せっかく肉が食えるのに、他で妥協する事はありえなかった
「そんなに肉が食いてえのか……じゃあ、コロッケパンならどうだ?」
「ん〜……にくすくない……」
「あのな、原価ってわかるか?材料の値段だ
肉がたくさん入ってるモンは原価も高いから、それなりに値が張るモンなんだよ!」
「う〜……」
それは分かっていた
だから悩んでいたのだ
ちなみに、全部同じ物でなくてもいい事に気付いたのは、また先の話
「よし!じゃあ坊主、オメエがこのパンを食ったら
全品20円まけてやる!どうだ?」
そう言っておっさんが手に取ったのは、不思議な色をしたパンだった
ある意味きれいで
それが返って不気味な気がした……
でも、どうやら売り物らしいし、毒とかでは無さそうだ
「……ただ……?」
「ああ。コイツはサービスだ。いつも売れ残るしな……」
ただで売れ残るんなら気兼ねする事はないな……
だったら、やってやる!
俺は決意して、それを無言で受け取った
「おっ!よし、ガブッといけガブッと!」
においもあまりしないし、いくら見ても何なのかよくわからない
言われるままにガブッとしてみる
不思議なパンは……
味もやはり不思議だった……
辛いようで
酸っぱいようで
苦いようで
甘くは……無かった……
何とも言えない……
まったりとした……
……嫌な味?
でも、強烈に辛いとか苦い訳では無いので、食べられなくも無い……
無い筈……
なんだけど……
何故だか身体が震えてきた……!
冷や汗がダラダラ垂れてきた……!
何でだろう……?
よくわからないけど……
身体が「食べたくない」と言っていた……!
込み上げてくる倦怠感……
はあ……
もう嫌だ……!!
でも……残すのはもったいない事だ……
食べ物を残すのは……いけない事だ……
この世界には……食べたくても食べられない人がたくさんいるんだ……!
やせ細った子供達をTVで視たんだ……!
食べられるだけ、幸せなんだ……!!
「おぉっ!食いきりやがったか!」
そう言いながら、伸びてきた手に思わず目を硬くつぶる
でも、その手は叩かれたにしては痛くなく……
「てめえ、なかなか根性あるじゃねえか!!意外と将来大物になるかもな!」
しかし撫でられてると言うより頭をガシガシと洗われている様だった
お姉さんの柔らかくて優しい手とも
渚ちゃんのちっちゃくてかわいい手とも違う
大きくて、逞しい手だった
その手に撫でられていると
ぎりぎり堪えていた涙が溢れそうになった
「だが、渚はやらんけどな!!」
引っ込んだ
別に渚ちゃんは嫌いじゃないけど……
結婚すると言ったのは、責任を取る為あくまで仕方なくで……
でもそれを言うと……また怒られそうで言えなかった……
「おーい、早苗ーっ!ちょっと来てみろー!」
おっさんは俺の頭から手を離すと、店の奥に行って誰かを呼んだ
「はーい」
微かに聞こえた声に呆然となる
そうなのだ。ここがこの人の家なら、奥さんも居て当たり前なのだ
二人の前から逃げ出したあの日から
一度も会っていないあのお姉さんが……
気まずさに今すぐ逃げ出したかった……
でも、まだパン買ってない……
「何ですか秋生さん?あら……オーキ君、パン買いにきてくれたの?」
感激した様に手の平をぱんと合わせ、変わらぬ笑顔で訊いてくる
俺は……俯きながら頷くのが精一杯だった
「早苗、コイツお前のパン、丸ごと一個食いやがったぞ」
おっさんの言葉、一瞬耳を疑う
はあ?お姉さんのパン?
あの不思議なマズイパンを作ったのは、お姉さんだって!?
「まあ、本当ですか?オーキ君、どうでしたか?おいしかったですか?」
期待に満ちた瞳で見つめられる
でも、何て答えたらいいんだろう?
「それとも、おいしくなかったですか……?」
すぐに答えられずにいると、今度はとても悲しそうな目をされた
胸がズキリとした
お姉さんに、そんな顔してもらいたくなかった
でも、お世辞や嘘は言いたくなかった
「う〜〜〜……“まあまあ”……」
「“まあまあ”……ですか?“まあまあおいしい”ですか?」
笑顔でまた訊かれた!
何としてもおいしい事にしたいらしい……
「うぅ……まあまあ……」
「まあまあ……ですか……」
まあまあで押し通すと、少し残念そうな顔をされた
でも、すぐに優しいあの笑顔を浮かべてくれる
「どうぞ、ゆっくり見ていって下さいね」
「おう、そうだった。約束通り値引きしてやるから、肉のやつ買ってけ」
「約束?」
「ああ、コイツが惣菜パンは高いって言いやがるから、
お前のパンを食ったら、何でも20円引きにしてやる約束をだな……」
そこまで言っておっさんは“しまった”という顔をする
「私のパンは……」
一方お姉さんは突然泣きそうになって
「食べると値引きしてもらえる物だったんですねーーーーーーーっ!」
泣きながら外に走って行ってしまった……
するとおっさんは、残っていたあの不思議なパンを口いっぱいにほうばり
「俺は大好きだぁーーーーーー!!」
と叫びながら、お姉さんを追いかけて行ってしまった……
呆気に取られてる間にポツンと一人取り残される
あれ!?この後どうしたら……!?
まだパン買ってないのに……
でも何となく解った
きっと、あのパンを食べても平気だから、お姉さんはおっさんを選んだのだと
その時は、子供心ながらにそう思った……
4月11日(金)
バイトを終えた俺は、いつもの“あの場所”に来ていた。
ただ、いつもと装いが違う。
いつもは私服だが、今日は中学の頃のウインドブレーカーを着込んできた。
昨日、坂上と戦って、痛感した事がある。
身体が思っていた以上に鈍っていて、思うように動けなかった事だ。
そんな身体で下手に反撃を試みれば、たちまちその隙を衝かれよう。
だから亀になって耐えるしか、俺には策が無かったとも言える。
お陰で全身アザだらけで、正直あまり動きたくない。
それなのにな……。
『坂上智代』は噂通り強く、そして噂以上に“凄かった”。
戦うアイツの姿は煌く様に美しく、その才能は底が知れない。
本当に、変な趣味にでも目覚めそうな程、攻撃されていながら“わくわく”した。
そしてその熱が今も身体の奥でくすぶっている。
動くたびに疼くアザの痛みも、アイツにつけられたと思えば愛おしく思える。
ああっ、マズイなこりゃ……本格的に目覚めちまったかもしれないな……。
ククッと笑いが漏れる。
とりあえず勝つ事は出来たが、これからの事もある。
せめてまともに動けるくらいには、身体を鍛え直すべきだろう。
黙想……
瞳を閉じて背筋を伸ばし、早朝の清々しい空気を吸い込む
深く
長く
この地に満ちた“気”が身体の中に流れ込み、隅々まで行き渡っていく
そんなイメージ
それが満ちたのを感じたら、今度はゆっくりと息を吐く
深く
長く
心と身体の老廃物を、まとめて吐き出す様に
揺れる木々の音
目覚め始めた鳥の声
それもじょじょに小さくなり、頬をなでる心地よい風も感じなくなった
無明無音
色即是空 空即是色
明鏡止水
何も無い世界のはずなのに
同時に世界の全てと一体となれた様な不思議な感覚
まるで世界の全てを知覚出来るかの様な……
「ちぃっす」
自主トレを終えた俺は、毎朝の日課である古川パンを訪ねていた。
ここで昼食を買っていくのだ。
「おう!ん?何だおめえ、ジョギングでもして来たのか?」
いつもの様に出迎えてくれた秋生さんが、俺のナリを見るなり訊いてくる。
まあ、朝に汗だくでウインドブレーカー着てればな。
「まあ、そんなトコです」
「ほお……何か面白い事でも見つけたか?」
そう言ってニヤリとする。
勘がいいこの人の事だ。今の俺から、何かいつもと違う物を感じたのだろう。
「まあ、そんなトコです」
「ほぉう……彼女でも出来たか?」
くっ、やはりそうきたか……。
「出来てませんよ……面白い奴とは、会えましたけどね」
「なるほどな……。まあ、彼女が出来たら、ちゃんと連れて来いよ。焼きたての早苗のパンをサービスしてやる」
「いや、それは……まあ、彼女出来たら考えます……」
「私のパンがどうしたんですか?」
無難な回答をした所で、待ち構えていたかの様にトレーにその“焼きたて早苗パン”を乗せて早苗さんが現れる。
危ない危ない……焼きあがる時間を知っていたのだろう。
ちっ、と秋生さんが舌打ちする。
「おはようございます。オーキくん」
「おはようございます」
トレーをもったままの会釈に、軽く頭を下げて応える。
「それで、秋生さん。私のパンがどうかしたんですか?」
「ああ、いや、何だ……それより、今日だったな。渚を医者に診せるの」
自分で振っておきながら、秋生さんはあからさまに話しをそらした!
でもそれって……?
「渚さん、また熱でも出たんですか?」
「いえ、むしろ逆にここの所体調が良いので、復学できるかどうか判断してもらうんです」
俺の懸念に早苗さんが明るく答えてくれた。
「ああ、そうなんですか……良かった……」
それなら来週あたりからまた渚さんも学校に通えそうだな。
何にせよ、治ってくれて良かった。
「では、オーキ君、ゆっくり見て行って下さいね」
“今週の新作パン”の所にトレーを置くと、再び会釈して早苗さんは引っ込んでいった。
「大丈夫……何ですか?」
そして秋生さんと二人きりになった所で改めて訊いてみる。
暗に“病気で留年してしまった彼女が”と、いう意味合いを込めて……。
長い付き合いからか、それともやはり秋生さんも同じ心配をしていたのか、俺の問いの意味を察してくれたらしく、ややあってから神妙に口を開く。
「とりあえず、本人は乗り気になってるからな……まっ、なるようになるだろう。いざとなったら、お前がその面白い彼女と一緒に学校を面白くしてみせろ!」
「いや、だから……」
その軽口への反論の言葉は、それ以上出てこなかった。
アイツとならそれも面白いかもなと、俺も思ったからだ。