第二章 5月9日 SHI・NO・BI
昼休みになると、俺は門倉の後についてある場所に向かった。
報道部のアジトである部室である。
彼女が仕入れてきた情報の裏を取る為、過去の資料をあさりに来たのだ。
その情報とは―――
『陸上部の顧問は、三年前に急死していた』
これが事実であったのなら、鷹文の件を解決する重要な手がかりになるんじゃなかろうか?
少なくとも、「まったくの無関係ではない」と直感が告げている。
何としてでも真相を知っておきたい案件だ。
「智代ちゃんと同じ中学だった子何人かに聞いてみたんだけどぉ、みんな先生が亡くなった事はショッキングだったから覚えてるんだけど、陸上部の顧問だったかどうかは空覚えみたい」
「まあ、そんなモンだよな……」
誰がどの部の顧問かなんて、特別接点がなきゃ知る機会もあまりないだろう。
手掛かりが掴めただけマシという物だ。
「じゃあ、その先生が死んだ時にニュースになってるかもしれないから、それを探すって事か?」
「ん~、さすがに事件性が無いと、余程有名な人じゃなきゃ記事にはなりにくいかな」
「だよな……」
「実はぁ、その先生の娘さんも同じ学校に通っててぇ、その子が空手で全国制覇するくらい強くて有名でね。その子の記事に亡くなったお父さんの事も少し触れられてるみたいなの」
「ほう、そんな奴が居たのか……まあ、うちらの学校にもガキの頃から負け知らずの化物は居たけど……」
「舞ちゃんはインターハイでもぶっちぎりの強さだったからねぇ」
先日のその化物『衛武 舞』との邂逅を思い出す。
無茶苦茶強い事は前からわかってはいたが、多数の不良どもを鎧袖一触してのける様を見て、そして何より比較対象である智代の強さを肌で体感していたが故に、改めてその強さが理解できた。
まあ、あれはまた別格だと思うが、中学とは言え学生チャンプになるくらいなのだから、相当な才能の持ち主なんだろう。
そういえば、
「そういえば、衛武ってチケットもってんのかな?」
「どぉだろぉ?少なくとも私は渡してないけどぉ……」
ふと思った事を何でも知ってそうな門倉に尋ねてみたが、さすがに知らないらしい。
「なら、俺のを渡しとくか……」
「うん、それがいいよぉ。きっと喜ぶよぉ舞ちゃん」
あいつも今の智代に興味があるだろうしな。
機会があれば、二人を会わせてみたい物だが……とりあえず招待しておくとしよう。
それに、もし何かあったら動いてくれそうだし……。
念の為の保険・切り札としても申し分ない存在だ。
丁度、河南子の分が不要になった事だしな。
これで河南子のやつも確保できれば、飛車角そろえた様な物だろう。
……ん?
ふと、ある事に思い当たり、俺は足を止める。
河南子って部活とかやってるんだろうか?
偽智代騒動で宮沢組のやつらが智代だと勘違いした事や、野球の時に垣間見た動きから見ても、あいつもまた常人離れした強さなのは明らかだが……。
合気道部がある中学は滅多にないだろうけど、確かあいつ空手もやってたよな……。
って、まさか……!?
「ん?どうしたのぉ?」
「なあ、その空手の強い娘って、俺らの二個下か?」
「うん、そうだけど……ひょっとして、オーキくんも知ってる子?」
「いや……もしかしたらって程度だけどな……」
曖昧に答えつつも、急死した教師の娘は河南子であるとほぼ確信する。
まさかあいつ以上に強い奴が、更にもう一人この町に居たりって事は……流石にないよな?
『中学一年生快挙!父の死を乗越えて』
そう見出しがつけられた過去の記事の写真に写っていたのは、やはり河南子だった。
彼女の父親は大会前に急死していて、生前は体育教師を勤め、陸上部の顧問としても指導熱心だったらしい。
さすがに鷹文の事までは書かれてなかったが……これで死んだ教師と鷹文との関係性がある程度判明したと言えるだろう。
部活の顧問で彼女の父親。
もちろん、だから二人が親しかったとは断定できないし、河南子と別れた事との因果関係があるのかどうかも判らない訳だが。
鷹文にとって、その存在が大きければ大きいほど、失ったショックもまた大きかっただろう。
それと、気になるのは死因と時期だ。
急死したとしか書かれて無かったが……それが鷹文が車に飛びこむ前なのか後なのか、直後なのかでも話が大分変わってくるんじゃないだろうか。
前だとしたら、鷹文の行為が師を失った故だとも取れる。
大切な存在を失う痛みを知ったからこそ、家族を繋ぎとめたかった。
しかし、それなら成功したのだから、気持ちが前向きになりそうじゃないか?
やはり後だったと考える方が合点がいく。
命を懸ける事で家族の離反を防ぐ事はできた。
けれど、予想だにせぬ形で結局大事な人を失うという“ケチ”がついてしまった。
直後ならもっと悲惨だ。心疾患とかでなくとも、自分の所為に思えてくるだろう。
『終り良ければ全て良し』じゃないが、結果が同じでも、いや、例えそちらの内容の方が悪くたって、気持ちが上向きで終れたなら、直ぐ次の事に向かえる物だ。
が、ケチがついたまま終わっちまうと、心が囚われ、そこで停滞しちまう。
智代が心配しているのも、事情は分からずともそれを感じているからなのだろう。
家族がやり直せたと言うのに、荒れていた自分は目標に向かってどんどん前進していると言うのに、家族を救った当人だけが何処か前を向いていない。
それは、救国の英雄が不遇をかこつような、とてもやるせない事だ。
本来なら、誰よりも幸せであって然るべきなのに。
鷹文の今の姿は、智代にとっても“ケチ”なのだ。
じゃあ、河南子からしたら、鷹文はどう映ったのか?
車に飛び込んで、下手すりゃ死んでいたかもしれない恋人。
ずっと智代に近い目線で考えていたが、そうなるとまた見え方が変わってくる。
残される者の事を微塵も考えていない、ある意味最悪行為じゃないだろうか?
いや、そうか……一番鷹文の行為を許せない立場に居るのは、河南子の親父さんだ。
まず指導者として、その向う見ずな行為を許す事はできない。
陸上のコーチとしても、選手生命を棒に振られ、期待を大きく裏切られた事になる。
その上、娘の父親として見れば……。
あくまでいくつもの仮定の上に出来上がった推論だが、ピンとくる物がある。
鷹文の行為に、河南子の親父は激怒したんじゃないだろうか?
そして、鷹文を許さぬまま死んでしまったのだとしたら……。
「そんじゃ皆の衆、ばいなら」
帰りのHRが終わるのを待っていると、目的の少女が元気に死語を発しながら出てきた。
事はあくまで迅速に、そして自然に運ばねばならない。
身を潜めていたトイレの影から音も無く背後に接近し、声をかけながら手を肩に延ばす。
「よう……」
「あたしの背後に……立つなー!」
指がセーラーカラーに触れるか触れないかというその刹那、彼女は上体を沈ませ俺の手を避けたかと思うと、そのまま回転して回し蹴りを放ってきた。
パシッ!
「おっ!へっ……!?」
それをすかさずブロックしてみせた事には驚く事なく、むしろ“やるじゃん”て感じの余裕の表情を見せた少女だったが、俺の顔を見た途端、顔を引きつらせてフリーズする。
「ちょっと話が有る。来てくれ」
廊下で下校時間という事もあり、周囲には生徒も多く今ので注目も集めてしまった。
どの道ここではマズイので、少女を促し人気の無さそうな場所に移動する。
午後の授業をバックレた俺は、智代の母校でもある河南子の中学に来ていた。
無論、無断で。
侵入とも言う。
秋生さんに鍛えられ、宮沢グループのやり方をずっと見てきた俺だ。
やろうと思えば、この程度の事は造作も無い。
まあ、よい子にもいい大人にも真似してもらっちゃ困るが……。
河南子に鷹文の護衛を頼むのなら、あいつらが帰宅する前に捕まえるしかないだろう。
部活があるかもしれんから、校門前での待ち伏せでは時間が読めんし。
非常時ゆえ仕方有るまい。
「で、何であんたがうちの学校に居んのさ?」
落ち着いた場所までくると、腕を組み改めて訝しげな視線を向けてきた。
まあ、気持ちはわかる。
余所者が自分の学校に侵入しているというのは、思いのほか嫌な物だ。
「非常事態だ」
「非常事態?」
「お前にしか頼めない事がある」
「だが断る」
「……」
詳細を言う前に“言ってやった”とばかりのドヤ顔で断られる。
想定内の事ではあるが……このこまっしゃくれどうしてくれようか。
とりあえず、もう一人がくるまで別件を伝えておこう。
「実はな……伊吹さん、伊吹公子さんが結婚する事になった」
「……マジ?」
「マジ」
「誰と?」
「俺と」
「……ぶっ殺す!!」
指をベキベキ鳴らしながら気を解放して、解りやすく怒気をアピールしてくる。
しかし、この様子じゃマジで知らなかった様だな。
「冗談だ。でも、伊吹さんが結婚するのは本当だ。明後日の光坂の創立者祭で式をやるから、お前も来いよ。受験生は学生証見せれば入れるから」
「……誰と?」
冗談が過ぎたか、まだ疑ってくる。
「芳野さんて人だ」
「誰だそれ?」
「誰って……」
何と説明すべきか……?
元歌手の……てのは、あんまり言いふらしたくないしな……。
ああ、そういえば……。
「元教え子つってたかな」
「えっ!?教え子って……ひょっとして師匠の元生徒って事?」
「そりゃそうだろ。伊吹さんの先生なら、そう言う」
「うわぁ……生徒に手え出しちゃったのか……」
「付き合い始めたのは卒業して大分経ってからだ……まあ、とにかく来い」
公子さんを『師匠』と呼んで慕っていたこいつだ。
さすがにこの話には直ぐに首を縦にふるだろう。
……と思っていたのだが……何故か半笑いの表情のまま黙ってしまった。
「どうした?予定でも入ってたか?」
「ああ、いや……予定は別に空いてるんだけど……うん、行く。久しぶりに師匠にも会いたいし」
改めて訊くと、何か迷っている様だったが、最後は踏ん切りをつけるようにそう答えた。
何だろう?公子さんと何かあったのか?
それとも何か別の理由でも……?
「んで、非常事態ってその事かよ?」
こちらがシンキングタイムに入ろうとすると、逆に用件を促されてしまった。
とは言え、まだ役者が揃っていない。
「いや、もっと重大な事なんだが……あいつ遅えな……」
携帯を取り出し、返信でも着てないかと確認する。
メールでこの場所を伝えておいたはずなんだが……もう一回呼び出すか?
「ん、あいつ?……って、まさか!?」
「うわ~、ホントに居たよ……!!」
メールを打っていると、後ろからその相手の驚嘆の声が聞こえてきた。
だが、その丸くなった目は、俺の前に居る奴に気付き更にカッと見開かれる。
「げっ……やっぱり……」
あからさまに硬質化した空気が、二人の今の関係を物語っていた。