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第二章 5月9日 重き荷を負うて

 5月9日(金)


 「ちっす」

 「おう……」

 バイト帰りの古河パンでは、秋生さんが厳しい顔で待っていた。

 最近になってこういう事が多い気がするが、やはり愛娘に彼氏ができた影響なのだろう。

 「実はな……少々厄介な事になるかもしれねえ……」

 「えっ!?」

 色々と好くない事が連想されて眉を寄せる。

 渚さんにまた何かあったのだろうか?

 それとも、岡崎さんが何かやらかした?

 まさか、二人で何かやっちゃってる所を目撃しちゃったとか?

 「何かあったんですか?」

 「渚と小僧のやつがな……勘付きはじめている様なんだ……渚のおまるに」

 「……はっ?」

 まるで刑事物で真相を語るかの様に、シリアスな雰囲気のまま彼はそう言った。

 おまるって……あの子供用のトイレのやつか?

 それが一体何だと……?

 さっぱり訳がわからない。

 まあ、この人にはよくある事なので、辛抱強く続きを聞こう。

 「おまるだよおまる!あいつら物置を探してやがったんだ。渚が昔使っていたおまるをな」

 いや、そんな「当然だろ」みたいに言われても……。

 「えっと……演劇で使うとかじゃないんですか……?」

 「演劇だぁ?そうか演劇で……って、違う!!おまるの話じゃねえ!!」

 ほら違ったよ……。

 「あいつらが探していたのは本だ……つまり隠してある俺のエロ本だな」

 ええっ!?

 「そうじゃねえ!いや、エロ本の事も気がかりではあるが……」

 「えっと……渚さんが昔読んだっていう絵本ですか?」

 「なんだ。知っていたのなら話は早え。もっとも、みつかってマズイのは絵本ではなく、俺と早苗の過去だがな」

 ようやっと話が見えてきた。

 過去って言うと、写真や日記の類だろうか?

 知られたくない過去って……?

 いや、人には知られたくない過去の一つや二つあるだろうが……それなら俺にも話さないはずだ。

 てことは、それは俺が知ってるか、俺なら知ってもいい事なのだろう。

 「何かマズイんですか?」

 「そりゃあな。小僧はともかく、渚にみつかったら『お父さん、わたしと言う物がありながら酷いですぅ。不潔ですぅ』とか軽蔑されるかもしれねえだろ?」

 「それエロ本の話じゃ……」

 「てめえも、お袋さんや彼女に見つからないよう気をつけろよ」

 「ですから……あ~、いや、ずっと預かってますけど、そろそろ返したいんですが……」

 常々考えていた事を思い出したので言うと、目を見開いて“信じられない”という顔をされた。

 だが、すぐに男前に微笑むと、ぽんと肩に手を置いてうんうんと頷かれる。

 「フッ、可愛い彼女が出来たから、もうエロ本は必要ねえってか?」

 「いや、元々あんま見てなかったんで、発見される前に返したいってだけですよ」

 これまでは、親が何だかんだでプライバシーは守ってくれてたので、みつかる心配はなかった。

 ……みつかってないよな?

 ……さすがにダンボール一箱分のエロ本がみつかってたら、スルーはないはず……。

 ……みつかってないはずなのだが、平然と人の部屋に入ってくる智代はとても危険だ。

 「俺が居ない時にでも、勝手に掃除とかされそうで怖いんで……」

 「ほう、智ちんはそういうタイプか」

 「すぐ要らんお節介を焼こうとしてきますね……」

 「フッ、まあ恋人や新しい家族が出来るって事はそういう事だ。それまで当たり前だった事がままならなくなったり、逆にやらなきゃならねえ事が増えたりな……それで何かを諦めなきゃならねえ事だってある。おまえのお袋さんも、出産を期に劇団を引退したろ?」

 「それはまあ……」

 そうなのだ。

 ウチのお袋は演劇が好きで、昔は劇団に所属していた事もあったらしい。

 と言っても、もっぱらモブや裏方、主に衣装を担当していたらしいが。

 お袋は結婚しても暫く演劇を続けていたが、生まれた姉に障害が有った事もあり、演劇を続ける事ができなくなった。

 そして姉の死後も、俺や弟の育児や、独立した親父の手伝いに忙殺されて今に至っている。

 「実はな、おまえに口止めしておきたかったのは、その事だ」 

 「口止めって……お袋の事を?」

 脱線しまくりの所からいきなり本題に連結されて、一瞬混乱する。

 「俺が役者を目指していた事を、だ」

 「えっ?渚さん知らなかったんですか?てっきり秋生さんの影響だと……」

 それはまったく予想してなかった。

 秋生さんもパン屋になる前は役者を目指していて、お袋と同じ劇団に居たと聞いた事がある。

 ああ、でも、そうか……そうなると、やめたのは渚さんの為って事か……。

 「聞かれても、はぐらかしてきたから知らないはずだ。もっとも、ずっと気にはなっている様だから、当時の事を薄っすらと憶えてはいるんだろうがな……」

 「……確かに、渚さんには話し辛いですね……」

 「だろ?」

 ただでさえ自分の体が弱い事で両親を心配させている事を気に病んでいる彼女の事だ、その上、夢まで諦めさせたとあっては、相当落ち込むのは目に見えている。

 でも、

 「でも、何時かバレる事なんじゃ?お袋とか、当時の事を知ってる人はいるでしょうし……」

 『だからこそ、こちらから打ち明けてみては?』と言外で勧めてみる。

 今回はセーフだったみたいだが、今後どこで知られるとも限らない。

 隠し通せる保障がないなら、曝け出してなるべく傷を浅くするべきじゃないだろうか。

 「ああ。いずれは話すつもりだ。だが、初舞台が間近に迫ってる今は、動揺させちまう様な事を伝えるべきじゃないだろ?」

 「そうですけど、その間にバレたら元も子も無いですから……とりあえず、才能ないから諦めた事にしとけばいいんじゃないですかね?」

 俺がそう言うと、ちょっとカチンときたのか一瞬怒った様な変顔をされた。

 だが、すぐに真面目な顔に戻ると、ゆっくりと首を振る。

 「ダメだな。他の奴はそれで誤魔化せるんだろうが、あいつはそういう所には妙に鋭いと言うか、悪い方悪い方に考えて拗らせちまうと言うか……」

 「ああ、なるほど……」

 自分を傷つけまいと嘘をつかせてしまったと、また気に病んじゃう訳ですね……。

 となると、俺に出来る事は黙っている事しかなさそうだ。

 「わかりました。もし、聞かれても、俺からは話しません」

 「ああ。頼む」

 心配ではあるが、渚さんの事は秋生さんや岡崎さん達に任せる他無い。

 後ろ髪を引く嫌な予感を振り払いながら、俺は古河パンを後にした。

 




 身につまされる話だった。

 俺にとって秋生さんは、リアル世界のヒーローだ。 

 どんな事でも出来るし、やってのける人だと思っている。

 けれど、あれだけ才能に恵まれた人でも、夢を諦めるしかなかった現実。

 それが愛する家族の為だったと言うのは、あまりに切ない。

 あの人でもダメなら、ポンコツの俺に一体何が出来ると言うのか?

 そしてまた……。

 渚さんの気持ちも解る気がした。

 秋生さんだけでなく、早苗さんも才能豊かな人だ。

 もっと広い世界で活躍出来る力があるのにそうしないのは、自分が枷となっているから。

 そう感じているとしたら……その負目はとてつもなく重い。

 相手の事を知っている程、想っている程に重くなる重荷。

 優しければ優しい程、優しくされればされる程深く食い込む心の棘。

 ひょっとして……それなのか?

 彼女を蝕む原因不明の病の正体。

 全てではないにしても、精神的な負荷が病を重くしてしまう事は十分ありうる。

 それでまた、その事で自分を責めてしまう負の連鎖。

 もし、そうなのだとしたら……。

 「おはよう、オーキ」

 布団に入ってあれこれ考えていると、俺の負目が元気にやってきた。

 なんか、どんどん来る時間が早くなってるんですが……。

 「……おかえり」

 「うん。ただいま……」

 半分皮肉のつもりだったのだが、頬を赤らめながら恥ずかしそうに視線を外される。

 こっちまで恥ずかしくなってきたので、咄嗟に俺はネタに続ける事にした。

 「食事にする?お風呂にする?それとも寝る?」

 「朝食は、もう少しで出来るとお母さんが言っていたな。お風呂は……おまえが入るのか?」

 一瞬、目をぱちくりさせていたが、真顔で返答してくる。

 「もちろん、お前が入るんだ」

 「お風呂なら、家で毎日入っている。……それとも、もしかしてお風呂に入らなければならない程私がくさいと言う事か?」

 「うん」


 ズ~~~~~~~~~~~ン!!


 久々の四つん這いキター!

 「お風呂を貸してくれ!入ってくる!」

 「冗談だ冗談!」

 ガバッと起き上がるや、文字通り部屋を飛び出そうとしたので慌てて引き止める。

 「この距離で、においなんて分かる訳ないだろ?」

 「……」

 何とか止められた様だが、ドアの陰から恨めしそうに睨んでくる。

 そして一度隠れたかと思うと、何やらシューッ、シューッという音が何度も聞こえてきた。

 ほのかに漂ってきた匂い的にも、制汗スプレーでも使っているのだろう。

 次にシュッシュッと別の短い音がして、最後にハアーと大きく息を吐くと、かなりムッとした表情で躊躇いがちに入ってきた。

 よほど入念にかけてきたらしく、かえって消臭剤のにおいが鼻につく。

 「そんなにしなくても大丈夫だから、別に臭くないから安心しろって」

 「……例え冗談でも酷いだろ。女の子が『くさいからお風呂に入れ』なんて言われたら、どれだけ傷つくと思っているんだ?」

 「いや、お前が言った事だろ……それに、男だって臭いって言われたら傷つくぞ」

 「尚更じゃないか!」

 「とにかく、お前は大丈夫だって。むしろ、俺の方が心配だ。部屋のにおいとか」

 「部屋か?……うん。少しカビの臭いがするもかしれないな。換気をした方がいい」

 スンスンと鼻を鳴らしてからそう言うと、勝手に窓に向かい開け始める。

 俺にはデオドラントのにおいしかしないが……。

 まあ、換気は少しした方がいいかもしれん。

 「湿気が篭ると、そこにカビが発生しやすくなるからな。窓を開けただけでは空気の通り道が限定されてしまうから、できれば扇風機とかで部屋全体に空気の流れを作るといい」

 薀蓄を語りながら二つ目の窓を開け終え、布団の横に腰を下ろす。

 「本当は布団も干すといいんだが、取り込むのが遅くなるとかえって湿気を吸ってしまって良くないからな……干すなら、お母さんに頼んでお昼に取り込んでもらうといい」

 「却下だ!」

 俺が居ない間に部屋に入られるくらいなら、カビくさい方がマシである。

 差し込む優しい日差しと新鮮な空気がいかにも朝って感じだが、俺さっきまで外居たし……。

 って、

 「これじゃあ、まぶしくて寝られんだろ!」

 「なんだ。眠たかったのか。そういえば、さっきも寝るって言ってたな」

 いや、お前に訊いたんですが……。

 まあいい。

 「寝る!」

 布団を頭から被り貝になって寝に入る。

 ん……確かにちょっと布団がカビくさいかもしれん……。

 万年床だからな……休みの日に干さんと……。

 「仕方のない奴だな……」

 枕元で智代の呆れ声が聞こえたかと思うと、布団ごと頭を持ち上げられ膝の上に置かれた。

 これは……いい!

 視覚が閉ざされる事で、その分研ぎ澄まされた触覚でいつも以上に感じるきめ細やかで柔らかな太ももの感触と、ぬくぬくの布団との相性が最高だ。

 あまりの心地よさに、俺の意識は急速に落ちていった……。

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