第二章 5月8日 あれがアルクトゥルス・スピカ・デネボラ
*敵勢力の名称を『キャンサー』→『ハイドラ』に変更しました。
北斗七星の柄の曲線の延長線上にあるのが、牛飼座のアルクトゥルスと乙女座のスピカ。
その二つの星と曲線の内側に三角形・春の大三角を形作るのが獅子座のデネボラ。
その近くにある同じ獅子座のレグルスと、冬の大三角・子犬座のプロキオンとを結んだ線の丁度中間辺りが頭になるから……。
黄昏の空にちらほらと見え始めた星々を辿り、その星座を探してみる。
まだ太陽が沈みきっていない所為もあり、本当に明るい星しか見えてはいないが、他の星の位置から割り出した空間を注視し、暴き出した“蛇の心臓”をそのまま睨み続ける。
ハイドラと事を構える事になりそうか……。
出来ればかかわり合いになりたくない相手だ。
海蛇座・ギリシア神話の多頭の大蛇の名を称する奴らは、この界隈では最大にして最凶な組織であり、恐らく話し合いや拳での語り合いは通じない。
半端な事をして対立が長期化すれば、家族や知人にまで危害が及ぶ可能性もある。
一度火蓋を切ったら、短期決戦でぶっ潰す以外にないだろう。
まず、勝てるかどうかが問題なのだが……。
正確な数はわからないが、下部組織を入れたら100人くらいはいるんじゃないだろうか?
対して、こっちは実質俺一人。
絶望的な戦力差を思うと、溜息と一緒に反吐が出そうだ。
まったく、こんな小さな田舎町にかまってくるなよ。
それなりに都会である隣町と比べたら、この町で得られる物なんて高が知れている。
その上、宮沢・佐々木グループみたいな根性のある連中や、伝説の坂上智代までいるのだから、奴等にとっては超ハイリスク・ローリターンにしかならない。
だからこそ、当面はやり合う可能性は低いと思っていたのだが……。
もっとも、逆にそれで見えてくる物もある。
リスク承知で、それもこのタイミングで動くとなれば、
『これまでの敵と、ハイドラは繋がりがある』
そう考えてまず間違いないだろう。
最悪だ。
色々最悪だ。
けれど納得もできる。
仮に、創立者祭で揉め事を起こすとして、その実行部隊は誰なのか?
そう考えた時、この町の人間では面が割れているし、大人数で動けば目立ってしまう。
また、先日の工業高校程度の半端な戦力では、俺一人で治められる事は証明済みだ。
かと言って、複数の組織に声をかければ、それだけ情報漏洩のリスクが高まる。
その点、隣町を拠点とするハイドラならば、多少の情報漏洩や動きがあってもこちらに伝わりにくいし、戦力的にも申し分ない。
……はずなんだが……伝わってるな……。
そこまで考えて、ふと疑問に思う。
何故、佐々木は蛇の情報を掴めたのだろうか?
先程の口ぶりからして、彼らがハイドラを危険視し、ずっとマークしていたから?
それなら、宮沢和人不在後も宮沢グループと決着をつける事をしなかった事も、蛇に漁夫の利を与えぬ為だと説明もつく。
だがしかし、諜報活動と言うのはかなりの危険が伴う物だ。
バレでもしたら、諜報員が無事では済まない事はもちろん、報復に出られる可能性もある。
彼らがハイドラと揉めているという話は、今の所聞いた事がない。
それなのに、虎の尾を踏みかねないリスクを犯すだろうか?
これは、素直に信じてしまうのは危険かもな……。
もし、この話が全てガセだったとしたら?
あからさまな敵の存在を囮に、自分達から目を逸らさせるのが狙いとも考えられる。
佐々木は信じられる男だと感じたし、嘘をついているとはとても思えなかった。
だが、相手の演技力が一枚上手である可能性や、佐々木自身もガセネタに踊らされている可能性も無くはないだろう。
どっちにしろ、もっと情報を集めなければな……。
今後の予定を立てつつ、ひとまず家路を急いだ。
玄関に入ると、見慣れぬ靴と、見慣れているけど家のじゃない靴があった。
ちょっ、何で来てんだよ!?
青ざめて棒立ちしていると、奥からタッタッと軽快な小走り音が聞こえてきて、いつものババアではなく、いつもの美少女が元気溌剌に現れる。
「オーキ、おかえりー。遅かったな。どこかに寄っていたのか?」
新妻さながらのお出迎えが嬉しくないと言えば嘘になるが、頭痛が勝って頭を押さえた。
居間の方から来た時点で、お袋とまた好き勝手な会話が交わされたであろう事は確実だろう。
「お前なんで来て……」
「おかえりなさい、オーキくん」
問い質そうとした所で聞こえてきた、また別の「おかえりなさい」に心臓が止まりそうになる。
その女神の如き慈愛に満ちた声の主は、確かめるまでもなく“あの人”しかいなかった。
「あっ……ど、どうも……」
動揺して焦点の定まらない目をしたまま、ひたすら恐縮して頭を下げる。
そうか……この靴早苗さんの……。
恥ずかしさで、下を向いたまま泣きそうになる。
智代とお袋の会話を、早苗さんにまで聞かれたなんて……一体どんな罰ゲームだよ!?
早苗さんもあれでノリがいい人だから……想像するだに恥ずかしさで死にそうだ。
「あら、遅かったじゃない。今まで何してたの?智代ちゃんずっと待ってたのよ」
素知らぬ顔で現れたババアの姿に怒りを覚えるも、かえって冷静さを取り戻した俺は、玄関を上がりながら智代の手を掴む。
「ほら、行くぞ」
「あっ、ああ」
一刻も早くこの状況から逃げ出したかった俺は、半ば強引に彼女を連れ、階段を駆け上がった。
「ハア……で、どうしたんだ?」
智代を部屋に引っ張り込んでドアを閉め、ノブを持ったまま詰問タイムに入る。
「うん。無事生徒会長に就任出来た事を報告しに来たんだ」
「いや……知ってるけど……」
「放送されていたからな。でも、おまえにはちゃんと会って報告したかったんだ。けれど、応援してくれていた生徒達が祝辞を言いに来たり、みのりにインタビューを受けたり、放課後も生徒会の初仕事があったりで、学校ではなかなかおまえに会う時間が取れなかったからな。だから、帰りがけに直接家に寄る事にしたんだ」
だからってわざわざ来るなよ……。
気恥ずかしさを溜息に変えて吐き出し、苦笑しながら頭を切り替える。
智代にも多少訊きたい事もあったのだ。
荒れてた頃の行動範囲とか、ぶっちゃけハイドラをぶちのめしてないかとか。
あまり触れられたくない過去だろうけど……。
などと少し躊躇してる間に、智代に先手を取られてしまう。
「そうだ。おまえが昔、古河さんにプロポーズしたというのは本当か?」
「はっ!?」
あまりのショックに心臓が停止し、血の気が引いていく。
触れられたくない過去に、先に触れられたよおい……。
既に死後硬直をおこしている俺に、しかし彼女は尚も追求を続けてくる。
「おまえと古河さんは……その……両親公認のフィアンセだったんじゃないのか?」
へんじがないただのしかばねのようだ。
へんじがないただのしかばねのようだ。
へんじがないただのしかばねのようだ。
「前は姉の様な存在だと言ってはいたが……本当は古河さんの事が好きだったんじゃないのか?」
「ゴフッ、なんでやねん!!」
心肺機能の復活と同時に否定する。
死の淵にあった俺を甦らせたのは、オフクロへの怒りだった。
やっぱり、いらん事吹き込んでやがたあああああああああああああ!!
しかも、普通、息子の彼女に言う事か!?
てか、早苗さんまで居るのに持ち出す話題か!?
どうしてこう、お袋という生き物は余計な事しか言わんのかね?
そんなんだから、漫画とかでよく海外に飛ばされたり、早死にさせられるんだよ!
「結婚するつったのは単にその場の勢いで、そもそも俺が好きだったのは早苗さんの方だ」
「早苗さん……?って、古河さんのお母さんじゃないか!!」
「うおっ!」
こうなっては仕方が無いと真実を告げると、突然智代は飛び掛ってきた。
両肩を掴まれそのまま後ろのドアに押しやられると、凄い剣幕でまくし立ててくる。
「何を考えているんだ!!それは道ならぬ恋だ!!わかっているのか!?早苗さんは、おまえが姉と慕う古河さんのお母さんで、おまえの友人の秋生さんの奥さんなんだぞ!!もし、そんな事になれば、二人がどれだけ不幸になると思っているんだ!?」
しまった。
かつての智代の両親の件があるからな……これは地雷だったらしい。
「別に取ろうとか思ってるわけないだろ?ただ、子供の頃から憧れてたってだけで……」
「じゃあ……じゃあおまえは、子供の頃からずっと報われない想いを抱き続けてきたと言うのか?それも切ないじゃないか……まさか、古河さんに結婚を申し込んだのも、そうすれば早苗さんとも家族になれると思ったからなのか?」
「んな訳あるか!どんだけ最低なんだよ!?」
どうにか誤解を解く事には成功した様だが、妙な方向にこじれたな……。
さて、どうする?
と、こちらが考える間も与えてくれず、智代は俺の手を取り両手で握りしめると、潤んだ瞳で吐息がかかる距離まで詰め寄ってきた。
「なあ、私じゃダメなのか?早苗さんはあくまで古河の家の人だ。どんなに好きでも、一緒に暮らす事はできない。古河さんにだって、岡崎が居るだろう?今更あの二人に割って入る事はとても難しいと思う。でも私なら、ずっとおまえの傍に居てやれる。こうして触れ合う事だって出来るんだ」
「いや、お前でいいけど……」
「……ん?私でいいのか……?」
迫力に圧され、思わずそう答えてしまった。
すると、あちらも思考が停止したかキョトンとしたので、今が好機と畳み掛ける。
「だからな。渚さんの件は、悪戯して泣かせちゃった事があってだな。それで怒鳴り込んできた秋生さんに「責任取れ」って言われたから、当時見たアニメの影響で「結婚する」つっちゃったんだよ。それを渚さんが了承した訳でもないし、秋生さんはむしろ余計怒らせたから公認もされてない」
「……一体、何をしたんだ?」
「スカートめくり」
「おまえは古河さんのスカートまでめくったのか!!」
「幼稚園で一時流行ってたんだよ。泣かせちゃってからはやってないし」
「私のはめくったじゃないか」
「わかった。責任は取る」
「取るのか……」
具体的にどう取るとは言っていないのだが、智代は頬を赤らめ口をつぐむ。
弁明が終わるまで腰を折られたくないので、まあ、狙い通りだ。
「で、早苗さんを好きになったのは、渚さんとかと出会うもっと前だ。まさか結婚してて、俺より年上の子供が居るなんて思わなかったからな……」
いや、あれから15年経った今の方が信じられないけども……。
「待て。古河さんの件は、おまえが幼稚園の頃の話だろ?それより前っていつなんだ?」
「確か二歳くらい」
「二歳!?おまえはそんなに幼い頃に、初恋を経験していたのか!」
「まあ、そうなるな……迷子になってた所を、偶々通りかかった早苗さんに助けられたのがきっかけだ」
「なるほど……早苗さんはおまえにとって恩人でもあるんだな」
「まあ、世話になったのはそれだけじゃないけどな。高校入試の時は勉強見てもらったから、恩師でもあるし……」
「そうだったのか!なら、あの人が居なければ、おまえとこうして出会えてはいなかったかもしれないのか……」
智代は目を細めながら、納得した様に頷いた。
どうにかを落ち着いたかと、俺も一息つく。
まったく、何で俺の恥ずかしい過去が暴かれる羽目になってんだよ……!?
ああ、そうだった。
「それで話変わるが、こっちもお前に昔の事で訊きたい事があるんだけど?」
「ん?ああ、それなら必要ない。昔も何も、私の初恋は高校二年の時で現在進行形だからな」
いやいやいや、抱きしめたくなる程ドヤ顔が可愛いけど、別件ですから……。




