第二章 5月8日 諸刃の刃
「そうか……そんな事があったのか……」
智代は感慨深げにそう言って、両手で俺の顔包む様にして再び頭を撫で始めた。
こっちも話ながら気持ちが昂ってきていたので、少しありがたい。
目を瞑り、されるがままにそれを受け入れ、クールダウンを図る。
「おまえにとってチームは、国も同じだったんだな」
ややあって、慈母の様に微笑みながら彼女が口を開いた。
「そういう事じゃなくてだな……」
「おまえはそれぐらい頑張っていたんだろう?まるで騎士が祖国を守る様に……」
「だから俺の事じゃなくて、ただのよくある例え話だ。この前のサッカーや野球でもそうだったろ?相手が最初から本気だしてたら、多分勝ててはいなかたったはずだ」
照れくさいから、あえて実体験という体をとらなかったんだが……。
相変わらず空気を読まないので、横向きに寝なおして顔を背けた。
しかし、それでも慰めようとしているのか、彼女は持ち上げてくる。
「そうかもしれないな……でも、おまえが居なかったら、その油断をしている相手にすら負けていただろう。サッカー部との試合に勝てたのは、やはりおまえのおかげだ」
「あんなの、たまたま運が良かっただけだ。乗じる隙が有っても、勝てる保障なんて無い。てか、そもそもあれは、おまえの軽率さが招いた物だろうが」
「その事は私も反省はしている。それでも、おまえは助けに来てくれたじゃないか。あの時のおまえは、本当にナイトに見えたぞ」
咎められて少し口を尖らせたが、直ぐに悪戯っ子の笑みを浮かべ、体を屈めて無理矢理こちらを覗き込んでくる。
自然、側頭部にとても柔らかく結構な重みがのしかかってきた。
このままでも十分だが、仰向けになったらきっともっと幸せになれるだろう。
「俺が居たってどうしようも無い事もあるって、今話したばっかだろ……俺が手を貸せない事だってあるんだし」
目を閉じ心を無にして、戒めの言葉で自らも律する。
すると、彼女が上体を起こした為に、幸か不幸か重圧からは解放されてしまった。
「そうだな。私もおまえに頼ってばかり、助けられてばかりじゃいけないとは思っていたんだ。だから、おまえの為に何かしたい、何をすればいいかとずっと考えていた。でも、ようやく解った気がする。まずは心配性なおまえを、心配させない事が先決なんだな」
少しの逡巡の後、虚空に目を向けたまま智代は言った。
ようやくか……。
「ずっとそう言ってきただろ」
「仕方無いだろ。おまえにそんな過去が有るなんて知らなかったんだ。私は単におまえが恥ずかしがり屋なだけだと思っていた。……いや、すまない。自分の過去を、褒められもしない過去を語るのは、誰でも抵抗ある物だろうな。よく話してくれた。おまえの話が聴けて、とても嬉しい」
自分の過去語りの時を思い出したか、しおらしく頭を下げてくる。
まあ、それもなくは無いし、そういうイメージを植えつけたのはオカンだろうけど。
「もし、生徒会長に選ばれたら、先代からの仕事の引継ぎや、創立者祭で暫くは忙しくなると思う。おまえと会える時間も減ってしまうかもしれないが、許して欲しい」
「それは全然かまわんから気にするな」
「……少しはかまえ!」
気のない返事をしたら、ムッとして頬をつままれた。
許してくれっつったのはそっちなのに……。
「ひひゃい……!」
「おまえがそんな風だから、こっちも不安になるんじゃないか!」
さっきまでしおらしかったのに、何か地雷を踏んだらしい。
「例え、忙しくてあまり会えなくなっても、おまえには私を見ていて欲しいんだ。手を貸してくれなくてもいい。おまえが見守っていてくれるのなら、私はどんな困難にも立ち向かってみせる」
真摯な決意のこもった声だった。
俺は身体を少し浮かせて仰向けに戻ると、真剣な眼差しを受け止めながら答える。
「あたりまえだろ。これからもフォロー出来る事はするし」
「あたりまえなのか?」
「あたりまえだ。ちゃんと見てるから安心しろ」
「そうか……うん、見ていてくれ」
ようやく納得したか、緩々の笑顔に戻り頭や身体を撫でてくる。
監視してないと危なっかしいからな……。
そうも思ったが、これは黙っておこう。
選挙結果が校内放送で発表されると、順にその生徒が所属する教室で歓声が上がった。
「おめでとー!」
「やったな!」
俺のクラスでも祝福の声や指笛の音が鳴り響き、当事者や仲間の健闘を称え合う。
まあ、称えられているのは髪の長い美少女ではなく、前髪が長過ぎる眼鏡男子だったが。
うちのクラスから立候補した末原は、順当に副会長に当選していた。
で、肝心の智代はと言うと……。
「川上君、おめでとう。坂上さんも当選したね」
「あ、ああ。ありがとう」
「これで演劇部も活動できそうかな?」
「どうだろうな。まあ、前よりは期待は出きるだろうけど……」
隣の仁科が言った様に、智代も無事当選した。
演説で、暴露された過去を認め、動機である鷹文の件を語った上で、生徒達に協力を呼びかけた事が功を奏したのだろうか?
イマイチ実感も沸かず、モヤモヤがずっと残ったままで、素直に喜ぶ気になれなかった。
待っていた放課後になる。
こういう時はやはり、情報通の門倉に話を聞いておくべきだろう。
と考えながら席を立つと、智代が小走りで教室にやってきた。
「すまない。これから生徒会の集まりが有るんだ」
「だろうな。いいから行け」
「うん。じゃあ、また明日」
手の甲を向けて振り“来るな”のジェスチャーをして追い返す。
別に約束している訳でもないのに、わざわざ来るなよ……。
「折角、生徒会長が忙しい中来てくれたのに、冷たいわね」
いつもの様に仁科を迎えに来た杉坂が茶々を入れてくる。
「忙しいなら来るなつってあんだがな」
「それが冷たいって言ってんの。まあ、私には関係ないけど」
呆れた様に答えると、あちらも呆れ顔で返してくる。
お前みたいのも居るから、来て欲しくないんだが……。
まあいい。さっさと用事を済ましに行こう。
じゃあなと仁科達にすれ違いざまに挨拶を残し、教室を後にした。
門倉を尋ねて教室に行ってみたが、入れ違えになったか既に教室には居なかった。
選挙後で報道部も忙しいんだろう。
仕方ないかと、掲示板に張り出された選挙結果を確認しに行く。
放送では当選者の票数しか発表されていなかったが、全候補者の得票数が書かれていた。
そこから読み取れた物は、かなりの辛勝であったという事。
まず、智代と山下の得票数差は予想通り僅差で、事前調査と比べると二人の票は割合的に減っており、他の会長候補者の票がかなり伸びていた。
また、副会長選等と比べて、無効票がかなり多い。
ここから判断するに、やはりネガキャンのダメージは大きかったのだろう。
その票が他の候補者や、無効に流れたと推測出切る。
これらの一割でも山下に流れていれば、逆転されていた。
そうならなかったのは、ゴリ押し戦術がウケなかったんだろうな……。
「ハァ……」
何か居た堪れなくなってきたので、溜息をつきながらその場を後にした。
「いらっしゃいませー。良かったですね。智代さんが当選して」
「ああ」
「いつものカフェオレでいいですか?」
「ああ、頼む」
気分転換に寄った資料室では、いつもの様に宮沢がにこやかな笑顔で迎えてくれた。
その笑顔とコーヒーの香りが漂うゆったりした雰囲気に癒される。
「まさかマジで生徒会長になっちまうとはな」
「ああ、驚いたぜ」
しかし、ゾロゾロと現れた厳つい先客達の所為でぶち壊しにされた。
まあ、一息ついたら演劇部にでも行くか……一応、お礼しといた方がいいだろうし。
それにしても、今日はやけに多いな……。
それも、どうやら話題はもっぱら智代が会長になった事らしい。
ひょっとして、こいつらも選挙の結果を気にして来たのか?
「おお、そういや川上、お前に頼みがあんだけどよ」
「ん?」
カフェオレをじっくりと味わいつつバカ共のバカッ話を適当に聞き流していると、不意に丸刈りタンクトッパー・須藤さんに話しかけられた。
「何でしょ?」
「この学校、もう直ぐ何とか祭りあんだろ?そのパー券有ったらくれねえかな」
「何とか祭りって……ああ、創立者祭?」
「そう!それ!」
よほど欲しいのか、拝むような仕草で懇願される。
うちの学校の創立者祭は、在校生とOBは本人確認だけで参加出来るが、それ以外の部外者の入場はチケット制になっている。
生徒に各4枚づつ配られるので、家族や友人を誘えという事なのだが、俺は家族を呼ぶ気も無いので全て余っていた。
「ああ、別に……」
「ちょっと待った!抜け駆けはよくねえぜ!」
「俺も欲しいっス!」
「じゃ、俺も!」
「俺も俺も!」
「ワシも!」
いいですよと深く考えずに答えようとしたら、一気に希望者が溢れた。
何だ?他校の創立者祭ってそんなに来たい物なのか?
俺は自分のトコのすら面倒なんだが……。
「すみません。来たいって人が多くて、どうしても数が足りなくて……」
「まあ、そりゃあな……」
宮沢も恐縮しながら頭を下げてくる。
いつもの様に忍び込めばいいんじゃね?
と思ったが、当日は入り口を固められるから厳しいかと思い直す。
「で、どれぐらい足りないんだ?」
「正確な数は把握してませんが、20枚くらい……」
「そんなにか……」
「この学校の知り合いつったら、後はお前や金髪と岡崎くらいだしな」
「……あれ?結構いねえか?」
「一人4枚で、川上と岡崎と金髪の分だから……15か!」
増えてるよ!3人足しちゃってるよ!
「それでも、全員分にはまだ足りないですね」
「ネットで買うと高えしなー」
「ネット?」
こいつらの口から出てきた意外性もあるが、たかが文化祭のチケットが売れる事に驚く。
「ネット通販に出回ってんの?」
「ああ、かなりな。安いのは速攻で売れちまうし、残ってるのは高えのばっかだ」
「へえ……」
正直、呆れた。
何でも売ろうとするんだな……。
まあ、参加したくてもつてがないって奴からすればいいかもしれんが……。
逆に考えれば、まったく誰も知らない奴が入ってくる事になる。
危険じゃないか……?
そう思った瞬間、最悪の事態が頭に浮かんだ。
「悪い。この券の事はまた今度で」
「あ、おい!どこ行くんだよ!?」
「てめえ!まさか売りに行く気じゃねえだろうな!!」
残っていたカフェオレを一気に飲み干すと、男達の怒号を背に俺は走り出した。