第二章 5月8日 ジャイアントキラーの末路
4限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。
それを合図に二年B組の教室の前に向い、出てくる担当の教師と昼食を求めて走っていく連中を尻目に、壁に寄りかかりながらあいつを待つ。
「オーキ!?」
先頭集団からやや遅れて、弁当と筆記用具を抱えて出てきた智代は、俺を見つけると驚きながら駆け寄って来た。
「早退したと聞いていたが、していなかったのか?」
「いや、病院行って戻ってきた」
「何!?怪我は大丈夫なのか!?」
“病院”と言う単語に過剰反応したか、智代は血相を変えて更に詰め寄ってくる。
こんな往来で、あまりくっつかれてはかなわん。
俺はカウンター気味に彼女の頭をぽんぽんと叩き、なだめつつそれ以上の接近を防いだ。
「何も問題無かったから、戻ってきたんだ」
「そうか……それもそうだな。うん、無事で何よりだ」
一度あさっての方を向きながら納得して、緊張を解き微笑む。
それにドキリとして、耐え切れず彼女からすり抜け背を向ける。
「まっ、それだけだ。昼も演説やんだろ?」
「いや、これから明日の打ち合わせで、候補者は集まる事になっているんだ」
「ああ、そうか」
「何も無ければ、一緒に食べられたのにな……」
「……ほら、集りがあんだろ?早く行った方がいいぞ」
「ああ……また後でな」
妙な事を言われる前に行かせるに限る。
聞こえなかった振りをして促すと、智代は名残惜しそうにしながらも歩き出す。
しかし、少し行った所で足を止めたかと思うと、小走りで戻ってきて唐突に頭を下げた。
「そうだ。昨日はすまなかった。許して欲しい」
「俺も言い過ぎたつったろ?もういいから、行ってこい」
「あ、ああ……またな」
苦笑しながら再び促すと、智代はすっきりした表情で微笑み、戻った遅れを取り戻すかの様に足早に去っていった。
公子さんと別れて病院を出ると、俺は学校に戻る事にした。
番犬の不在を知って、また姑息な手段を考え付く輩が出てくるかもしれんし。
智代がちゃんと選挙に集中しているか心配だった。
まあ、とりあえずはこれで智代の方は大丈夫だろう。
出戻った事を担任やクラスメイトに酷く驚かれたが、午後の授業は何事もなく終わった。
「オーキ」
帰りのHRが終わるや、担任と入れ違えで智代さんが入ってくる。
「すまない。これから選挙活動があるんだ」
何故謝る?それじゃまるで約束してたみたいじゃないか。
「知ってる。しっかりやってこい」
「うん。じゃあ、また明日」
素っ気なく返すと、用件はそれだけだったらしく、智代は帰っていった。
「相変わらず仲がいいわねえ」
仁科を迎えに来ていた杉坂が、要らんを茶々を入れてくる。
それを無視して立ち上がると、「じゃっ」と仁科に“だけ”言って俺も教室を出た。
校門前まで来ると、もはや定位置となってるベストポジションで山下が演説を始めている。
遠目の、しかしあえて山下から正面にある樹に寄りかかり、腕組みをしながらそれを聴いた。
さりげなく存在をアピールする様に。
山下の演説は、当たり障りも面白みもない無難な物だった。
だが、その入れ替わり立ち代りで現れる支持者達の話は、山下への媚と他候補へのネガキャンに終始し、聴き続けるのにかなりの忍耐が要った。
何とか一通り聴き終えたところで、そのまま帰宅はせず校舎に戻る。
今日はこのまま下校時間まで残るつもりだ。
久しぶりに演劇部やパソコン部に顔を出して、時間を潰すとしよう。
5月8日(木)
結局、昨日は何も無かった。
まあ、何も起こさせない為に戻ったのだから、ベストな結果なのだが……。
どうもスッキリしない。
リスクを考えてやらなかったのか、はたまた既に勝算が立ったのか。
何か重大な見落としをしてやしないかと不安になってくる。
もっとも……一連の妨害はただの偶然で、黒幕なんて居ない可能性も有るが……。
坂上智代がやってきた事を思えば、個人的な恨みや嫉みが原因であっても何ら不思議はない。
山下を疑っているのは、証拠も何もない、あくまで俺の勘だ。
てか、奴の場合、仮想敵にして警戒しておかねば、黒だった時に対処しきれないかもしれない。
敵に回すと最も危険だと認識しているからこその、第一容疑者である。
本当に、ただの俺の杞憂であればいいのだが……。
そんなこんな色々考えていて、今日も寝不足気味に。
しかも、バイトから戻って二度寝していると、久しぶりにあいつが襲撃してきやがった。
「選挙活動はどうした?」
「活動していいのは昨日までだったんだ。だから今日は、一緒に登校できる」
「そうか。だが眠い!」
横向きになりながら布団を被り、既に枕元に座っている侵入者に背を向ける。
「おまえはいつも眠そうだな。冬眠中のくまさんみたいだ」
しかし、まったくめげる事無く、布団から出ている頭を撫でてくる。
それには構わず飽きるまでやらせておき、少しでも眠ろうと目を瞑った。
「怪我は痛くないか?」
「ああ」
「何か不自由な事はないか?」
「ある」
「何だ?遠慮なく言ってくれ」
「寝たい」
「またそれか。折角女の子が来てやってると言うのに、仕方のないやつだな……じゃあ、後で起こしてやるから、仮眠していいぞ」
そう言いながらもその場から離れようとはせず、頭をなで続けてくる。
心地よくはあるが、やはり気恥ずかしい。
「なあ、オーキ……もう寝たか?」
数分と経たず訊いてくる。
「寝てない」
「そうか……なあ、少しだけいいか?」
「ん?」
「誇り高いおまえの事だ。あまり他人に弱味を見せたくないと言うのも解る。でもな。私にくらい、もっと甘えてくれていいんだ」
頭を撫でながら、優しく諭すようにそう言ってきた。
改まって何を言うかと思えば……。
「……だから寝かせろっつってるだろ?」
「そうじゃない。そういう事じゃないんだ」
「じゃあ、胸揉ませろ」
「どうしてそうなるんだ!」
話題をそらす為のセクハラ発言だったが、さすがに引かれたらしい。
だが、暫くするといきなり頭を持ち上げられ、どかされた枕の代りに交互にずらしながらやってきた膝の上に置かれる。
「おっぱいを揉むのはダメだが、膝枕ならしてやろう」
いたずらっぽい笑顔が、上から見下ろしてくる。
いや、誰もそんな事頼んでないし。
要するに、お前が構いたいだけだろ。
てか、こっちが恥かしいから“おっぱい”言うな。
色々つっこみたかったが、とりあえず目を瞑り、極上の枕を堪能しておく。
「なあ」
「ん?」
「今日の選挙の結果は、今日中に発表されるのようなんだ」
「ああ」
「その発表の時は……おまえと一緒に過ごしたい」
「ダメだ」
素っ気無く即答すると、口を尖らせ半眼で睨んでくる。
「どうして?」
「そんなもん、ちゃんと応援してくれたクラスの奴等とかと一緒に居るべきだろうが」
「おまえだって、いつも助けてくれているじゃないか」
「俺がお前を助けるのは当たり前だろ」
やれやれといった体でそう言うと、何か期待させたのか智代は少しだけ頬を染めた。
「……あたりまえなのか?」
「当たり前だろ。もう身内も同然なんだし」
「身内なのか……」
「それに、俺達の目標は桜並木を守る事だ。生徒会長になった程度で浮かれてられるか」
「……そんな事はわかっている」
三段オチの様に厳しい事を言うと、つまらなそうに横を向く。
智代が望んでいる事はわからなくはないが、それで周りの反感を買うのはマズイ。
ここは一気に理詰めで押し切るとしよう。
「だがな、他の奴等は違う。お前を生徒会長にするのが目的で支持してくれたんだ。逆を言えば、今後も手を貸してくれるとは限らない。目的が達成された時に、肝心のお前が居なかったらどうだ?白けちまうし、それで次もまた手を貸そうって気になると思うか?」
「でも、その時おまえは居ないじゃないか」
「だから、俺の事はいいっていつも言ってるだろ?」
「そうだ。おまえはいつもそうだ。サッカーの時は先に帰ってしまうし、野球の時もあまり嬉しそうではなかった。ストイックなのはわかるが、もう少し喜んだりしてもいいんじゃないか?古河さんのお父さんも、心配していた」
急に思い詰めた表情になったかと思うと、思いも寄らぬ人の名前を出してきた。
確かに、秋生さんには昔から言われてきた事ではあるが……いつの間にそんな話を?
多分、草野球の時だとは思うが……他に妙な事吹き込まれてないだろうな?
そっちも気になるトコではあるが……。
まあ、いずれ話そうと思っていた事ではあるし、良い機会かもな……。
「昔な……ある所に小さな国が在ったんだ」
「国……?いきなり何の話だ?」
「まあ、聞け」
不思議そうな顔をする智代を制し、俺は覚悟を決めて、ある昔話を語り始める。
ある所に、小さな国が在った。
資源も乏しく、さして誇る物も無い貧しい国だった。
周囲の諸国からは弱小と侮られ、戦をすれば散々に蹂躙された。
だがある時、一人の男が小国の守備を任された。
男はこの国をどうしたら守れるのかを、本気で考えた。
弱小と言えど祖国には愛着があるし、何よりそれまで共に戦ってきた仲間が居たからだ。
男は城壁を高くし、堀を造り、ありとあらゆる攻撃に対する防衛手段を練り……。
万全の備えを施し、将兵を鍛え、堅固な要塞を作り上げた。
男の努力は実を結んだ。
弱小国は、いかなる強国の攻撃をも凌ぐ、難攻不落の要塞となったのだ。
鉄壁の守りと、敵の油断や惰気を突いたカウンターで、小国は勝利を重ねた。
しかし、とある中堅国との戦になった時、男は嘆き、後悔する事になる。
敵国の名は「一度勝利した相手」
小国の将兵は、誰一人勝利を信じて疑わなかった。
男以外は……。
一度勝った事による驕り、絶対的な守備への自信から来る慢心。
それまで最大の援軍であった“油断”が、敵となった。
元々、総合的な戦力はほぼ互角。
それで雪辱に燃える敵国に、浮かれていて勝てる訳が無い。
無論、男は何とか仲間の目を醒まそうとした。
けれど、不運は重なる物。
開戦直後の奇襲が、偶然“成功してしまった”のだ。
歓喜に沸く将兵達の中、男は一人天を仰いだ。
これでもう、男の声は仲間に届かない。
戦いは、序盤こそ勢いに乗る小国が押していた。
だが中盤になると、死に物狂いになった敵に押され始める。
それでも、幸か不幸か、要塞は簡単に落ちる事は無かったんだ。
最後の最後……そう、本当に最後の最後まで……。
だが、ついに要塞は小さな綻びから攻略され。
拠るべき物を失った小国はそのまま滅んだ。
「たった一度の油断で、全てが水泡に帰した国の話だ」