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第二章 5月7日 合わせ鏡

 目覚めると、あやちゃんの眠るベッドに突っ伏していた。

 やばいな……いつの間にか寝ていたらしい。

 枕にしていた腕が湿っているのに気付き、慌てて汚してやしないかとシーツをなぞる。

 触った感じ、どうやら無事の様だ。

 てか、これ……よだれじゃないな……。

 そこで初めて自分が泣いている事に気付く。

 ああっ……俺は本当に馬鹿だ……。

 とめどなく溢れる涙はそのままに、管につながれた彼女の手を握りしめる。

 冷たい……。

 あの日抱き抱えた、ずぶ濡れの身体そのままの様だ。

 それでも……それでも彼女は生きている。

 生きようと、懸命に戦っている。

 「頑張れ……頑張れあやちゃん……!」

 生きて欲しい。

 今は心の底からそう願う。

 何らかの後遺症が残るかもしれない。

 身寄りがもう無いかもしれない。

 いくつものハンデを背負う、辛く苦しい人生になるかもしれない。

 それでも……それでも生きてくれ。

 俺も……覚悟を決めたから……。

 「あれ……オーキ君?」

 背後でカチャリと音がして、誰かが入室してくる気配がした。

 咄嗟に涙をぬぐい、顎を引いて出きるだけ目元が陰になるように振り返ると、ショートカットで私服姿の女性……伊吹公子さんが驚いた顔で立っていた。

 「あ……どうも……すいません……」

 足が遠ざかっていた後ろめたさで、つい謝りながら頭を下げる。

 「こんな時間にどうしたの?今日平日だよね?」

 「あ、いえ……その……頭少し怪我しまして……」

 まるで教師の様な口調で問われ、少しドギマギしながら親指で額のバンダナを少し上げて大義名分の証拠を見せる。

 「どこかにぶつけちゃったの?大丈夫?」

 「少し切っただけなんで……平気です」

 「そっかぁ……それで診てもらったついでに、お見舞いしてたんだね」

 「ええ……まあ……」

 ほとんどご想像にお任せだったが、どうやら納得してもらえた様だ。

 それよりも……。

 「あの……すいません。伊吹さんが来てくれてるのに、当事者の俺があまり来れなくて……」

 間接的に関わっただけだと言うのに、少なくとも俺以上にお見舞いに来てくれているであろう事に恐縮して改めて頭を下げる。

 すると公子さんは少し困った様に微苦笑しながら、両手を振って否定する。

 「それは仕方無いよ。学生には勉強や部活もあるだろうし、友達付き合いだって大切だしね。それに私も、妹の所に行ったついでだから……」

 「妹……さんの……?」

 何故か星の様な物が記憶の泉に落ちて弾けるイメージが思い浮かんだ。

 それを不思議に思いつつも、何となく全てを理解する。

 「……妹さんも入院してるんですか?」

 「うん……実は、私の妹も二年前、高校の入学式の日に事故に遭ってね……あやちゃんと同じ様にまだ意識が戻っていないの」

 「そうだったんですか……」

 衝撃を受けると共に、随分前に妹さんは俺より年上だと聞いた事を思い出す。

 二年間もか……。

 その長さと重さに茫然となる。

 俺なら耐えられるだろうか?

 想像するだけで気が変になりそうで、ゾクリと凍える様な寒気を覚えた。

 「そうだ!あやちゃんのお見舞いの後でいいから、良かったら妹の病室に来てくれないかな?妹にオーキくんを紹介したいの」

 重苦しくなった空気を払うかの様に、公子さんはパンと手を叩いて明るく言った。




 妹さんの病室は、殺風景なあやちゃんの部屋と違って賑やかだった。

 この子のお気に入りなのか、ぬいぐるみやおもちゃがベッドや棚に置かれている。

 ……って、先輩か……。

 とは言え、ベッドで寝ている女の子は年下……と言うか、あやちゃんと同じくらい、小学生くらいにしか見えない。

 さっき高校の入学式と言っていたが、“この子の”ではないとか……?

 妹さんが一人とは限らないし。

 これは寝続けて成長が止まっているからとか言うレベルではない気がする。

 てか、よくよく見るとおもちゃとかも女子高校生がいまだにこれで遊んでいるのか?……と言うか、女児向けですらなさそうな物まで混じっていて、正直面食らった。

 「この子が妹の風子です」

 「あ……どうも……」

 「ふぅちゃん、オーキくんが来てくれたよ。前に話した事あるよね?」

 手短に紹介を終えると、公子さんは妹さんの頭をなでながら優しく話しかけはじめる。

 年の離れた姉妹と言うより、もはや母と娘の様だ。

 ……。

 さっきから、やけに不謹慎な事ばかり考えてるな……。

 彼女はあやちゃんと同じかそれ以上に深刻な状態にあると言うのに……どうも実感が沸かない。

 赤の他人だから現実味がないのか……?

 そうではない……と思う……。

 むしろ、この子には初めて会った気がしない。

 それも、ついさっきも顔を合わせた様な……そして、軽く失礼な事を言われた様な……その上、とてもおぞましい物を見せられた様な……そんな妙な親近感があった。

 「そういえば……うちの学校で芳野さんと式を挙げられるとか」

 「えっ……?」

 口走った言葉に自分でも驚く。

 こんな時に、いきなり何訊いてんだ?

 案の定、振り返った公子さんもキョトンとしている。

 「どうしてそれを……?ああ、ひょっとして早苗さんか渚ちゃんから聞いたのかな?」

 「えっ?えっと……」

 お茶を濁そうとネタを考えてると、公子さんの方から逆に質問を返され軽くテンパる。

 そうか……公子さんも古河パンの常連だったか……。

 てか、そもそも俺はこの話をどこで聞いたんだっけか?

 「ああ、いえ……多分、学校で聞いた噂かと……」

 「そうなの?そうかぁ……創立者祭今週末だもんね……もう準備くらい始まってるよね」

 「本格的な準備は、選挙後だと思いますが……」

 「生徒会選挙かぁ……そうそう、この時期やけに立て込んでたよね。懐かしいなぁ……」

 遠い目をする公子さんを見て、とりあえずどうにかなったかとホッとする。

 しかし、束の間の追憶の後に彼女の瞳は伏せられ、その物憂げな表情にドキリとした。

 「実は式の件なんだけど……まだ正式に挙げると決めた訳じゃないの」

 「えっ!そうなんですか?」

 しまった……やらかしたか!?

 バツの悪さに、思わず前髪から後頭部までかき上げそのまま掻く。

 「内輪だけの小さな結婚式だから、創立者祭の時に空き教室を借りるだけなんだけどね……それでも今週末だから、早く決めないといけないんだけど……」

 「それって……やっぱり妹さんのことが……?」

 「うん……妹がこんな状態なのに、自分だけ幸せになっていいのかなって……でも、ずっと待っていてくれている祐くんを、これ以上待たせるのも悪いし……」

 彼女の辛い心情は痛いほど解る。

 同じ立場なら……いや、既に同じ立場か……。

 俺もあの事故以来、浮かれる気にはとてもならない。

 無理に結婚を急ぐ必要はないんじゃないですか。

 そう言おうとしたその時、ふと誰かの言葉が甦った。

 「僕も同じです……自分の知り合いがあんな目に遭ったと言うのに……のうのうと普通に暮らしてていいのかなって……笑ったり、楽しんだりする事が、悪い事のような気がして……」

 「うん……」

 「でも、ここに来て、伊吹さんの話を聞いて、凄く共感したんですけど、こうも思ったんです……妹さんはどう思ってるんだろう?って……」

 「ふぅちゃんが……?」

 「もし、自分の事を気にしてお姉さんまで幸せになれないとしたら……申し訳ない気分になるんじゃないかなって……」

 妹さんはきっと祝福してくれますよ。

 そこまで言いたかったが、俺が言えた義理じゃないので言葉が続けられなかった。

 でも、それでも通じてくれたのか、公子さんは優しく頷く。

 「そっかぁ……うん。そうだよね。実は私も今、まったく同じ事を思ったの」

 「えっ……?」

 「あやちゃんにとって、オーキくんは命の恩人でしょう?そんな人が、自分の所為で心を痛めてるとしたら、とても悲しむんじゃないかって……」

 「そうですね……」

 どこか晴れ晴れとした表情の公子さんに対し、俺は自嘲の笑みを浮かべるしかなかった。

 自分の事を一番わかっている様で、自身がまったく見えていない。

 つくづく自分はポンコツだと痛感する。

 でも、そんな俺の両手を取って包む様にして握ると、ドキリとしている所に彼女はこう言った。

 「ありがとうね、オーキくん。あなたのおかげで決心がつきました。私、幸せになります」

 それは再会してから初めて見る、昔出合った頃のままの翳りのない極上の笑顔だった。 

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