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第二章 5月7日 いつから錯覚していた?

 5月7日(水)


 昨日はなかなか寝付けなかったので寝不足気味だが、眠かろうと痛かろうとバイトの時間はやってくる。

 メットをかぶるとヘアバンド越しでもチカッとしたが、眠気覚ましには丁度よかろう。

 仕事に支障がない分この前の手の怪我の時よりは全然マシだ。

 何をするにも使わない訳にもいかないので、あの時は本当にきつかったな……。

 ん…?

 ふと思い当たり、ハンドルを握る右手を離し見つめながら考える。

 そういえば……右手は何で怪我したんだっけか?

 ……っ!

 記憶を遡っているとまた傷が痛みだし、強制的に中断させられる。

 何だ……?

 これって……まさか、殴られたショックで記憶が飛んだとか!?

 嘘だろ……!?

 これまでだって、至近距離のシュートやら智代の蹴りやら食らいまくっても平気だったのに……。

 いや、まあ、そのダメージの積み重ねも有るのかもしれんが……。

 思い出そうとすると痛みが酷くなる。

 記憶の確認をしたかったが、とりあえず運転中はやめておいた方がいいだろう。



 

 バイト先で原付を乗り換え、いつもの巡回ルートを、いつもの様にたんたんと回っていく。

 再三ルート確認をしているが、仕事に関しての記憶の欠落は無い様だ。

 こいつの家もちゃんと覚えている。

 『坂上』の表札から見上げ、あいつの部屋と玄関を交互に警戒しながら新聞を投函し、速攻で次に向かう。

 あいつの家の前を通る時は、出てきやしないかといつも緊張する。

 弟の方と違い、こんな真夜中にあいつが起きてる事はまず無いとは思うが……。

 ネトゲ廃人に片足をつっこんでいる鷹文のやつは、この時間でも部屋の明かりがついている事が結構ある。

 一度偶然出てきて顔を合わせた事もあった。

 おかげで鷹文にはバイトをしている事だけでなく、坂上家は俺が配達している事までバレており、一応の口止めはした物の、何かのはずみで姉に漏らさないとも限らない。

 そうなったら、あいつの事だから家の前でずっと待ってたりしそうなんだよな……。

 無事に安全圏まで脱し、安堵の溜息をつく。

 いっそもう、こちらから教えて釘を刺しておく方がいいんだろうか?

 



 バイトを終えて、“あの場所”を訪れる。

 落ち着いて考え事をするには、ここしかない。

 目を瞑り、“手を怪我していた”という事実から、“何処で治療したか?”を思い返してみる。

 ……ッ!

 この時点でダメか。

 病院で手に包帯が巻かれた所まではうっすらと覚えているんだが……。

 いや、まてよ。

 治療を受けたのは、いつもの整形外科じゃない気がする。

 だとすると……ッッ!!

 まるでその結論が出る事を阻害するかの様に、一際強い痛みが襲ってきた。

 だが……他に病院と言ったらあそこぐらいしかない。

 隣町の総合病院しか……。



 

 「ちぃっス」

 「おう……ん?どうした、その頭?」

 日課の古河パンを尋ねると、案の定傷の事を訊かれた。

 いや、まてよ。

 傷は昨日買ったハアバンドで隠してあるから、ぱっと見じゃ判らないはずだが……。

 と思っていたら、秋生さんはニヤッとして予想外な事を言ってきた。

 「へっ、ついにおめぇも色気づいてめかしこむ様になったか。それとも、智ぴょんとお揃いか?」

 そっちかい!

 って、しまったー!!そう取られるのか!!

 ほとんど無意識に“黒い”ヘアバンドを選んで買ったが、モロにあいつとカブってるじゃんか!

 「い、いや……これはその……」

 「だが、まだまだ甘ぇな。俺なんか早苗とのペアルックはもちろん、渚と3人でペアペアルックもよくしたもんだぜ」

 「はぁ……」

 遠い目をしながら自慢されても、羨むどころか俺は恥ずかしくて死んでもやりたくないんで……。

 しかし、どうする?

 不幸中の幸いか、おかげでこのまま学校に行けば、いらぬ誤解を受けかねない事が判明した。

 代用品がないか少し探してみるか……。

 「んで、殴られた所は平気なのか?」

 「それは……って、知ってたんすか?」

 急に神妙な顔つきになって真面目な話を振られ、ずっこけそうになる。

 ペアルックはただの振りかよ!

 「渚と小僧からな。愛する智ぴょんを庇って、不良ども30人とやりあったそうじゃねえか」

 「いや、別にやりあってませんて」

 「だが、まだまだ甘ぇな。俺なんか愛する早苗の為に、不良1000人とやりあったもんだぜ」

 どこの無双武将ですか?

 「別に喧嘩じゃなく、面倒だから一発殴らせてやっただけですって」

 「ほお、“愛する智ぴょん”は否定しねぇんだな」

 「……つっこみどころが多くてスルーしただけです!」

 まったくこの人は……!

 拳を握り目を瞑ってグッと怒りを堪える。

 「で、どうなんだ?」

 「ちょっと縫いましたけど、それだけです」

 早苗さんや渚さんに伝わるといけないから、記憶が一部飛んだ事は黙っておこう。

 「いや、智ぴょんとの仲だ。もうキスぐらいしたか?」

 「してません!」

 何だか今日はやけにしつこいな……。

 ひょっとして、普通に訊いてもどうせ本当の事は答えないと思ってやってんのか?

 「何ぃ!?まだしてねえのか!?かー、甘ぇ!やっぱ、まだまだ甘ちゃんだな、おめぇは!俺なんか早苗と付き合い始めて……」

 「秋生さ~ん、ちゃんと仕事して下さいね~」

 背後からの穏やかな声に振り返ると、いつの間にか早苗さんが立っていた。

 助かった……と思いつつも、少々空寒さを覚える。

 「げっ、早苗!いや、これはだなぁ、こいつが俺達の初チューはいつかって訊くもんだから……」

 「訊いてませんて」

 「オーキくん」

 いつもの笑顔が消え、真剣な表情で名前を呼ばれてドキリとする。

 まさか、秋生さんの与太話を信じちゃった……!?

 「怪我の調子はどうですか?」

 「えっと……ちょっと縫いましたが、他は……少し記憶が飛んだくらいで異常無かったです」

 やべ……記憶の事ついしゃべっちまった……。

 でも、女神の如き早苗さんの前で嘘がつける程、俺は不遜にはなれない。

 「記憶が飛んだだぁ!?じゃあ、智ぴょんとキスした事も忘れちまったのか?」

 「それはしてません」

 「まさか、俺が貸した金の事は忘れてねえだろうな?」

 「絶対借りてません」

 「『渚ちゃんと結婚します』つった事は、もう覚えてないよな?」

 「それは……覚えてません……」

 「だよなぁ?ハッハッハッー記憶喪失サイコー!」

 視線をそらしながら答えると、バンバンと人の背中を叩きながらバカ親父はとても喜んでいた。

 いやいや、軽度の物ならよくある症状とは言え、サイコー!は不謹慎でしょ……。

 かと思うと、

 「そうですか……オーキくんが本当の家族になってくれる日を、ずっと楽しみにしていたのに……」

 早苗さんがヨヨヨとベソかきだしたー!

 「えっ、ちょっ……てか、渚さん彼氏いるんじゃ……?」

 「そうでした」

 一瞬で涙を止め、パンと合いの手を打ってニコリと微笑まれる。

 女の涙は、出し入れ自由なんですね~! 

 だがしかし、

 「ぬぁにぃぃぃぃぃぃい!?渚に彼氏が居るだぁ!?」

 今度はバカ親父の方がキレ出したよ……。

 「秋生さん、知ってるでしょ?」

 「まあな」

 早苗さんのつっこみで、ようやく一連の夫婦漫才が終息する。

 はあ……本当に同時に相手をするにはヘビーな夫婦だ……。

 脱力して一息ついていると、再び早苗さんは微笑みながらも強い眼差しで諭す様に言った。

 「オーキくん。オーキくんの事ですから、そうする事が一番傷つく人を少なくする方法だったのだと思います。けれど、あまり危険な事はしないでくださいね。オーキくんが傷つく事で、悲しむ人達も居るんですから……」

 「すいません……」

 ああっ……やっぱり誰よりも、この人に言われるのが一番こたえる。

 まあ、かち割られるくらいは覚悟していたが、記憶まで飛ぶとは想定していなかったからな……。

 



 「いい?智代ちゃんに謝って、ちゃんと仲直りするのよ!」

 「……」

 昨日の晩から耳タコの台詞に見送られ、黒いニット帽をかぶって無言で家を出る。

 まったく、誰の所為で拗れたと思っているのやら。

 さて、今日は選挙の前日だ。

 昨日の騒ぎの時に釘を刺しておいたから、余程のバカでなければ妨害の類は無いとは思うが……。

 きっと何かしら手は打ってくるだろう。

 相手の手を色々と予想をしながら、長い坂道を登って行く。

 不評だったであろうビラは今日は無く、代わりに女子生徒達が精一杯声を張り上げていた。

 普通……だな。

 動員数は普通ではないが、割と正攻法だ。

 と、思っていたのだが……校門でやはり奥の手が待っていた。

 「……彼になら、安心して後事を託す事が出来ます。いや、彼以外にはありえません!」

 現職の生徒会長が山下の襷をかけて演説していた。

 最後の最後でこいつを出してきたか……。

 現生徒会長はさほど人気は無い。

 と言うより、大多数の生徒にとっては“空気”だろう。

 だが、だからこそ『現生徒会長』の看板はそれなりに効果が見込めるとも言える。

 現生徒会長が一候補に肩入れする事や、完全なゴリ押しが不興を買わねば……だが。




 朝のホームルームを寝てやり過ごそうとしていると、終了時に担任から「ちょっと来い」と呼ばれた。

 また説教か……。

 だるそうに立ち上がり廊下に出ると、担任は人気の無い特別教室の方に向かって歩き出す。

 「この辺でいいか」

 周囲に人が居ない事を確認してから教師は立ち止まった。

 まあ、この人ならそれ程長くはならないだろう……。

 と覚悟完了していたのだが、けれど担任が語ったのは、背後から鈍器で殴られる様な、まったくの不意打ちだった。

 「実はな、お前に警察から感謝状が送られる事になった」

 「……はっ?」

 「この前のあれだ……地すべり事故の時に、女の子を助けただろ?」

 「一体何の……うっ……!?」

 この人は一体何の事を言ってるんだ?

 そう考えた瞬間、視界がぐにゃり捻じ曲がり、世界がグルグルと回りだした……。 

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