第二章 5月6日 軍師失格
結局、病院へは宮沢と一緒に行く事になった。
かかりつけの近所の整形外科だ。
宮沢は大きな病院で診てもらった方が良いと勧めたが、それだと隣町まで行く必要がある。
救急車ならともかく、血だらけで交通機関を利用する訳にもいかないだろう。
なにより面倒だし。
どこからともなく沸いてきたお供達どもがゾロゾロ付いてこようしたが、当然ながらご遠慮願った。
絵面的にあらぬ誤解しか受けないだろ。
しかし、それでもやはり監視する様にバレバレの尾行をしてきやがったので、病院の前で宮沢に帰ってもらう口実にさせてもらった。
医者には『サッカーをしてて、ゴールポストにぶつけました』と説明したが、血まみれのYシャツ姿で説得力有っただろうか?
まあいい。
治療は二針程縫って、問診やレントゲンで一通り異常が無い事を確認して終わった。
ついでに太めの黒いヘアバンドと着替えを購入してから帰宅する。
「オーキ!」
家の前まで来ると、ガレージから智代が飛び出てきた。
はあ……来ちゃってんのか……。
「怪我は大丈夫なのか!?」
俺のパーソナルスペースを易々と正面突破すると、触れようとして止めた手を所在なげにしながら、ヘアバンドの下の傷をつま先立ちをしながら上下左右から確認しようとする。
そんな事をしたって見えないだろ……。
そう思いながらも眼前でプルプルと揺れてる物に目を奪われ、諦めるまで暫く無駄骨を折ってもらう。
「……別に平気だ」
「痛くはないか?どこかに異常はなかったか?」
「だから、平気だって。検査でも何もなかった」
「そうか……いや、でもまだ油断は出来ない。頭の怪我だからな。もし、何かあったら、大変な事になる」
「わかってるっての……」
「あら、おかえり。ちゃんと病院行ってきたの?」
大げさに心配するその背後から、仕事をしていたらしきお袋がいつもと変わらぬ様子で姿を現す。
口ぶりからして、智代から事情を聞いてそうだが……。
落ち着いているのはありがたいが、余計な事を言ってそうで嫌な予感しかしない。
「ああ……」
「そう……好きな女の子を守ったのは偉いけど、あまり無茶しちゃダメよ」
「ぐっ……!?」
いきなり打ちかましやがったやがったこのババア!!
智代も赤くなって俯きながら、俺のYシャツの裾を掴む。
もうそれだけで、俺が不在の間に何を吹き込まれたかようく判った。
「ハア……とにかく、大丈夫だから、お前はもう帰れ」
憤激を何とか溜息に変えて吐き出し、呆れた様に通告した。
言いたい事は山ほど有るが、三十六計強制退去に如かず。
用事も済んだだろうから、帰らせるのが一番だ。
だがしかし、この程度で動じる大怪獣“オカン”ではない。
「あら、折角心配して来てくれたんだし、お茶ぐらい出しなさいよ」
「はい!お邪魔します」
「お邪魔すんな!」
「もう、まったくこの子は照れちゃって……ホントに恥ずかしがりやさんなんだから、ねえ」
「オーキは照れ屋さんだな」
「ふざけんな!!っつ……!!」
KY二匹の猛攻の前に、ついに堪忍袋の緒が限界を迎えると、額の傷が痛みだした。
思わず傷を押さえて肩膝をつく。
「オーキ!!頭が痛いのか!?」
「頭怪我してるのに、興奮するからよ」
「怒らせてんのはどっちだよ!?」
オカンという生き物は、どうしてこう無自覚で無神経なんだろう?
やべえな……傷開いたかもしれん……。
「お前も、俺の事が本当に心配なら、イライラさせんなよ。言う事聞け」
「でも……」
「もうすぐ選挙だろうが……頼むから集中してくれよ」
「それは、もちろんそうする。でも、お前の事が心配なんだ」
「だから、心配なら安静にさせてくれ。俺に構うな」
「……私が居ると迷惑だと言うのか?」
「そうだ。お前が居ると気が休まらない」
「……」
「折角来てくれた女の子に、そんな言い方無いでしょ!」
「お袋は黙ってろ!」
声を荒げると、さしもの二人も口を閉ざした。
そしてショックを受けている智代の手を払いのけると、俺は玄関に向かって歩き出す。
「……すまなかった……お大事にな……」
ドアノブに手をかけた所で背後から声が聞こえた。
だが、それに振り返る事なく、俺はそのまま帰宅した。
夜になると、門倉と鷹文からメールが来た。
門倉のは予想通り怪我の具合の確認のメール。
鷹文のは『ねぇちゃんが凹んでる』と言うこれまた予想通りの内容だった。
門倉と付き添いに来てくれた宮沢には、異常が無かった事を報告しておいた方がいいだろう。
鷹文には……。
『お前が何とかしろ』
そう返信しかけて指を止める。
いかんな……俺が冷静でいなくてどうする?
これが選挙に差し支える様な事になったら、それこそ本末転倒だろう。
一時の感情に流されるな。
男は常にクールであれ。
だが……。
「どうすりゃいいんだよ……?」
携帯の画面を見ながら、万年床に寝転がる。
こんな時どうすればいいのか、何をするのが最善なのか、答えがみつからない。
そもそも……どうしてこうなった?
編入してまで目的を成そうとする、あいつの強い決意は本物だったはずだ。
それを見て取ったからこそ、俺も分の悪い賭けに乗る事にしたんだ。
それなのに……。
あいつは浮ついてブレる様になった。
少なくとも、俺にはそう思えた。
だからそれを引き締めようと、時に厳しく接してきたんだ。
……いや、違う。
俺は……なかなか思い通りに動いてくれないあいつに苛立っていた。
あいつの根拠の無い自信や、後先考えない思いつきの行動が鼻についた。
あいつの言動が、理解出来なかった。
だから俺は……あいつの事に関しては少々怒りっぽくなっていた……のかもしれない……。
いやいや、でもなあ……。
だとしても、やっぱり悪い所を放って置く訳にもいかないだろう?
それとも……あいつの好きにやらせた方が、“うまく”いくんだろうか?
「わかんね……」
生まれてこの方、“うまく”いった事なんて一度も無いのに、“うまく”やる方法なんて判る筈が無い。
それに……長年一緒に戦ってきた連中の心すらも解らず変えられなかった俺だ……会って一月の、しかもモンスターじみた女の心なんて、解るはずも無いだろう。
『ごめん。さっきは言い過ぎた。選挙については、“初心に帰れ”』
智代に対してはそうメールし、門倉と宮沢宛ての文面には、『フォローを頼む』と付け加えた。