第二章 5月6日 逆転の奇策
「きゃああああああああああああああっ!!」
女子達の金切り声。
「うわああああああああああああああああ!!」
獣の様な智代の咆哮。
「げえっ、坂上!!」
智代の出現にうろたえ後ずさる男達。
その全てが、スローモーションのモノクロ映画を見ているかの様に遠く遅く感じられた。
危機に直面して、“ゾーンの様な物”が発動したのだろう。
俺は一瞬目つぶり、右手を握りしめる。
大切な物に“鍵”をかける為に。
「ひいいいいいいいいいいいっ!!」
恐怖で腰が抜けたか、俺を殴った男は逃げようとするも足をもつれさせバランスを崩した。
「きさまらぁっ!!」
その男に向けて、智代は旋風をまとい龍の尾が如き長い髪をうねらせながら、必殺の回し蹴りを放つ。
ガシッ!!
しかし、その蹴りは届く事はなく、男は無事にその場に尻餅をつけた。
すんでの所で割って入り、背中を密着させて回転を制しつつ右上腕を脛に沿わせる形で受止めたのだ。
「なっ……!?」
「バカやろう!!この前の事をもう忘れたのか!?」
背中越しに一喝する。
すると、彼女はそれを思い出したか、酷く顔をひきつらせて蒼白となる。
「ち、違うんだ!これはあいつらがおまえを殴ったから……」
「頭を冷やせ!全てをぶち壊そうとするつもりなら、俺は二度とお前を許さない」
「ッ!!」
俺の卑劣な恫喝に、智代はよろめいて数歩後ずさり、唇を噛んで打ち震えながら立ち尽くす。
どうやら人型最終兵器の戦闘モードは解除出来たようだ。
「もういいだろ?何があろうと、こいつは俺が抑える。だからお前らも、とっとと帰れ」
遠巻きにこちらをうかがい呆気にとられていた連中をザッと見渡してやり、最後に一番近くのM字開脚で座り込んでいる男を見下ろしてやる。
「ひっ!!」
すると男は、器用にもそのまま腰を浮かせ両手両足をカサカサと動かしながら安全圏まで後退し、仲間の手を借りながら決まり悪そうに立ち上がった。
奴らは完全にビビッている。
にもかかわらず、まだクライアントからの要望を満たしていないのか、はたまたプライドゆえか、男達はなお武器を構えこちらを警戒する素振りを見せ帰ろうとしない。
もう一押し必要か……。
このにらみ合いに決着をつけるべく、口を開きかけたその時だった。
「そうだ!とっとと帰れー!」
「もう気は済んだでしょ!?帰りなさいよ!」
「帰れ帰れー!」
野次馬の一人が俺の尻馬に乗ったのを皮切りに、光坂生徒による帰れコールの大合唱が始まった。
ざけんな……。
激していた熱が醒めていく。
「っ……!」
それまでアドレナリンが忘れさせていた痛みが襲ってくる。
殴られた箇所を押さえた手に、ねっとりとした感触を覚え、眼前に下げると赤く染まっていた。
智代や教師に知られると面倒な事になりそうだな……。
まあ、このまま振り向かずにやり過ごそう。
「早く帰れよクズども!!」
「今言った奴誰だ!?出て来い!!」
聞こえてきた罵声にカチンときて、思わず怒鳴ってしまった。
途端に罵声は止み、水を打った様に静まり返る。
「コソコソと人の影に隠れて、好き勝手な事言ってんじゃねえよ!!」
人が矢面に立って事態を収拾しようとしていると言うのに……。
頭が良いなら、無駄に敵愾心を煽るだけだという事ぐらい判れってんだ。
本当に世の中、勉強は出来ても頭の悪い奴が多過ぎる。
辟易しながら傷を押さえていた手を離すと、生暖かい物が顔をつたって顎から垂れた。
恐らくYシャツも大分汚れちまってるだろう。
「さあ……今日の所は、俺の顔に免じて引いてくれ」
それら全てを見せつけながら、言葉とは裏腹に「最後通告だ」とばかりに男達を睥睨する。
暫しの無言の駆け引きの後、
「い、いいぜ。これで勘弁してやらあ。だが、次は無いと思え!!」
精一杯の虚勢を合図に、他校の生徒達は小走りに撤退していった。
ふう……とりあえず外敵は撃退出来たか。
さて、俺もこのまま帰って病院に……と思った矢先、背後から最も聞きたくも無い声が聞こえてきた。
「川上、これは何の騒ぎだ?」
相も変わらず、事が終わるの待っていたかの様に、最悪のタイミングで教師達が現れる。
「ああ、もう終わりましたんで……それじゃ俺も帰ります」
「終わりましたじゃない!どういう事か説明しろ!」
教師の追及を振り切り、俺は後ろ手を振って背を向けたまま帰ろうと歩き出した。
のだが、
「待ってくれ。オーキは何も悪くない。全て私が悪いんだ」
KY娘が激しく余計な事を言い出しやがった。
おいおい、勘弁してくれよ……。
「君は……2年の坂上だったな。一体どういう事だ?」
「あいつらの目的は、私だったんだ。オーキは私を庇ってくれたに過ぎない」
「誤解を招く様な言い方をするな!」
やむなく振り返って話に割ってはいる。
すると案の定、俺の有様を目撃した者達全てが驚愕する。
「きゃぁっ!!」
「オーキ!!血だらけじゃないか!!」
血相を変えて俺に駆け寄り、ハンカチを取り出して俺が押さえていた傷に当てようとする。
それを血の付いていない左手で制して彼女をどかすと、三人組のいかつい教師達と対峙する。
「お前……その顔どうした!?まさか喧嘩をしたのか!?」
「こちらからは一切手は出してませんよ。それは見ていた奴らが証明してくれるはずです」
教師達が周囲の生徒達に目を向けると、何人かの生徒達がうんうんと頷いてくれた。
その間に智代が左肩にすがりつく様にして傷を押さえ様としてきたので、気の済む様にやらせてやる。
「それなら、何故殴られた?そもそも、他校の生徒達が来た目的はなんだ?」
「だからそれは私の……」
「ただの選挙妨害です!」
智代がまた余計な事を言う前に、もう何もかもぶっちゃける事にした。
「選挙妨害……?」
「そういえば、坂上は生徒会選挙に立候補していたな」
「しかし、どうして他校の生徒が、我が校の選挙を妨害しようとする?」
「正しくは、ネガキャン、騒ぎを起こす事で坂上のイメージダウンを狙ったネガティブキャンペーンですよ。恐らく、対立候補の誰かが仕組んだ事でしょう」
「なっ……!?」
俺の言葉に教師達は最初怪訝な表情をしたが、周囲の野次馬が一斉にヒソヒソ話をはじめた事に気づいて焦りの色を見せる。
「滅多な事を言うんじゃない!」
「とにかく、生徒指導室に来い!話はそこで聞く!」
これ以上他の生徒に俺の話を聞かせるのはまずいと、教師達が強制連行に踏み切ろうとにじり寄る。
すると、それを察した智代が、両手を広げて俺の前に立ちはだかった。
「手荒な事はやめてくれ!オーキは怪我しているんだ!」
「川上が来ようとしないからだ!」
「坂上、お前も来い!」
教師はその彼女の手をも掴もうとする。
マズイ!
「連休中の5月3日!坂上は『相談が有る』と差出人不明の手紙で呼び出されました!」
「うわっ!!」
最終兵器が教師相手に再起動されちゃかなわん。
俺は背後から左手を回して彼女を抱き寄せながら、大声で強引に説明を続けた。
教師達は一瞬それで怯んだが、ますます目を血走らせて手を伸ばしてくる。
「いいから来るんだ!」
「それが、今日来た連中の学校の近くで、差出人も現れませんでした!」
「まあ、待ちなさい」
例え連行されても真実をわめき続けてやる。
そう覚悟を決めたが、降って沸いた穏やかな声によって教師達はその動きを止めた。
いつもの、曲がった腰に組んだ後ろ手を当てる老人らしいポーズで現れた幸村先生だった。
「幸村先生……」
「まずは生徒の話を聞きましょう。それに、頭の怪我の方も治療せねばなりますまい」
「救急箱持って来ました!」
「有紀寧!」
両手で救急箱を持った宮沢が息を切らせて駆け寄ってくる。
箱を傍らに置いて治療に取りかかろうとすると、智代が「やらせてくれ」と宮沢からそれを借り受け、俺の傷の消毒を始めた。
「……坂上が呼び出されたと言ったな?その時に揉め事を起こしたんじゃないのか?」
幸村先生の登場と応急処置が始まった事で、教師達もおいそれと手が出せなくなったらしく、渋々と言った様子で粗捜しをしてくる。
「いえ、何も。そうだな?」
「あ、ああ……奴らを見かけはしたが、その時は何もなかった」
「それでどうして武器まで持って大勢で来るんだ?」
「だからこそ、あの手紙は今日の騒ぎを起こす口実を作る為の罠だった、としか考えられないんですよ。坂上の名前を出せれば何でも良かったんでしょ。武器も大人数で来たのも、騒ぎを大きくする為の演出に過ぎません。そもそも、先日の落書き騒動の事もありますしね……」
「……話はわかった。今回は大目に見てやる。だが、危険だからこういう時に出て行くなといつも言っているだろ。二度とこういう事が無いように。それと、応急処置が終わったら、念の為に医者にかかりなさい」
「はい」
これ以上の追求は薮蛇と判断したか、三人組の教師達は事務的な小言を残して校舎に戻っていった。
それを見届けてから、幸村先生も踵を返す。
「ふむ……川上、くれぐれも無茶はせんようにな」
「はい。すみません先生」
一言たしなめられ去っていくその背に、感謝をこめて深々と頭を下げる。
本当に、一歩間違えれば最悪の事態も有り得ただけに、先生が来てくれて助かった。
「宮沢も悪いな」
「いえ、須藤さんから大体の事情は聞きましたが、大変でしたね」
須藤さん見てたのかよ……。
まあ、出てこられても余計ややこしくなっただけかもしれんが……。
それよりも、だ。
俺には最後のミッションがまだ残っている。
「智代、もういいから、お前は選挙活動に戻れ」
「嫌だ。これから病院に行くのだろ?私も一緒に行く」
こいつを本来の業務に戻らせてこそコンプなんだが……やっぱり簡単には聞き分けてはくれんか……。
しかし、俺とて折角身体を張ったんだ。ここで引く訳にはいかない。
「ダメだ。選挙は明後日だぞ。やらんでどうする?」
「智代さん。付き添いなら、わたしが一緒に行きます」
「いや、それも悪いんだが……」
「オーキが怪我をしたのは、私の責任でも有るんだ。私には病院に連れて行く義務が有る」
「ざけんな。責任を感じてんなら、選挙に受かってみせろ」
「今日一日ぐらい活動をしなくとも、選挙には何の問題も無い」
「いい加減にしろよお前……」
「智代さん、智代さんが責任を感じているのと同じ様に、自分の所為で智代さんの選挙活動に支障をきたしてしまったら、川上くんも気に病むと思います」
苛立ち始めた俺の代わりに、宮沢が諭しにかかってくれた。
それで気勢を削がれたか、智代は俯き加減になって口を尖らせる。
これは、このまま任せた方が良さそうだ。
「でも、それでは私の気が済まない」
「それは何か別の事で埋め合わせしてはどうでしょう?」
「別の事で……か……」
親友に説得され、彼女は暫く無言で逡巡と葛藤をしていた様だったが、
「……わかった。有紀寧、後は頼む」
と、観念した様に言った。
「はい。智代さんも選挙活動頑張って下さい」
「ああ」
ふう……宮沢のおかげで、どうにかミッションコンプリートか……。
……って、あれ?宮沢が付いて来るのは回避不可能?




