第二章 5月5日 ミッションコンプリート!
「チャー、シュー……うひゃぁ!!」
河南子は振り子打法でタイミングを計ろうとするも、予想を凌駕する智代の剛速球の前に完全に振り遅れ、腰砕けになって片膝をつく。
ズバーン!!
「ストライク、バッターアウトー!!」
ここが正念場と踏んでいた絶好調の河南子との対決だったが、終始圧倒しての智代の貫禄勝ちだった。
まあ、振り子打法は性質上、より長い距離を振ってる分速球に弱いから、その点でも有利ではあったが。
「ナイスピー!」
「ああ」
チェンジになり、すかさず寄っていき労ってやる。
しかし、彼女はまったく嬉しそうな顔をせず、むしろ不機嫌そうに相手ベンチに下がっていく河南子を一瞥してぼやく。
「あいつは調子に乗り過ぎだ」
「まったくな……」
どうやら河南子に対して相当ご立腹らしい。
あいつは昔っからあんな感じだったと言うか、まるっきりお調子者の男みたいだったからな。
そう、丁度春原さんみたいな……。
……だから余計癇に障るのか?
あの手の奴はノリで適当な事を言ってるだけだから、こっちも適当に受け流すのがベターなのだが、まあ、怒りでリミッターが外れて抑えられたんだから結果オーライか。
「もし、このまま試合に負けてしまったら、お前も河南子に負けた事になってしまうのだろ?」
「そりゃあな」
「お前はいつも私を助けてくれる。だから、今日はお前の為にも負ける訳にはいかない」
「ああ……期待してる」
正直、最初はあまりやる気を感じられなかったが、ここにきて智代の気分も大分乗ってきたようだ。
生徒会長としてイベントを仕切る側に回る彼女にとっては、この試合もまた良い経験だろう。
やるからには意欲的にやってもらわんと、こいつの為にならない。
ここだけの話、その点においては河南子が敵に回ってくれて良かったと思っている。
秋生さんの負傷で、なんとなく白けムードだった試合がここまで白熱した物になったのは、あいつが敵として相手チームを盛り上げてくれたからだろう。
まあ、そこまで考えてあちらについたのかどうかは不明だが……。
六回の裏の攻撃は、妹さんと一ノ瀬さんは打たせて取るピッチングにはまり、岡崎さんは手の出しにくい際どいコースをつかれ、三者凡退に終わる。
そして最終回・七回表の相手の攻撃を智代がきっちり抑え、7対8、一点のビハインドのままこちらの最後の攻撃となった。
打順は一番・杏さんからの好打順。
しかし、三打数二安打一四球の10割バッターである杏さんや相楽さんでも、元甲子園ピッチャーの本気のピッチングの前に成す術なく、共に内野ゴロに打ち取られてしまった。
ツーアウト・ランナー無し。
後が無い状況で、坂上智代の打席となる。
「智代」
打席に向かう智代を呼び止める。
ヘルメットから溢れる髪をなびかせ振り返ったその顔には、眼鏡がかけられていた。
「ぎりぎりまで引き付けてよく見極めろ。お前なら打てるはずだ」
「ああ、任せてくれ。必ず打ってみせる!」
凛として静かな気迫に満ちたその姿は、甲冑を纏い戦場に赴く戦女神を想起させた。
あいつは必ず打つ、いや、打たないはずがない。
そう確信しつつ俺は高揚する気持ちを鎮め、逆転の一手を打つべくベンチの秋生さんのもとに向かった。
「ピッチャー、バッター狂犬ですよー!」
気を逸らそうとしてか、外野から河南子が野次を飛ばす。
しかし、打席に立った智代はそれにまったく動じる事無く、ピッチャーのみを見据えていた。
いつもより拳一つ分バットを短く持ちながら。
特にアドバイスした訳ではないが、先程の俺の打席を見て自分で判断したのだろう。
ゴロを打つ為ではなく、変化球に対応する為に、ベストを尽くす為に。
相手バッテリーも残りアウト一つとなりながらも慎重さを失わず、入念にサインを交換してから智代に対し一投目を投げる。
シュッ
カッ、シュルシュルシュル……
「ストライーク!」
微動だにせず見送った球は、キャッチャーが捕り損い後逸する程鋭く変化したスライダーだった。
普通のストレートと変わらぬ球速で迫り、打者の手前で落ちながら逃げる様な変化をしていく。
わかっていたって打つのは難しい。
だが、これであいつがスライダーを見たのは三球目だ。
それも、今回はじっくりと“見”に徹したのだから、今のあいつなら次は打つだろう。
けれど、相手も同じ事を感じたか、二球目は大きく外に外れるストレート、三球目は逆方向に変化するシュートで、スライダーは投げてこなかった。
カウントはこれでツーストライク・ワンボール。
その間、智代は一度もバットを振っていない。
だが、それでいい。
一見智代が追い込まれた様に見えるが、実際の所、相手投手は相当なプレッシャーを感じている事だろう。
元々ストレートに滅法強い上に、自慢の変化球をこうもじっくり観察されては、投げられる球種がかなり減ってきているはずだ。
その迷いを表す様に何度も首を振った後、相手ピッチャーは四投目を投げる。
シュッ
ど真ん中への遅目のボール。
しかし、智代を恐れをなして逃げ出すかの様に外に曲がっていく。
「ボール!」
キャッチャーが飛びついて止めなければならない程、大きく変化するカーブだった。
ここにきて、相手投手の変化球のキレが増してきている。
いや、これが元・甲子園投手の本気の球なのだろう。
ここまでそれを出さなかった、いや、出せなかったのは、キャッチャーの捕球に不安が有るからだ。
別にあちらの捕手が下手なわけではない。むしろ草野球レベルなら上手い方だろう。
それでも、球種やコースが判っているとはいえ、あれだけ多彩に変化する球を何度も捕り続けるのは、かなり苦労しているはず。
ランナーさえ居なければ後逸する事自体にそれ程リスクは無いが、後逸し易いと思われればそこに漬け込まれるし、やはり捕手にとっては恥となるので、ピッチャーは自然とセーブする物だ。
そのリミッターが外れたという事は、相手もかなり追い詰められている証拠だろう。
カウントはツーツー。
そろそろ勝負にきそうだが、はたして……?
シュッ
相手投手が勝負球に選んだのは、構えたグリップに当たりそうなエグイ内角への直球だった。
避けなければ当たる!
しかしボールは、一瞬そう思わせておき、そこから内側に変化していくスライダーだった。
そうきたか!
バットを短く持った打者に対し、バットの届き辛いアウトコースを集中的に攻めて意識を完全に外に向けさせておき、いきなりぶつけられそうなインコース。
普通のバッターなら驚いて避けてしまうか、闇雲にバットを振ってしまうだろう。
だが、坂上智代に駆け引きは通用しない。
冷静に迫るボールが変化するのを見届けてから、彼女はこの打席初めてのスイングを開始する。
先程ミート打法を教えた時には叱ったが、バットを短く持つ事自体はむしろ智代と相性が良かったのかもしれない。
パワーとしなやかさを兼ね備えた彼女がよりコンパクトな構えをとった事で無駄が無くなり、元々常人離れしていたスイングスピードは更に加速する。
グワァラゴワガキーン!!
ソニックブームを巻き起こしながら弾き返された打球は、一瞬にして外野フェンスに到達する。
だが、
ドーーーーーーン!!
角度が低過ぎてライナーでフェンスに当たり、ホームランにならず。
しかも、凄まじい勢いでぶつかったボールは、凄まじく跳ね返り内野まで戻ってきた。
「セ、セーフ!」
ボールはセカンドが取ってファーストに送球され、いち早く智代が駆け抜けたから良かった物の、危うく内野ゴロ?になる所だった。
「すまない。ホームランにならなかった」
「何言ってる十分だ!ナイスバッティング!」
一塁から大声で謝る智代さん。
気持ちはわからないでもないが、相手の事も考えような。
さて、これでツーアウトながら同点のランナーが出た。
「秋生さん」
「ああ、わかってる。審判、代打だ!」
手筈通りに代打が告げられる。
何とかしてこのチャンスを活かさねばならない。
それにはもうこいつしか託せる者は居なかった。
「頼んだ。お前ならやれると思う」
ヘルメットの両側からはみ出る程大きな白いリボンをつけた少女に、確認も兼ねて声をかける。
すると彼女はにこりと意味有り気に笑いながらこう言った。
「ねえ、一つだけお願いが有るんだけど、いいかな?」
「お願い?物によるけど……何だ?」
「あたしの名前呼んで『頑張れ』って言って欲しいなぁ……なんて」
「はぁ?なんだそりゃ……」
言葉を濁して誤魔化しつつも、内心焦る。
さっき聞いたはずの名前をもう忘れていたからだ。
嘘だろ……いくら俺があんま人の名前覚えないつったって……。
いや、一度認めた相手の名前は基本的に忘れないはずなんだが……。
「ッ……!」
記憶を必死に検索していると、それを脳が拒否するかの様にビキッと痛みが走る。
一体何なんだ……?やっぱり何か超常現象でも起きてんのか?
「ぁや……」
「えっ……?」
「……『沙耶ちゃん頑張れ!』って言ってくれるかな?」
「さや……ちゃん頑張れ……」
「オッケー!任せて“お兄ちゃん”」
リクエストされるままに反芻すると、彼女は親指をグッと立ててウインクをしながら思いも寄らぬ単語で俺を呼んだ。
……お兄ちゃん?
あれ……あいつ年下だっけ……?
いや、ただからかっただけ……なのか?
まあ、いい。今は試合に集中しよう。
まったく腑に落ちないが、これ以上考えても混乱するだけで試合どころじゃなくなりそうだ。
「プレイ!」
“さや”が打席に入り、試合が再開される。
ツーアウト・一塁。
アウト一つ取られれば負けの状況だが、同点のランナーが出た事は大きい。
智代の足の速さは既に判っているだろうから、尚更プレッシャーになるだろう。
ピッチャーは一塁の智代を確認するが、彼女はほとんど塁から離れていない為、牽制球を投げる事無く投球モーションに入る。
それを合図に動いたのは、さやの方だった。
「!」
ピッチャーが投げたと同時に、バントの構えをとったのだ。
シュッ
コン!
慌てて内野が前に出るも、さやは巧みにボールの威力を殺してベースカバーを意識して前に出るのが遅れていた一塁線上に転がし、智代にも負けぬ俊足で一塁を駆け抜け見事セーフティーバントを成功させた。
その間に智代は三塁まで進み、これでツーアウト・一三塁に。
「ミッションコンプリート!」
「ナイスだ“さや”!よくやった!」
ぶっつけ本番、一発で初めてであろうバントを、ああも完璧にやってのけるとは流石“さや”だ。
同点のランナーを背負った事で、相手ピッチャーは後逸を恐れ際どい変化球を投げ辛くなっており、初球は直球か変化球でも変化の少ない物が来ると俺は予測していた。
また、二死の状況でバントと言うのは、漫画とかではまれによくあるが、博打以外の何者でも無い。
だからこそ俺は、この奇襲は“いける”と確信めいた物を持っていた。
“さや”であれば、“やってくれる”と信じていた。
「さて、次はてめえの番だな……決めてこいオーキ!」
「オーキ君、ファイトッですよ~!」
「オーちゃん、頑張ってください!」
古河家一同からの声援に送り出され、俺は4度目の打席に向かう。
ここまで三打数無安打一死球といいとこ無し。
だが、智代も“さや”も俺の期待に完璧に答え、再び打順を回してくれたのだ。
これで少なくとも同点に出来なきゃ、立つ瀬が無いだろう。
だが、俺が打席に入り構えたとき、相手キャッチャーもまた立ち上がった。