第二章 ５月５日 空手の奥義
ストライクが取れるようになった智代に、敵は居なかった。
シュッ
ズバン！！
「ストラーク！バッターアウトー！」
剛速球の前に相手バッターは文字通り手も足も出ず、三者三振で五回の表を完璧に抑える。
無理も無い。
何しろ秋生さん並の球速の上に、渚さんの超遅球の後だ。
遅い球に慣れた目でこの速球についていくのは、プロだって難しいだろう。
難点はほぼど真ん中以外投げれない事か。
試しにミットを外に構えてみたが、大きく外れて暴投になってしまった。
さすがに細かいコントロールまでは望めないと言う事だろう。
まあ、残りは二回。この緩急差があれば何とかなるだろう。
五回の裏のこちらの攻撃は、渚さんの代わりに４番に入ったフーコって子からだ。
「ふぅちゃん、がんばってください！」
「任せて下さい！新必殺技のヒトデストライクをお見せします！」
物凄く自信有り気だったが、とても不安になる必殺技名だった。
バットに振り回されながら、女の子は意気揚々と打席に入る。
しかし、
「えい！」
「とりゃー！！」
「必殺！ヒトデストラーイク！！」
「ストライク、バッターアウトー！」
自分の身体がくるくる回る程の豪快なスイングで、あっけなく三球三振。
まあ、相手は警戒したのか最初から変化球で来たので仕方が無いか。
「あの人の球、ふにゃふにゃしてて変です！正々堂々勝負しないなんて、とても卑怯です！」
「変化球は卑怯でも何でも無いからな」
あの子もダメだったか……。
だがこれで、今後は相手も本気モードで来る事は明らかになった。
智代の球を見て追加点は望めないとも思っただろう、一点のリードを全力で死守しにくるはず。
ここまで当たっている杏さんや相楽さんでも、初見で変化球を打つのはまず無理だ。
唯一あの人の変化球と対戦経験の有る俺が何とかするしかない。
黙想……。
想い描くは、相手の最高の決め球。
そしてそれを打ち崩す、己の姿。
これがこの試合、最後の打席になるかもしれない。
この打席に……全てを賭ける！！
今まで以上に集中して打席に入る。
相手ピッチャーもそれを感じ取ったのか、慎重にサインを確認し、投球モーションに入る。
シュッ
「ストライーク！」
内角低めギリギリのストレートにピクリと反応するも、打てても長打にはならないと判断し見送った。
なるべく長打……と言うか、春原さんには悪いが、ホームランを打つ他点を取る事は出来ないだろう。
だが、それは相手も同じ考えのはず。
ホームランさえ打たれなければ、抑える自信が有るはずだ。
シュッ
「ボール！」
二球目はストライクコースから外に変化するカーブでボール。
これも手を出せば打ち取られていた。
さすが甲子園に出ただけあって、抜群のコントロールと変化球のキレだ。
これで打たせて取るピッチングをされては、長打狙いはかなり厳しい。
女子相手に７点も取られて調子を落とす事も期待していたのだが、河南子の登板や智代を変化球で抑えた事で、すっかり復調してしまっている。
ヒッティング重視に切り替えるべきか……？
一度目を瞑り、覚悟を決めて俺はバットを短く持ち変える。
勝負の三球目。
シュッ
投げられる瞬間、俺はバットを長く持ち変えた。
ブンッ
「ストライーク」
曲がりながら落ちるスローカーブを空振りし、ツーストライク。
作戦失敗……。
だがそれでも、俺は懲りずに短く持って構える。
こういう小細工は続ける事が肝心だ。
相手の心を少しでも揺さぶる事が出来れば、そこから隙が生まれる事も有る。
カウントはツーストライク・ワンボール。
一球外してくるのがセオリーではあるが……。
ピッチャーはサインに二度首を振った後、四球目を投げる。
シュッ
速い……来た！
球速とコースのみを確認すると、今度はバットを短く持ったまま、しかし打席の目一杯前に踏み出しながらスイングに入る。
山は高速スライダー。
ただの直球なら三振か、当たってもゴロになるだろう。
だが、俺はこれが相手の決め球である事を確信していた。
バットを短く持った布石が在るからだ。
今の相手ピッチャーにとって最も嫌なことは、球数を稼がれる事だろう。
残り三回を自分で抑えたい、智代達を抑えられるのは自分しか居ないと思っているのに、俺にファールででも粘られて体力を削られたくは無いはずだ。
加えて、俺の方にはまだバットを持ち直す迷いが有る。
遊び球を投げて考える時間を与えるより、決め球で早目に勝負をつけてしまおうと考えても不思議は無い。
そして、読み通りボールはベースを掠め打者から逃げる様に横にスライドする変化を見せた。
それを、変化がまだ小さい内に捉える。
カキーン！
バットを短く持った方がバットコントロールがし易く、しかしその分遠心力が稼げないので長打にならないのが道理。
が、それが絶対では無い。
長く持ったところで芯を捉えられなければホームランにはならないし、短く持ったからってホームランを打てない訳では無い。
最短距離をコンパクトに振りぬき、ジャストミートした打球は、レフト方向にぐんぐん伸びていく。
いったか？
手応えは有った。
高さが微妙なトコだが、ギリギリスタンドまで届くだろう。
だがしかし、その下には打球を猛然と追いかける野手の姿があった。
外野に回された河南子だ。
まさか……！？
嫌な予感がした。
そしてそれは、直ぐに現実の物となる。
「キェェェェェェ～～～！！」
河南子はフェンス際に到達するや、一度フェンスに向かって跳び上がり、更にフェンスを蹴りながら反転して三角跳びでフェンスを越えようとするボールに手を伸ばす。
バシッ！
「アウトー！」
見事に空中でキャッチしてのけやがった。
これにはさすがに暫し呆然とする。
ピッチャーとの勝負には勝っていた。
だが、やはりバットを短く持った分、飛距離が足りなかったと言う事だろうか。
春原さんもセカンドゴロに倒れ、五回裏の攻撃は無得点に終わる。
そして六回表、２番・３番を三振に切って取り、４番の河南子を迎えた。
「くっくっくっ、ようやくこの時が来ましたね先輩。今度こそ勝負です！」
おもいっきりドヤ顔を俺に見せ付けてから、彼女は打席に立って智代を挑発する。
ムカつくが、ここが正念場だ。こいつさえ抑えられられれば、最後までいけるだろう。
「これまで通りでいい。落ち着いて行こう」
「ああ」
智代は落ち着いた物であったが、むしろ自分に言い聞かせるように言って構える。
策を講じ様にも、どうせど真ん中にしか投げられないんだ。
ここは坂上智代の力を信じ抜く他有るまい。
さあ、智代。
格の違いを見せてやれ！
シュッ
バシッ！
「ストライーク！」
初球は見に徹したか、微動だにせず。
「うひゃぁ、間近で見ると間近だけにマジ速えー！」
素直に驚いている様だが、油断は出来ない。
飄々としながらも、抜け目無いのが河南子という奴だ。
「おら、“まぢ”かと“マジ”をかけてんだ。笑え！」
と思っていたら、突拍子も無くアホな事を言い出すのも、また河南子だ。
「……フッ……」
「鼻で笑いやがったな！」
「私語は慎みなさい」
審判の注意が入って、続く二球目。
シュッ
キン！
当てやがった！
「ファール！」
バットを掠めた打球は、そのまま後方のフェンスに飛んでいってファールに。
しかし、一球見ただけでここまでタイミングを合わせてくるとは……やはりこいつは侮れん。
「まだ振りが遅いか……でも、次は打ちますよ」
挑発的な河南子の台詞に、智代は一瞬眉をしかめた。
だが、直ぐに俺に視線を向け、俺だけを真っ直ぐに見つめてくる。
彼女の纏う青白い闘志のオーラが更に大きくなった様に感じた。
来る！
本当に本気の坂上智代の全力投球が来る！
「こい！」
そうだ、それをぶつけて来い！
集中力の昂ぶりと共に周囲の景色は消え去り、バッターの河南子すらも存在しない。
投手の智代と、捕手の俺だけが居る世界。
ただ、智代の球を捕る。
坂上智代の全力を受止める事に、俺もまた全てを懸ける。
彼女の長い脚が上がり、全身のしなやかなバネから生まれた全ての力が右腕に集約し、放たれる。
バシュッ！
ズバアァァァァァァーーーン！！
「ストライク・バッターアウトー！！」
審判がコールした瞬間に景色が戻り、そこには空振りして膝をつく河南子の姿があった。
