第二章 5月3日 カチューシャ取り説
秋生さんが後の事を俺に任せて店に戻ったので、とりあえず仕切らにゃならなくなった。
まあ、今日はひとまず軽い練習をしながら、みんなの実力を見ていく事にしよう。
「それじゃあ、まずは軽くキャッチボールでもしますか。ペアになって始めて下さい」
「オーキ、一緒にやろう!」
ペアでと言った途端、速攻で智代に腕を掴まれ捕まった。
俺はフリーで見回るつもりだったんだが……有無を言わせぬご機嫌ぶりに、まあいいかと許してしまう。
「ひゅぅ、お熱いねえお二人さん。それじゃあ岡崎、僕らも……」
「朋也くん、私、朋也くんと一緒にやりたいの」
「そうだな。どうせお前、キャッチボールなんてやった事ないだろうし。やるか、ことみ」
「え……?」
そして岡崎さんを意外にも一ノ瀬さんが積極的なアプローチでゲット。
当然組めると思っていたのか、当てが外れた春原さんはショックをうけて暫し硬直する。
「あの子、こういう時は素早いのよね……」
「……ふっ、しょうがないな~、芽衣、久しぶりに……」
「じゃあ、芽衣ちゃん、一緒にやろっか?」
「はい、杏さん」
そして、気まずさを金髪をかきあげる仕草で誤魔化してる間に、杏さんと妹さんが組んでしまった。
「ん?どうしたのおにいちゃん?」
「う……」
この短い間にニ度振られ、あぶれたおにいちゃんがそこに居た。
しかし彼は気を取りなおすと、きょろきょろと周囲を見回し獲物を見つけ寄って行く。
「椋ちゃん、僕と一緒にキャッチボールしない?」
「あ、あの……私はマネージャーなので、見学してます」
「じゃあ、渚ちゃん、一緒に……」
「すみません。わたしは舞台の練習をしなければならないので、もう少ししたら戻るつもりなんです」
「いいじゃん、いいじゃん、ちょっとだけ、ね?そんなに時間とらせないからさぁ……」
「ご、ごめんなさい!」
「すみません!」
「あ……う……」
見学組を軟派と言うか、怪しい勧誘っぽく攻めるも、二人同時に深々と頭を下げられ、4タコしたおにいちゃんがそこに居た。
あはれだ……。
あはれ過ぎる。
「えっと……じゃあ、春原先輩は坂上とやって下さい」
「待て!どうしてそうなるんだ!?」
憐憫の情とキャプテンの責任からそう提案したのだが、今度は智代が猛烈に抗議してきた。
「私だって、春原となんてやりたくない!」
「“だって”って……それじゃあ、まるでみんなが僕の事嫌いみたいじゃん」
「その通りだ」
「断言するなよ!!」
「別にいいだろ?キャッチボールするぐらい……」
「嫌だ!私は、オーキと一緒にやりたいんだ!どうしてそれがわかってくれないんだ!?」
微塵も空気を読まない智代は、恥ずかしい事を言いながらむくれてそっぽを向いてしまう。
まったく、生徒会長になろうって人間が、立場的判断くらい解せ。
どうしたもんかと困っていると、すかさず助け船を出してくれたのは妹さんだった。
「おにいちゃん、わたし達と三人でやろ。いいですよね?杏さん」
「まあ、それしか手はないわよね……」
よく気のつくええ子や……。
なのに当のおにいちゃんは、性懲りもなく兄貴風を取り繕おうとする。
「しょうがないなぁ、芽衣がどうしてもって言うなら、にいちゃんが一緒にやってやるよ」
「別にやりたくないならいいわよ。芽衣ちゃんやっぱり二人でやろっか」
「一緒にやらせてください!」
だがその野望もたちまち杏さんに打ち砕かれ、結局最後は土下座していた。
10メートルくらい離れて向かい合い、キャッチボールを開始する。
「いくぞー」
まずは見本として、俺の方から腕だけで投げる、いわゆるスナップスローをやって見せる。
緩やか弧を描いたボールは、左肩の上辺りに構えていた智代のグローブにすっぽりはまった。
「やってみ」
「こうか?」
一度ボールを見てから、智代が投げる。
ブン!
投石器の様に弓なりにしなった腕から勢いよく放たれたボールは、そのまま俺の頭上のはるか上を越えていった。
いきなり大暴投だ。
「すまない」
「だから、軽く投げろって」
見失うと面倒なので、慌てて踵を返し小走りで拾いにいく。
こりゃ、後ろ人いないか十二分に注意しないとだな……。
思った通り、他はともかくコントロールに難があるようだ。
そう思ってまずコントロール重視のスナップスローを教えたのだが……智代のコントロールは一向によくならない。
投げるたびにそのたわわな果実がゆさゆさと揺れて……いや、要するにだ、あいつ的にモーションがまだ大き過ぎるんだろう。
スナップスローは主に肩、肘、手首の力と、僅かな上体の捻りと体重移動で投げてる訳だが、全身バネ人間である彼女はそれだけでもこれだけのパワーを生み出してしまうのだ。
これで全身を使って投げたら、一体どうなるんだろう?
「どこを見てるんだ?」
視線に気付いたか、捕球しながら暴投娘がジト目で訊いてきた。
だから、そう言う事は大声で言うなよ。
いくら離れているとは言え、他の人にも聞こえるだろ。
「お前こそ、ちゃんと俺を見て投げてんのか?」
「ちゃんと見ている!見ているけど、上手く狙った所にいかないんだ……って、誤魔化すな」
俺が答えるのを待っているのか、智代はボールを持ったまま投げる素振りを見せない。
こじれると墓穴になりそうだな……。
そう判断し、溜息をつきながら寄っていく事にした。
「キャッチボールは、相手の胸元を見て、そこに向かって投げるんだ」
“誤解”が無いよう、とんとんと自分の胸を親指で叩きながら指導してやる。
そう、俺は別に不純な動機でそれをガン見していたわけじゃないのだ!
「相手のグローブに向かって投げるんじゃないのか?それでは、相手にぶつけてしまうじゃないか」
「捕るからいいんだ。てか、お前はグラブにだって投げれてないじゃんか」
「それはそうだが……」
「とにかく、相手の真ん中に投げろ。そうしたら、多少ズレても手の届く範囲にいくから」
一方的にコツだけ教えて、また妙な事を言い出される前に背を向け逃走する。
そして元の位置に戻って向き直ると、
「うっ……!」
ドキリとして思わず唸ってしまった。
俺が詭弁を弄したと思ったか、無茶苦茶睨まれている。
ボールを持って構え、鋭い眼光で俺の心臓を射抜くが如く、智代は俺の胸元を凝視していた。
その姿はまるで……“あの日”の、かつて網膜に焼き付けた『伝説の最強少女・坂上智代』。
ああっ……それだよ!
やはり坂上智代はそうでなくては……!
周囲の景色が“絶対ヒロイン”の存在に侵食されて消え、世界に俺と彼女だけが残る。
やはりこいつは、少し遠目からの方が、敵として対峙する方が映えるんだ。
近くなり過ぎて、その辺りをついつい忘れてしまうけど。
今ならこいつのファンが多いのももっともだと頷ける。
「こいっ!」
湧き上がる昂揚感を抑えきれず、腰を落としグラブを叩きながら催促する。
さあ、投げろ!
投げろ智代!
お前の全てをぶつけてこい!
この俺が、この川上央己が、全て受けきってやる!!
そして智代は、俺から一切目を離す事なくボールを投げた。
ブンッ!
大きく弧を描いたボールを見上げながら目で追っていく。
やっぱり大暴投だった。
「すまない!」
肩透かしを食らい呆気にとられていると、智代は謝りながら走ってきて、そのまま擦れ違い自分でボールを取りにいく。
……一体何だったんだ……?
「すまない。お前の事はずっと見ていたんだが、狙っていた所に行かなかった」
帰ってきて、俺にボールを渡しながらまた謝ってくる。
特に怒ってる様子もなく、態度はあくまでしおらしい。
もし俺が出鱈目を教えたと思っていたら、あいつなら抗議してくるよな……。
って、事は……ただ単に俺に向かって投げようと注視してただけ?
「そういえば……お前って目悪いんだっけか?」
「ああ。……ひょっとして、目が悪いからコントロールが定まらないんだろうか?」
「どうだろ?メガネ有るなら試してみたらどうだ?」
「そうか……わかった。取ってくるから少し待っていてくれ」
どうやら、単によく見ようとして眉間にしわが寄ってただけだったらしい。
さて、智代がメガネを取りにいってる間に、他のメンバーの事も見ておこう。
まず、岡崎さんと一ノ瀬さんペアだが……、
「えい!」
ひょろろ~……ぽて……ころころころ……
一ノ瀬さんは体を開いたまま腕の力だけで投げようとする、完全に“女投げ”だった。
あれでは筋力以前に力がボールに伝わらず、遠くまで飛ぶはずがない。
「いくぞ、ことみ」
対する岡崎さんは、下手投げでふわりと山なりのボールを投げる。
それを一ノ瀬さんはおっかなびっくりながらも懸命にボールに手を伸ばし、
ポフ、ポロ、ころころころ……
キャッチできずに落としていた。
何と言うか……グラブを閉めるタイミングがワンテンポ遅い。
それでも一ノ瀬さんはめげずに、すぐにボールを拾いまた女投げ。
う~ん……精一杯頑張ってはくれてるようだが……。
まあ、予想通り……か。
次は春原兄弟と杏さんのところを見てみよう。
「いくぞ、芽衣」
春原さんが妹さんに向けて投げる。
ヒュン……パシ!
まったく違和感の無いフォームから繰り出されたボールは、程よいスピードでコントロールされていた。
「いきますよ~、杏さん」
それを難なく捕った妹さんは、まったく無駄無く流れる動作で投球モーションに入り、軸足を開いて身体を120度回転させながら杏さんに向けて投げる。
ひゅん……ぱし!
申し分ないスピードとコントロールで、ほぼ杏さんが構えていた位置からほとんど動く事なくボールはグラブに納まる。
さすが春原さんの妹さんだけあって、運動神経もなかなかの物の様だ。
「陽平!」
そして杏さんは大きく振りかぶり、春原さんに向けて……投げた!
ビュンッ……バシンッ!!
「ひい!!」
矢のように真っ直ぐな速球が、顔の前に構えた春原さんのグラブに突き刺さる。
やっぱ杏さん投げるのうまいな……。
コントロールはともかく、草野球レベルなら十分ピッチャーとして通用するレベルの球速と球威だ。
「あんたさっきから僕の顔ばっか狙ってませんかね!?」
「たまたまよ」
「何か毎回殺気を感じるんですけど?」
「気のせいよ」
「そもそも、何でキャッチボールでおもいっきり投げるんだよ!」
「しょうがないじゃない。あたしは非力な女の子なんだから、全力で投げないと届かないのよ」
「非力って……!?」
「何か文句有る?」
「ありません……じゃあさ、そろそろ投げる順番リリースにしない?」
「おにいちゃん、それを言うならリバース……」
「ダメよ。それじゃあ、あんたを入れてやった意味が無くなるじゃない」
「……」
……どうやらコントロールも、いや、コントロールこそ凄いらしい。
とりあえず、あの三人は問題なさそうだ。
「オーキ、お待たせ!」
丁度、暴投娘がメガネっ娘になって戻ってきた。
「変じゃないだろうか?」
「別に、それはそれでいいと思うけど」
「そうか……よかった……」
俺の言葉に、メガネッ娘智代はほっとした様にはにかむ。
「てか、前も別に変じゃないって言わなかったか?」
「あの時はあの時だ。服装も違うしな。ああ、後、メガネをかけたまま運動をしたことは無いんだが、平気なのか?」
「野球なら平気だと思う。プロでもメガネやサングラスしてる選手はよく居るし」
「そうなのか。やっぱり、よく見えた方がいいんだろうか?」
「そりゃ、見えないよりはな。ただ、コントロールはどっちかってえと身体的な物だし、慣れとかもあるからな。練習もせずにいきなり思った所に投げられる奴は、そうは居ないだろ」
「そうか……うん、その通りだな。でも、オーキが手取り足取り教えてくれるから、きっと出来るな」
そう言いながら、何故か智代は俺の腕に自分の腕をからめてくる。
「手取りだ」
得意満面だった。
それがやりたかっただけかよ!
「そのネタも前にやったろ?てか、さっさと続きやるぞ」
「まったく、オーキは照れ屋さんだな」
「胸取るぞ」
「取るな!」
深い深い谷間を覗きながら言ってやると、ようやく胸を隠しながら離れた。
まったく……休日だからって浮かれまくりだな。
その後、練習を再開するも結局メガネをかけても智代のコントロールは大して向上せず、見切りをつけ次の練習に移行する事にした。