こたつと告白
女子高生(花の十七歳!)と探偵だった頃の、まだちょっと距離のある二人のお話。
「そういえば探偵さんって、何でいつも包帯してるんですか?」
「入れ墨を隠すためだ」
「入れ墨って、見せるために彫るのでは?」
「これは組織に所属する物の証だ。足を洗った今、これを見られたら元暗殺者だとすぐにバレる」
「格好いいのに、勿体ないですね」
そんなことを言いながら、私はぐつぐつと煮える鍋をぼんやり見つめていた。
そろそろ具材を足そうと腰を上げ、その前に灰汁をすくおうかと考えたところで、私はついに気がついた。
――この人……もしかして、本物の元暗殺者なのでは?
今から遡るほど三十分前、私は目の前の探偵さんにおかしな告白をされた。その内容を、今ようやく、私の脳は理解したようだった。
探偵さんとは、私の愛猫を探してもらったことをきっかけに交流を持つ事になった、言動と行動がちょっとおかしい男の人である。
考え方がずれているというか、常識がないというか、とにかく彼は普通じゃない。
いつも真っ黒な服を着て、右手には包帯を巻いて、時々謎の持病で苦しんだりしているのである。
彼の事務所に足を踏み入れた時、正直私はちょっと後悔した。
愛猫が行方不明になって困っていたとはいえ、見るからに怪しい探偵さんに頼って良いものかと本気で悩んだ。
でも彼は、私の愛猫を一生懸命探してくれた。脱走癖がつき、週に何度もいなくなる愛猫を、毎回たった千円で探してくれた。それどころか三回目からはお金を取らなくなった。
そんな料金体制でやっているのかと不安になり、彼に差し入れをするようになったのはその頃からだ。
その後差し入れが面倒になった私は、彼を家に呼びこうしてご飯を振る舞っている。
最初は渋々だった探偵さんだが、この家でこたつの魔力に取り憑かれて以来、呼んでもいないのに家に来て、ダラダラしている。
私の両親は海外で働いていて、ほとんど家にいない。だから一人は寂しかったし、愛猫も探偵さんにすっかり懐いていたので、最近は好きなだけダラダラしてもらっていた。
そんな日々を送り初めて約一年。割と平和な日々を送っていたのだが、近頃探偵さんのおかしな言動が更におかしくなり始めたのだ。
もの凄く思い詰めた顔で、「俺は人殺しだ」とか「俺はこの場所に相応しくない」とか言い出し始めたのである。
そしてつい先ほども、「どんなアニメキャラだよ」と突っ込みたくなる過去話を彼が突然始めたのだ。
ついに現実が見えなくなってしまったんだなと同情しつつ、私は話を聞きいてあげた。
彼の過去は、それはもう壮絶だった。
だから現実味がなくて、信じられなくて、私は笑いながら茶々を入れてしまった。
でも灰汁を取りながら、私はふと気づいてしまったのだ。
そういえば、このところ怪しい男たちに襲われることが増えたなと。
襲われるのはたいてい探偵さんが側にいるときで「俺がお前を守る」とか言われていたなと。
男たちが出てくるなり、探偵さんが格好いい格闘術で倒してしまうから気づかなかったけれど、彼らもまた暗殺者だったのではと、私はようやく気がついた。
ひとつ思い出すと、後から後から「もしやあれも」というシーンが浮かんでくる。
人から言われるが、私は鈍い。多分相当……鈍い。
だから「最近は変質者が増えたなぁ」とか「東京も治安が悪くなったなぁ」と思っていたのだが、たぶん荒れているのは私たちの周辺だけだ。
それに探偵さんのことを「いい年して中二病って痛々しいな」と思っていたが、彼はきっと病気ではない。
中二病の人が憧れる、本物なのだ。
「……探偵さん」
「なんだ」
「つみれもっと食べますか?」
「ああ」
そういってお椀を差し出すのは、腕に包帯を巻いた痛々しい男の人だけど。
「エビもいります?」
「ああ」
「白菜は」
「ほしい」
「じゃあもう全部入れちゃいましょう」
「そんなに入れたら、お前の食べる分がなくなるだろう」
お玉を持った私の手首を、探偵さんはそっと掴んだ。
彼の手は大きくて、節くれだっていて、不思議なたこができている。
もしさっきの話が本当なら、彼はこの手で沢山の人を殺めたのだろう。
それはとても怖いことのはずなのに、私の手首を掴む探偵さんの手つきはとても優しいから、振り払いたいとは思えなかった。
むしろもっと握っていて欲しいなと思いながら、私はたくさんの具をお椀に入れる。
「だから入れすぎだ」
「暗殺者なら、これくらい食べないと」
「どういう理屈だ」
「だってほら、体力とかいっぱい使いそうだし」
「もう足を洗ったし、今日も……こたつでダラダラするほかにやることはない」
「じゃあ太ちゃうかもしれませんね」
むしろ最近太りました? と訪ねた瞬間、探偵さんは拗ねたように目を伏せた。
そして無言で、私がよそったばかりのつみれとエビを、私のお椀に移し始める。
「冗談を真に受けるなんて、探偵さん可愛すぎです」
「な、何を言い出すんだお前は……」
「可愛いって、言われたことないですか?」
「恐ろしいとなら」
「まあ、普通暗殺者と鍋とか囲まないし、気づかないですよね」
そう言って笑うと、彼は僅かに目を見開く。
「とりあえず、さっきのは冗談だからいっぱい食べてください」
つみれも、エビも、白菜も、探偵さんのために用意したからと笑えば、彼は小さく頷いた。
その顔はどことなく嬉しそうだった。
彼はあまり感情が表に出るタイプではないし、口調もぶっきらぼうだし、いつもそっけない。
でもこうして頷く瞬間は、心を許してくれているように感じる。
「探偵さんは、こたつに入ってるときが一番幸せそうですよね」
「……そうなのか?」
「はい。だから、好きなだけ入りに来てください」
お鍋でもミカンでも好きなものを用意して待っているからと言うと、彼の表情が更に緩む。
「君が、いてくれるだけで良い」
そういって、探偵さんはつみれを頬張った。
どことなく幸せそうな顔を見ていると、なんだかもの凄く落ち着かない気持ちになり、私も慌てて食事を再開する。
元暗殺者のくせに、探偵さんは時々少女漫画のイケメンみたいな台詞を口にする。
異性とお付き合いした経験のない私は、そのたびうっかりドキドキしてしまう。
多分彼に他意はない。そうわかっていても、彼の言葉に僅かな期待をしてしまう自分が情けなかった。
だから私は今日も『探偵さんが好きなのは、私ではなくこたつだ』と言い聞かせながら、彼と鍋をつつくのだった。