正宗くんの笑顔
暗殺者も、超能力者も、志村けんもいる世界のお話。
「笑顔か……。俺には一番縁のないものだな……」
「とかいって、昨日めっちゃ楽しそうにテレビで“バカ殿”見てたじゃないのよ」
呆れた声で言ってから、相変わらず言葉選びがへただなぁと私は苦笑する。
「こういう場合は『愛想笑いは苦手だ』って言えば良いの」
私の言葉に、正宗くんはなるほどという顔で頷く。
それから『カフェ猫丸』と書かれたエプロンのポケットから小さな手帳を出し、彼は律儀にメモを取り始めた。
正宗くんが中二病感溢れる発言を溢したのは、彼の無表情について私が指摘したのがきっかけだった。
私の前では大分感情豊かになった正宗くんだが、二人きりの場合を除けば彼はともかく表情が乏しい。
カフェをしているというのに、愛想笑いの一つも出来ないのである。
基本、正宗くんが料理担当なので接客は私がするが、それでもまったく感情の乗らない顔で「いらっしゃいませ」はないだろう。
その上もう、このカフェを始めて1年近くたつのだ。
だからさすがに、笑顔の一つでも浮かべられないかと苦言を呈したのである。
「私と二人きりの時は笑ってるのになぁ」
「気が緩むから……かもしれない」
「もしかしてカフェでの仕事、結構緊張してる?」
「それはない」
「まあそうだよね、もっと緊張することいっぱいしてきたしね」
地球の存亡に関わる様々な修羅場をくぐり抜けていながら、今更接客を怖がるわけがない。
「そもそも自分がどうやって笑っているかが、わからなくて……」
自分の頬に手を当てながら、正宗くんは視線を下げる。
「なんか、昔からよくそういうこと言うよね。もはや口癖だよね、笑顔うんぬん発言」
「地味に、気にしているからかも……しれない……」
「気にしてるんだ」
「アニメキャラみたいとか……いわれるし……」
「そこも気にしてるんだ」
「アニメ好きの和葉いわれるのは、賛辞に聞こえるから嬉しいのだが……」
道ですれ違う女子高生や小学生に「アニメキャラかよー」とか「コスプレ?」とか言われるのは辛いらしい。
「あのね、それはね、正宗くんが未だに暗殺者時代の黒いロングコートとかきてるからだよ。それで、コンビニとかいくからだよ」
「白いの……買おう……」
それはそれで浮世離れした感じになりそうだなと思ったので、今年の冬はまともなコートを見繕ってあげようと思う。
「……とにかく、アニメは嫌だ。三次元になりたい」
「安心して。二次元的な要素てんこ盛りだけど、正宗くんは現実に存在してるよ」
そういってほっぺを少しつつくと、正宗くんはちょっと元気になった。
「でもまあ確かに、表情がもう少し穏やかになったら、アニメ感はなくなるかもね」
「しかし、どうすれば……」
「今は困った顔してるけど、ちゃんとわかってる?」
「……これが困った顔」
「今浮かべてるのは、もっと困った顔」
「もっと……」
「あ、それは、ものすっごく困った顔だね」
私の言葉に、正宗くんは腕を組む。
「……自分では、どう変わっているか分からない」
「うんまあ、確かにどうって言われると……」
眉間の皺がちょびっとだけ増えたとか、視線が1ミリ下がったとか、その程度だから実感は無いかもしれない。
「……ん?」
だが改めて、彼の表情が具体的にどう変化について考えを巡らせていると、私はあることに気づく。
「いや、正宗くん……私といてもそこまで表情変わらない……かも」
昨日バカ殿を見ていたときも、楽しそうな表情を浮かべていたかと言われると、そんなことはない。
「正宗くん、志村けんすき?」
「志村さんは……すごく、好きだ……」
ものすごく好きだ……と思う顔をしているが、いつもよりちょっとだけ目力があるくらいで、よくよく見ると変化はほぼない気もする。
「……うん、やっぱり愛想笑いは無理かも」
「さじを投げられると、それはそれで悲しい」
「だって、よくよく考えたら、正宗くんやっぱり表情筋死んでるし」
「……俺は、自分の表情筋まで殺してしまったのか」
ものすごく悲愴な顔をしているし、私の目には彼の背後に浮かぶ『絶望』の文字とオーラが見える。
だが多分、それは彼との付き合いが長い私だから見えるのだと、今にして思い至った。
「死んだものは生き返らないし、やはり俺に笑顔は無理か……」
「死んだって言うより、そもそも育ってないだけかも。時々だけど、正宗くんだってちゃんと笑ってるし」
細やかだけれど、彼が微笑むことはちゃんとある。
幸せそうな顔をするときだってちゃんとある。
「ちゃんとした、笑顔か?」
「うん、ちゃんとしてるよ。それに、凄く素敵だよ」
「……じゃあ俺が笑ったら、和葉は嬉しいか」
不意に、ひどく真面目な顔で、正宗くんが尋ねてくる。
「嬉しいよ。私、正宗くんの笑ってる顔好きだし」
「そうか」
じゃあ頑張ってみると正宗くんが言ったところで、タイミング良く、店に客がやってくる。
ここは、いつになくやる気を出している正宗くんに任せようと、私は彼の背中を押した。
「いらっしゃいませ」
だが正宗くんがお客さんの前に立った瞬間――客は逃げた。
ものすごい逃げっぷりだった。
「……なぜだ」
立ち尽くす彼が心配になり、私はそっと彼の正面に回り込む。
「正宗くん、それは……笑顔じゃないね」
浮かんでいたのは、人一人、殺せそうな恐ろしい表情だった。
いやたぶん、一人どころか、十五人くらい殺せそうな顔だった。
「……やはり俺には無理なのか」
「残念だけど、人間には得意不得意があるから……」
「そもそも、俺は人間と言えるのか……」
「いま、そういう話してないから。正宗くんの生い立ちに関わる、シリアスな話するタイミングじゃ無いから」
今しているのは、接客についてのトークだからと言い聞かせると、正宗くんははっと我に返ったようだ。
「とりあえず、愛想笑いは諦めよう」
「わかった」
「まあ、そんなに落ち込むこと無いよ。他の表情は一応浮かべられているし」
「一応……」
「うん、一応だけど、私は分かるから」
だからまあ、乏しい表情のせいで何か誤解されそうになったら、私がフォローに入れば良いのだ。
「和葉がいてくれて良かった」
しみじみと、正宗くんは言う。その顔にはささやかだけれど笑顔が浮かんでいた。
「今の笑顔は良いね」
私の言葉に、正宗くんの笑みが深くなる。
深く……と言うには語弊があるかもしれないけれど、悲惨な愛想笑いに比べたら、ずっといい顔だ。
するとそこで、またひとり、お客さんが入ってくる。
うちの店は、繁盛しているとは言いがたいけれど、それでもポツポツと客は来るのだ。
「いらっしゃいませ」
もう少し頑張るつもりなのか、正宗くんが前に出る。
入ってきた客は、貴重な常連客である鈴木のおばあちゃんだ。
なじみの客相手で余裕も出たのか、正宗くんにしては比較的柔らかな表情で彼女を席に案内し、椅子を引いてあげている。
愛想笑いは無理だが、さりげないエスコートは上手いため、鈴木のおばあちゃんはニッコニコである。
役目を終え、カウンターへと戻っていく正宗くんと入れ替わりにお水を運ぶと、鈴木さんは笑顔のまま私を見つめた。
「彼、なんだか雰囲気かわった?」
「そう、見えます?」
「ええ。最初に見たときは人殺しみたいだと思ったけど、最近はちょっとだけ顔が穏やかになったきがする」
さすが、この商店街の顔役を務めるだけがあり、鈴木のおばちゃんは察しが良い。
「ハンサムな人だと思ってたけど、もっとよくなってきたわね」
「愛想笑いは壊滅的ですけどね」
「でもその方が安心よ。あの顔で綺麗に笑ったら、破壊力凄いわよ」
言われてみると、その通りだ。
今でも十分心を打ち抜かれているのに、顔の良さを最大限に引き出す笑顔を浮かべたとしたら、多分私の心臓が壊れる。
鈴木のおばちゃんから新たな気づきとオーダーをもらい、私はカウンター越しに正宗くんと向き合う。
「やっぱり正宗くんは、そのままでいてね」
「よく分からないが、和葉がそう言うなら」
こくりと頷く正宗くんは、やっぱり表情がない。
元暗殺者で表情が乏しいなんてベタだよなぁとは思うけれど、そのおかげで、私の心臓はしばらく安泰だ。