こたつと名前
和葉(十八歳)と空気が読めない探偵さんの年越しのお話。
大掃除やコミケで忙しい年の瀬――。
探偵さんが、今日も空気の読めないことを言い出した。
「……俺は、ここにいるべき存在じゃない。だからもう、君には会わない」
ひどく苦しげな顔で、探偵さんが静かにそういった。
表情と声から察するに、普通なら「なんで」とか「どうして」とか聞くところだったが、私の口からは別の言葉が飛び出していた。
「おせち買っちゃったし、それは困るんですけど」
あとお餅もいっぱいあるんだけどと言うと、探偵さんがもの凄く困った顔をする。
その顔を見て、私はようやく「あ、今言う台詞じゃなかったな」と思ったけれど、言ってしまった物は仕方がない。
「っていうか、そういう話、12月31日の夕方に普通します? 年の瀬ですよ。明日から素敵な一年始めましょうって日に言います?」
「……すまない」
「探偵さんは毎回毎回発言の内容とタイミングが突然すぎです」
「……すまない」
「クリスマスのときも、これからケーキ食べようってタイミングで『俺は人間じゃない』とか言ったじゃないですか。そういうのホント困ります。明石家サンタとかながれてるときに言われると、どういうテンションで接したら良いか本当に困ります」
「……すまない。俺も、まさかクリスマスイブに自分が人造人間だと知るとは思わなくて……」
「でもせめて、その手のシリアスな話をするときはテレビ消しましょうよ。冗談かと思っちゃいましたよ」
思ったし今も思っていたかったが、どうやらそれは冗談ではないらしい。
クリスマスから今日までの僅かな時間で、もう8回ほど彼を生み出した組織とのバトルに巻き込まれたし。
「とりあえず、お蕎麦も茹でちゃったから中入ってください」
「いや、俺は……」
「いいからほら、こたつ入って待ってて下さい! 麺伸びちゃうから!」
私の言葉に、探偵さんは慌てた様子で靴を脱ぐ。
それから居間に移動し、探偵さんがこたつに入ったのを見届けてから、私は二人分のお蕎麦を用意した。
探偵さんはいつになく気まずそうだったので、私はテレビをつけて紅白を流した。
そしてふたりでお蕎麦を食べた後、私はおつまみとお酒を用意する。
「お前、未成年だろう」
「付き合ってくださいよ。探偵さんとお酒飲みながら紅白見るの、ずっと夢だったんですから」
でももう会わないというなら、その願いは永遠に叶わない。ならば今日やるしかない。
「これが最後なら、付き合って下さい」
自分でもびっくりするくらい拗ねた声が出て、目の奥がつんと痛くなる。
気がつけば目は潤みだし、今にも泣いてしまいそうだった。
だが泣き顔を彼に見られるのは嫌だったので、私はコップに日本酒をなみなみつぐとそれを一気に飲み干した。
「うわ、きっつ」
思わず声が溺れた直後、突然世界がぐにゃりと曲がり、天地がひっくり返る。
「おいっ、しっかりしろ!!」
何事かと思っていると目の前が真っ暗になり、遠くで私を呼ぶ探偵さんの声が響く。
それに「うるさいっ」とか「バカッ!」とか泣くような声で返していると、ようやく声が消えた。
そして代わりに、除夜の鐘の音が聞こえだした。
「……大丈夫か?」
尋ねられ、私は声の方をそっと見つめる。
ついさっきまで向かいに座っていたはずの探偵さんが、気がつけば背後にいた。
その上彼は、私を抱きかかえていた。
「酒が弱いのに、一気飲みなんかするな」
「……ああいうときは、一気で飲むものかと思って」
でもたぶん、それは間違いだったのだろう。
いつの間にか紅白も終わり、テレビではゆく年くる年が流れている。どうやら私は、探偵さんとお酒を飲む最後のチャンスをわずか三秒で駄目にしてしまったらしい。
「時間、どれくらいたちました?」
「三時間くらいだ……」
「そのあいだ、側にいてくれたんですか?」
「お前が背中をさすれと喚いていたからな」
「……記憶がない」
「だろうな」
「くやしい」
覚えていたかったなとこぼすと、探偵さんがそっと背中をさすってくれる。
彼の手つきは優しくて、出来ることならずっとこうされていたいなと思った。
「気持ちいいです」
「そうか」
「探偵さんは、背中を撫でる天才ですね」
「初めて言われた」
「私も初めて言いました」
小さく笑って、私は探偵さんの顔を見上げる。
「もう酔いは覚めてきたんですけど、酔ったことにしてもう一つ我が儘言って良いですか」
「なんだ?」
「正宗くんって、呼びたい」
私の言葉に、探偵さんは小さく首をかしげる。
「あれ、正宗って名前でしたよね?」
「……ああ、俺の名前か」
「えっ、忘れてたんですか?」
「誰も呼ばないから」
「そういえば、仕事ではコードネーム呼びでしたっけ」
「でもなぜ、名前を……?」
「呼んでみたかったんです。ただ、それだけ」
それからもう一度、私は彼を見つめ「正宗くん」と呼んでみた。
恋人に呼ぶように、愛おしさを込めて三度ほど繰り返すと、突然彼が私をぎゅっと抱き締める。
「……俺も、呼んでも良いか」
「自分で『正宗くん』っていうのは、小学生っぽいかと」
「呼びたいのは、お前の名前だ」
「ちゃんと覚えてますか?」
「和葉」
彼の低い美声が、私の名前を優しく呼んだ。
出会ってから初めての、名前呼びだった。
「覚えててくれて嬉しいです」
「……実を言うと、ずっと呼んでみたかった」
「本当に? いつから?」
「……出会って、4ヶ月目くらいから」
「呼ぶまでに時間かかりすぎですよ」
「和葉だってずっと探偵さんだった」
「だって年上だし、下の名前は簡単に呼べないです」
それに最初の彼はもの凄いツンツンキャラで、名字を呼んだだけで「気安く呼ぶな」とか言っていたのである。
そしてそのとこのことを本人も思い出したのか、彼は「すまない」と小さく溢す。
「あの言葉を、実はずっと後悔していた」
「呼んで欲しかったんですね」
「……ほしかった。でもどう頼めば良いかわからなかった」
「素直に言えば良いんですよ。私、正宗くんのお願いだったら何でも聞いちゃいます」
だから、どんなことでも言って欲しいと笑うと、彼はさらに強く私を抱き締めた。
「……なら、先ほどの言葉を撤回したい」
和葉に毎日会いたい。
耳元で響いたその言葉が嬉しくて、私は探偵さん――いや、正宗くんの身体をぎゅっと抱きしめる。
「じゃあもういっそ、一緒に暮らしちゃいましょうか」
そうしたら毎日会えると笑った瞬間、正宗くんの身体が何故か少し熱くなった。
こたつの温度が高すぎたのだろうかと思っていると、そこで再び天地がひっくり返る。
気がつけば、私は正宗くんに押し倒されていた。
そして彼は、今まで見たことのない、熱を帯びた瞳で私をじっと見つめていた。
――それは、ちょっと展開が早すぎない?
そんなことを思ったが、私は口にしなかった。
正宗くんに見つめられているうちに、私はつい悪いことを考えてしまったのだ。
彼はたぶん、自分の過去のせいで私と関係を深めることを躊躇っている。でも本当は私のことが大好きで、名前を呼び合いながら一緒に暮らすことを心の中では願ってくれていたのだろう。
だからきっと、彼は突然願いが叶ったことに動揺している。動揺しすぎたあげく、うっかり理性が飛びかけているにちがいない。
だがもし我に返ったら、彼はまた遠慮してしまう。そうなったら最後、この展開まで持っていくのに何年かかるかわからない。
だとしたらこれはチャンスだ。既成事実を作ってしまえば――そして私が、たとえ人間でなくても彼を受け入れるとわかれば――、躊躇いは少しはなくなるかもしれない。
となれば、これはもうやってしまうしかない。そして彼を私に依存させてしまうしかない。
そうできるほどのテクがあるかはわからないけれど、名前を呼ぶだけで理性が飛ぶほどだから、きっと何とか出来るはずだ。
「よし」
小さくつぶやいて、私は自分から正宗くんにそっと口づけた。
キスは初めてだったけれど、我ながら上手くできたと思う。
「和葉……」
熱を帯びた声で名前を呼ばれ、私はドキドキしながらも腕を広げた。
「さあこい!」
我ながら甘さの欠片もない台詞だったが、その後無事私は目的を果たせた。
そしてその日から、正宗くんは私にべったりになった。
計画通りである。
ちなみにその後、和葉は正宗くんが「人間じゃない」発言をする度、テレビで流れていたさんまの笑い声を思い出してしまう身体になった。
※あと良い子は大人になるまでお酒は飲んじゃ駄目だぞ!!




