花床ー【テスト ホッキョクグマ 麻薬】
「最強の先輩が常に最強であり続けるハッピーエンドはあり得るか」
「お?なんて?」
彼女は不思議な子だった。鹿のような、不安になる程細いその体にしっかりとした生命力を持っていた。彼女には、エランティスがよく似合う。
「こやつは相変わらず本の虫だね。何でもかんでも喰らい尽くすくせに、食ったものを覚えちゃいない。」
「すべてを覚えている方が珍しいんだよ。」
白隅が読んでいた本を置いた。彼は彼女が話し出した時だけ、話に耳を傾ける。
綺麗に微笑んだ彼女はその細い足を組み直した。彼女が足を組むと、なぜか普通より細く見えるから不思議だ。それを合図に、白隅がスマホのボイスレコーダーをスタートする。
「虎になりたいとは思わないけど
それほどまでに書くことを愛し
夢中になった結果であるなら
虎になるのは
そう悪いことではないように思える
獣としての己と
人としての己と
獣になりかけた人としての己の
その3つの心を知れるのだとしたら
それは書き手として
何よりも変えがたい
貴重な経験となるのではないだろうか
書くとき、人は己ではない誰かとなる
己ではない何かを演じる
演じるにあたって、
己ではない何かになったという経験は
その言葉に、
重みと深みを持たせるのではないだろうか
きっと書き手は常に
己ではない何かになってみたい
己ではない何かを演じ切りたい
そう思ってる
願い 書き 考え 熱中したその最後に
己ではない何かとなって
実際にその生を生きることができる
それはきっと、書き手にとって
何よりも素晴らしいことだろうが
きっと己ではない何かに
なり切ってしまったのなら
それは書き手ではなく
きっとただの獣なのだろう
不思議な話である
書き手は己ではない何かに
なりたいと思って筆を取る
だが、実際にそれになってしまったなら
もうそれで本当に最後なのだ
獣になりたいと願いながら
獣になって仕舞えば嘆き悲しむ
まさに、夢は見続けるものという
言葉通りのことになる
でも、虎になってみるのも
案外いいものかもしれない
そう思うのはきっと
私がまだ書き手であるからなのだろう」
僕が何かを言う前に、本が飛んできた。
「人と虎と人虎ってとこか。」
「さすがだね、シロクマくん」
彼女が笑う。彼女はなぜか白隅ーシロスミをシロクマと呼ぶ。確かに大柄な方ではあるが、どちらかというとクロクマだと思う。猫っ毛だし、黒猫でもいいかもしれない。そもそも白隅は寒いのが苦手だからホッキョクグマになんかなったら凍えてしまう。でも、彼女はそう思わないらしい。
「シロクマくんは理解しているようだけど、こやつは分からないらしいね。中島敦の書いた山月記、確か今回のテストの課題図書だったと思うけど?」
「ああ、課題図書だ。確か、最初に読んでたぞ。」
そう言われると読んだことがあるように思えるが、どうだっただろう。
「ふん、本の虫はダメだね。せめてもう少しグルメになればいいものを。」
「言うねえ、エランティス。まあ、そいつをどう貶そうが俺は知らんが、最初に言ったことは気になるんだが。あまり時間、ないだろ?」
エランティス、白隅はいつも彼女をそう呼ぶ。でも、僕は違うと思う。彼女はエランティスが似合うけど、エランティスではない。たぶん、彼女は青薔薇だ。
「いや、本の虫が見ていたアニメはね、だいたい天才の主人公がかつての師やライバル、先輩を追い越す。なあ、シロクマ。最強の先輩が最強であり続けるハッピーエンドはあり得るか?」
「ハッピーエンドが誰にとってのハッピーエンドなのかでそれは変わるだろう。例えば、最強が太陽に住む眠り続ける龍であるならば、その龍に勝てるわけがない。龍が太陽の炎のなかで眠っているかぎり誰も手出しできないんだからな。そして死んじまえば決して負けることはない。だが、死んじまえば最強にとってはバッドエンドだ。」
太陽の中で、眠り続ける龍。そんなものが本当にいたら、その龍は太陽から引きずり出されて研究されるに違いない。
「言い方が悪かったね。同じことに対して、ともに取り組む主人公と先輩、その先輩が話の最後まで最強であり続けるハッピーエンドは読むに値する面白い話であるか否か?」
そんなことを考えて彼女は何がしたいのだろう。白隅だって困るだろうに。まあ、彼女も白隅も話したがりだから気にしないのだろうけど。
「おっと、そろそろ時間だ。とりあえずは本の虫に話しておいて。じゃあ、また今度。シロクマ」
彼女が帰る。いつものように目を閉じ、ひとつ深呼吸をする。
「大丈夫か?」
「うん。でも疲れた。彼女が話すときは本当に。」
こわばった手足に血が流れ込んでいくのを感じる。組んでいた足を投げ出し、目を瞑る。
「少し寝たい」
「おー、俺はここにいるから。帰る時間になったら起こす」
「ありがとう、白隅」
「ああ、待て、一個聞いていけ」
白隅の言葉に閉じかけていた瞼を薄く開く。
「答えはありえない。最強がそこに最強であり続けるなら主人公はない天才ではありえないし、先輩という壁を乗り越えられないのであれば主人公は主人公ではなく先輩であるべきだ。そして壁を乗り越えられない、成長しない者の物語などつまらん。」
疲労と眠気に思考が溶けていく。
「ちがうよ、白隅、答えは、いえす、このよに、かけない、もの、がたり、など、ない、そこに、ありつ、づけること、は、それも、ひと、つの、ゆうき…」
「寝たのか?」
本の山に埋もれるようにして眠る親友を、シロスミ、あるいはシロクマは見守る。
細すぎる手足もほおも青ざめ、投げ出された手足と整いすぎた顔のせいで、少年はまるで人形のようだった。
「いつまで続けるべきなんだろうな。あるいは、どうやって終わらせるべきなんだろうな」
小説家、蒼井縁。その正体がこの人形のような少年だと、誰が信じるだろうか。
青ざめた美しい人形の中には、2つの人格が入っている。ひとつは、少年の、もうひとつは少女の。
少女、エランティスが表に出てくる条件は、少年に麻薬が打たれた時。非人道的だ。虚構のために、現実を生きる少年は命を失いつつある。
「お前、虎ではなく、人形になっちまうよ。」
エランティス、人虎、人形、彼女は彼女自身をも、その名の通り?
「そこに留まり続けるのも一つの勇気、だがそこに留まり続けたら、お前はエランティスに食い尽くされてしまう、人ではなくなってしまう。」
俺はシロクマだ。エランティスを守り、エランティスから守る番人だ。ご恩のある方のために、ずっと蒼井棘を生かし、その物語を、命を、しぼり取り続けなければならない。
本の虫なんかではない、彼は本だ、彼こそが本なのだ。彼は知らない、身のうちにエランティスを飼っているせいで。学校の存在も、彼の受ける本の内容ばかり問うテストが異常だということも。
「俺はシロクマで、彼女はエランティスで、親友よ」
古来より、名を奪われた者は長く生きられないという。
「お前の名は、なんだ?」
彼はエランティスのかたる言葉が蒼井棘という作家の本となっていることを知らない。
どこから来たのかも、何歳なのかも、エランティスを身の内に飼う理由も、名前も、何も、何も知らない。ただただ、与えられる書物を読み続け、麻薬を打たれ続けるだけ。
[白隅]
あいつはひどく愛おしそうに、俺のことをシロスミと呼ぶ。
決めていた。エランティスが去ったら、彼が眠ったら、新たな物語を手に入れて浮かれているあのお方の監視の目が緩んだら、
「虎になる前に、お前を物語の中から連れ出してやる」
人としての感情を捨てきれずに虎になってしまった李徴。詩人として大成しようとして失敗した李徴と、無理に麻薬によって物語を吐かせられている彼。
きっと、彼は人の心をなくせば獣になってしまう。物語をどころか想いすら語れない獣に。
この人形のような親友が本当に人形になってしまう前に、ここから共に逃げ出そうと。
親友を抱き上げる。あまりにも軽すぎるその体をできるだけ優しく本の山から救い出す。
ごとん
親友が常に離さない本が、本の山から滑り落ちた。
黒い装丁の本、それの端に書かれている名前は、
「しろ、すみ…?」
持ち主の名前だろう、だが、俺は書いた記憶がない。親友が書いたのだろうか?
何はともあれ、その黒い本と親友を優しく抱き込み、俺は本の部屋から抜け出した。物語の外で生きるために。
「あ、れ、」
「おはようございます。」
ふと気づくと目の前に青年がいた。ストレートの黒髪に、ガタイのいい身体。
「シロクマです。」
シロクマ?違う、彼は白隅だ。彼をシロクマと呼ぶのはエランティスだけなのに。
「何言ってるの、白隅。今は僕だよ、彼女じゃない」
あれ、白隅、白隅?白隅は、猫っ毛ではなかっただろうか?
「君、白隅?」
白隅が昔くれた、本を撫でる。
最近はエランティスが静かだ。なのに、常にエランティスが出ているかのように頭がぼうっとする。
「そうですよ、シロクマです。」
白隅は、こんな話し方だったか?
[僕はシロクマと言います]
[俺はシロクマだ]
[私、シロクマっていうの]
なぜ、なぜ、白隅は、白隅はどこだ、どこに
【名前?白隅だよ、シ、ロ、ス、ミ。変っていうなよ?自分でも自覚してんだから】
「白隅」
「はい。」
大丈夫、白隅は約束してくれたんだ。この本を僕が持ち続ける限り、一緒にいてくれるって。
それにしてもこの本、こんなに黒かったかな?いつもより、黒が濃い気がする。それ以前は、何色だった?
「エランティスを起こします。」
「わかった」
まあいい、エランティスなら、覚えてるかもしれない。
そして少年は、再び物語の輪廻へ沈む。
彼は麻薬の海でなくしてしまった。
親友の、白隅との本当の記憶を
ここに来る前の記憶を
そして自分の、本当の名前を
彼はきっともう2度と思い出さないだろう
何十人ものシロクマのことを
彼を助けるために命を落としたシロクマのことを
白隅が、その名の通りに、純白の本をくれたことを
本の黒は黒ではなく、赤黒いのだということを
暇つぶし…?練習に…?
のんびりまったり書いていきます
暇つぶしに宜しければお楽しみください




