02
非同意吸血鬼。
これは野良吸血鬼とほぼ同意語だ。
つまり、本人の同意なく吸血鬼にされてしまった、もしくは吸血鬼にされた後に放り出された者のことだ。
彼らには吸血鬼として生きていくための知識も、渇きの発作が安定するまで保護してくれる者もない。
人で言うなら孤児になるのだろうか?
本来なら親になる吸血鬼が、何の目的で役に立たない死に損ないを量産するのかは、ご先祖様達にも推測しかできなかったようだ。
吸血鬼が人として認められる以前、非同意、野良吸血鬼のほとんどが、渇きの発作で人前に出て来て、あっという間に狩人に狩られてきた。
狩人に見つからずに、獲物を得る手段を持っていないからだ。
なんとか狩人から逃れたとしても、追われた末に太陽の元に出てしまい、灰の柱になるか爆散する。
パニックに飲まれずに命乞いされても、非同意吸血鬼だと判明したところで、吸血鬼を人に戻す方法などない。
渇きで本能的に暴れる吸血鬼を止める手段は、安定するまで何十年も渇きを癒し続けるか、殺すしかない。
同意なく吸血鬼にされるってことは、現代では少ない(と思う)。
国家が崩壊したばかりの混乱期ならともかく、存命を生体チップで管理されている現在では、吸血鬼の特徴である〝心臓がほとんど動いていない〟状態は心肺停止、つまり死亡扱い勘違いされる。
行政の管理外で吸血鬼が増えると、殺人事件並みの騒ぎになってしまうのだ。
そんな案件が幾つか起きてからは、事前に本人と親(になる予定の吸血鬼)が街の管理局に吸血鬼への変更を申請し、受理される必要ができた。
さらに親(になる吸血鬼)には厳しい監査と、諸々の必要書類の提出と経過観察が課せられる。
しかし、吸血鬼達が合法的に闊歩する前は、非同意吸血鬼の存在は珍しいことではなかった。
生き残れないので、珍しいことは珍しいが。
ここまで偉そうに語っておいて、全部が先祖からの知識の受け売りなのは、情けないな。
「ちょっと待っててくれよ」
軋む身体をベッドからひっぺがして、先祖が残した手記を並べてある棚を探す。
全身の痛みよりも、ロゼに対する罪悪感の方が痛い!
これまで、一方的な偏見で見まくっていたから。
確か、ヨハンお爺様の手記もあったはずだ。
読んだことはないが。
吸血鬼に惚れたから、という理由で、ヨハンお爺様は狩人の任を解かれていたはずだ。
今なら、それがどれだけおかしいことなのか分かる。
狩人は基本的に単独行動で探査をして、いざ吸血鬼を狩る段になってから、総出で徹底的に住処ごと燃やし尽くす。
探査をしている時の行動など、他の狩人に知られることの方が稀なのだ。
となると、お爺様が個人的にロゼと会っていたとしても、他の狩人には吸血鬼を見逃したということなど分からないはずだ。
それなのに、発覚した。
もしかしたら、お爺様は吸血鬼にも救うべき者と倒すべき者がいる、と言いたかったのか。
それを家族へ知らせるために、わざとロゼとの繋がりを明らかにしたのか。
痛む腕を持ち上げて、棚に並んだ手製の本を調べていくと、記憶にはなかったが、手記が簡単に見つかった。
こんな時だけは、自分の収集癖と整頓癖に感謝する。
「あった………何だこれ、読めない」
急き込んで開いた紐綴じの中身は、読めなかった。
背表紙は見慣れた祖父の字だったので、外側だけ樹脂コーティングの表紙に交換したのだろう。
まさか言語が違うなんて、思わなかった。
えーと、4代前だと、世界規模で国家が崩壊した前後になるのか?
となると、どこかの国の言葉なんだろうか。
現代においての人口管理は、各街規模でされているが、言語は世界中で統一されている。
戸籍管理は家などの集合体ではなく、個人単位で遺伝子情報を元に管理されているのだが、複数の住民が他の街へ強制移住させられることがある。
その時に、言葉が通じないと困るから、言語が統一されたのだ。
移住の原因は多々あるが、そうでもしないと、人口の減少に歯止めがかけられない、からだと思う。
前に、人が飽和しているから吸血鬼が進出して来た、と述べたが、それは正解であり不正解だ。
人工授精に試験管ベビー、そこから繋がる培養槽の稼動率の高さ、臓器移植による長寿社会化で街の人口は多い。
しかし街規模で生活する住民は、移動をしない。
移動する必要がない。
生活に必要な娯楽も刺激も、街で揃えられる。
国家文明崩壊後に、危険地帯である街の外へ出ていこうと思う者は〝反社会的〟な人物か、投獄必至の犯罪者くらいだ。
つまり、国家という大きな外枠が崩壊し、安全な街に引きこもることを選んだ住民の選択の結果、遺伝子の多様性が失われつつある。
多様性が失われると言うことは、人という種族の衰退を意味する。
これは極論ではあるけれど。
私も街を出たことがないので、人のことは言えない。
ま、こんなゴシップ紛いの、不確かな話はどうでもいい。
問題は、お爺様の残した手記が、読めないということだ。
「見せていただけますか?」
ロゼの声に、何が書いてあっても責任取れないぞ、と思いつつ渡してみることにした。
下手に個人情報が漏れて〝反社会的な思考傾向を持つ者〟のレッテルを貼られるのは困る。
だが、相手は当事者で吸血鬼……。
私はただ、吸血鬼を隣人として認められないだけで、駆除までは求めていない。
駆除したくてもできない、が正しいというのは、心の中にしまっておく。
……そういえば、さっきまでのロゼは話し方が違っていたな。
あっちが素の話し方か?
てっきり、丁寧な話し方しかできないのかと思っていた。
「っ、ありがとうございます」
しゃくりあげるような掠れた声に、慌てて胸元のロゼの顔を見下ろすと、茶色の瞳から涙がこぼれ落ちていた。
吸血鬼も涙が流せるのか、知らなかった。
青白すぎる顔には自然な笑顔が浮かんでおり、なぜか胸がどきりと音を立てる。
「ヨハンさん、心配してくれていたんですね」
どうやらロゼには、この手記の内容が読めるらしい。
いや、それもそうか。
ヨハンお爺様に読み書きを教わったなら、手記を読めないはずはない。
言語が同じだろうからな。
「お役に立てたならよかった」
何が書いてあるかわからないので、誤魔化すしかなかった。
棚に手記を戻しながら、いきなり日々が非日常になったな、とため息をつくしかない。
そういえば、全身が痛い理由を思い出した。
筋肉痛だよ。
2回は30階建てを登ったからな。
降りたのは1回だけだが、脛がものすごく痛い。
日頃の運動不足が祟っているなぁ、と壁の時計を見て、そこで初めて頭が現在の状況を受け止めた。
「開店時間過ぎてるっ!!」
今日の私のシフトは早番〜遅番だ。
店長の私が店を開けないと、従業員達は中に入れない。
連絡なんて来てないぞ?!
慌てて携帯端末を探すけれど、いつもの無線充電器の上には載っていない。
どこいった?
あれがないと、色々と困るってのに!
「店長?」
「悪い、今すぐ出てくれ、店に行かないと……って、外は朝か。
仕方ない、ロゼ君、家の中のものには極力触らないように。
日没までここにいていいから。
鍵は渡しておくから、入りの時に持って来てもらってもいいか?」
「あ、はい」
「じゃ、日没後に家に帰って、着替えや支度をするだろう?
シフトの入りを遅くしておくから、無理しないように!」
「はい」
100年以上存在している吸血鬼なら、日没時の陽光程度で灰にはならないだろうが、火傷はするかもしれない。
判断がつかないので、甘やかしているのか、適正な判断なのか自分でも分からないまま、Tシャツをかぶって部屋を飛び出した。
ぎゃあー!全身が痛いっ!
店舗の駐車場は狭いので、店までは徒歩で通っている。
普段は健康のため、と自分に言い聞かせる徒歩20分の道を、今朝は全速力で走った。
ほとんどの客が、AI搭載の立ち乗り式2輪走行機を使っているので、店舗に広い駐車場など必要ない。
それでも、今朝だけは4輪用の駐車場が欲しかった。
愛車が、今どこにあるか知らないけどな!
私は立ち乗り2輪を持ってない。
雇われ店長の給料では、趣味の電化製品収集と愛車の維持費だけで精一杯だ。
疲労と痛みで汗だくになりながら、ようやくたどり着いた店の外では、いつも開店時に来る夜勤明けの常連客と、無言の従業員達に、ゴミを見るような目を向けられた。
「申し訳ありませんでした!
お詫びに本日はサービスさせていただきます!」
おいこら、待て!
なんで従業員達まで喜んでる!?
全身の筋肉痛と、思い出したように痛み出した肩のせいで、脂汗が吹き出した。
江戸時代の文章とか、読めない
日本語のはずなのにー!って感じ