01
ここが人口100万人越えの街とはいえ、深夜になれば中央区の繁華街以外は静かなものだ。
静かな車道を、AIによって法定速度を保ちながら、のんびりと進んでいく。
時折、意識が運転からそれている!と挙動警告ランプが点滅するが、制御を奪われるほどではない。
強制的に自動運転に切り替えられるのは困るので、無糖ガムを口に放り込んでしっかりと前を見据えた。
「止まれ」
突然、数メートル先に現れた人の姿。
突然、耳の側で聞こえた声に、慌ててブレーキを踏み込む。
急ブレーキに挙動警告ランプが景気良く点灯して、事故を回避するためにAIに車の制御を奪われてしまう。
何回転したか知らないが、道に豪快なスキッドマークを残して軽トラは止まった。
お、横転しなくてよかった。
自動運転様様だ。
それにしても、なんだったんだ、今の声は?
人をはねたかと思ったが、何かに当たったような衝撃はなかった。
「本当にこいつか?」
「間違いない、先ほど面通しをした」
「こんな凡百に埋もれるような家畜が、お気に入り?」
どこから聞こえるのかは分からないが、複数の声が近づいてくると同時に、付近の街灯が音もなく消えていく。
不思議なことに消えていくのは街灯だけで、民家や店舗の光は煌々と明るく周囲を照らしている。
嘘だろ?
何が起きてるんだ?
明らかに、私のいる場所へと暗闇が迫って来ていた。
「我等には、近寄ろうともせぬのに」
「気に入らぬのは皆同じ、今はこれを釣り餌にするだけだ」
「な、なんだ!
誰だ!どこにいる?!」
性別のよく分からない声達は、すぐ近くから聞こえる。
しかし、街灯が全て消えてしまった道の真ん中は、ぼんやりと遠くに見える明かりのせいで、より暗い。
「低脳、凡夫、愚か者、せめて食う前に役にたってもらおう」
「左様、我らの悲願に与する名誉をくれてやろう」
(ナイフを)
無意識の内に手が動いていた。
「ん?」
「ナイフ?
ハハッ!そんな爪楊枝一本で、立ち向かう気か?
蛮勇を悔いるがいい!」
声がすぐそばで聞こえると同時に、唐突に肩に疼きを覚えて、車道に倒れこんでしまった。
なぜか、体に力が入らない。
「……店長を傷つけるのは、許さない」
気がつけば暗闇の中に、真紅の月が浮かんでいた。
大好きだった甘い香りが鼻腔に届いて、そして何も感じなくなった。
◆
痛い。
どこが?と言われると悩むくらい全身が痛い。
しょぼつく目蓋を持ち上げてみると、見慣れている自室の天井が見えた。
……変な夢を見たな。
寝起きは悪い方じゃないのに、今朝の寝覚めは最悪だ。
体を起こそうとして、全身を走り抜けた激痛に叫んでしまった。
「〜っいってぇ!」
叫んだことで、さらに痛くなった。
何やってるんだよ私は。
「店長、おはようございます」
硬直して痛みに震えていながらも、聞き覚えのある声だ、と視線だけを動かしてみると。
「……ロゼ君?
何故、私の家にいるんだい?」
私の家には、足の踏み場もないほど、様々な再生装置やその周辺機器、各種配線に記録媒体が詰まっている。
寝室には、代々書き加えられてきた吸血鬼関連の手記や、生木の杭やナイフなども並んでいる。
「在庫品倉庫か?」は一回だけ訪れたオーナーの、感激からのセリフだ。
呆れていたわけではない、と信じている。
よほどのことがない限り、我が家に人は招待しない。
パーソナルスペース云々よりも、並べてある貴重かつ交換部品のない機器を壊されるのではないか?と不安になるからだ。
機器の状態を良好に保つため、常に全自動掃除機と空気清浄機とエアコンが動いているので、室内が臭かったり汚かったりすることはない。
祖父が私に残してくれた持ち家であり、原料が安く環境に優しい(維持管理が大変な)自家発電をしているので、雇われ店長の給料でも暮らしていける。
同好の徒に見せると眼光爛々の垂涎ものなのに、これまでに理解してくれた女性はいない。
……結婚相手にするには、不足が多いのは自覚しているとも。
「怪我の治療を」
「ケガ?」
全身がミシミシと痛いのは、どこかでケガをしたからか?
どこで?
「全身打撲?どこで?」
「?」
「ん?違うのか?」
「あの、ぼう、店長、怪我は肩」
……かかなくてもいい恥をかいた。
ごまかすように、右肩に巻かれている包帯を見る。
血などは滲んでいないが、怪我?
うーん、全く、覚えてない。
「間に合わなくて、ごめんなさい」
「いや、謝られてもなんのことやら」
俯いている落ち込んだ様子のロゼを見ながら、ふと思い出したことがあった。
昨夜、別れ際にロゼは私のことをヨハンと呼んだ?
そして私は〝ヨハン〟という人物を知っている。
いや、聞いたことがある、というべきか。
「ロゼ君、君はイモータルハンターのヨハンを知ってるのか?」
「!、ヨハンさんを知ってる?」
何か勘違いしているようだ。
相手は少女の外見とはいえ吸血鬼なのだから、興奮される前に訂正しておくべきだろう、この手の直感は外れない。
「ロゼ君、先に言っておく。
ヨハンという男は死んだ」
「……え?」
「あー、勘違いしないで欲しい、彼は何十年も前に死んでいる」
私の言葉を聞いていく内に、ロゼの目に灯る光がくるくると変わっていく。
期待、喜びから混乱、悲しみへと。
ロゼの瞳は、表情よりも雄弁に感情を現している。
誰だ、彼女が無表情だって言ってたやつは?
私だよ、ああ、本当に。
——私は愚かで、救いようのない男だ。
話すべきではないのかもしれない。
ロゼは私を巻き込んだと言った、トラブルを抱えているのは間違いない。
そこに更に踏み込む愚を犯す?
ああ、知っているとも、私は本当に愚か者だ。
「ヨハンってのは、私の高祖父の名前だ。
〝バラ園の姫〟に恋をした、愚かな狩人の名前だと言えば分かるか?」
「こうそふ?」
「祖父の祖父、つまり、私の4代前の先祖になる」
「……先祖」
もしかしたら、と思っていいのか。
ロゼがこの店の従業員になった理由。
「ヨハン爺さんを探していたのか?」
「……」
黙ってしまったロゼに、何と声をかければ良いのか迷い、テーブルの上の修理中のモニターへ視線を向ける。
いつもなら、次は何をしようかと考えれば、時間が矢のように過ぎていくのに、今日だけはダメだった。
実年齢はともかく、少女のすすり泣くような声が聞こえてくると、おっさんには心苦しいんだよ。
実際のところ、顔も知らないヨハン爺さんと私が似ているのか?は知りようがない。
先祖伝来の吸血鬼の倒し方、吸血鬼の性質、吸血鬼の生態などは、バックアップも含めて、ざっくりと目を通してから整理して分類してある。
だが、先祖については、興味がなかったのだ。
ヨハンの名前も、吸血鬼にたぶらかされた愚かな狩人、という理由で覚えていたに過ぎない。
全く知らないのに、当事者になっているってのは、何とも居心地が悪い。
「ロゼ君、申し訳ないが、私はヨハン爺さんのことをほとんど知らない。
記録を探せば、何か出てくるかもしれないが、どうする?」
「………」
ロゼはヨハン爺さんに何を求めているのか?
これが不明なまま、これ以上踏み込むべきではないのだろう。
顔を覆っている少女吸血鬼の姿はひどく可愛らしく、慰めてやりたいという衝動を覚えていたとしても、だ。
私は狩人だ。
能力はなくても、心は狩人なのだ。
吸血鬼と馴れ合うことなどできない。
いや、馴れ合ってはダメだ。
そう思うことで、自分が人とは違う、何か特別な存在なのだ!と思い込もうとしているだけと、理解していても。
おっさんなのに、ガキみたいだな、私は。
本当に情けない。
必要のない我を張って、これ以上は退くことができないと、自分だけの線引きをしている。
「……お礼を言いたくて」
「爺さんに?」
「ヨハンさんはやり方を教えてくれた」
「……」
ヤリかたって。
思っていた以上に、爺さんはダメ人間だったらしい。
私が生まれているってことは、嫁と子もいただろうに、何やってんだよ!
狩人のくせに、吸血鬼に惚れた上に少女とヤってたのか!?
ロゼの実年齢はともかく、外見を考えれば犯罪行為だろ?!
「気がついたら、吸血鬼になってた。
ヨハンさんが人の街のこと、お金のこと、血を買って飲むこと、読み書き、悪い人の見分け方、悪い人を騙してお金をもらう方法、全部教えてくれた。
人の中に紛れるやり方を教えてくれた。
ずっと勇気がなくて出てこれなかったけど、お礼が言いたかった」
え!?……すまん。
私は自分の方こそが、世俗の垢にまみれた救いようのないクソ野郎だと思い知ったよっ!!
ヨハン爺さん、いやヨハンお爺様!
小児性愛の変態だと思ってすいませんでしたっ!!
ってことは、ロゼは非同意の野良吸血鬼だったってことか。
お爺様は、吸血鬼であっても何も知らない、可哀想な少女の親代わりをしてたということになる。
店長は穢れた大人です
すいませんでしたっ!