03
何事もなく数日が過ぎて、ロゼの家に旧時代の骨董品を繋げる日になった。
車のAIに携帯端末から情報を送って、ロゼの家までをルート検索する。
従業員達には「ロゼ君をニッチなマニア世界にご招待してくる」と説明してあるので、万が一彼女に襲われたとしても、行方不明者になることだけはないだろう。
行方不明は免れても、墓穴には入ることになるだろうが。
生き残るのは無理だ。
私は吸血鬼と戦ったことはない。
超自然生命体保護法が当たり前の世界で育ち、祖父から吸血鬼が化け物だという知識は受け取っていても、実地で訓練はしたことがない。
一応、先祖伝来の対吸血鬼用武器を持ってきた。
本当は硝酸銀溶液が作りたかったが、作り方は知っていても、作ったことがない。
作成に必要な道具もない。
襲われたら、死ぬだけだ。
狩人として生きることができなくなった時に、我が家は血筋を途絶えさせるべきだった。
中途半端に知識を残すから、没落した後も市井に紛れることができない。
化け物と友人づきあいをするべきなのか?という葛藤を抱えたまま、価値観を変えられないまま、私は気がつけば独身のままで30歳を過ぎていた。
これまでは恋人が出来ても、部屋を見せたが最後、フられてきた。
いざという時のための生木の杭や、磨かれた幾本もの銀のナイフ、朝の太陽と同じ輝度を再現する投光器。
そんな普通の生活には必要のないものと、壁に作り付けた棚に古い映像再生機器が整然と積まれている、渾然一体とした部屋は、受け入れ難いらしい。
整理整頓ができていないから、ではないはずだ。
私は、何がどこにあるか理解している。
「店長、おはようございます」
夜風を取り込もうと開けていた窓から、少女の声が聞こえた。
法定速度内だが、車外の人の声が聞こえるような速度でもない。
慌てて歩道へと首を巡らせるが、そこには誰もいない。
見回してみると、街灯の明かりで照らされた白い顔が、前方で作り物の仮面のように浮かび上がっている。
気持ち悪いと思うべきなのに、ほんのりと浮かんだ笑みを、可愛らしいと思ってしまうのは、よくない兆候だろうか。
「ロゼ君こんばんは、車を停められる場所はあるかな?」
「はい、3008番に」
言われるがままに、ジャッポーネ復刻版の軽トラで駐車場へ侵入する。
ジャッポーネにルーツを持つ遅番従業員の〝加藤浪波〟は、200年少々前の時代を指して〝古き良き時代〟という言い方をする。
ロウハ経由でジャッポーネや、興味深い彼の国の文化を知った。
外見と仕様に惚れ込んでいる愛車の大元も、その時代を象徴する一つらしい。
ロウハに〝古き良き時代〟を語らせると、一晩では足りない。
まだ国家が存在していて、世界情勢もギスギスしていたが、色々と手遅れではなかった、らしい。
知ったことで、何ができるわけでもないが。
男とは、未だに民主主義の名残だけはある政治形態について、語りたい生き物なのだ。
だからこそ、話をジャッポーネのマニア文化に寄せつつ、ロウハと語りあかすのは楽しい。
ジャッポーネとロウハのことは置いておいて。
私の愛車の車体色は、復刻人気ナンバーワンの〝シャインホワイト〟で、2人乗り+荷台に350kgまで荷物を積載できる。
復刻の際に、重量センサーが標準装備されているので、過積載はできない仕様だ。
同乗する相手がいないので、2人乗りで十分。
良品の再生機器が発掘された時などは、こいつに乗ってどこにでも買い付けに駆けつける。
昨今では4輪の車は珍しいので、こいつに乗っているだけでも話のネタに困らない。
駐車場には困るが。
ロゼが、4輪用駐車場のある物件を借りていてくれてよかった。
「よろしくお願いします」
「ああ、よろしく。
重たいから気をつけ……えぇ〜」
以前と同じように、にこりと音が聞こえそうな笑みを浮かべ、ロゼは荷台に乗せてきた、ひと抱えはある再生セルロース製の箱を抱え上げる。
ヒョイっと擬音が聞こえそうな様子で。
そうだ、彼女は少女にしか見えないが、吸血鬼なのだ。
とっくの昔に生産の終わっている、旧型の映像記録媒体用の再生機と互換性のあるモニター、配線に必要なあれやこれやで、総重量は20キロを超過する。
それを軽々と、クッションでも持つかのように持たれると、汗を流して積み込んだ私が馬鹿のようではないか。
これらの旧品を現在主流のシートタイプのバイオモニターや、携帯端末に搭載されている極小HDDと同じだと思っていると、腰や肩が悲鳴をあげる。
重たい、デカイ、さらに故障した時は、部品がないので修理が大変なのだ。
吸血鬼が羨ましいと初めて思った。
「店長、30階なので、階段に気をつけて下さいね」
「……階段?」
今のこの時代に、階段?
思わず見上げた石壁で覆われた集合住宅は、これもまた旧時代の遺品のように、威風堂々と立ちはだかっていた。
ロゼの目的地は……30階建ての……30階?!
目の前に続くのは、避難用滑り台付きの、年代物の螺旋階段。
こ、これでも私は男だ。
30階建ての最上階くらい登ってみせる。
「……はぁ、はぁ、やっとついた」
最上階まで登って、初めて気がついた。
この集合住宅は、最上階だけにエレベーターがない。
階段を登ってる途中で、エレベーターあるのに、なんで使わないんだよ!と思ったんだ。
今時、エレベーターがない建物なんて、復古主義マニアの作る木造平屋建築だけだ。
木の家なんて存在自体が珍しい上に、地上10階建以上、地下2階の集合住宅がほとんどなので、エレベーターもない方が珍しい。
屋上階だけに備えられている、頑丈な合金製のシャッター型鎧戸を見るに、どうやら、最上階は吸血鬼専用の賃貸物件らしい。
確かに、伝承通り霧やコウモリになれるなら、エレベーターは必要ない。
むしろ玄関もいらないのか?
最上階の吸血鬼と、下層に住む人間の住民との接触が増えれば、問題が起こる可能性がある。
しかし、吸血鬼だけを別棟へ隔離することは、人種差別に繋がるためできない。
そこで吸血鬼にとっては必ずしも必要ではない、エレベーターのない最上階、か。
多分、この考え方で間違っていないはずだ。
人間が訪ねてくることを、一切考えてない仕様なのか。
来たけりゃ、吸血鬼に抱っこやおんぶで連れてきてもらえってことか?
それは食料としての訪問ってことか。
……絶対に、今日中に配線を繋げてやる。
二度とこんなとこ来るか!
そう思いながら、ロゼが開いた扉の中へと足を進めた。
膝が笑っているのは階段を登り疲れているからで、捕食されるかもしれない恐怖ではない。
違う。
◆
「——こんなとこかな」
機材の設置と、配線自体はあっさりと終わった。
あとはプラグを繋ぐだけ……というか。
「他の奴らのお勧め作品を持ってきたんだが、置くところがないな」
「はい」
置くところがない。
というか、置く場所がない。
私の部屋のように、歩く場所以外は吸血鬼関連の資料や武器、様々な年代の再生機の部品や配線、録画用の機器が転がっている訳ではない。
むしろ真逆だ。
ロゼの部屋には、何もなかった。
本当に、文字どおり何もない。
吸血鬼は出生地の土入りの棺で寝るとか、聞いたことあると思うが。
棺すらない。
カーテンすらない。
バルコニーに面しているのか、部屋の奥に見えるフランス窓のさらに奥は、閉まっているシャッター状の鎧戸が見えている。
壁と床がむき出しで、ラグや机や椅子の一つもない。
どう見ても、住人のいない部屋だ。
現状で誰かが住んでる部屋じゃないぞ。
吸血鬼にはベッドが必要ないってのは分かっていたが、ソファどころか、再生機やモニターを置ける台や棚すら無いとは思わなかった。
床で雑魚寝してるのか?
壁面塗装や扉の交換は終わっているのか、締め切られている室内には、塗料の青臭い匂いがこもっている。
天井には、むき出しの照明。
天井が高いせいで、全然光量が足りていない。
本来なら天井にはシャンデリアやシーリングファンを吊るし、間接照明をいくつも置くはずだ。
照明を見上げて……その形状がドレッシングルーム用の、低輝度照明であることに気がついた。
夜目がきく吸血鬼に照明は必要ないはずだから、私が作業できるように、とりあえず付けてくれたのか?
設置する場所がなかったので、とフローリングの上に直置きしてあるモニターとプレイヤーを、このまま置いておくわけにも行かない。
今時では珍しい、有線の配線を足で引っ掛けたら困る。
全部載せられる、2段以上の棚がいる。
欲を言えば、座り心地のいいカウチも。
軽トラは白派
ロゼはミニマリスト?