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前述した通り、私は吸血鬼〝ロゼ〟が成りたての新米吸血鬼ではないのではないか?と思っている。
もしかしたら彼女は数百年を経ている、噂にだけは聞く真祖やら、始祖と呼ばれる吸血鬼に近い存在なのではないか?と思うに至る理由があるのだ。
根拠も証拠もないが。
……いつも彼女からは、バラの香りがする。
とても自然な、香り高いバラの香りが。
私にはバラと聞いた時に、思い浮かべる吸血鬼がいる。
そのあざ名は、捻りも何もなく〝バラ園の姫〟だ。
ロゼに初めて出会い、すれ違った時に嗅ぎ取った香りで、今は亡き祖父に教えられた〝姫〟の事を思い出した。
それは、高祖父が存在を刈り取ることを見逃した、と我が家系に伝わっている吸血鬼だ。
高祖父が、狩人でありながら恋に落ちたと言われる、そんな吸血鬼の忌々しいあざ名だ。
人は、現在の最新鋭医療である臓器交換延命法を持ってしても、200歳の寿命の壁を越えることができていない。
自らの細胞から培養した、若い骨格、臓器へ交換し続けていけば、理論上は何百年でも生きられる。
麻酔や手術の技術が進歩したこともあり、数日の入院で臓器が交換できるので、私もすでにいくつかの臓器を交換している。
私の場合は、交換が必要だったということもあるが。
街からの延命支援金が出るので、施術を受けていない者はいないのではないだろうか。
クローンとは違い、臓器だけではあるが使い捨ても同然。
必ずしも人道的とは言えない方法だが、世情を思えば、住民を長生きさせる方向に傾くのも頷ける。
人が自分の意思を持って生きられる上限は、ここ10年ほど200歳から変わっていない。
記憶と経験を、培養した脳にコピーする技術は確立されていないので、脳の劣化が原因という意見もあるが。
脳の完全移植は、現在の技術でも10パーセントほどの確率で後遺症が出るらしく、あまり普及していない。
私は人の精神こそが、寿命の問題だと思っている。
肉体が新しくなったとしても、そこに宿る魂と精神は新しくできない。
どこのスピリチュアル論者だ?なんて言われても、他にうまい言い方が思いつかない。
人の心の寿命が、だいたい200歳程度なのだろう。
やりたいことをやり尽くして、燃え尽きるのかもしれない。
専門知識があるわけでもない私が、こんなことを言う根拠は、長く生きた吸血鬼に見られる変化が元になっている。
吸血鬼は人から成るもの。
限りある人としての生を捨て、化け物になることで永遠にも似た存在になる。
|新米吸血鬼《モスキートは、生まれたばかりの幼な子のように、己を律することを知らず、節制の片鱗すら見せずに人を襲う。
命の価値など知ったことか、と傲慢に人命を食い漁る。
人との付き合い方を教える先達がいればいいのだろうが、野良吸血鬼になったが最後、数十年は暴れまわるらしい。
私自身が吸血鬼を狩ったことはないので、全て先祖伝来の知識でしかないが、人から吸血鬼に生まれ直したとでも考えれば、赤ん坊のように本能的に食欲を満たそうと動くのは、おかしいことではない。
とにかく、暴れた末に節度を知って成熟し、長い年月を経た吸血鬼は、心が乾燥して磨耗して、刺激に対して鈍くなる。
周囲を取り囲む状況や、己の存在を保つことに対して、非常に淡白になる。
それが3〜400年ほどではないか?と言うのが先祖が導き出した答えだ。
現状で人の限界である200歳が、吸血鬼の限界ではないようなので、この考えは仮説でしかない。
確かに、吸血鬼たちは人の世に溶け込んだが、1000年超えの吸血鬼がいる、とは聞いたことがない。
10世代以上に渡る先祖の研究が間違っていなければ、吸血鬼は3〜400年を越えたあたりで自暴自棄になるか、死を望むようになるのだろう。
これは、合法的に吸血鬼を狩ることのできない現在において、何の役にも立たない知識だが。
長く生きている吸血鬼達が隠れているだけだとすれば、全く無意味な考察でもある。
ロゼが〝姫〟であるとしたら、高祖父の生きていた年代から考えて、130〜150歳は超えている。
もっと以前から存在している吸血鬼であれば、無気力になっていても、何らおかしくないのだ。
もしも彼女に自殺願望、破滅衝動があるとすれば、それに巻き込まれるのだけはごめんだ、と思っている。
故に、彼女を警戒しているとも言える。
◆
「店長、すいませんが、今いいでしょうか?」
「…ロゼ君、何だい?」
遅番のアクション映像好き〝加藤浪波〟が食事休憩に入ったと思ったら、ロゼに話しかけられた。
従業員2人と店長、もしくは従業員と店長補佐の3人で店を回しているので、今は店内に2人だけだ。
少女の外見なので〝ロゼ君〟と呼んでいるが、正確な年齢がわかれば慇懃無礼に〝ロゼ嬢〟と呼ぶのもやぶさかではない。
嫌味ったらしく〝ロゼ嬢〟と呼ぶくらいなら許され……いや、どう考えてもハラスメントか。
「ここで借りられる作品は、どのような機械があれば見られますか?」
「……ええ?」
思いもしなかった質問内容に、思わず素で返してしまった。
顔色がチアノーゼ色、もしくは美術館所蔵の陶器人形そっくりという以外は、平凡な少女の外見であるロゼは、無表情の顔を困ったように仄かに赤らめた。
オイオイ、吸血鬼が頬を染めるとこなんて、初めて見たぞ。
絶滅危惧種の気弱な少女のように、モジモジと両手の指先を合わせている姿が、なんというか……可愛い。
「皆さんが面白いと勧めてくれるのを、見てみたいです。
どうしたら見られますか?」
あれー、興味がないから借りてないんだと思ってたよ。
もしかして、何にも知らないまま働き出したってことか?
いや、それはないだろ。
こんなマニアックでニッチな店、飛び込みで面接受けて働きたいって思う方がおかしいぞ。
「…ああ、と、じゃあ、とりあえずこの店のほとんどの商品が、アーカイブのコピーだってのは教えたよね?
コピーだけど、貴重なものであることは変わらないから、気をつけて扱ってほしい。
うちに余ってるプレイヤーがあるから、それを明日持ってきてあげよう。
配線や旧式のビデオケーブル対応のモニターはあるのかな?」
「すいません、あの、全部ないです」
全部?
もしかして吸血鬼には物欲がないとか?
……いやいや、ほとんどの吸血鬼は、クラブや違法な店で獲物に金品を貢がせてるって聞くぞ?
もしかして最新型のモニターなら、あるってことか?
「全部って?」
何となくちゃんと確認をとっておいた方がいいような気がして、茶色の瞳を初めて間近で見つめる。
ありふれた茶色かと思っていたら、色の濃い虹彩に金の星が爆発したように散って、茶色に見えている。
無表情の顔の中で、意外なほどに透き通った瞳が、私を見返してきた。
不思議と嫌悪感を感じないことに、少しだけ狼狽えてしまう。
相手は吸血鬼だっていうのに。
「配線もモニター?もありません」
何で、何の変哲もない〝モニター〟って単語が疑問形なんだ?
モニター、も手元に余っているものが、ないことはない。
サイズ表記が旧時代の30インチとかいう、小さい初期型の平面液晶のモニターだ。
インチってのは、もともと国家が存在していた頃の長さの単位だ。
詳しくは知らない。
このモニターは交換部品がないので、ある意味では貴重品なんだが、動かないものをコレクションするよりも、使ってなんぼだと、私は思っている。
有効に使ってくれるのなら、貸し出すのは構わない。
うちの店で扱う映像媒体には、それなりの(古めかしい)再生用機材が必要になるから、買い揃えられるようになるまでは、全員に貸し出してきたのだ。
それよりも、いくら私が30歳越えの独身男でも、モニターとプレイヤーを抱えて、歩き回りたいとは思わない。
車を出すしかないか。
本音を言えば吸血鬼に関わりたくないが、店長という肩書きもあることだし、何よりロゼが本当の意味で従業員になる気なら、まあ、応援してもいい。
一見すると少女にしか見えない吸血鬼のロゼだが、私以外の従業員からは受け入れられている。
少々無表情で口数が少ないだけで、常連のお客さんへ迷惑をかけることもないし、偏屈なジジイであるオーナーが気に入っているように見える。
勤怠表をイントラで確認して、ロゼも私もちょうど明日の早番が空いて……って、吸血鬼に向かって朝から起きて待ってろってのは無理か。
「遅番が休みの日で2人とも空いてるとなると、早くても2週間後かな」
「朝まで起きてます、深夜番の後にしてください」
そりゃ君は吸血鬼だろうから、夜明け前まで平気で起きてるだろうね。
こっちは、帰って風呂入って寝るんだよ。
深夜勤務の従業員に、週に2回混ざって朝方まで働くだけで、おじさんは疲れ果てるんだ。
寿命が200歳の時代に、30歳をおじさんというと怒られるかもしれないが。
……ロゼの常識のなさは、吸血鬼だからなのか、それとも単なる世間知らずなのか。
「ロゼ君。
全部こっちで揃えるから、遅番の時間にしてくれ」
深夜番でもないのに、夜中に徘徊したくない。
それも吸血鬼の部屋に入るなんて、餌になりに行くようなものだろ。
「はい、よろしくお願いします」
にこり、という音が聞こえそうな仕草で、ロゼは少しだけ微笑む。
たまに見せる笑顔が良い!って言ってたのは、早番の店長補佐〝マイケル・スカルジー〟だったか。
少しだけ、その意見に賛同するよ。
吸血鬼だってだけで、気は許せないが。
作中の臓器なんたら〜はトンデモ医学です
本当にここまでして長生きしたい人もいるのかな……?