04
30年前からの数年間は、吸血鬼達が人の世に姿を現した過渡期であり、家族も叔父貴達狩人も、全員が寝る暇もなく働いていた。
子供相手に時間を割く余裕もないほど。
当時4歳の俺は、家族みんなで行くはずだった避暑地で、1人寂しく過ごすしかなかった。
家にベビーシッターと共に残る、という選択は無かった。
狩人家系直系の片鱗として、生まれた時から普通の子供と違っていた俺は、シッターにも避けられていた。
夏の間くらい、俺に近寄りたくないって、シッター達が言ったらしい。
保護者代わりの管理人夫妻は優しかったが、金で雇われているに過ぎず、食事と洗濯以外で俺に構ってくることはなかった。
俺は腕に居場所を発信するバンドをつけられただけで、毎日、1人で自然の中を駆け回った。
シッターの件からも分かるように、その頃からすでに、同年代の少年少女よりも身体能力が高く、遊びが幾度か怪我に発展してからは、友達を作ることを諦めていた。
1人なら、何も気をつけなくていい、と考えていた。
要は、誰にも構ってもらえなくて、不貞腐れていたわけだ。
その避暑地には、見事なバラ園があった。
避暑地内に別荘を持っている者しか入れない、広いバラ園。
1,000年以上前から、つい何十年前かまで存続していた貴族?だか何だかの元持ち家は、今は登録者用の共同避暑地の敷地になっていた。
遊び疲れ、腹も減って……でも、誰もいない別荘に帰りたくない、と拗ねていた俺は、夕暮れの中を寂しげに歩く、紅茶色の髪の女性に会った。
1人で遊ぶのに飽きていた俺は、年上のその女性に懐き、そして、夏をとても楽しく過ごした。
夏が終わって帰る頃には、女性のことを恥ずかしげもなく「ママ」と呼ぶほどに。
俺の母親は多忙な上に厳格な狩人で、自分のことを名前で呼ばせていた。
〝ママ〟なんて、一度も呼ばせたもらった記憶がない。
同年代の子供が、母親に抱き上げられて顔を輝かせるのを、羨ましいと思っていた。
呼ぶだけで世界中の悩みが消えるように、甘えきった声で「ママ」なんて呼んだことがなかったから、憧れていたのだ。
俺は避暑地に行くのが楽しみになった。
何かとねだって、夏以外も避暑地で過ごすようにしたら、シッター達も安心する。
ママは俺を怖がったりしなかった。
普通の4歳の子供なら、絶対にできないようなことをしても「すごい」と褒めてくれた。
家族が忙しくしていても、避暑地にさえ行けばママが遊んでくれて、子守唄と額におやすみのキスをくれて、抱きしめてくれる。
その頃の俺は、一年中夏ならいいのに、と心から願っていた。
ママが本当のママにはなれない、と子供心でわかってはいたのだ。
日が暮れてからしか会えないママ。
いつも、どこか寂しそうで、大人のいるところには近づこうとしないママ。
それでも、4歳の俺にとっては、世界一のママだった。
◆
翌年も、その次の年も、俺は〝ママ〟と夏を過ごした。
しかしその翌年、今年も楽しい夏が!と思っていた7歳の時、俺は滝から落ちて……朝、気がついたら別荘の部屋にいた。
ママに花束を渡したくて花を摘むうちに、滝に近づきすぎたらしい。
滝から、幾つもの岩に当たりながら水面に落ちたはずなのに、どこにも怪我はしていなかった。
ただ、口の中に生臭い鉄の味が残っていた。
それから、彼女には一度も会っていない。
諦めずに敷地内を探し続けたし、管理人夫妻に確認もしたが、そんな女性はいない、と言われた。
10歳の時に両親とともに吸血鬼の襲撃を受け、復讐心に飲まれてからは、彼女のことなど忘れていた。
……幼い俺にとって、彼女は大人の女性に見えていたが、こんなにいたいけな少女だったのか。
いつのまにか、銀鎖は手の中で揺れていた。
ロゼの細い首には、痛々しい焦げ跡ができてしまっている。
「ロゼ……君は、俺の血の匂いを辿れるのか?」
「ええ、そう」
泥と乾いた血で汚れた顔で俺を見上げ、透き通った茶色の瞳が真剣な光を灯している。
「坊や、あなたを守るから」
「……魅了を解いてくれ」
「魅了なんてしてない。
坊やは、血を取り込みすぎて、変化が進んでる」
俺を見上げたまま「他の(吸血鬼の)血で匂いが変わってしまって、あなたを見つけられなかった」とロゼは眉を寄せた。
つまり、ロゼはこの街に来てヨハンを探していると同時に、坊やのことも探していたのか。
だが、ヨハンはとっくの昔に死んでいるし、俺は……変化してしまった。
「……知っているんだな」
「狩人達が血を取り込むことなら」
それはイモータルハンターの重大な秘密の1つ。
吸血鬼は、自らの血を人に飲ませることで、吸血鬼化させる。
なりたての吸血鬼は、親に絶対の忠誠を誓う。
見たことはないが、それが定説だ。
何百年も前の狩人達は、禁忌だと知りながら、毒を食らわば皿まで!と吸血鬼の血を浴び、舐めたという。
それくらい、吸血鬼達は人を追い詰めていた。
人を超えた能力を得るために、吸血鬼化しないように微量の血液を体内に入れて、限界を超えた身体能力を得る。
しかし、これは正しい方法じゃない。
吸血鬼の手で変化した場合と違い、人が血のみを得て変化した場合、出来上がるのは化け物だ。
発狂して、ひたすらに血を求め、生きたまま腐っていって、最終的には創作物の中の化け物、ゾンビやグールのようになってしまうらしい。
そこまで行く前に同僚の手で葬られるので、記録でしか見たことはない。
人により変化に必要な血の許容量が違うので、これは命懸けの博打だ。
一滴で発狂する狩人もいれば、長年の摂取で吸血鬼になって、心臓に杭を打ち込まれる者もいる。
気狂いじみたこんな真似を、何代にも渡って繰り返してきたのが、バッターリア家だ。
他の地域にもそんな奴等がいるかもしれないが、国があった頃から、うちはこの辺の狩人の頭首だったらしい。
ちなみに高祖父のヨハンは、血を取り込みすぎて吸血鬼化した。
もちろん、杭を打たれてる。
そんなバッターリア家の者が、普通であるわけがない。
普通の人との間に子を成すことはできるが、子供のできる確率が低く、死産が多いことも判明している。
つまり、バッターリア家の唯一の生き残りである俺は、遺伝子レベルで化け物側に傾いているのだ。
俺は、知らない間にロゼの血を飲んでいた。
その後に、幾度も討伐で吸血鬼の血を浴びたせいで、吸血鬼化が進んでいるらしい。
「それをあいつらに言ったのか?」
「いいえ」
舞踏会に出向いた後、病院で意識を取り戻すまでの記憶が不確かだ。
俺はロゼにもナイフを向けたのだろうか。
ロゼは、俺が何を考えているのか分かるらしい。
「坊やは優しい子、大丈夫」
背伸びと共に、白く細い小さな手が精一杯伸ばされたが、それでもやっと頭に届くかという位置だ。
よしよし、と頭を撫でられて、胸が痛む。
俺は、吸血鬼を殺さないといけない。
胸に痛みを感じていても、ロゼすらも殺さなくては。
頭ではそう思っているのに、鎖を持っている右手は力を失い、左手の指先で、細い首の黒い焦げ跡を触る。
癒してやりたい、と思ってしまう。
店長だった時には、こんな風に思わなかったのに、ロゼがママだった事を思い出したせいだろうか。
ロゼが失われることが、怖くて仕方ない。
頭では理解できないのに〝ロゼが死んだら、俺も死ぬのだ〟と心が確信している。
俺は、ロゼがいないと生きていけない。
イモータルハンターの頭首として、仲間を守らなくてはいけない。
吸血鬼に対して、一欠片でも温情を持つことなど許されないのに。
相反する心のせいで、体が2つに引き裂かれそうだ。
「坊や、大好きよ」
本当の母親が向けてくれる暇もなかった、優しい眼差しと共に告げられた言葉で、俺は分からなくなってしまった。
家族の仇を討って、吸血鬼を殺さないといけない。
このままロゼと共に、吸血鬼のいないどこかで暮らせればいいのに。
どちらも俺という人格を形成してきたものであり、どちらか一方など選べなかった。
ただ、苦しくて、助けて欲しくて、愛おしいロゼを抱きしめた。
温かみのない細すぎる体。
そっと頭を撫でる小さな手。
無表情に近い青白い顔。
彼女の全てが愛しい。
——彼女はすでにママでは無い。
守るべき、愛おしい女性だ。
他の何を犠牲にしても、ロゼだけは失うことができない。
また、何も楽しみのない、孤独な日々に戻るのは嫌だ。
「ルッツって呼んでくれないか?
もう坊やって呼ばれるような歳じゃない」
俺もママって呼ばないから、と告げると、なぜか残念そうな顔をされた。
いや、外見年齢12、3歳の少女をママと呼ぶのは、色々と疑われるから勘弁してくれ。
イ、イチャラブ??
母性本能??