03
幸いなことに、何者にも妨害されることなく、車は一軒の一戸建住宅に着いた。
「侵入者センサーはあるのか?」
「はい、失礼致します」
後ろから手を伸ばしてきた叔父貴が、俺の首元に何かを押し付ける。
微かなプシュッという音と、チクリとした痛みがあってから、再び何かを押し付けられた。
「現在、狩人全員が体内に備えている生体チップです。
これで敵味方の識別、敷地内への侵入許可申請、現在地把握や体調管理を行なうのと、行政側の生体チップの情報阻害を行います」
「了解」
正直なところ、叔父貴には薬漬けと記憶を掻き回された覚えがあるので、あまり触れられたいとは思わない。
恨んではいないと言ったが、これからどうなるかはわからない。
家の中に入り、当たり前のように隠し扉を開き、地下へと進んでいく。
懐かしい武器がずらりと並んだ武器倉庫、トレーニングルームが地下1階。
地下2階には、箱に詰められた食料などの物資、用途不明の機材や、俺には分からないものが並んでいた。
「地上の家はほぼダミーですが、水も電気も繋いでいるので、生活はできます。
ですが、安全を考えるなら、地下にいて欲しいですね」
「地下でいい、勘を取り戻すまではな」
「はい」
「とりあえずトレーニングをして、食って寝る。
高カロリー高タンパクな食事がいる」
「はい、畏まりました」
俺の言葉を確認して、そのまま歩き出した叔父貴の背中に声をかける。
「俺の武器を、揃えておいてくれ」
正直な話、金、策謀、組織の運営は叔父貴任せでいい。
俺が首を突っ込んだら、船頭多くして船山に上る、を本当に見られるだろう。
体験したくもない。
だが、記憶を取り戻したというのに、愛用していた武器がないのは困る。
新しい武器を用意しても、手足のように馴染ませるには時間がかかる。
「……はい」
やはり叔父貴は、少なくとも数日間は、俺をここに隠しておきたかったらしい。
悪いが、明日には外に出るつもりだ。
隠れてコソコソするのは性に合わないが、当分の間は、宵闇に隠れての吸血鬼狩りだ。
叔父貴の苦虫を嚙みつぶしたような顔を確認した俺は、久しぶりに大声で笑った。
◆
久々のトレーニングに、全身の筋肉が悲鳴をあげる。
12年間もサボってりゃ、どんなアスリートだって鈍るってもんだ。
俺はアスリートじゃないから、ストイックなトレーニングなんてやってない。
シャワーブースで温かいスチームを浴びながら、鏡に映った自分の姿を観察した。
どうやら、病院にいたのは、顔と眼球の交換のためだけではなかったらしい。
昨今の医療技術なら、傷跡一つ残さずに臓器の移植を行える。
俺は10歳の時に、両親、祖父と共に死にかけて、いくつもの臓器を交換している。
そこに傷はないとしても、培養した皮膚はわずかに質感が違う。
18歳の時の、1人全面闘争でも死にかけている。
記憶にはないが、叔父貴主導で移植手術を受けているはずだ。
水の雫が滴る肌を、舐めるように確認していく。
やはり、日常生活に問題のあるほど目立ちはしないが、霧のように光を乱反射させた空間で見ると、質感が違うのが見てとれた。
今回の移植は、顔面、眼球、歯と顎も形成された跡がある。
両腕、左足は根元から新しくなっているように見える上に、右足も何らかの治療が施されたようだ。
腹も臓器を複数交換したらしく、開腹された跡の皮膚が違っているし、背中側の肌も一部で質感が違う痕跡がある。
記憶も戻ってないのに、憎しみを思い出して、ナイフ一本で立ち回ったのか。
俺は、思ったよりもデキるやつだったってことだ。
殺しまくった最後は、吸血鬼と相打ちになれ。
それが、祖父が俺に教え込んだ、狩人の本質だ。
吸血鬼に劣る身体能力しか持たない人が、吸血鬼と対等に戦うには、命を張るしかない。
記憶もないのに、教えを忠実に守った俺を、稀代の狩人だった祖父は、認めてくれるだろうか。
スチームを止め、冷たいシャワーを浴びて筋肉を冷やし、全身に吹き出した疲労を洗い流した後は、叔父貴が教えてくれた箱から取り出した栄養補給バーを齧る。
ほんのりフルーツ味、満腹中枢を刺激するための、硬めの雑穀っぽい食感も悪くない。
バニラヨーグルト味のプロテインシェークと合わせて、栄養素を過剰摂取した後は食休みを挟んで、しっかりと寝る。
少しでも早く、体を思い通りに動かせるだけの筋肉が必要だ。
できる限りドーピングはしたくない。
まだ体の中には、病院で使用された大量の薬品の名残があるはずだ。
追加で筋肉増強剤を使って体調を崩したら、それこそ動き回れなくなる。
地下室の照明を暗くして、トレーニングルームの端にある簡易寝台へと倒れ込むと、すぐに眠りに落ちた。
◆
目覚めた時には翌日の昼で、水分補給と共に水溶性のビタミンを摂取しながら、昨晩と同じように全身を虐め尽くした。
汗と疲労を流した後で、スウェットの上下という格好で栄養補給バー(ナッツ&ココア味)を齧っていると、壁に埋め込まれているモニターに、来客の知らせが出た。
「おいおい、嘘だろ?」
モニターに映っているのは、赤茶の髪と茶色の瞳の少女。
ただし、その姿はボロボロだ。
所々ほつれて、汚れてまだらになったワンピース、泥まみれの裸足の足。
青白い顔にも何かがこびり付き、髪は泥の中を泳いだようにもつれて、いくつもの塊になっている。
俺は、今この時まで、ロゼのことを思い出しもしなかった。
我ながら狩人らしくなったな、と思いながら、なぜか動揺している自分に気がつく。
ロゼは吸血鬼だ。
殺さなくてはいけない相手だ。
イモータルハンターが、吸血鬼を助けることなんてない。
それが当たり前なのに、なぜ、胸が掻き毟られるような疼痛を覚える?
「坊や、無事?」
モニターのスピーカーから、囁くような声が聞こえる。
耳元で響く甘い子守唄。
木の枝に結んだブランコ。
野原の花を摘んで、花冠を作り。
っっ!?何だ、この記憶は?
頭を押さえて、モニターの向こうのロゼを見ないようにと下を向く。
「坊や、痛いところはない?」
甘やか、というしかない囁き声は、耳を塞いでも脳裏に響き渡る。
自分で制御できない感情が、胸の内を這いずり回る。
心配してくれてありがとう、もう大丈夫、どこも痛くないよ。
吸血鬼を殺しにいけ!
また、子守唄を歌ってほしい。
今度、怪我を手当てしてくれたお礼をしたいんだけど、希望のはあるかな?
今すぐ銀のナイフを突き立てろ!
ずっと会いたかった、抱きしめて欲しかった。
設置した再生機の調子はどうだい?楽しめているかな?
殺せ、許すな、全ての吸血鬼を!
ママに、会いたかった。
ママ、ママ、ママ!
頭が痛い、胸が痛い!
記憶の統合は済んでいるはずだ。
それなら、脳裏に浮かぶこの映像は何だ?
俺は、一体何を忘れてる?
…………ママ?
——地上へのぼり、玄関の鍵を開け、ポーチへと足を踏み出す。
空は茜から紫に染まり、夜が近づいて来ている。
気の早い星がいくつか目覚めて、瞬きをしている。
「ママ」
「坊や、怪我はしていない?」
「もう、大丈夫」
「よかった」
鼓動を半分以下に落とした心臓が、ゆっくりと血を全身に送る。
ママが側にいるだけで、世界が光り輝いて見える。
「心配してくれてありがとう」
「坊やを守るって決めたから」
口元を緩め、ふわりと笑顔を浮かべた青白い顔。
愛おしくて堪らない。
愛おし、っ、違う、こいつは、吸血鬼だ!!
「ママ、っ、教えて、くれる?」
「何?」
「っ……俺に何をした!?」
意識が飛びそうになるのを何とか繋ぎ止め、手首に巻いていた銀鎖のネックレスを、白く細い首へと巻きつけた。
白い肌が焼ける音がして、焦げ臭い匂いが漂う。
意識では締め上げているつもりなのに、震える手には力が入らない。
それでも俺の手の内で、ママ……いや、ロゼが苦しそうに顔を歪める。
途端に、泥川の中のように濁っていた意識が、少しだけ明瞭さを取り戻す。
もう少しで完璧に意識を奪われるところだった。
これが〝魅了〟か?
「子供の時に血を飲ませた。
坊やを助けたくて」
苦しそうな掠れた甘い声が耳朶に流れ、膝が砕けそうになる。
少しでも気を抜くと魅了に負けて、ロゼの足元に身を投げ出すことになるのが分かる。
俺にとって効果のある魅了は、求めてもいない〝恋人〟ではなく、愛して欲しかった〝母親〟ということらしい。
母も狩人で、忙しくしていたため、抱き上げられた記憶など、ほとんどない。
理解はしていても、子供の頃のそれが心残りになって魅了されてしまうなら、俺はどうしたらいい。
「子供の時?」
「夏に来てくれて遊んだの、楽しかった。
ママって呼んでくれて、嬉しかった」
ママ。
その言葉が耳朶に届いた途端に、勝手にフラッシュバックする思い出。
暗がりの部屋の中、すぐ耳元で響く、ママの優しい子守唄。
甘えて抱きつき、見上げた顔は細くて青白い。
月明かりの下で、木の枝に結んだブランコに、ママと2人で乗って。
燃えるような紅茶色の髪が、暗闇の中で炎のように暖かく見えた。
星が照らす野原の閉じている花を摘んで、ママの見よう見まねで花冠を作り。
——ママに夜に咲く花を見せてあげたくて、暗闇で足を滑らせて滝から転落した。
ママ。
俺の、大好きだったママ?
やっと題名回収案件
外見12、3歳だけど……ママ?