02
ベッドから立ち上がり、入院着を脱ぎ捨てようとして、着替えがないことに気がついた。
バスタオル一枚で、どうにかしろってことか。
無理だろ!
「こちらをどうぞ!」
憧れで輝く瞳で見られることは、居心地が悪い。
満面の笑みとともに渡された圧縮パックを受け取りながら、こいつ、さっさと帰っちまえ、と思ってしまう。
個人的に関わりたくないだけで、好き嫌いではない。
看護師の格好をしたエルモに、俺が返した笑みは、笑顔じゃなかったのだろう。
笑顔を作ったつもりの俺を見たミカが、顔を引きつらせていた。
何年も一般人としての生活をしてきた上に、ここ数日はベッドに縛り付けられて身動きを取れなかった。
歩くだけでも全身が重い。
渡されたのはボクサーショーツ、アンダーシャツ。
そして、紺の長袖シャツ、グレイのスラックス、黒のベスト、ストール。
銀鎖のネックレス、先端に銀の装飾付きのクラシックブーツ、黒のハンチング。
気のせいではなく、手触りには差があるものの、全てが狩人時代の懐かしい防刃素材製だ。
完璧な対吸血鬼用の装備品とも言える。
吸血鬼を相手取る時の服装が、防刃の理由は簡単だ。
理由は2つ。
この街では、拳銃の所持は違法行為になる。
吸血鬼には、拳銃など必要ない。
多くの人命とともに、国という大きな枠を失ったせいで、世界経済も危機的状況になり、企業の多くが失われたという。
街の外が未だに不毛地帯だというのは、数年に一度の調査団の報告で、住民なら知っている。
死にたくない人々が生き残り、作り上げた街に引きこもったので、その後に発展したのは医療方面ばかり。
なんの儲けにもならない戦争を続けるより、生き延びたいと思った者が多かったということだ。
そんな腰抜けばかりが住む〝街〟においては〝銃火器が治安を乱す〟という弱腰な意見が受け入れられた。
太い客である国家の崩壊と共に、多くの兵器屋も商売を医療方面へと変えていたので、強い反発はなかったらしい。
地域格差もあるらしいが、現在では、多くの街が銃火器の所持、使用を違法としている。
元はどっかの国の生き残り達が始めた〝拳銃非所持〟活動らしいが、昨今では吸血鬼が隣人のふりをしているので、銃の一つも枕の下に仕込んでおくべきだ。
吸血鬼どもは、人が反応できない初速で動くことができる。
己の鋭く頑強な爪で人の喉を引き裂き、血を浴びるように飲むことができる。
吸血鬼に銃器で撃たれる可能性は低い、からこその防刃素材なのだが、なんだ、この無駄なオシャレさは。
どこの伊達男だ?って話になるぞ。
もっと民間警備会社の人間のような、Tシャツにチノパンのような地味な服でないと目立つだろうに。
そう思いながら頭を掻こうとして、違和感を覚えた。
髪の毛が、短い。
これ、坊主になってないか?
部屋の奥にあるサニタリールームへ、足早に向かう。
裸足の足裏が、合成樹脂床に擦れて痛い。
「ウソだろ?」
鏡に映っていたのは、ある意味では見覚えがあり、同時に見覚えのない顔だった。
俺の生まれつきの髪色は黒に近い、うねるブルネット、瞳もほとんど同じ色だった。
だが、今の俺は、髪型がおしゃれなクルーカットもどきの上に、明らかに脱色したブロンドになっていた。
瞳の色まで、見慣れないアンバーに変わっている。
似合う似合わないの前に、俺の意見とかナシで勝手にイメチェンしたのかよ。
イメチェンだけならいいが、顔まで違う。
正確にいうなら違わない、いや、違うのが違うというか、違ってはいない。
ややこしい話になるが、俺が直近の14年間使っていた顔は、父親の顔だった。
どうりで老け顔だったはずだ。
おそらくだが、記憶の改竄をするのに、顔を変える必要があったのだろう。
今、鏡に映っているのは、18歳の頃の俺の顔だ。
32歳のおっさんからガキに逆戻りかよ。
最後に培養移植用の遺伝子提供をしたのが18歳なので、当然といえば当然か。
外見は年相応でいいってのに。
女性なら、数年おきに若い時の顔に交換する人も多いらしいが、男で顔を若くする奴はそんなにいない。
社会ではどちらかというと、年相応に見られずにガキ扱いされるより、おっさんに見られる方がいい。
まあ、父親の顔で生きていきたくはないので、戻してもらったことは問題ない。
顔に髪型、髪色や瞳色まで変えたせいで、鏡の中の俺は別人にしか見えない。
店に、店長として戻る気はないとしても、これからどうしろってんだ?
「狼の目だよ、気に入ったかね?」
「潜伏させるために、わざわざ変えさせたのか?」
「いいや、眼球も損傷してたからね、培養の際に、虹彩の色を変えてもらっただけさね」
まあ、目の色が変わったからといって、何が変わるわけでもない。
眼球もと言っているが、他にはどこを交換したんだ?
記憶にないが、相当暴れたらしい。
髪や瞳の色を変えたからと言って、親から受け継いだ遺伝子が破損するわけではない。
狩人として行動する上で、外見を変えるというのは、有利になる。
少なくとも、吸血鬼どもが探している〝店長〟とは、似ていても別人だからな。
「まあいい、目立つ顔でなければ何でも」
「手間をかけた甲斐があったかね」
叔父貴の得意満面な顔を見て、首を絞めてやりたい、と思いながら、店長の頃にも同じように思っていたことを思い出した。
案外、変わってないのか?
◆
シャワーを浴びてから、手足についた拘束ベルトの傷跡を手当てしてもらった。
着替えを済ませ、叔父貴とミカと共に車に乗り込む。
エルモは病院に残るらしい、助かった。
店長の時に趣味で所持していた軽トラもそうだが、移動手段ではあっても、生活必需品ではない4輪駆動車は維持費がかかるので、街の中ではあまり見かけることがない。
明らかに装甲車らしい形状の4輪車を走らせたら、目立つだろうに。
今の俺だと、叔父貴に何かあった時に助けられないかもな、と思いながら、促されるままに反対側のスライドドアから車を降りて——すぐ隣に停められていた、2人乗りの小型4輪車に乗った。
窓は任意で色を変えられるらしく、すぐに緑がかった半透明の黒に変わった。
後からついてきていたミカは、装甲車の中に残っている。
「囮を頼む。
最悪の場合は車を放棄していいからね」
「はい、先生」
ミカは悲壮感を隠そうともせずに、覚悟を決めた男の顔になった。
「歩いた方が、目立たないってことはないか?」
病院を出るだけで、貴重な狩人を一人失うわけにはいかない。
これから、地道に吸血鬼共を狩る生活になる以上、手駒を減らすのは得策ではない。
せっかく髪色と瞳色、服装まで別人になったんだ。
叔父貴と2人で歩いても、吸血鬼に職質されることはないだろう。
「後方支援が後方にこもっていると、前衛の士気が落ちるんですよ。
人数が少ないものですから」
「へえ、それならミカ、先に行って待ってるからな」
「は、はい!!」
まあ、これが叔父貴なりの組織運営だというなら、口を出すのはやめておくべきだろう。
14年以上狩人の本陣から離れていた俺が、いきなり知ったかぶりで口を挟むべきではない。
これが、前哨戦であり実戦経験になるのなら、ミカの未来のために、見守ってやろう。
頭首らしく、どっしりと腰を据えてな。
◆
かつての俺の愛車とは違い、内燃機関の音を再生する装置などついてない2人乗りは、微かなモーターの音さえさせずに走っていく。
もちろん運転しているのは叔父貴だ。
車内に2人きりとなって、待ち望んでいた時が来た。
あまり聞きたくないが、頭首としてけじめをつけておくべきだ。
エルモは、俺に武器を渡さなかった。
それが、わざとなのか、偶然なのかを知るには、ここで叔父貴の意思を知っておく必要がある。
「アンドレ、教えてくれないか?
どうして〝店長〟を舞踏会に行かせた、こうなる未来が見えていただろう?」
「記憶の改竄が解けてしまうのは、時間の問題でしたから、頭首様に道を決めていただきたかったのですよ。
このまま先細りに吸血鬼に滅ぼされるか、最後に徒花を散らすか」
「歳とって弱気になってんのか?
俺がいるのに滅ぼされるなんて未来、ありえない」
俺は作戦を考えるのは得意じゃない。
根っからの考えなしの前衛だ。
面と向かって対峙した吸血鬼を殺せる、稀有な狩人だ。
現在、この街にどれだけの吸血鬼がいるにしろ、駆除する方向性は変わらない。
運よく、この街の駆除が終われば、他の街に活動拠点を移してもいい。
俺の生きている理由は、吸血鬼を殺すことだけだ。
あとは、適当なところで種を蒔いて、次に血を残す。
結婚も恋人も必要ない。
俺は、俺以外になることは出来ないし、変わろうとも思わない。
「ははは、とても心強いです。
他の街の狩人達にも、そのように通達をしておきますね」
「ああ、そうしてくれ」
ミカに敬語なんていらないと言ったが、そもそも俺は敬語自体が得意ではないらしい。
狩人としてより、オーナーとしての付き合いの方が長かったアンドレに敬語を使われると、違和感しか感じなかった。
老け顔の32歳のおっさんが、外見18歳の伊達男?になったー