01
全てを思い出し、記憶を統合するのに、どれだけの時間がかかったのかは分からない。
全身が脂汗にまみれてべとつき、拘束用のベルトで擦れた手足が痛む。
頭の中では、作られた穏やかな日常生活の記憶と、本物の血みどろの記憶が混在して、自分が多重人格になったように感じる。
ただ1つだけ分かっていて、これからも確実なことも1つだけ。
父方の遠方の苗字を使い、ルクレツィオ・サングィネッティとして生活していた、腐るように代わり映えのない穏やかな日常には、未練がないということだ。
俺は、現在では非合法なイモータルハンターのバッターリア派頭首、ルクレツィオ・バッターリアだ。
いや、復讐に取り憑かれた狩人〝ルチャーノ・ダ・ロット〟か。
一人前として、狩人の名を得た時に、たった一つだけ方針を決めた。
〝どんな育ちで、どんな性格でも構わないから、吸血鬼は、等しく皆殺しにする〟
あんな人の生き血を啜る化け物どもと、本当の意味で分かり合えることなど、未来永劫ありえない。
今ならヨハンのジジイが、狩人を干されたことを当たり前だと思える。
狩人の恥さらしめ。
「……頭首様」
「久しぶり、なのか?アンドレの叔父貴」
「これまでの頭首様が、別人であったと言われるのであれば、そうなりましょうね」
頭に巻かれていた包帯を取られてみれば、見覚えのある、いや、見慣れた顔がそこにあることに、安堵よりも苦い気持ちを覚えた。
俺が店長だった頃に見慣れていた、こちらをからかうような表情は鳴りを潜め、年相応のジジイらし老獪さを持って控える老狩人アンドレ・ダ・ロットを、ベッドに拘束されたままで見つめる。
記憶を受け入れるまでに暴れまくったのに、誰も病室に来る気配はない。
不干渉と情報の徹底通達がされている、狩人御用達の病院なのだろう。
「あの腑抜けが俺?
ハ、別人だろ」
「左様ですか」
——本物の最後の記憶は、吸血鬼との消耗戦を生き延びた後、同胞であるべき狩人達に押さえつけられ、一時的な薬漬けにされ、記憶を改竄された所まで。
満身創痍でなければ、人の狩人ごときに押さえ込まれはしなかった。
タヌキである叔父貴が、裏切りともとれる行為を率いているとすぐに理解したが、身動きが取れなかったので、精一杯の怨嗟を怒鳴り散らしたのだ。
分かりやすく言うなら「テメェこんなこんなことしてタダじゃおかねぇ!」的なことを血を吐くまで叫んだ。
とはいえ、薬漬けの記憶改竄には逆らえるはずもなく。
生まれてからの全てを無かったことにはできないので、狩人家系の落ちこぼれ男に変えられたのだろう。
復讐と戦い方、頭首を継いだ記憶を封じられた自分が、あそこまで平和ボケした男になるとは思っていなかった。
俺は記憶を改竄されてから14年以上も、ずっと平和な街で暮らしていると信じていた。
全ては砂上の楼閣だったというわけだ。
今、こうして拘束されているのは、あの時の捨て台詞の影響だろう。
「叔父貴を恨んではいない、暴れる気もない」
「……左様ですか」
今ならわかる。
叔父貴のしたことは、狩人の未来に必要なことだった。
俺は10歳の時、両親と祖父、家族の全てを、イモータルソサエティに奪われた。
それからずっと復讐のために生き、18歳で一人前と認められて頭首を継ぐなり、単独で奴らの本拠地に乗り込もうとした。
情報統括と資産運用、管理が本業のアンドレの叔父貴が、わざわざ前線に出張ってきて指揮を執り、怒り狂い、暴れまくって叫ぶ俺を止めたのだ。
捕らえられて諌められて、宥められ叱責されても、俺は復讐を止めようとしなかった。
どうしても諦められなかった。
叔父貴が本物の記憶を封じていなければ、復讐心と破滅衝動に飲み込まれた挙句に、吸血鬼たちに殺されていただろう。
バッターリアの血に流れる特別な形質を、次の世代に残さずに死ねば、有能な狩人の発生が自ずと減る。
そんなことも分からなくなるくらい、俺は周りが見えなくなっていた。
どうしようもない、ガキだったわけだ。
「頭首様、退院の準備が済みました」
「マイク、お前は狩人だったんだな、全く気がつかなかった」
「はい、ミカ・ダ・ロットの名を頂いております!
直に御目通り致しましたのは、記憶を封じた後だったっす、でした」
「敬語なんかいらん」
「は、はい、了解、分かったっす」
礼儀作法や敬語なんてどうでもいい。
命をかけて、全身全霊を注いで一体でも多くの吸血鬼を減らせ。
それが狩人の本懐だ。
なるほど、オーナーの謎の規範規律の基準は、狩人由来だったわけか。
店長だった頃の緩い考えが、まだ頭の奥に残っているようで気持ちが悪い。
体を動かして、汗と一緒に流してしまいたい。
「帰りたい、拘束を解いてくれ」
「ソサエティの監視を撒くために、同行させていただきますよ」
「どうせ、家には帰れないんだろうが。
どこに連れてく気だ?」
マイケル・スカルジー、いやミカ・ダ・ロットがナースコールをすると、すぐに生真面目そうな表情の看護師がやってきて、拘束用のベルトを外してくれた。
体を起こすと、すぐにバスタオルを差し出される。
全身が汗でベタついているので、シャワーを浴びろということらしいが、雰囲気が看護師ではない?
「狩人か?」
「ハッ!補給、医療班のエルモと申します」
「叔父貴、今、狩人は何人いる?
前衛が3人しかいないのか?」
いい歳した男に憧れの瞳で見つめられて、うんざりしながらも笑ってみせる。
それくらいの愛想笑いならできる。
ぼんくら店長だった頃には負けるが。
個人的な好みでしかないが、この手の男を前線に連れ出すのはやめて欲しい。
憧憬が強いタイプは、大抵の場合において独りよがりな思い込みも強い。
全ての狩人が、こんな目で俺を見てくるのだとしたら、俺は一人で吸血鬼と戦う。
憧れは、恐れられるよりもタチが悪い。
「狩人の総員は13人、前衛部隊が4人、後方支援が5人、補給、医療が4人ですよ」
「少ねぇなぁ、なんだそりゃ?」
いくら世論や法律のせいで、イモータルハンターが非合法の組織になってるとはいえ、その人数では一方的に嬲られて終わるだけだ。
幾つもの腹案を持っていそうな、タヌキの叔父貴が運用していたらしからぬ組織の弱体化に、思わず内心をそのまま口にしてしまう。
「街を出た者が多いのでね」
「ああ、俺のせいか」
確かに、一番上が私情にかられて死地に突っ込むヤツだと、ついて行く気にならないな。
それならば、これからは違うと、きっちりと見せてやればいいのか。
だが新しい狩人を集めた所で、使い物になるのか?信用に足る人物なのか?を調べる手間で、余計な人手がかかる。
現状を維持しつつ、ゆっくりと増員していくほうがいい。
「叔父貴、これからの方向性を告げておく。
潜伏はしない、が、正面切って戦う気もないからな、地道に絶対数を削る。
日毎に減る仲間に、吸血鬼達が震えあがる姿を見せてやるよ」
「はい、総員に通達いたします」
叔父貴が、現状でのこの方向性を好んでいないのは分かっている。
蜂の巣に手を突っ込むようなものだ、と思ってるはずだ。
それを知っても変えるつもりはない。
感情論で語るなら、正面切って皆殺しに行きたい所だが、それは最悪の結末しか招かない。
叔父貴は、組織が弱っているのに対峙すべきではない、狩人の絶対数を増やす方が先決だと思っているのだろう。
しかし、使えそうな者を住民の遺伝子情報を元に探しだし、性格的、環境的に精査し、育て上げるのは時間がかかりすぎる。
吸血鬼は簡単に死なない。
だが、狩人は人間だ、簡単に死ぬ。
場数を踏んでいない新人狩人を減らされないように、先手を打って雑魚を減らしておくくらいなら、敵対関係の火種を操作できるはずだ。
この街には、吸血鬼を恐れないアホがいるって、アピールにもなるだろう。
煽られた吸血鬼側が牙を見せれば、警察や一般人に奴等の蛮行を広めることができる。
情報と金を何よりも尊ぶ、狡猾な叔父貴が、吸血鬼が人類の敵と知らしめるための証拠を、集めていないわけがない。