03
渡されたテールコートの着方が分からず、途方に暮れていると。
「しょうがないっすねぇ」
なぜマイクが出てくる?
「あれ、言ってなかったすか?
こう見えても結構いい家の出なんで、ホワイトタイなんて何度も着てるんっすよ」
結構いい家の出の男が、語尾に「っす」をつけるのはどうなんだよ?
給料の安い、レンタルショップの従業員でいいのか?!
再び休憩室に詰め込まれ、マイクに細かい注意をされながら〝テールコート〟とかいう変な形の服を着た。
なんか着ただけで疲れた。
首とか、ネクタイすらしたことないってのに、なんだこの白いリボン。
シャツの胸元が変なのは何でなんだ?
胸元に何を入れるって?
袖口につける変な形の白いボタン?も、服に縫いつけとけばいいのに。
「よっ!馬子にも衣装!」
休憩室を出た途端に、聞いたことのないことわざを叫んだロウハを睨んで、オーナーに矯めつ眇めつされていると、ふと顔を赤らめているロゼと目があう。
「と、とっても素敵です、ルッツ、じゃなくてっ、て、店長」
なんでそこでもっと赤くなるんだ。
ものすごい場違いな気がしてきて、恥ずかしい。
「いちゃつくの禁止」
遅番のアンジーの言葉に、誰もいちゃついてない!と睨みをきかせて、オーナーに全てを丸投げする。
「髪型と立ち方がいかん」
そのまま休憩室で服を剥かれ、シャツにデニムだっていうのに、格式高そうな店に突っ込まれた。
ドレスコードで入店拒否して欲しい。
格式高そうな店は、外側だけでなく内側も高級感あふれていた。
黒っぽい家具と、本物らしい革張りのソファやカウチ。
店内には燻したような香りが漂っていて、それが、シガーバーからだというのはすぐにわかった。
何だこの店、バーなのか?
「いらっしゃいませ、アレッシィ様」
「こいつに合わせた髪にして、立ち方を叩き込んでくれ」
「はい、かしこまりました」
体にぴったりとしたベスト姿が眩しい細身の男性は、オーナーがケースごと渡したテールコートを確認して、私をゆったりした椅子へと案内した。
店員だろうか?
高級レストランのウェイターのように動きが洗練されていて、気後れしてしまう。
そのまま意識を手放す勢いで、現実逃避をしていると、お坊っちゃん学校の入学式用か?と言いたくなるような髪型にされた。
ここは美容院だったのか?
とてもそうは見えないんだが、って、これはどこの青年実業家の髪型だよ。
Tシャツにデニムだと、全然似合ってない。
「ワックスで毛先を散らしていただければ、普段使いの髪型としてもよろしいかと存じます」
首元の毛を払いながら、思ってたことを見透かされたような男性の言葉に、無言で頷いておく。
ワックスなんて使わないし、持ってない、が拒否権もない。
……不意に違和感に襲われた。
鏡に映るこれは誰だ?
「準備はできたのかい?」
不機嫌な声にハッと振り向けば、そこには険しい表情のオーナー。
「アレッシィ様、如何でしょうか?」
「うん、いいのではないかな?
外側だけは本物の紳士に見えるね」
オーナーにごまかされた、何故かそんな気がした。
その後、男性とオーナーに睨まれつつ、背筋を伸ばして立つ、歩く、とマネキンのような扱いを受けた。
膝を曲げるな?背中を丸めるな?視線は前?
そんなの無理ですよー。
「いいか、イモータルソサエティのトップは、幾つもの街の金融に食い込んでる。
上手く立ち回れとは言わんから、弱みを見せるなよ。
つけ込まれたら、人生がご破産になるからね」
いつにないオーナーの真剣な言葉に、心臓に鉄筋の筋金が入ってるあんたとは違うんだよ!と言いたくなるのを、必死で飲み下すしかなかった。
そんな危険な奴らの相手を、どうして私がしないといけないんだ。
いっそのこと、この街から逃げ出すか?
……金もツテもないのに、どこに?
私はただ、趣味と実益を兼ねて、古い映像再生機器に囲まれて生きてきただけなのに。
ちょっとだけ自分の安いプライドを満足させるために、狩人の血筋だってことを大切にしてきたけれど、これが人生を失うような失敗なのか?
「さ、のんびりしていると夜になる、リムジンを手配しておいたから」
リ、リムジン?
「首も口も突っ込みたくなかったけれど、お前があんまり情けないもので、ついつい金を突っ込んでしまったよ。
いいかい、絶対に金満吸血鬼共に舐められてくるんじゃないよ?」
要求が高すぎる!
でも、服一式にこの店の代金、レンタルリムジンの代金を考えると、一体、どれだけ請求されるか……。
ソファや胴体だけのマネキンが置かれた、広い試着室のような部屋に押し込まれ、先ほどマイクに言われた手順でテールコートを着る。
ハンカチは折って胸ポケットに(なんのために?)。
リボンは首に(邪魔っ気だ)。
懐中時計はポケットに(時計なんて使わないよ!)。
変なボタンはジャケットの袖口に(落としたらどうしよう)。
手袋は?
完成して……鏡に映っているのは、高価そうな服に着られてるおっさん。
自分の顔のはずなのに、自分の顔ではないようだ。
私は、本当に私なのか?
「失礼いたします、如何でございますか?」
「あ、ああ、うん」
顔に対する気持ち悪さは傍に置いておいて、男性から言われたように、背筋を伸ばして胸を張ると、それなりに見えるかもしれない。
目が死んでいなければ、だ。
やる気が出ない。
「早くしろ」とオーナーに店の外に引きずり出されるとほぼ同時に、目の前に滑るようにやってきたリムジン。
これに乗るのか?と思っていると、扉が開かれて…。
「ロゼ、君?」
「は、はい」
リムジンのゆったりとしたシートに、肩や胸が露出しているドレス姿のロゼが座っていたことに驚く。
ダイヤモンドなのか、虹色に乱反射するジュエリーが、くっきりと浮かぶ鎖骨の上で存在感を放っている。
胸元のラインは、見事なまでにまっ平らだ。
細い体を覆うのは長い手袋と、丈の長いシャンパンゴールドのドレス。
誘蛾灯のように青白く光る顔は、暗闇の中で月のように光っていた。
化粧をしていないのかと思ったら、眉や頬には色が入っているので、吸血鬼の肌を覆い隠すような、ファンデーションの使用だけを避けているだけらしい。
「……」
「お前は本当にバカだねぇ、こういう時は、何をおいても綺麗だって褒めるんだよ!」
背中をオーナーのクソジジイに結構な強さで叩かれたが、私は目の前のロゼに魅入られていた。
これが吸血鬼の使う〝魅了〟なんだろうか?
「とても、綺麗だ」
「っ、ありがとう、ございます」
平凡な顔立ちの少女だと思っていたのに、ロゼの変身ぶりには驚くばかりだ。
艶やかにまとめられた紅茶色の髪には、ネックレスと同じ虹色の宝石が、いくつも煌めきを落としていて。
長いまつ毛、ほんのりと色を添えられた目蓋、茶色の瞳は恥ずかしそうに、伏せられている。
ほっそりとした顎から鎖骨にかけて、キラキラと光を反射する何かが塗られている。
いつもなら栄養が足りてないと心配になる細い腕は、しっとりとした艶を持つ手袋で覆われていて、華奢でありながらしなやかな女性らしさを醸し出している。
「そんなに見つめたら穴が開いちまう。
さっさと行って来い、ルクレツィオ・サングィネッティ!」
「ぐぇ」
つばの上に円柱が乗っかったような帽子を押し付けられ、オーナーにリムジンの中に詰め込まれた。
急に押し込まれて、変な声が出た。
なんで私の名をいちいち呼ぶんだ?
店長が連れ込まれたのは、イギリスの社交クラブのような場所です
会員制の男性専用クラブのイメージ