02
数日が経ち、吸血鬼に襲われたのは夢ではなかったか、と思うほど平穏な日常が戻って来た。
ちなみに、車は我が家のガレージ前に止められていた。
どうやらあの晩、気絶した私を乗せて運んできてくれたらしい。
驚きのあまり「そうか、運んでくれたのか、ありがとう」とお礼を言うことしかできなかった。
車体だけで何キロあると思ってるんだよ!?って聞くべきだったのか。
携帯端末は、運転席の足元に転がっていた。
平穏な日常に戻ったとはいえども、私は休日と余暇を使って、先祖の残した読めない手記を、翻訳ソフトを使って読み漁っているので、とても忙しい。
それとは関係なく、私は毎朝、自分の顔を鏡で見るたびに違和感を覚えるようになった。
何かが……違うような気がする。
一瞬だけそんなことを思い、寝ぼけているのか?と首を振る。
ロゼは毎日、献身的に私の肩の手当てをしてくれる。
利き腕の肩の絆創膏貼りが、片手では思った以上に難しかったので、素直に世話になっている。
同じ家にいるわけだが、ロゼは遅番固定(ただし日没後)、私は早番〜遅番が週3、遅番〜深夜番が週2の週5勤務なので、常に不在がちで会話をする暇もない。
ロゼは日中用に、と用意した地下室にはほとんどいない。
私が仕事でロゼが休みの日は、どうしているか知らないけれど、少なくとも私が休みの日には、本を読んだり、息抜きに機材を修理したり、解体しているのを無表情で見つめている。
何が面白いのかは聞いていないが、旧式家電の内部機構を見るのが楽しいのかもしれない。
ロゼの日常生活に関しては、日中の火傷の心配をしていたが、今のままでも支障はなさそうだ。
元から家電製品を劣化から守るために、窓にはUV遮断フィルムを貼ってあるし、綿埃の元になるカーテンではなく、軽量樹脂製の遮光ブラインドを吊るしてある。
室内が常に低湿低温でうす暗いというのが、良かったのかもしれない。
つまり、吸血鬼の扱いは、古い家電製品と同じでいい。
そう思っておくことにする。
帰宅時間の違うロゼのために合鍵を用意したり、遅番上がりの時に一緒に帰る理由を、ごまかしつつ従業員達に説明したりと、やることは多かったが、それも一週間がすぎる頃には落ち着きつつあった。
早番では、マイケル・スカルジーに「ロゼちゃんはもう嫁っすよね?」と言われレオノーラ・ハースに「種族を超えた純愛!」と盛り上がられ、ラファエロ・ルッソには「もう食い付かれてるんですか?血塗れで愛しあってるんですか?」と纏わりつかれた。
唯一男女の恋愛には興味がない、と公言しているデゥプレー・オガワだけが、傍観を決め込んでくれている。
早番のメンバーが濃すぎてつらい。
遅番と深夜番では、そこまで盛り上がられずに済んでいる。
何しろ恋愛ごとに興味を持っているのが、遅番のアンジェリーナ・ウィーラーだけで、彼女は「吸血鬼と人間の恋愛は、上手くいかない」と、とても現実的な訓戒をくれた。
悲壮な表情付きだったので「恋愛じゃない」と否定できなかった。
深夜番に限っては、一際濃いマニアの男達しかいないので、面と向かって私やロゼに聞く勇気がないだけかもしれない。
◆
毎日をロゼと過ごすようになって、考えるようになったことがある。
ヨハンお爺様は、なぜロゼを助けたのか?
ロゼは物を知らない。
世間知らずという風にも言えるが、教育を受けたことさえなさそうなのだ。
会話はできるが、今現在、世界規模で使われている共通言語を読むことができなかった。
多少の敬語は話せても、女性らしい嗜みや振る舞いを身につけていない。
服が地味で目立たないのは、ファッションに興味がないのではなく、何を着たらいいのかわからないそうだ。
思い切って、吸血鬼になる前のことを訪ねてみたが、ほとんど覚えていないという。
空腹と寒さに震えていた、というのが思い出せる唯一の記憶らしい。
つまり、ロゼは自分が西暦何年の生まれなのかも知らない。
ロゼの外見は12、3歳の少女だ。
ここまで何も知らないなんてことは、おかしいのではないか。
まるで、吸血鬼になる前は、どこかに閉じ込められていたのではないか?と疑いたくなる無知に気がついて、私はどう振る舞えばいいか悩むようになった。
ロゼがヨハンお爺様に向けているのは、明らかな感謝と尊敬。
無知からの純粋な感情を、汚してしまうのではないか。
知らないうちに、悪い影響を与えてしまうのではないか。
そう思うと、ロゼには出て行ってもらうしかないと思うが、それを口にする勇気もない。
透き通った茶色の瞳で見つめられて、ルッツと呼ばれるのは……悪くない気分だ。
私は一体、どうしてしまったんだ。
「恋ですよ、店長」
いつも通り、頭の中に花が咲いている早番のノーラに、真面目な顔で面白そうに告げられ、どきりと胸が跳ねたのは気のせいに違いない。
私は30過ぎのなんの取り柄もないおっさんで、実年齢は年上だとしても、見た目が少女の相手にどうこうするような性癖も甲斐性もない。
「はいはい」
普段通り適当な返事を返しつつ、翻訳ソフトを介した後の先祖の手記を読む。
今は客がいないし、オーナー命令でこんなことをしているのだ、少しくらい許してもらおう。
私は何冊かの先達の手記を読むうちに、自分の思い違いに気がついた。
狩人家系とはいえ、何も学んでいない私は戦い方を知らないだけ、と思っていたが、どうやら違うらしい。
誰でも狩人になれる訳ではなく、家系の中の一部の特殊能力を持って生まれたものが、狩人として吸血鬼を単独で追うらしい。
ずっと集団で動いて見つからないように、単独で吸血鬼探査をするのだと思っていたが。
手記には〝単独でも吸血鬼と戦える〟から、単独で動くのだと書いてあった。
そうだとしたら、私は狩人になるのは無理だろう。
襲われて肩を怪我しているし、ロゼに抱えられた時もびびっただけだった。
これまでの夢と幻想が打ち砕かれて、塵の山になっていくのを感じながら、私は落ちこぼれなのか、と現実を見ることにした。
舞踏会まではあと3日。
現実逃避をして、ごまかすことは出来そうにない。
吸血鬼と戦うことができないと知ったなら、それなりに動くだけだ。
ロゼに守ってもらう、とかな。
あまりに情けない……。
ロゼは、戦えるのだろうか?
これまで吸血鬼と関わってこなかったということは、戦い方は知らないだろう。
あれ、もしかして、これ、手が無い。
詰んでるってやつなのでは?
自分の行く末を思っても、血を吸い尽くされて干からびたミイラのようになっている、そんな未来しか思い浮かばなかった。
◆
思い悩んで忙しくしているだけで、舞踏会の当日になった。
直に会場に行くのかと思っていたら、店に呼び出しを受けたので、普段通りの服装で、歩いて店まで行くと、なぜかオーナーだけでなく従業員全員が揃っている。
「ほらよ、特注品だ、有り難く着ていけ」
オーナーに手渡された一抱えもあるハードケースには、服一式が入っていた。
隣のケースには変な形の帽子。
入ったこともない高価そうなテーラーに連れ込まれ、全身を採寸されて、着せ替え人形扱いされた甲斐はあったのかもしれないが、渡された所で着方が分からない。
「さっさと着ろってんだよ」
オーナーに顎をしゃくられて、休憩室に入ったものの、なんだこれ。
変な形のジャケット。
胸の所がビシッとしている……シャツなのか?
白いベスト?
白い……リボン?
スラックスは分かる。
その他にも手袋、サスペンダーにハンカチ、革靴に靴下……なんで懐中時計?
変な形のボタン?
なんだこれー、分からん!!
映像作品で、似たものを見たことはある。
確か国家の式典などの正式な場で、男性が着る正装に似ている。
しかし、自分でこんな服を着たいと思ったことはない。
200年は前の映像で使われている服を着るとなったら、まずどこで手に入れる?って話になるだろう?
恐る恐る休憩室の扉を開けて、お手上げだと表明すると、従業員にまで呆れたような顔で見られた。
実物を見たこともない服の着方なんて分かるか!
吸血鬼は力持ち、そしてレンタルショップの従業員はコイコイコイ