「あなたとなら、死んでみたい」
生まれ直すのって、早いに越したことはないのよ。
だって、年をとるにつれて、自分が積み上げてきたものを、壊すのがこわくなる。壊したくて壊したくてたまらないのに、壊すことよりも、壊したあとに、もういちどイチから積み直すことが、こわくてしかたなくなる。
あんなにも苦しかったじゃない。あんなにも苦しんだ私は、つぎはもうすこしうまくやるかもしれないけれど、それでもきっと苦しまずにはいられないのよ。
つまりね、生まれ直した私は、私の一番よわくて、やわらかくて、しなやかであったときよりも、ずっとずっと、かたく、つよくなってしまった私のままで、もういちど苦しみなおさなければならないのだとすると、それが一度めよりずっとちいさなものだとしても、とても耐えられそうにないと思うの。
ねえ、だから。
「死んで」
――わたしといっしょに。
「死んで、それから、生きたいの」
――ひとりはこわくてさみしくてたえられないから。
「あなたとなら、死んでみたい」
虚ろに響いた彼女の声の真意を、私は未だに知らない。
陽炎のような人だった。目の前にいるのにいない。同じ景色を見ているようでいて、まるで違う世界に生きている。声をかければ振り返り、微笑みを浮かべ、言葉を発する。たしかに会話は成立しているはずなのに、次第に何もかもが泡沫の幻のように思えてくる。
彼女と過ごした季節は、常にそのような浮世離れした不可思議な違和に彩られていた。或いは、無彩色こそが、彼女の持つ唯一無二の彩であったのかもしれないと思う。
私の理解を超えた世を、彼女は生き、戦い抜いていたのだろう。恐らくは、人知れず、孤独に。
いつだって彼女は私の理解を超えたまま、手の届かない場所まで歩んでいこうとしていた。何度引きとめようとしたかわからない。引き戻しても引き戻しても、彼女はどこかへ旅立ってしまう。私にできることはただ、彼女の抜け殻に沿うことだけだった。しばらくして彼女の心が戻ってくるまで――その瞳に絶望を浮かべるまで――手を握り続けていることだけだった。
たとえそれが彼女にとって耐えがたい苦しみであるのだとしても、その可能性に目を瞑り、私は手を握っていた。この手を離すことで彼女は幸せになれるのかもしれないと繰り返し自問しながら、抜け殻を愛でるように寄り添うことをやめられなかった。
「あなたは」
「……?」
「生まれたことを後悔しているの」
「いいえ、問題はそこではないのよ」
そこではないの、と確かめるように呟きながら、彼女は目を伏せた。長い睫毛が落とす影は儚げな色香に満ちていて、妙に胸を騒がせる。
「そこであってはならない」
「なぜ?」
「生まれた瞬間か、それより後のどこか……私が私になったところ、私というものが方向づけられたところ。戻れはしない。消して戻りはしない変化って、あるでしょう? なかったことにはできないの。どんなに殻を剥がしていったところで、その中に残っているものはもう、思っているようなものじゃないのよ。いちど綺麗に片付けて、ちがってしまうより前のものだけを集めて、もういちど作り直さなければ、どうにもならない」
「あなたがそう信じているだけではなくて?」
「……そうね、だけど」
彼女の声は少し震えていた。睫毛の影と同じように。
「私は生きたいの。生きてみたい。生きるためにだったら死んでもいい」
馬鹿なことを言うな、と一喝するのは簡単だった。
そうしたら最後、彼女は二度と戻ってこないことを想像するのも簡単だった。
だから私は微笑んで、ただ彼女の声を聞いていた。
「ねえ、――」
私は否定も肯定もせずに受け取る、それだけのことしかしなかった。
彼女の真意はわからない。私は彼女と同じ世界に生きられず、彼女の理解者にはなれなかった。
ただ、それが彼女にとって最上級の愛の言葉だということだけを、理解していた。
1年くらい前――森瑤子さんの『夜ごとの揺り篭、舟、あるいは戦場』を読了した直後か、少し時間を空けた頃。
非常に大きな影響を受けて書いた、ある種の読書感想文のようなものです。