海賊編(4)「異論は全て却下だ」
食堂として使っている大部屋に向かう。モールインは操舵室に篭っており、ドーザルはおそらく夕飯作り、ゾイは――さて、どこだろう。まだ船内を走り回っているかもしれない。とにかく、ここには一人しかいない。
「シガタ!」
大部屋の扉を開けた瞬間に、まだ十代半ば程度の少女が、シガタの胸に飛び込んだ。ドーザルの妹のミリュリカだ。彼女はどういうわけか、シガタを非常に慕っている。女言葉が母を思い出させるのではないか、とは兄の談だ。
シガタの胸あたりまでしかない身長と、ぺたんこの胸は、本人曰く「まだ発展途上なの!」だそうだ。ドーザルとは対照的な細身の体躯であるが、纏っている物によって“か弱い”・“非力”という評価は覆される。背中には、長さは身の丈ほど、太さは彼女自身の腰回り程ありそうな丸筒を背負い、腰には拳大の円球を連ねてベルトのようにした物を幾重にも巻いている。可愛い女の子のアクセサリ、などというにはあまりにも物々しい。
よって彼女の印象は『小柄だけど重そう』というところに落ち着く。要は、兄と同じく怪力持ちなのだ。妹の場合は、“見た目に寄らず”、であるが。
とはいえ、中身はまだまだ子供の域だ。
「どこ行ってたの。心配したんだよ!」
「あら、アタシ、そんなひ弱に見えるかしら」
「み、見えないけどぉ〜」
そういうことじゃないのに、と服をきゅっと握り締めながら、唇を尖らせる。
「……あれ、その子は?」
網に纏わり付かれ、ガルドに担がれた状態の人魚に気付いたミリュリカは、目を丸くする。視線は、自分よりも少し上の年齢だろう人魚の顔から、当然のように尾びれの方へ流れた。
「キラキラしてる! 綺麗!」
「き、綺麗……?」
人魚はキラキラした目を向けられ、心底困惑しているようだ。予想していた展開に小さくため息を吐いたガルドは、いささか乱暴に人魚を降ろした。「これ本物ー?」などと言いながら、ミリュリカは尾びれをむんずと掴んでいる。「は、離してくださ……!」と涙目で控えめに訴える娘との相性は、いかに。
「さて、いろいろ訊きたいことはあるんだが」
強張る顔を一瞥し、深く頭を下げる。
「クラ―ケンを鎮めたのはあんただろう。――ありがとう。助かった。この船の代表として、礼を言う」
「ふ……!?」
ぎょっとして震える娘に、ミリュリカが「そういう時は、素直に“どーいたしまして!”って言うのよ」と胸を張って指南している。え、え、と混乱する彼女は、教えられた通りにすることが最善と思ったのか――実際その方が助かるが――ひどく小さな声で「ど、どう、いたし、まして」と口にする。
自分が満足するまで頭を下げ続けてから、「……で、だ」と話を変える。
「お前、本物の人魚か?」
彼女は目を泳がせた。答えを探そうとしているのか。口をむにむにと動かすが、言葉は出てこない。
「まぁ見るからに、どっかから逃げてきました、って感じよね。それでこの海賊船に乗っちゃうんだもの。余程切羽詰まっていたか、世間知らずか。人魚なんて、希少種どころか世間では絶滅しているはずだものね。研究機関にでも囲われてたのかしら」
一言、一言が進むたびに、あがあが、と顔を青くしていく。嘘が吐けない性格なのか。これまではこういった“意地悪”をされたことがなかったのか。
「でも逃げ出したのは良いけど、これからどうする気なのかしら?」
その指摘は、核心を突いていたのか。それを証明するように、娘は見るからに顔を強張らせた。自分の足に視線をやると、眉をくっと寄せて俯く。
「それは……私、は……」
喘ぐような声だった。搾り出そうとして、失敗したような、声。やがて彼女は、自分の唇を苦しげに噛んだ。
人魚の表情を覗き込んだミリュリカが、ぽんと手を打つ。
「行き場が無いなら、うちにいたらいいよ!」
名案だ、とドヤ顔をしている最年少船員に、慌てたのは古株二人だ。
「ちょ、ミリュリカ!?」
「おま、何勝手なことを……!」
明らかに面倒そうな物件だ。絶対に、どこかしらに必要以上に睨まれる。それを何も考えずに船に乗せるなど――「じゃあガルド、恩人を海に落とすの?」――ミリュリカは真っ直ぐにガルドを見上げた。それが海の男のすること? と挑戦的に投げ掛けられると、返す言葉が無い。今しがた頭を下げたのは、決して見せ掛けだけのつもりではない。
「わ、私は!」
雰囲気が悪くなりつつあることに気付いたのか、はたまた別の理由か。娘が声を荒らげた。
三人の視線が、網の中の人魚に集まる。
「私は――海に、落として欲しいです」
シンと静まり返った中で、声がひとつ響く。
「私がいたらご迷惑をお掛けします。だから、陸までなんて言いません、早く、今すぐに、海に放り出してください。そしたら、無関係で突き通せますから」
――その後のことは、自分でなんとかするので、お気に掛けて頂かなくて構いません。
締め括りながら、彼女は揺れる瞳をガルドへ向けた。気丈に振る舞う彼女の拳は、よく見れば震えている。
「――よしわかった」
ガルドが静かに口を開いた。隣でシガタが、仕方ないわねえ、と笑う。付き合いが長いとこういう時に困る。
「あんた、この船に残れ」
瞬間、やったー! とミリュリカが万歳する。キラキラがそんなに気に入ったか。
「え、や、だから、私は、船から降りたいんです!」
人魚の主張を鼻で笑い、跳ね除ける。
「言ったよな。俺ぁ、誰かにこーしろっつわれて、その通りに従ってやるようなヤサシイ性格してねぇんだよ。不法侵入で捕まった“捕虜”の分際で、自分の要望が全部通るとでも思ってんのか? あ?」
網ごと首に手を掛けて、軽く壁に押し付ければ、彼女も自分の立場を思い出したらしい。
「う、売ったらお金になりますけど、その分面倒ごとが降りかかります、よ!」
陳腐な脅しは、自分が冷静に考えていた内容の劣化版のようなものだった。顔を傾ける。
「――俺が決めた。異論は全て却下だ」
やーいガルド船長お人好しー、とシガタが野次を飛ばす。ガルド船長いっつもお人好しー、とミリュリカが更に追撃した。
「お前ら馬鹿にしてんのか……?」
睨みを効かせれば、「怒っちゃいやーん」「いやーん!」と茶化された。常々思ってはいたが、こいつらには船長に対する尊敬の念が足りていない気がする。なんとも格好がつかねぇな、と前髪を掻き上げた。
そうこうしている間に、他のメンバーにも伝えてくる! と嬉しそうに笑ったミリュリカがシガタの腕を引っ張って出て行く。
あの二人は、タッグを組むと厄介だ。
やれやれ。背中を壁に預ける。
「あの、本当に……」
「あん?」
網の中、壁に押さえつけられた状態で、懇願するように自分を見上げてくる人魚に、そういえば重要なことを訊き逃していたことを思い出す。
「あんた、名前は?」
話を打ち切られたことに戸惑いながら、彼女は「名前……」と無意味に復唱した。
やがて観念したのか、ひっそりと囁く。
「キャルリアン」
へえ、と返す。
「海の女神の名か。ご大層な名前だな」
ガルドの発言を嫌味と取ったのか、人魚――キャルリアンは辛そうに顔を顰めた。